突然大日如来のパワーストーンが切れた後に突然現れた霊友会の勧誘・・非常に波動が重くなる縁を結ぱないための、魔除けの効果?というお話
突然、パワーストーンが切れた・・
何気なく記事を書いてる時、右手につけている大日如来のパワーストーンが・・いつもよりだるんだるん?な感じがするな?と思った直後、結んでいる糸が切れて、石が散らばってしまった
このパワーストーンは大日如来との縁が繋がった記念で身に着けていたもの
そうこのパワーストーンはただのお土産なので、実際石は何が使われているのか?とかは何もわからないが、ただ『真言密教の大日・釈迦と縁が繋がったというサイン』として身に着けていたものであり
先日、まさにその地に『月命日』で訪れ、何かしらのエネルギーの干渉(補充?消耗)はあったかもしれないけど、ここ数日前から突然漂い始めた気持ち悪い宗教勧誘の粘着気質に嫌な気分にさせられている
初回の勧誘 なんの宗教かはわからないが・・
どこからかぎつけてきたのかわからないが、『反創価思想』で日蓮の正しさを掲げ「池田大作を許すな!」というスローガンが書かれた新聞を手に、車で家に現れた(ピンポイント)人に
「私は自己探求の釈迦の初期仏教にしか興味がないから」と『真言を声明』したにも関わらず、『引き下がらないやんわり押し売りの勧誘』『皆でお勉強を行う会』を薦めてきたのを見て
・・心底呆れた
二回目の勧誘 近所を回ってきたという霊友会
偶然を装って近所周りで突然、家に現れ、「先祖供養なんか興味ありませんか?」と『名前』も名乗らず(礼儀やは常識ねーのか?)と思うおばさんが現れ
「なんでうちに?誰か亡くなったとか、何も示してませんよ?」と言うと、「この近所を順番に回ってきたから、別にお宅が目当てだった訳ではないですよ」と・・
あからさまに『誤魔化す発言』をした後、話題を私の手に付けている『数珠(パワーストーン)』に気づいて、「お!すごい石をたくさんつけてますね!そういうの興味あるんですか?」と本筋から話題をそらそうとしたのを感じてイラ・・としたので
「結局宗教勧誘ですよね?何の宗教?」と聞いたら、『霊友会』と名乗り、創立から約100年は続いているとの事だけど、知らなかったので「興味ないのでお帰り下さい」と帰ってもらった後
『本当に近所巡り』をするのか、遮光カーテン越しに見ていると、おばさんと思えないほどフットワークが軽く、迎いの家の玄関に行った・・かと思えば、インターホンを押して出てこないにしては、『早すぎ』に玄関を出てきて
次はその隣の家の玄関に行ってしばらく出てこないが・・おそらく私に『観られているだろう』というのがわかった上での『目くらましに近隣の家に勧誘した体』で誤魔化しているのだろうと感じた
どちらにしても、『日蓮・釈迦・先祖供養』をダシにしている『勧誘スタイル』が気分を悪くさせた
霊友会を調べてみた
創立者・久保角太郎は “世の中を変え、人々が真に救われる道” を求め、 大正9年、お釈迦さまが説かれた最高の教えとされる「法華経」の研究と先祖供養の実践に入る。
並々ならぬ修行の末、「久保は一部経(経典・法華三部経)のみを指針に生きていく―」
という心境に達した。そして、一部経が説く先祖供養に着目した。
“親や先祖はどういう思いでいるのか。その思いに自らの手で応える。その行いが先祖供養ではないか。
一人ひとりが生命の源を感じ、自分たちの心構えや態度をあらためてこそ、初めて社会は変わっていく”。
久保角太郎の意志は『私と同じ』である
これは身近な『先祖、自己探求』から始まっている
『他人を介在』させる必要のない『一人』でできる事
大正14年、小谷喜美は久保角太郎の実兄・小谷安吉と結婚したことが縁で、夫婦で霊友会の修行を始める。
久保角太郎とともに霊友会の礎を築き、のちに霊友会初代会長となる。の心構えや態度をあらためてこそ、初めて社会は変わっていく” 。
