一切無常、真と吾以外は気にする事無い理由…心と吾がひとつになれば悟る事。音の響きに揺らぎの余韻を持たせ観世音、観る空間の奥深さ、胎蔵界(レムリア)に気づいた『持って行けない取得物』と『持って行ける主悳仏』のお話
空という(仮)の概念の先へ
寝る前にスマナサーラ長老の動画を見たら、最近の私が感じてるテーマが物凄くシンクロしていた
世の中を風刺した説法に自然に笑いながら同意でうなづいて聴いて行く中、一つだけ・・これは『鵜呑み』に出来ないな…( ´꒳` ) .。oO(自己解釈が必要だぞ?と感じた事があった
空というのは奥深い、『先の段階』があるけれど、説明が面倒だったから『空にした』というお話
これを「空とはなんぞや?」と問い返せば、その先があっただろうに、「はい、空ですね」とそのまま『鵜呑み』にしてしまったから『嘘』になってしまったと
この表現が…何か『トリガー』になったのか
心地よい眠りの後に感じた、新しい空の間の捉え方
くうかんの音の揺らぎ
『同音異義語』は『音(言葉)の認知』によって捉え方が変わる
例えば『アーガマ』と聞けば、ガンダム好きはゼータガンダムに出てきた、『モビルスーツ巡洋艦』を思い浮かべるが…
パーリ語でアーガマは『阿含経』という『初期仏教と大乗仏教の両方の基礎』についての事になる
ガンダムを知らない長老がアーガマと言う会話を聞けば、え?阿含経?!Σ(゚д゚;)となるように
音で世を観る=『観世音の世界』とは『人それぞれ違う』からこそ、『共通認知』がなければ、『全く違う虚空を彷徨う事』になる
お互いに『口』から出た『虚ろの空』として正しさが『嘘』になる
どっちも間違ってない
ガンダムは『アーガマ』だし
釈迦のパーリ語の教えも『阿含経』だし
どっちも『在る世界という空間』だけど、そこには『存在の時間差』があるように、『空間はいずれひとつになる揺らぎ』がある
そもそも釈迦のパーリ語の教えの『阿含経(アーガマ)』がなければ、それを元にした世界観の『ガンダムのアーガマの世界』は生まれてない
『先に在る空間』に『後から空間』が繋がった
『過去』には『未だ未知だった道』だから
音の世を観る=観世音には『正解』はなく、また『正確性もない』からこそ、『決めつけない余韻の振り幅』も観る
これ例えるならアンジャッシュの『勘違いのすれ違いコント』のようにお互い『主観ではお互い正しい』のに『認知のズレ』で間違っている
それを『客観的』に『俯瞰で世界観』、それも『見えないはずの心の声』という内面を見た時に『滑稽な道化』に映り『お笑い』として成り立っている
…( ´꒳` ) .。oO(アンジャッシュの技巧派持ったいねえな
すると面白い発見をした
『くうかん』ま音の響きに揺らぎをもたせると
狂う勘
来る感
crew観
空間
九感
このように『様々な揺らぎ』が生まれ、そこには『時系列を感じさせる間』があると感じた
これは『救い』を一言でまとめたような繋がり
何もなければ『仏悳(ほっとく)』が
勘が狂う=『鈍い』、『四つの甘い力』の『金が屯』する
「正常ではない!」と感じた時、何かが『来る感』
全てを見通す『第九感』から『狂った空間』に『助けにcrew感』
『九次元』から『愛』を込めて…
くうかんという音の響きを
空間、空の間、空(有無)という
『有無を言わさぬ教えの正しさ』にこだわると…
『観世音の観測』が『三千世界=あまねく全て』に至らない
まだ見ぬ世界を『見えなく』してしまう
それこそ『有るのに得ない』
