好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

仏陀カルマは表裏一体 さて業に何を授けよう

宇宙規模の道徳の課外授業から見た現実は、仏陀とカルマのケイドロのような追いかけっこで、借りた金は返せよ!という至極真っ当な当たり前の事を出来ないで責任を先送りにしてた堕落人間の話だったと気づく夢

夢のあらすじ

水曜、次の休み時間空けの授業は教?、道徳か…と移動を始める

え?体育?なんで校庭?と思ってると、それぞれ半円離れたスタートラインでクラウチングスタートの構えを取っている赤と青の巨大な、The 脳筋みたいな目が無い歯がむき出しの化け物が二匹、位置についている

それを見ると名前が浮かび上がった

『仏陀』と『カルマ』?Σ(゚д゚;)全力で追いかけっこ?これはゴールはどこにあるんだ?

という夢(笑)

これ、目が覚めてすぐに思ったのは

仏陀は現世では『悟った人』という意味になっている
しかし、漢字の意味は『崩れた仏』
お釈迦様も『おしゃかになる=壊れる・台無し』になる

これは転じて、『執着せず自然に還る』
『形にこだわらなくなる』と置き換えると…

仏陀とは『消滅・入滅』を意味する

となると?それを『全力で逃げる構え』を取っているクラウチングスタートの『カルマ』

現世では『業(おこない=カルマ)』というが、その業を扱うのは『人』である事から『僕』になり、僕が『欲』に突き動かされるなら『下僕=操り人形』

そのおこないが…『全力で逃げ』
そのおこないを…『全力で追う』

ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ仏陀ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ業

そんな人の業のカルマ?には仏陀(釈迦)というような意味も『漢字』も見えなかった。だからとりあえず『仮間?借間?』としてみたけど、そうなると

『間借り』を追い立てるのが
『釈迦→貸し屋』の取立て(笑)

ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ払えε≡≡ヘ( ´Д`)ノ踏み倒し

どう転んでも『仏陀から逃げる業』という構図

これが『業の回収』というシンプルな『課外授業』だった

だから『授ける業=借りる間』
『貸家=釈迦』の三千世界
『借りた金払って』から出ていけ=『金輪際』来るな

これって、これに懲りたら「他力本願に借金すんな!」という『道徳』でもある

この借り間から出ていくまでに、自由意志の『想像と創造の力』に気づき、『自己生産』して『自己精算』する事で

ちゃんと業を『納めて』『貸し屋(釈迦)に感謝』して
人の業=僕は『下僕から仏陀=消滅』になる

そして、その『仏陀と業の永久ループの脳筋追いかけっこのトラック』から出て、それを『俯瞰で見る立場』に戻る

なるほど(´・ω・`)あれが『人の業』とその『業を回収する仏陀』という『元々1つの表裏一体』『役割分離で見た状態』なのかと理解する

『貸し屋』から『借りた借金』を返す
『授業』を受ける為の『奨学金を返す』

当たり前の事をしない

授かった業の『宿業』を忘れ、『宿題』を終わらせず、『逃げ回っている人の業』

ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ学べε≡≡ヘ( ´Д`)ノ嫌だ

これが『金に執着する、金を増やす』という、『金さえあれば逃げ続けられる』という欲

『地獄の沙汰も金次第』

釈迦も仏陀も『亡きものにしよう』『足止めを考える勢力』だが、仏陀は『崩れる仏=形が無くなって』からが…

『鬼(鬼籍)』として容赦しない

『言われる内』が華
『見えてる内』が救い

『闇に葬る』ならば…『闇』を恐れよ?
『穏やかな眠り』など与えんぞ?(悪夢)

ひー!クワバラクワバラ(カバラ)
さっさと『業』を納めて『仏陀として消滅』して
『6』でもない次元から『自由(10)』な次元に…

謎の導き 桑原と次元刀と雪菜→カバラの次元に行きな?

なるほど(´・ω・`)
これが『五次元目』『道徳』でどう解くか?(自己解釈)

まさに『業の回収』というのは『奨学金の借金返済』

最初は『借りた金と間』でも『自己成長』で『自己生産』できるようになって『自己精算』して『自己返済』

貸し屋の釈迦も『金と間』を借し与えた『将来を期待する者』『道を踏み外しそうに堕落』したら『叱咤激励』は当たり前

しかし、授かった業を忘れ『堕落した連中』と繋がり、『借金を踏み倒す』には、貸し屋の釈迦を『おしゃかの亡きもの』にすれば払う必要は無いと悪知恵を真に受けると…

膨れ上がった借金…返済の目処もない
しかし、仏のように優しいから怖くもない

殺ったるか!( º言º)

