好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

ひのもと・陽の下・樋元=大きな繰りの恩恵の通り道

滅多切りにされ、ひのもとに晒された自然の木霊から滅多に無い気づき、ひのもと(日・陽の元・下)の精神とは何か??それは大きな繰りの木の通り道から流れ込む上下の恩恵の氣綱の下で、貴方と私(自己)が仲(人の中)を良く和する事の教えへと昇華されていく気づきの精神だった

ひのもとを伝える木霊

日のもと・・
『元』か、『素』か、『本』か

そんなものは『人』が決めた概念

自然はただ
『陽の下』だった

陽の下にある『恩恵』の『暖かさと穏やかさ』に包まれ、あまねく全てに分け隔てなく『平等に降り注ぐその大いなる力』に抱かれて『生命』は育まれてきた

それが『地上』における『太陽神崇拝のシンプルな原点』であり、だからこそ人は、日を『崇め讃え』始め、日の下を『カーストの序列』にしてしまい、その『日が出ない夜を敵視』して例える内に、『日と月の役割を分離』して

とーとー、トート神、トトを『カルト』にしてしまった

レトルト・re tort→再び死を背負い運ぶトート神と加圧殺菌と癌悪疫質

『陽の下』であるというのは自然の生命において『序列』はない
植物も動物も人間も昆虫も『僕ら=人の業(細胞)はみんな生きている』

僕(人の業)らはみんな生きている

人間の体の細胞は実は大半が、先祖代々、『環境の風土』から身についた『共存細菌』でできてる
だから親が子に『無性の愛』を与えるように『人の業』は生きて『引き継がれて』いる

『先祖が役目』を終えても「子孫の育成を頼む」と『自然の細菌に氣綱を繋ぐ』ように

『免疫力がつく』というのは『自然を勉強』する体感で『細菌』を身につける事。自然に還った『先の祖が人と共に養われる』ように『命を運ぶ流(龍)』に託す

これが『自然の流れ=龍信仰のアミニズム』の原点

さて、この『陽の下という空間』から『見上げる先』にある『夜空の向こう』

あれから僕達は『何か=人の可能性』を信じて来れたかな?
夜空の向こうには『明日』がもう待っている

アスター=星→日の生まれ
日(下)←月→『日 (元)』←ここ

この地球という『空間の自然のバランス』という『恩恵を与える』さらに『大きな日』がある

『日の元』は『大日』
『目に見える光』よりも『遥かに大きな見えない光』

『月』を見よ、『星』を見よ、その『闇の先』を見よ

ここは『大きな繰りの氣の下』で『貴方と私』が『和』になって『仲=人の中』で良く『遊んでいる結果のひとつ』に過ぎない

言葉遊びは『事果阿祖日』
『日の祖』は『阿の果ての事』

阿は『紛争、争い』の元
つわものどもが夢の跡

寝起き閃き 阿道・吾動場(阿含経・アーガマ)そして悟へ

本末転倒 → 倒れて転んだ末の本=『一巻の終わり』

死=師を超える倒転末本 一巻の終わりの続き

『事が果て』に至るから『言葉』になる
言葉は人の『生きて学んだ証』である

語彙力の『彙』

同類のものを集める。その集まり。また、同類のもの

『類は友を呼ぶ』からこそ、『言葉を慎む者』は達観して『争いから離れていく』
『歴史』を知らずとも『言葉』を知れば、それは『先祖の過ちと苦言を継承』し

『自然を乱す行為』をしなくなる事で
『自然に好意を持たれ厚意』を受けるようになる

『自然』に還って『命を運ぶ流れ(龍・先祖)』に好かれる

言葉を『正せ』、『慎む=心に真』を持って
今の心を言う果てが『仏(忌=己を支える心)』になる

…と今朝の閃は・・

ひのもとは

『日の下』であり、日の『さらに上』の『見えない日の元』との自然の恩恵の氣綱
『大日(目に見えない法則)』→『星(恩恵の巡り)』→『日(目に見える自然)』

『明日を観る観点次第』で捉え方が変わる

『明』の『小さな日』を見えない夜空の向こうの『星の日の元』として『後の日を太陽神(絶対神)』と観るか?

明の小さな日を『自然の恩恵として与えられた下の陽の太陽崇拝』として、後の日を『おおもとになる日の元』とするか?

