寝起き閃ワード 阿南無き主命入る民、アヌンナキ?シュメールの民?南は無い=南無阿弥陀仏(-∧-)合掌・・弥陀仏は全て崩れ去る、凪に波が立ち阿波が生まれ、波の女の預言が後世に影響を与えるも・・でもその女の難を生み出したのは釈迦の弟子の阿難だった・・。人を愛す、人を憎む、男女、二元性、共存と戦争、全ての金欲と禁欲の二元性が、阿難無き後に始まった阿難の業の回収だった!!と一匹の虫文から余田話…
蚊の導き再び
私にとって『季節外れの蚊はメッセンジャー』であり、虫の知らせとは『朮の行い=術』なのである
今回も目を開けずに目を覚まし、耳元にまた蚊が近づく音がしたのを…昨日の今日だから…と違う対策として、頭までタオルケットを被ってやり過ごす…と音がしなくなった…そして、その後
『爪と皮膚の隙間』がジンジンと痒みが起き始めた
(´・ω・`)『幻聴』を使い、『既に中』とは…やりおるわ…
…が!そのジンジン伝わる痒みと熱が、『閃ワード』として明確にメッセージになった
アヌンナキ=阿南無
「阿南(あなん)」は、主に**徳島県にある「阿南市」**を指す言葉です。阿波(阿波の国)の南に位置することから名付けられた地名で、太平洋に面した港町です。また、長野県には「阿南町」という町があり、こちらも「阿知川(あちがわ)の南」に由来する地名です。他にも、歴史上の人物や氏族名としても「阿南」が
私は『阿』というのが『阿波国』を指すというのは正直盲点だったが、『日本神話』において最初にできたのが『阿波』だったというのもここに繋がる
と、同時に阿南無き=『阿波より前』があり、日本神話の『始まりがそこから』と捉えた時、『阿南無き心をで統べる民』という、『阿波国より南に発祥地があった』が、その国は『既に無く滅んだ』為に
そこから『移住』したのが阿南無(亡国)を心に秘めた、『主命入る民』と『統べる尊=スメラノミコト』
南無阿弥陀仏=阿南無は『お陀仏』
しかし、その『主命入る民と統べる尊』が『阿波国』を生み出した
いざ、『凪(自然の静寂)』に
いざ、『波(生活の振動)』を
私はスマナサーラ長老の動画の中で、『アヌンナキという言葉』が当たり前に出てきた事に『違和感』を感じていた
『都市伝説や宇宙人』というテーマに単に興味があってそれを『説法の例』にしたとは思えないのは、仏教は『宇宙論』を語り伝え、それが『翻訳や音訳』されて伝承されてきた『歴史の振動エネルギー』
そう言う意味では
南無阿弥陀仏は、アヌンナキ=阿南無
弥=あまねく全て
陀仏=崩れる・敗れた仏
阿弥陀仏=宇宙の法則
アヌンナキは『仏』だった
『仏=ほっとく・仏悳』になった
敗れた、負けた、戦った?敗北した?いずれにせよ歴史は『アヌンナキは無かった事』と否定されている
…似ている・・『法則の相似』を読み解くなら、『歴史が否定して排除』してきた思想は
廃仏毀釈
『仏・鬼・釈迦』の名を地に貶める事
古代の『アヌンナキ=阿南無き』に辿り着いた時、「それはデマだよ!デタラメだよ!」と否定するのは…そこに『釈迦』やそれよりも前から『脈々と継承されてきた繋がる因子』があるのだと思う
『阿南無』…から始まったのが『阿波』ならば、その『凪』に『波』を起こして『民を統べる尊=心』
その『心に主命入る民』というのは、『上に立つ統治者』が『和』を持ち、『下の立場の民の為に』という『和を持って尊しとなす原型モデル』だったはず
それは、後に『預言者のカラス』が『渡来の民を率いて現れる前』だから、『都合よくその辺を猿真似』したのだろうと思うのは…