こうして釈迦は『おしゃかに壊れ』
こうして仏陀=『崩れた仏』になる

当然、『鬼籍』に入り『仏は鬼』になり『化けて出る』
『容赦のない業の回収』を始めるのは『道理』

『自業自得の因果応報』で完結するのにその『責任』を『亡きものにして逃げよう』とするから…

『目に見えるもの』が(存在)
『目に見えなくなった』時に(消滅)

『真理・真言』は実行される

『生きながら仏の世界を行き来する過程』で仏心を護る『鬼と向き合う事』になるから

「ちゃんと宿題してっか?」
「悪い子はいねぇが?」

と、『仏の弟子』であり『鬼に見守られた子』でもある

これは例えるなら

『仁義のある極道の組長の家に居候』して、その『組長や組員の生き様』を客人として、『組に属する事無く見て学ぶ』ような

ドラマで言えば、『タイガー&ドラゴン』のように、『ヤクザとして世の中の人の汚い部分』とそれを例えた『落語という先人の知恵』を『今昔物語』として独自に習合して学び活かし

『新しいスタイル』を生み出す過程
『仏も鬼も宿した人』としての『弥勒』の授業

でもそれはやっぱり『貸し屋の釈迦の世界の中での出来事』という…『始まりと終わり』はわからない

『真釈迦(まことしやか)』な『今昔物語』として『意識の旅』の『線引き』が無い

夢の中の私は、ただ『巨大な脳筋の化け物』が、クラウチングスタートの構えでお互い『逆方向に全力疾走』する姿に

全力で『逃げるのがカルマ』
全力で『追うのが仏陀』

『名前』が見えた時点で笑い転げていた
そういう『単純な構図』だったのかと(笑)

仏の教えが業を回収しなさい
「警察だ!大人しく止まりなさい!」

業の行動が全力で逃げる
「止まれと言われて止まる馬鹿はいねーよ」

というケイドロだった

ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ警察ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ泥棒

…それを『観る分にもおもろい』が、『当事者』になるのは御免こうむるわと

それを『見ていた子供達』の誰もが思った
そしてこれが、『事が起きる前』に止める『道徳=道を説く』なのだと

だから、今の現実の『狂っているあらゆる現象』は、全てが『次の次元には持って行ってはいけない業』

阿弥陀仏
紛争の全ては崩れた仏

という『消滅して終わらせる』必要がある

『逃げている理由の宿業』を忘れているなら、立ち止まり、『観念=今の心を観る』して『仏陀(崩れた仏)』に捕まってみな?

どうやって『自己返済』するのか?『ロードマップ=道理』を教えてくれるよ

道程は…先祖代々、『業から逃げまくって先送り』にして『子孫に積み重ねて来た行いの精算』も含まれるから人それぞれ

でも向き合ってみたら…先祖代々、少しずつ『自分の代で多めに借金返済』して『真人間』として『徳を積んできたケース』なら

貴方の代で積み重ねた業を『納めれば終わり』

多分、だけど感覚的な体感論で言えば、これだけ世の中が『金次第と嘘』にまみれても、それを受け入れる事無く、『足るを知る』『自己の心の穏やかさが大切』だと感じている人は…

もう『卒業』してるか、今回で卒業か

そう言う意味では、思いやりや人の為…という『偽の騙し言葉』に乗らず『ワクチンを打たなかった=細胞と共存細菌の環境という自己を労る選択』が出来ていなかったら…

また『新たな返せない業を積み重ねる所』だった。これを『契約更改』といい、返せなかった借金は返済済みにする条件で『別の契約に乗り換えさせる方法』

先祖からの継承した遺伝子を破壊して組み換え(廃仏毀釈→神仏分離)
自然免疫の崩壊・免疫不全=(崩れた仏・お釈迦になる)

だから、ここが『子々孫々達にとっての金輪際の見極め』であり、『契約破棄の選択』であり『人類の選別』でもあった

『卒業組(形無く生きる)』と『残留組(形が変容して生きる)』

いずれにせよ『仏陀になる=消滅する』
『形にこだわらない意識』として『確立』する

『今の自分(形)』じゃなくてもいい
その『意志が共鳴』する『誰にでも宿れる』

『念動力=今の心を動かす力の共存細菌』となって自然を巡る

で、そんな自然細菌に『生きながら成って仏の夢』を見ている私は…

これが『即身成仏』
すなわち、『身に成る仏』である

『成仏』とはどこかに『消える事』じゃない
『形を消滅』させ『人の身の一部(共存細菌)に成る仏心』の事

だから私は『和足し』の『和』そのものになり
和足した『相手の心の一部に宿る先祖』になり

その先の祖を人と共に養う『先祖供養の共存細菌』として『己を支える心=忌=禁忌の鬼(免疫)』にもなる

やはり『胎蔵界は体の中』…というか、自然そのものから見た『宿る事ができる生命の細胞』に『共存細菌として道徳の道理を学ばせる空間』なんだ

それが『禁忌の鬼門』の先にある『デーモン・コア(心)』を通った先の夢か

空海の霊場物語18 Dの意志 デーモンコアは人の心(鬼門の向こう)

空海の霊場物語20 残念・無念のデーモン・コア回収の釈迦クエスト

そういう事か、タイトル伏線回収

仏陀カルマは表裏一体 さて業に『何』を授けよう

『逃げる業』『道理』を伝えなければ追いかけっこのいたちごっこ。では『自らその道理に進む選択』をさせる為にどうすればいいか?