『有り得る可能性』を『認知で潰す事』に気づかない
『認知症の莫迦のひとつ覚え』
くうかん という『音の響』に『目に見えない救い』が全て在ったでは無いか
あったではないか…って言葉も妙だな(笑)
『有った(主観)』では『無いか(客観)』
『勘』は『野生の動物』が持ち得る『生きる知恵』
その『勘が鈍る者』から『自然淘汰』されていく
『コロナ禍のパンデミック』という意図的に造られた『人造のインフォデミックのショックドクトリン』
『勘』が鋭く冴えて『違和感に気づいていた日本人』の『約15%』は、その時点で、その後に襲ってくるであろう『新薬遺伝子組み換えワクチン実験』を回避出来た
勘が鈍った『金に屯する医者』(狂った共存細菌)
その正常性が狂った細菌を『見極めないで盲信して共存』を続けた結果
生き残っても『爆弾』(免疫が弱ったら牙を剥く)を抱え、既に重症の後遺症
命運尽きた(新薬の治験で大量死)
『気づかせるため』とはいえ、あまりに『大きな代償』だ
これでも目が覚めない、心に耳を傾けない左寄りの羊=『羞恥』
これは『現実』という『外観世界』で起きた現象
これをそのまま『内観』で、人の『体内の細胞』と『共存する自然細菌』に置き換えた時、細胞が正常でも、『自然の菌の方が勘が鈍っていた』として
徐々に体が正常ではない?!( ´꒳` ) .。oOと『違和感』を感じた時、その『全体を見通す第九感』から、『狂う勘』を正しに『助けにcrew』な『免疫』による救い
体内の一糸乱れぬ『バイオリズムが狂う』
『振動周波数』が乱れる原因の『不協和音』
その空間を『見つける内観』の観世音
その空間を『正す為の救い』の観世音
全ては 『くうかん 』に『バイオリズムの法則』があった
カタカムナで くうかん の言霊は
『引きより生まれる強い力』
狂う勘(菌)の空間(細菌)に助けにcrew(免疫)、第九感(自然)
これが『胎蔵界』という『自己治癒』によって『問題』が起きない『達観した理想世界』
『新地球の共同創造』とは、『人の意志』が生み出す『自然の細菌と共存する細胞』の『違和感』なき『和心の理想空間』
その『創造主が私』であり、住みやすく痛みも苦しみも悲しみもない『穏やかな細胞(民)の和を持って尊し』とする『解決策を持つ釈迦』なのだ
私が身体に『入れる物』、『入った物』を『見守る大日・釈迦』であり、その『釈迦に帰依』する私の『弟子達=細胞』が『穏やかに過ごせる三千世界を構築』したら…
たまに『夢で遊び』に行く物見遊山
「中の空間(内部地球)はどうなってるかな?」と城下町にお忍びで現れる城主の如く
なぜなら現実で『心が感じて震えた物事』が『夢で体験の感動』を伝えて来るから
…これだったんだ!(๑•̀ㅂ•́)و✧
これが私の『独自感覚』で感じた『夢現のレムリア空間』『亡き月の王への架け橋』を繋ぐ事
胎蔵界は『自由意志』で『自己創造』で生まれる『唯一無二の人体』という『内包地球』
唯一が『天』で
無二が『地』ならば
それを『人の本質』として
『天地人』を取り入れ全て『内蔵』する
『体験・体感』した事を『五臓六腑』に染み込ませて、『納悳』して『腑』に落とし込み『肚に据える』
臓器=月の蔵の器に納める
亡き月の王=望を叶える・叶う
「求めよ、されば与えられん…」とは
『理想の内部地球=胎蔵界』の事だった
だから『一切無常』なんだ
周りを気にしたって意味が無い
『貴方(真・創造主)』が『貴方(我)』に『何(欲望)を与え求める』か?