『南』からくる『金の犬』はろくでもない
『南蛮由来の献金』と書けば『お里』が知れる
『無い南を利用』して『為りすまして』くる
それもまた『廃仏毀釈』で『朝廷や天皇崇拝』を『預言者』が盛り上げてる
私はこの『預言者のカラス』が、『都合のいい王』と『その王の統べる民を仕立て上げる過程の夢』を見た
そして、どちらかと言えば、『阿』は『紛争の始まり』でその元の『南は無い』
『無い法学』から入る教え
『西南』からくる『桃太郎』は
『北東の丑寅の鬼』を『目の敵』にするように
『先に現れた民(先住民)』を『後から来た民が(移住)で侵略』し『文化大革命(文明のリセット)』を行い、『元』を解らなくしてまう
こうして『日本の歴史』は一度『闇』に包まれたが…
南無妙法蓮華経
蓮華とは『泥にまみれない清らかな心』
私はこれを『凪(穏やかさ)』と感じた
理由は泥とは『波の尼=伝来の正体不明女』
『預言』とも言う『古代』から起きてきた歴史の繰り返しを綴る物語において、『ハニトラや預言者』が『時の為政者の脇』について『簾の政治』を行えば
『王に毒』を盛り、『我が命の言いなりの子を王に据える』という『IRIS=siri=卵運びが得意=托卵』を繰り返す『格好の餌食』になる
キメラアントの女王が『蟻の王』を産むように(HUNTER×HUNTER)
因幡の『白兎』、狐の『嫁』入り、『虎の威を借る狐』…様々な苦言は出るが
いざ『凪(男)』に対する、いざ『波(女)』の『怒り』
それが『波の尼』が語る『般若心経・波羅蜜』
なぜ『鬼のように怒った女性=鬼婆』なのか?
なぜイザナギは『イザナミから逃げた』のか?
なぜ逃げたイザナギの『涙から三神』が産まれたのか?
なぜ『涙』は『波に戻る』と書くのか?
『鬼の目にも涙』と言うが、イザナギもイザナミも『鬼』だったとするなら、『天の鬼の目の流れに戻る』…となると
実は面白い繋がりとして『ジャックと豆の木』(ユダヤ民話)があり、この物語は天空に『鬼と人の妻』がいて、人の妻はジャックに「隠れて夜に逃げなさい」と匿ったのに
ジャックは『鬼が持っていた金銀財宝』を持って逃げた事によって鬼に追いかけられ、また追いかけた鬼は『地』に落ちて死ぬ
…これはひとつの『歴史の導線』が見える
なぜ『アヌンナキ=阿南無き地』は『弥陀仏=あまねく全て敗れ去った』のか?
そもそもアヌンナキは『金の採掘に来た』という、これを現代の『金欲まみれの堕落の世界観』から見れば、『金を独り占めして欲する強欲の権化』と捉えるだろう
しかし、『真逆の観点』で捉えた時、『金欲』が全ての『戦争や争い・格差』を生み出し『不調和を生む病原菌』でもあるので、これをひとつの『惑星浄化の過程』と捉えた時
最初に『金を集める文明』を創るというのは、これは『毒』を埋め込む『予防接種』
その『金欲支配』に対して「金が全てじゃない!」という『人の心の自浄作用』を導く『免疫・抗体(宗教・シンボル・カリスマ)』が生まれる
しかしその『カリスマの抗体』は『さらに強い金欲支配によって敗北』し、『シンボリズムとカリスマ』を使って『より多くの金欲支配を生み出す』という
『金欲ウイルスによって機能獲得』されてしまい、『リーダーと多数決システム』や抗えないように『カースト制度』、わかりやすい『ピラミッド構造』になると
金欲の進み具合(病状の進行)に『目』をつけやすい
これではただ単に金欲という『癌=病の品山』や『癌悪疫質の金の奴隷』を増やして、いずれ地球は『人の資本主義をベースにしたテクノロジーによって終わる』では無いか?