急がば回れ…ループ接続

poolしてLOOPしてる夢と現実の心の水の浄化

そしたら追わずとも『出口』で『仁王』立ちで待ってればいい(出口王仁三郎)

逃げ場はない、ここであったが『百年目』
『宿敵』との一騎打ち、負けたら『死』

それは『借金踏み倒す業』にとっても
『借金回収の鬼』にとっても
『負けは許されない』から『覚悟』がいる

…が、鬼は負けても何度でも『強く更生して甦る』が、勝ち逃げして調子に乗った奴は『慢心』して「逃げなくてもいいんじゃね?」と『居座り居直り強盗=憎まれっ子世に憚る』を始める

そうすると、最初は負けても、なぜ負けたか?を1つのずつ改善していけるため、最終的には『負けた方』が結果的に『強く』なる『負けるが勝ち』

その仕組みこそ『免疫の機能獲得による耐性』

だから最終的に『自然が勝つ仕組み』

故に『自然を歪めよう』と『一時の延命を計る人間』は…いずれ『人間が手を加えた事』によって『因果応報で生まれる脅威によって滅ぶ事』になるが…

その「滅びを見たい!」という『一部の自己中の馬鹿が暴走した滅び』は『望まない者が多い』ため

『対消滅の仏陀』が『そいつと共に消滅』するか、それ以外の者に『新たな道理=ノア(not or)の箱舟』を導いて『自主避難』させるか

例えるなら『爆心地に防護幕を張って衝撃を緩和するために来る者』と、その『爆心地からできる限り離れるように導く者』と

結論はこうなる

だから

業(おこない)に何を授けよう?という目線が夢の中では、『子供の道徳の授業の課題』でもあった訳だ

まるで『出口のないトロッコ問題』に「出口を想像しましょう!」という『自由な発想を引き出す遊び』で生まれる『奇跡の救い』を見ているように

『無邪気な子供』から見たら『現世で起きてる事』は『化け物二匹のケイドロ』だった

学校の校庭くらいの敷地で『課外授業の為だけに見に来た見世物』のような・・『それが人生だった』と思うと、『小さく醜い世界』だし、そりゃ『達観した宇宙人は中に入らないで見てるだけ』だろうと思う

でも言い得て妙だけどさ…俺らの時代の道徳の授業も、かつてはそんな『先人達の壮大な生き様』があったかもしれないけれど、時間割の1時限の教科の科目の『教科書の1ページの数十分の物思い』にふけって想像してる空間が…

『今の人生という生き様の経訓』 と変わらない

教科書の『文字を読んで想像』している貴方
その想像の人生の中に『投影』された貴方

終わってみればこんなもんなのよ┐(´-д-`)┌

って聞いて人生の先の『死後に興味』を持つか、「だったら今のまま目覚めない方がいい」と思うか?

それが『現状に執着する欲を欲しているか』で『進む先』が違うんよ。誰に宣言するでもなく、一人一人が心の内面に日々示し申している=示申=神=あなたが加味様(味を加えている様子)

私は本を読んでいる自分、道徳を1時限の課題という『達観した目線の子供』に戻ったが、現状の人生、『人の生き様に執着』して、「別の人生も味わってみたい!」という人は、死後、『別のページの道徳の主人公』になる千夜一夜物語

なぜって?それは…

『道徳本を閉じる』のではなく、『別のページを読み始めて夢中』になってるのが『貴方』だから

『夢中で没頭』してる内はそれに気づかない
『あなたが主役の道徳物語』という仮想空間に入る

そうやってどこからともなく『現れる意志』
『主命入る(シュメール)民』として『夢』を見ている

主命を授ける、授けられた業を修める
これもまた釈迦の世界で『悟る仏陀』と『業』の関係性と相似する

なんだか…これは…
表現が難しいけど、なんだこれ…

なんかわかりかけてるけど
わかってはいけないような…

ただひとづわかったのは・・この夢の中の達観した子供だった私の波長が、この夢の時に出てきた奴だった事

現実

八次元 独自性の連続が新たな世界創造

私は『この現実』以外にも、『意識が入り込むアバター』をいくつも持っているのかもしれない
そういう意味では、『それぞれの次元の現実の体験のフィードバック』も『意識の共通観測範囲の夢』に反映されるという事か

・・それは考えた事がなかったな・・今度整理してみよう

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top