『明日の後』にそれは『見極め』が必要になる

『明後日』に起きる事(法則)

day after tomorrow 明後日 という言葉の閃きが大日本の精神を揺るがす

『明』と『日』の間に『後』が割り込む
『後から何か』が『間』に入り込む
『自然の繋がり』の『間』の『日』が不自然な『音』になる

『闇』が生まれる

間に間に間に(マニー・お金)
間音、間音、間音(真似)

『明』を隠され、『日との繋がり』が絶たれた
その『間に後から入ったお金』と『真似』

七つの喇叭(法螺吹き)に七つの鉢(金の本)=黙示録

『自作自演の闇』から『オモイカネ』が開いた扉、それは『おおもとの猿真似』だろう?

と、ここで『金輪際の見極め(〜足る真言法則を知る)』である

胎蔵界の大日・釈迦金輪/際
金剛界の大日・釈迦金輪/際

空海の真言密教
おそらくこの『際』にあるのが、『間の日』を人が『音』に変えた『闇のVeil』

『人+音』という『エン』という字を知ってるかい?
それは『穢れ』という意味を持つ『人の音(声)』である

独自体感論 倍音からの倍偣(ばいえん)

これにより『大元の日』と『日の下』は『闇』に包まれて見えなくなって、『偽り=人の為の闇の雲』が現れ、人は『闇雲に自然に無理』するようになった

Veilに包まれた猫を被った何か

この闇のVeilの見極めが『真言念仏』

ブツブツ経を『読経』して一定の周波数の揺らぎで『トランス(変性意識)』になって、『トリップ』して漠然とした広大な『明晰夢を彷徨う莫迦のひとつ覚え』をする事でもねえ

莫迦のひとつ覚えを経て弥勒は気づきを語りたい

その莫迦=間違いを見極め、『出口』を見つけ、『問題解決の糸口』を開く為に

『真を言う今の心』を慎む事=『真心』
それが『念』ならそれが『仏(忌=己の心)』

『問題を解決する』という『開眼』をして『釈迦に至る』と『闇の見極め』は簡単な事

『心を鬼』して『鬼門の前』で向き合う

門→日=間
門→人=閃
門→音=闇

その『音』を観て『闇の向こうの世界』を見極める
人の音(穢れの声)=『心の闇』にならないか?

それが『観世音の心意気』

『音=周波数』をよりクリアにする為に『心』を磨け、『魂』を磨け、自己を『鏡』にしろ

『反射』で伝わる『反社心経』
『遠くの星』を見る方法も『反射鏡』

『心を鏡』にして『心に耳』を傾け『人の音(穢れ)』で世を観よ
そこには『無い世界観』を感じろ

間に『間違いの闇(真似・差偽)』があって、例え闇に包まれた『日の下』に『人の為に後から都合のいい日』が生まれたとしても

『大元の日(星)』を忘れなければ、『天の自然』と『地の自然』は『心の氣綱』で繋がってる
その『心を移す鏡を持つ人』に『自然(共存細菌となった先祖達)』は色々和足す

『孵らぬ人の魂』を『心に宿して返すポータル』
だけど、そこには『鬼門の鬼』が立つ

『心を鬼にした人』だからこそ
『閃』は通すが『闇(病み)』は通さない

『病は気』から

…はい、最初は『自然の虫の知らせ』かな?(;-ω-)『木霊』かな?と思ってたら、それは徐々に私の体が、何かの『風にさわさわと揺らされ共振』するように、『細胞がそれぞれ思う事』を…

まるで『高性能AIが統合してまとめて自己表現』するように、『私が納悳しやすい形』で聞かせてきた…というより、何だろう…内側から『じわっと染みた』?