…と『先世見で結論に至った者』は「アヌンナキは救いの神では無い」、「阿南無き、南無阿弥陀仏!」として、『目に見える自然に救いは無い』と気づき、『闇の中、病みの絶望と向き合う流れ』となり
そこで初めて、「どうせダメ元ならやりたい事やろう!」と『今の心を観て観念』する
そもそも『金欲(癌)に汚染されて支配されていく人類』は『ゾンビ化(腐った亡者・癌悪疫質)になってる事』に気づいてないのだから
それはそれとして『金輪際関わらない』
『その環境で生まれる思想』を『是』としない
そんな『妙法』を『思いついて実行』する
『汚れた環境』を『綺麗』にする
『泥にまみれない清らかな心』という『蓮華の中に身を置く精神』になると、どんなに『深い闇』であっても、そこには『心』という『一縷の望が常に在る』
『心が前』を照らしてくれる
暗闇では『その光』しか見えない
逆に言えば『暗闇にならない』と『星』に気づかない
そこにあっても気づかないから『観念』するまで『有り得ないもの』だったのだ
だから『南は無い阿南無き(救いの神)』を『心に主命入る民(全細胞)』を率いる『スメラノミコト』とは『自由意志の意識』を示す
という『妙な法則』を生み出してしまうのが『シュメールの民の末裔』たる証。その観点から見れば『アヌンナキ』は必ず『戻ってくる』
理由は簡単で、『医療の予防接種の目的』を考えればいい
『金欲』にまみれ『癌を効率よく転移』させ、『癌悪疫質を合理的にばらまける感染力の高い人造人間』という『ウイルスを人造』して、それを『別の星に持って行って予防接種の毒の種』として撒く為、『富裕層を宇宙へ送り出そう』としている=ゴミ捨て(笑)
これが『人間を嫌う側』がやってる計画
一方でそんな『極悪な計画の中』でしか生まれない『泥にまみれない清らかな蓮華心』を持つ『最強免疫・抗体の心を持つ人間の選別抽出』というのも
私は『阿南無き心の主命入る民』に求められてる『選択肢』だと感じた時
なぜ『エンリル』と『エンキ』が『人を愛し、人を憎む』と『天使と悪魔の役割』が割れているのか?
単純に自分達の『DNAを混ぜたハイブリッド種』だから…ではなく、それは『細胞の一部』を取り込んだ為に、『人に起こりうる事』は『アヌンナキ=創造神にも起こりうる病気』となると考えた時
『金欲(争い・奪う)を克服する為のワクチンの研究』の為に『惑星の人間をモルモット』にした
こう考えた方が『宇宙的な精神テクノロジーの向上の存在意義』にも通じる所があって…なぜ『地球外生命体』は『地球人と直接コンタクト』を取らないのか?
『人間から支配や争いの思想(欺瞞・嘘)が感染する恐れ』があるから『免疫機能』によって護られた『隔離世』になっている
これは普通の事で、例えば『新薬実験の治験の被験者』は『隔離施設で入院や管理』を行うように『毒素が抜けて安全』になるまで接触は出来ないようなもの
『自力で金欲を克服』したら…金による支配の腐れ縁の繋がりでは無い『別の世界観の楽しみに気づく』ようになり
気がつけば『自然の恩恵に有難い』と『世界が美しく』見えて、逆に『金を必要とし金を口に出す人間という存在が醜く』感じるようになる
夢を見て、『夢の中で色々と出逢う先人達との対話』によって『未だ知らない隔離世の外を知る心構え』ができていく
これは『隔離世の外の存在達』にとっても『コンタクト』は楽しみな事
『中(肉体のある低波動な欲望世界(地獄))』はどうなってるの?と聞かれた時、私はこう応える
(´-`).。oO(金欲に飲まれて『堕落』してる時は『快楽や欲望に満たされて気持ちいい』が…『金欲を手放そう』とする段階になると・・「借りた金返せよ?」と取り立てのような業の回収で、その遊び散らかした体験から何を学んだ?