それが貴方という存在をカタチにする『全てに影響』を与える
それは『真(心)と我(吾)』しかわからない
『心と吾がひとつ』になれば『悟る事』
今の心を音で観る=観念観世音
スマナサーラ長老は『一切無常』を繰り返して伝えていた
貴方は貴方、私は私でそれぞれ
『観てる空間』=外
『持ってる空間』=中
『生きたい空間』=理想が違う
だけどそれは『否定して拒絶』してる訳ではなく「どうぞお好きにと、十人十色、みんな違ってみんないい」
ある程度のお金があって、不平不満がある程度で済む、事情を自浄して自己治癒可能な平和を、『皆が実感出来る正常性がある世界』ならば『気にする問題は無い』と思う
つまりは『多少の悪さ』は『人間だもの』
それは司法・立法・行政という政治や警察など取り締まる『免疫機能』が正常であれば、『罪を憎んで人を憎まず!』という『更生可能な自然の循環』を促す『免疫寛容』の範疇
しかし!!・・『今の外の現状』はその『社会的免疫機能』が全て狂ってます
『統治者』を始め、゜司法・立法・行政に経済、警察、宗教』まで、全てに置いて『金と権力による汚職』で正常性が狂ってますよね
『社会的免疫機能を低下させる』には『ショックドクトリン』で波動を下げる
自然免疫が『正しく機能しない』ように『メディアによる邪魔な誘導』で『スピン報道』で『芸能人叩きに正義マン達を誘導』し、その間に『着々とウイルス(癌)の侵食』が、『あらゆる支配=支えて配るに毒として浸透』する
『ライフラインの水に毒を混ぜて流す』ように、知らない間に『生活ルールを根底から汚染していく』という世の中を変えるには
癌に犯された臓器は『全摘出』
『狂った免疫機能を生み出す骨髄』は『正常なドナーの骨髄を移植』する
…って『事後の地獄の末期』に偽抗がん剤で抵抗しても、『痛みを堪える』ために最後は『麻薬で疑似的に夢を見る』になってしまうような世の中が『今』なので…
そうなった『社会の常識』
そうなった『社会を盲信してる人達』
あらゆら『概念』を『気』にしなければ、『それらを取り入れない創造主』が『自分』です
『健全な精神』で『健康な身体』を『護る意志』
その意志があれば『健全な先祖の魂(生存遺伝子)』が望む『理想世界の共同創造のパートナー』となって
『体』はおまえに任せた(๑•̀ㅂ•́)و✧俺は『心を護る鬼』になる
と『真(心)と吾(我)』が『差』取って足りないを『和』を足せば『悟り』に至る
それ以外は『一切無常』
否定も肯定も拒絶もしない
『和する物事』は取り入れ『和』足し
『格差を助長する物事』は『差』取り『丸く』納める
その『足る(法則)』を知れば『満足』である
これもひとつの『意識の解脱』
いつでも身切って『切り離せる心の準備=覚悟』
ここ現実で『得た物=取得物』は持って行けないが
ここ現実で得た体験・体感・感動=『主悳仏』は持って行ける
主の意志と仏=イム=『忌=己を支える心』
素直な心の『悳』は『次の世界』へ引き継げる
『空間』に『揺らぎ』をうむ『振動周波数』として、その『主悳仏』を『和足す事』ができる
これが
真・観世音のcrew感
不協和音の違和感感じて空間に乗り込む助っ人(レスキュー)
res cue=きっかけ・『救・急』に『応じる』
時にそれは『ヘルパーT細胞という免疫の司令官』となり、時にそれは孤高の遊撃を行う『癌特攻のNK細胞』となり、必要な姿で『現一切色心三昧(望む姿で顕現する)』
それは『主』が『素直な己の心』に『夢現に和足す』限り、より大きな『振動周波数の大仏』へと『成仏(次元上昇)』していく
取り合えず、『空という概念』が『(有無)という大雑把な(仮)』という長老の言っている意味は少しわかった気がする
空間とは・・決めつけられない夢現の今昔の可能性が繋がった領域
空間に『時・所=存在の意味・意義』があるのだろう
だから逆に『空間が無い』・・という領域・・?領域とは空間では?
・・うーん、これはまた概念に振り回されるな(;・∀・)今日の所は
空の概念は浅い『表面の仮』
真の空は深い深層の『なにものでもない』・・『表現』できない
『それがわかっただけ』でも『次のステップ』に行けそうな気がした
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