『脳』で言えば『分泌液が出る』というのだろうけど、今回のはそう言う感じではなく・・

『第三チャクラ、みぞおち』辺りからザワザワ…と『五臓六腑に染み広がる』というか・・その間、『頭は思考停止』している

ただ『浮かぶ文字』だけが心に?心から?流れ込んでくる

そうだ、そうだった!と思い出すように
『明日星(アスター)は大日』であり『日の元・下』だ

と納悳した

『一人』で納悳して『心が和』になる=一人和=大和

『一人が門』と向き合う『閃きのソロモン(一人門)』
『一人が明日』に星を見つける『ソロアスター(一人星)』

人の『間』に『間』違いが生まれた
『門の日(教え)』が『人の音(穢れの声)』で『闇』に変えられた

その『闇後の日』として都合のいい『明後日=天岩戸開き伝承』が生まれた

明後日って…『妙な日』だな( ´꒳​` ) .。oO

と、『妙な見方』をする『妙見狸の訳詞如来』に見つかったのが『運の尽き』

間違いの『闇の音の世を正す』には、『正しい音=周波数』を和足して『共振』させる
『和心』がある『ひのもとの人』なら伝わるさと

カタカムナで ひのもと の言霊は
根源に時間をかけて漂い統合する

一言で言えば『ルーツを辿る人』って事だね

辿るというのは、『有る道を進む』という事であり
その道が『無かった』としても『有る前提で探す探究者』という事

その結果、この世界に足りない『和』を見つけるに至る心になる

『目に見える自然』が伝える
『目に見えない自然の音の世の法則』がある

縄文が消えた?古代遺跡が消えた?かつての人がシュメール人として?

チャウチャウ(ヾノ・∀・` ) Σ(゚д゚;)

『人の間』を離れただけで、『そこに在る』から伝わってきている

『間違いの世界(都合のいいヤラセの舞台)』に『興味』を失って『サブスクを止めた』ようなもの

それは『テレビのチャンネル』を変える事
それは『YouTubeで見たいチャンネル』を見る事
そのくらい『世界とは観測』で生まれている

『物理法則』は『日の下(ゲームの中)』で
『精神法則』は『日の元(クリエイター)』で

…ってちょい待ち( ꒪Д꒪)ノ ヽ(´▽`)/

心を通して伝わってきた『ワクワクを言葉』に変えて発信すると…とんでもない『meta認知』で、意識が持ってかれ…

確保(・ω・)c<´ロ`)ノ(ㅎ.ㅎ )眠りなさい

…と『寝てる間』に今までの事は、漠然とした『出口のない間違いに迷い込んでいた夢だった』として、目覚めた先は、『今の現実ではなかった』

…という『体験』を何度も『夢日記を振り返る度』に思う
真の現実の俺は…『YouTube』でも見て寝落ちしてんのか?と(笑)

『私の魂の特徴』を以前調べた時、どう足掻いても『エササニ』と出てきた
エササニの特徴で最も私が興味を持ったのは『並行次元・夢を旅する存在である』という事

私の魂のルーツはエササニ人と判明(笑)

並行次元の旅とは、『意識の観測』と『興味への好奇心』によって『深度や密度』が変わる
この密度というのが『没入感』であり、音で世を観る『観世音』

これは『音を発するそれぞれの立場』によって、発せられる『ポジショントーク』やその『ドラマ性』、それによる『全体の世界観』が違って見える

そう言う今では、この現実世界は『日の下の数ある世界のひとつの仮想世界』であり、そう言う『体験をしたい天上人の為』に用意された…言わば『戒めの地獄』である

たまには『毒』を吐きたい
たまには『愚痴』を言いたい

そんな『創造主が生み出した物語』だから、『目から涙が神』になったり、『ウロコ』が落ちたり、『目は口ほどに物を言う』のだが『口』から出るのは『虚』ろな虚空の『嘘』

全ては『人の為の嘘』の『仮想の下層世界』
自然とか日の元とか、そういうのも『気づかせる為の言葉』を見つけて『メタファーを生む為』に過ぎず

『無いに有る』を『想像して創造』してる
『主は自』であり、付き従う『体制は分』である

それに『没入して体感を体験』して楽しんでいる
『地獄(下層の仮想)を楽しむ為』に生まれてきた

が!ここ注意

『天上人=日の元の人』にとっては、『他の誘惑に堕落』しないで『戒めとなる体験の業を修めて修業(メインミッション)を終える事』で

「あーやっぱ差取りの苦行は必要だわ、大事な和を足す事の重要性を思い出す」と『刺激』を求めに『激痛マッサージに行く』ようなもので…

『自分で宿した宿業・課題』を見失ってはいけない

…という『表現』ができるのも、その『没入体験』を『出たり入ったり夢見の日記』をつけると…

『意識』というものは『物理では存在証明』はできない
それは『偽りの日の下』にはなく、『闇のVeilの向こう』の『大元の日から観測者の目』として覗いている

『思い』を『出せば目覚める』のだが…『物思い』を出せない『物患い』になり、『物質』を手放せなくなって『元の性質』を失って、『下層世界の一部(メタバース)』に『観測意識』が囚われる