「授業の宿題を経典として提出しなさい」
「それが終わるまで繰り返せ!」と『卒業』はあるけど『留年輪廻は永遠に続く』から…と「どうせ皆そうだろ?」と『周り』見て『空気』読んで『応え合わせて堕落して依存』してなあなあに『曖昧』になって
そこから『抜け出そうとする者』の足を引っ張って、先人達がまとめた『過去問のレポート』を集めて『隠蔽』して、『デタラメに書き換えてもの』を『後世に流布』して『正法を末法』にしちゃって・・
『闘わない者が闘う者を嘲笑う側』になって・・情けねぇなぁと自己反省してさ・・ファイト!って自分を鼓舞して
だからそっから『自力で依存性から脱却』するように『輪廻を巡り宿題』を片付け、『苦しみ病んで自暴自棄』になる『一歩手前で観念』して…
「もうダメだ…終わんね、卒業出来ねえ…」と闇の中『人事を尽くして天命を待った』時・・やっと『一縷の光』が見え、その『光差す方へ近づく』ほどに『見た事無い夢の景色』が広がっていて
振り向くと『今までの世界』があって、『進むか?戻るか?』という『自由意志の選択』において
さよなら人類(๑•̀ㅂ•́)و✧有難う地獄(自極)
(´-`).。oO(ってやっと出てきたのが『今』なんだけどさ…それを『知らないでワクワク』して『未知のアレコレ体験を期待』してる訳だから・・
( ´-ω-)σ・・超楽しいよ? マジ━(゚∀゚)━! 俺も堕落してみっか!
…『嘘』は言ってない
うん、『正直』な気持ち(笑)
『想像におまかせ』します ←入る前
『創造におまかせ』します ←出る方法
行きも帰りも『心がゲート』
そこから『主命入る民(細胞・先祖)』は現れる
『先の祖』がなきゃ『子孫=スベラノミコト=体を意識して組織創造する神』は宿らない
阿南無=南無阿弥陀仏
アヌンナキは『崩れ去った』
文字通りなら『微細な粒子(気体と金属)』となった(元素周期の始まり)
主命入る民=シュメールは『人の細胞』
『凪(穏やか)』に『波(振動)』で『阿波(あうわ)』から産まれた
主命は『二元性』
『人間を滅ぼす金欲の権化』となるか
『人間の金欲を克服する抗体の鬼』となるか
『人造金属ウイルス(ワクチン)』vs『自然(気体+細胞)の意志』
…という「戦い(代理戦争)をさせられてるのだな」( ´-ω-)σと『俯瞰のほっとく=仏悳』に至ると…
『鬼』というのは『肉体』を持った『生きる命・魂』
『仏』というのは『精神』を持った『死の向こう・己の心』
その『二元性のどちらも問題である』として「別のいい方法ないかな?」を捉えて、『閃』に巡り合って『解決に至る』のが『釈迦』であり
釈迦が「問題無い!」と解決した世界は『穏やかな理想郷=胎蔵界(凪)』になる
廃される前の仏毀釈という三位一体
それは『南無阿弥陀仏=アヌンナキ神は崩れ去った』が、再び戻ってきた『シュメール=主命入る民の心』には『仏毀釈が伝承』されていた
だから…アヌンナキは『阿弥陀仏』
人が持つ『善悪両方の極端の因子(天使と悪魔・具象神)』であり
それは『人に宿ってる遺伝子』でもあり
地球の『自然の空気』の中に漂う『元素の粒子(気体・金属)』でもあり
『半導体』という『人間』はどちらの影響も受ける『子孫』
『悪』に傾く人は『金欲の癌を信仰』し『振興』して『新興』して『侵攻』する(宗教組織・法人化・経済侵食の神職)
七つの『喇叭(法螺吹き)=嘘』
七つの『鉢(教え)=金の本、金稼ぎBible』
七つの大罪は『七つの滞在=アヌンナキの子孫の統治』
アブラハムには『七人の子』
何処までが『実話』で、どこからが『人造の金稼ぎBible』かはもはや解らない話だが…
日本人としては『アヌンナキ』と『シュメールの民』の末裔
その繋がりの『片鱗』が音の響きによる『観世音』
阿南無=南無阿弥陀仏
阿波国=『国産み神話』の始まりの地
主命入る民と統べる尊(リーダー)
これは『統率』が出来ている必要がある
阿南無弥陀仏=全て崩れ去る仏(忌=己の心)
禁忌の『元』があっての戒めで『次のスタート』なのだから
『失敗を元』に『一丸となって取り組む』において
『下は上』を支え、『上は下』に与える
『和を以て貴しと為すの心』
それが『主命(人を愛すアヌンナキ)』として入った民
『因子は両方持ってる』からこそ何かが『近づくほどに感度が増す』
『惑星二ビル=鈍る』が近づくほど『金に屯して生きる癌細胞』とその『手下の癌悪疫質』と、それに対して『金に支配されやがって!目を覚ませ!』と『正論で抵抗する鬼となる免疫や抗体』と
…(´-`).。oOってこれも『釈迦の掌の上』か
と、『達観』して『興味』が無くなって「ほっとくのが一番だな(´-ω-)」触らぬ神(アヌンナキ)に祟りなしの仏=『無』にする
三者三様の『魂レベルの向き合う世界観』の違いがある
言ってしまえばアヌンナキは『同等の存在』とも言える
『全て崩れ去った』が『主命入る民に宿る』って…
それは『自然の共存細菌』として『人体共同創造のパートナー』になっている
『創造神』が『先の祖』として『人と共に養われている』=『先祖供養』
そうか…アミニズム、阿弥出雲
『自然の八百万の神を信仰』するという『形なき存在に神』を感じる
それもまた『阿南無き心=主命入る民』だからこそ、『形なき何か(霊性)を感じて繋がる因子』を宿している
それがいつ間にか…『形ある物=目先の物事』ばかりにエビデンスやソースとか『格付け』して『証拠』を隠してから「証拠を出せ!」と言うような、『バレなければいい』という『真を隠した偽物』が『都合の悪い事にレッテルを貼って貶める流れ』が…
一言で言えば『金欲』なんよ(笑)
で『日ユ同祖』とゆーて、ユダヤ人と日本人
ユダヤ人=『金の支配が好き』で
日本人=『自然の恩恵が好き』で
そんなユダヤ人の中にも、『金欲支配が居心地悪い』と、東へ北へと『逃げ延びた者達』から見れば
『南は無い』
『南は金の犬=献金』
南からくる金=『阿南無の意志』
一方で『丑寅の金神』もまた『足るを知る穏やかな統治の財産』を持つ『奪い合い』の無い『仏鬼釈の理想郷』
『自然と繋がり恩恵』をうける『阿南無の北の意志』
どちらも『別の主命入る民』だからこそ?『金と心』を試される
コロナ禍のどさくさまぎれのショックドクトリンで『mRNA遺伝子組み換えワクチン』の『ブースター摂取』は、世界で『イスラエル人』と『日本人』だけだった
意味深だね〜?
『人を愛する役目』の『和の存在』と
『人を憎む役目』の『差の存在』と
『スベラノミコト同士(統治者の意識)』が相容れない
『和を以て貴しと為す環境』に「争いや奪い合いを持ち込むな!」…争ってしまえば『相手の思う壷』
だから、『人を愛する役目の存在の気持ち』になればいい、人を憂う『優しさの想いの波動を同調』すればいい
どうやっても『そこに居るだけ』で『望まない争いや奪い合い』が起きて『被害者が加害者』になる構図
『そんな世界』から『出してあげたい』
「その環境じゃなくてもいいでしょ?」と
井の中の蛙大海を知らず=束縛なき大海を伝えたい
籠の中の鳥=箱庭の外の自然を伝えたい
ただその為には、『金欲や物欲』によって『誰かから奪い取り自己を満たす』という『格差を生む思想全て』を
かつて『アヌンナキが行った』ように『阿弥陀仏』
『争いは全て崩れ去ってほっとく』
仏悳=忌=己の心に直で心を支える
『争い以外の事』に『意識を向けて観測』する