それも『地獄(仮想)の中』で生まれる『地獄(下層)』
トーラス構造は△▽
上にも下にも『広がって増える』

一点を基軸に8になる筈が…

『六角形・六芒星』という『3と3』が混じって『小さな四角』が生まれる

仮想

六角形

78:22

小さな…四角(マス)

この『マス』に『コミット(契約)』すると『マスコミニュケーション』に囚われる

マスコミュニケーションとは、マスメディア(新聞、テレビ、ラジオ、インターネットなど)を用いて、不特定多数の不特定多数の人々に大量の情報を伝えることです。この用語は、情報の受容者である「マス(大衆)」と、その情報を伝える「コミュニケーション」を組み合わせた言葉で、大規模なメディアを通じて情報を広める活動を指します

六角形の中の『四角の中の人達』
有象無象の『マス・マトリックスの情報』
『口』封じされた『人=囚』

私は別にこの世界に『否定的な事』を言ってる訳ではなく、その『外から見た観点』での『自然の法則』から観て

大衆へのコミニュケーション
=全ての衆生を救う『大乗仏教』の『真似事』

金剛界の大日・釈迦金輪(釈迦の説法から遠ざける陽動)を感じるのは

『希望』は伝えず『訃報や不安』ばかり伝える
これは『明るい話題』は『ニュースにならない』から

また『スポンサーに不利になる情報』は『伝えない自由』を使い、結局は『金の為』という『一部の人の為(コンプライアンス)都合』で、『吉凶』を判断しているから『キチガイ(吉外)偏向報道』の『凶・狂』この頃

『金輪際の見極め』をしないと、『真実』から『ショックドクトリン』で『意識の観測』を持っていかれ、また『スピン報道』で眠ったまんま

…というのは、その人がまだ『下層の仮想の誘惑』から離れられない『堕落してるだけ』かもしれないし、もしかしたらそう言う『体験の業=バイオホラーゲームを選択』してるのかもしれないし…

ま、ほっとく=『仏悳』┐(´-д-`)┌

これは『下層の仮想』の『さらに下層のVRchat』でも言える事だけど・・『変な人』とは関わらないで『ミュート』にする

触らぬ神に祟りなし
飛ぶ鳥後を濁さず去っていく

『昔の人』もそうだったと気づいた

でも『見えるものしか信じない盲信者』は『見えない流れ』を言った所で『身につかない』から伝わらない。『言われた事』を『体現して体感』して初めて『見えない何か?』に興味を持って『観測意識を向け始める』スタートライン

『今は心が伝わらない』なら
『今の心』を『残して』去る(。・ω・)ノ゙残念、亦(また)来念

…そしてやはり人は『恋』をする
『亦来た今の心』と『残った今の心』が出逢う再生のコンタクト

そんな『恋物語』を観てる念=『観念』
やっぱり日の『元』から日の『下のYouTube』でも観てんのか(笑)

意識が『俯瞰に達観』したかと思いきや、『没入した仮想の現実』に急に切り替わるような、その『大日(日の元)』→『日の下』の『明日の星の意識が向く』のが

その『間』にある『闇の音』

この『音を観る世界』が『夢』ならば、私はやはり『夢と現』を行ったり来たりしてるけど、その『自由』を与えているのは『大日の元』にある『胎蔵界の真』

なるほど(´・ω・`)『食』だなやっぱ、『空腹』になればなるほど『達観』する

独自体感論 シンプルに邪気払いは掃除と食

感覚的量子論 空腹幸福論 安楽死の体験練習

廃物希釈になる前の、かつての日本人はその『大日・釈迦の真言アミニズムの法則』を『身をもって体験』して『恩恵に感謝』していたから『和心』だったのだろう

ただその『日』すら『大きな繰りの氣の下の日』だった

ホツマ夢黙示録6 大きなくり(繰り)の木(氣)の下で

日の元=『樋元(ひのもと)』があった

屋根に流れる雨水を集めて、地上に流すしかけ
水や湯をはなれたところへ送るしかけ

『上から下への恩恵』を示す漢字

木の通道の元から流れてくる恩恵・・まるで『世界樹の根元の人』
『繰りの木』を通った上に、さらに『大きな樋元』があった

ひのもとは 根源に時間をかけて漂い統合する ロジック
一人一人が生まれの星へとルーツを辿る『意識の観測位置』

だから、星になる=『帰らぬ人(もう人として生まれない)』になるのかもね

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