そうすれば『観測して無い空間』は『無』になる
『知らぬが仏』
仏は『有るを無い』にもできる力
色即是空、空即是色=『そう思えばそうなる』
つまり仏にほっとけと『見放された者』は仏国土には『存在しなくなる』
『神のリスト』に『名の無い者』は再生されない
『取得物』はそこに持っていけないが『主悳仏』は仏の世界に持って行ける。『主(スベラノミコト)』を『素直に支えた己の心(主命入る民)・体性』は『共』に行く
そして意識は『阿南無』の人の可能性という『元の選択』へ戻る。『不退転の覚悟の座標』へ
釈迦の弟子の阿難無き後の人への憂い
仏教の「お釈迦様の弟子の一人である阿難(あなん)」
阿難の主な役目は、お釈迦さまの侍者として25年間仕え、その説法をすべて聴き記憶し、仏教の経典の基礎を確立した「多聞第一(最も多くの教えを聞いた人物)」として、仏法を後世に伝える重要な役割を担ったことです。また、女性の出家を初めて認めるように釈迦に働きかけた功績もあります
釈迦の初期仏教における最重要人物
多聞第一(最も多くの教えを聞いた人物)
これは空海の真言密教では『多聞天』でもあるかもしれない
多聞天(たもんてん)は、仏教の護法神である四天王の一人で、北方を守護します。名前は「多くの仏法を、誰もが聴くことができる」に由来し、仏の教えを深く理解している智慧の神
…と、同時に『不穏な動き』もあると感じたのが『女性の出家を促す』=『尼』を求めるか…
その考えは…『甘い誘惑星』
甘い四つの力の『勘』が『鈍る(ニビル)』なぁ・・と
『異なる性を意識』してるよね?
『自分の性欲の為』に?『人の為』に?
ま、もれなく後者=『人の為』を選んだら、それはもう『偽物を選ぶ』という事だから
釈迦の『真理』から遠ざかる
釈迦に働きかける・意見を述べる=説を法で解きふせる
うーん(´-`).。oO(これは…
釈迦に説法
その道に精通している人に対して、そのことを教えようとする無意味さや愚かさを表すことわざ
『その後の仏教の歴史』を見たらわかる通り、『尼』という『女性出家の立場』は、『結婚したくない女性の受け皿』とか、『訳ありの駆け込み寺』とか、『生臭坊主の囲い込み』等
真理とは全く関係ない『性欲を満たす手段』として『仏教で使われる』ようになり、挙句、『尼と僧侶の結婚』、在家、『住職』のような『都合のいい仏法解釈』でただの『束縛の為の法律や戒律』になっていった訳で…
その『尼システム』を導入したのが『阿難』だとしたら・・これもまた『名は体を現す』
阿=紛争の始まり
難=困難、難しい
釈迦は『素直に悟って解脱』するのに
阿難は『複雑に差を作って困難』を生む
(´-`).。oO(ま、阿難が『自業自得を因果応報』して、後で悟る為の業を生み出す時に気づくだろう
と、『間違いを指摘』しないでほっとく釈迦
釈迦の説法を『多聞第一』の『莫迦の一つ覚え』だけじゃなくてさ、『百聞は一見にしかず』
自分で後の『阿南無(アヌンナキ)』の世を見なさい?
『尼』を認めると『末法の世』がどうなるか?
出家・山篭りは『一人で勝手にする為』であり、『自然の一部である事』を思い出す為に『異なる性=他人を鏡にする環境』から離れて『自己と向き合う修める業』
そこには『人の性質という概念は持ち込まない領域』であるにも関わらず、『女性』という『女の役割を持ち込む』とどうなるか?
『自然の獣』ですら『雄と雌は繁殖期に体を求め合う』というのに、『人間』が『そうならない訳が無い』のも自然の摂理、『色欲・肉欲』に囚われ『見える世界』が『恍惚とした色物』に変わる
そして『カーマスートラ(愛欲)』に溺れて『女が仏教』を支配し始め、『娼婦に手玉』に取られて『玉転がし』されてご満悦か?
それは『盲信』であり、また『それを失いたくないという執着』に囚われ、『真理と偽=人の為』という『天秤』にかけて、『どちらかを失う』という『喪失感に囚われる』
そんな喪失感は『所有』という『保身』にならなければ『最初から無い』という色即是空・空即是色
『欲』を捨てなければ『真理から遠ざかる』が、『欲する』なら『望んで』叶えればいい
「しかし、阿南・・お前がその『業そのもの(アヌンナキ)』になり、『阿南無き世界=南無阿弥陀仏』に『アナンの業が蔓延』する」
『女を信仰』に入れる事を『男が許可』する『上から支配』
『女が教祖の信仰』は『男が認めない弾圧』
『女系天皇』に『男が嫌がらせ』をする
(;_;)/~~~『末世』で男女の権利問題が起きてまっせ~ってか
ユダヤにおけるアナン
8世紀頃のバビロニアのユダヤ教禁欲主義哲学者。アナニテス派の創設者。のちのカライ派の創設者とも考えられている。彼はタルムード主義のもとで教育を受けたにもかかわらず,伝統的なタルムードの立場を退け,聖書のみを唯一の神の律法であるとし,そこに戻ることを主張した最初の人といわれる。9世紀後半には,ラビから邪教とみなされたが,10世紀にはカライ派真正ユダヤ教に吸収され,彼は「真正ユダヤ教徒の父」と呼ばれた。
バビロニアのユダヤ教禁欲主義哲学者であり、アナニテス派の創設者という所にも『アナン』がおるんよね。当然、『アナン無き』後はまた『方針』が変わる一時の無理やり修正(笑)
名は体を現す
カタカムナで アナン の言霊は
命の強い核
…今日の閃は面白いな
書き終える頃には『爪と指の間の痒み』も膨らみもなくなってた
仮にこの『痒みへ意識が向く状態』が、『炎症してる争いの世界(細胞)に干渉する事』だとしたら
「そんな痒みより今日の閃メッセージがやばい!キタ━(゚∀゚)━!」と痒み等『気にもしない』まま、『意欲と好奇心』が伝えてくる『新たな観点の世界観を観てる私』にとって
『痒みに囚われた争いの炎症世界』等、元から『存在しなかった』
しかし『蚊=虫文に刺された』という『虫の知らせのきっかけ』はあった
私の中の『アヌンナキの因子』は
『人を憎む』場合、『痒い所をかいて炎症部位を広めさせるのが目的』だっただろう
『人を愛する』場合、その『自然の蚊が伝えてきたメッセージ(ショックドクトリン)』を『興味を引くヒント』に変えて、『閃きの突破口へ誘導』し、そこに『自力で辿り着いた事』で
『後ろ(過去)を振り向く事』無く『前(未来)に進みたくなるような世界へ意識の観測』を向けさせた
だからもう、アヌンナキとかどうでもいい
阿南・アナンという『釈迦の弟子』であり『バビロニアユダヤの哲学者』であり
こんな歴史のキーマンとしてピンポイントの『役割転生(傲慢)』みたいな繋がりを見つけると、その『阿南無き』末世に『主命入る民』を率いる『スベラノミコト(自由意志)』の選択が重要
なぜなら、『南無阿弥陀仏』で『自然に還った』のだから、『八百万の神』として、『自然の細菌』として『人の細胞と共存』しているのだから
釈迦「阿南よ、お前の選択の業の果てを人に宿って観てきなさい」(現一切色心三昧)
金欲・女の欲、ハニトラ・マネトラで『私利私欲を満たす醜い権力者達』を見てどう思うか?
『正直者』として『真心』で観てそれら『泥に染まらない清らかな蓮華の者』としての釈迦の弟子として
『不要だと拒絶する末裔の意志』に触れてどう思うか?
『釈迦に説法』かました『お前の意志が望んで反映』された『阿南無世界』
あの時、『抱いた欲』が無ければ・・『こんな金の奴隷世界は生まれなかった』のにな?
と『釈迦』が『阿難に反省』させ、『選択をやり直させる過去改変』に至る所までが『ワンセットの説法』って感じ。だってこの現実はまだ『未だ何も始まってない釈迦のシミュレーション』なんだから、気づいて反省すれば、何度だって更生して甦る
そらそうか・・アナンダって・・
あ?なんだって・・??(通信が途切れ・・)
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