修行を始める・・から始まり、人を増やし『団体』になり、『教義で構築した団体を社会』として『100年の時』をかけた今・・その『勧誘にくる者の態度や言動』が、創立者・久保角太郎と『同じ意志を持つ者』が接してみて・・
「気持ち悪い・・」と感じる事こそが、『応えの答え』である
『自己探求の内面世界』と向き合い『先祖供養』をする
創立者・久保角太郎の世界を真言の『胎蔵界の釈迦・大日(孤高)/金輪』とするなら
その開祖亡きあと『100年後の霊友会という団体』の世界は
『金剛界の釈迦・大日(皆の為)/金輪』という構図になり
『胎蔵界(私の内面)』と『金剛界(団体勧誘者)』が接した空間は、まさに『金輪際の見極め』という『波長が合わないゾーン』だったと言える
別に『間違っている』から『否定』する・・とかではなく、『間(胎蔵界・自己/金剛界・皆・人の為の善)』が『違っている』から遠慮する=金輪際関わらないだけ
日蓮を推す『創価学会』だって、私は団体になる前の、『牧口常三郎』と『戸田城聖』の『創価教育体系』の子供を育てる事こそ大事!という理念には大いに共感を示した
だが、その『開祖亡き群れ』となった集団の三代目から名が広まった団体は、信者以外あまり『いい噂が無いのが事実』であり
ま、何が言いたいか?と言えば
私が『世の中が変』になっていったコロナ禍、『善悪の正しさと愚かさ』に悩み始めた時、『ルシファー』に気づき、ルシファーの『因子』を辿り、先の世を見て憂いて『問題提起』していた
そんな『日蓮』に『誰にも教えられずに出逢う』ように導かれたように
自然に『日蓮』に興味を持ち、その『日蓮の意志』を継いだ『牧口常三郎や戸田城聖』に興味をもって調べて『生き様を供養』したように・・
真言は勧誘せずとも出逢うもの by妙見狸の訳詞如来
だから、『興味』を引こうと『勧誘』している宗教の時点で『偽者=人の為の者』
別にそれは世の為、人の為に善い事をするのが好き!という『人の為の善=偽善が好きな人』にとってはいいんじゃない?
家族の中でも『お節介』という、『余計なお世話様』という『人助け』があるのだから、『縁がある者同士』なら、それも許されるけれど・・
『縁』がないものに『因縁』を付けたら、『縁果』が返ってくる事になる。『嫌だと思う事』を押し付けると、『嫌だと思う事』をされる事になる『因果応報』
障らぬ神にたたりなし
人それぞれ『好きな信仰がある』のは『自由』でいいと思う
だから、否定も肯定もしない・・存在すらも知らないで『ほっとく=仏悳』
それを『皆でやりたい』『共有したい』と『望む人を勧誘』すればいい
『日蓮・釈迦』の教えを正しく理解しているならば、『価値観を押し付ける』時点で、それはもう『間違い』である
そういうのも『自己判断・自己解釈』できない・めわからないから「誰かに教えて!」と思うのが、それがもう『他力本願』である
『好き』を与えて!と『隙間』を与えている 心理・真理の隙間
そもそも、日蓮は法華経から『解脱』した時、誰にも信じて貰えず『迫害』を受けた。『鞍替え』するような奴は、その時、『日蓮に石をぶつける世論側の信者』だっただろう
『上の者に帰依する群れ』とはそういう『弱さ』を持っていて、そういう『上の言う事に従う事・皆がやっている事』を疑問に思わない
だから、それに『疑問』を持ち、『組織に問題提起する者』がいては・・『組織』にとっても、その『個人』にとってもどちらも『足を引っ張られる』
大乗仏教は『皆で助けてあい・互助会の精神』だが、その『皆を助ける釈迦』となる『孤高の存在』はどうやって生まれるか?
『皆が集まって苦しむ場』から離れるから、『皆の苦しみの声』の『音で世を観て観世音の菩薩』として人を憂い、そういう皆を助ける為には、『皆の中の一人』ではどうにもならないと離れるのが『孤高』
『独り』にならなければ『できない事』がある
仮に、私が何かの『宗教や組織』に入ったら、間違いなく『穴(矛盾)』を探し、速攻で『都合の悪い存在』になるのは目に見えている
そういうのを『見つけてもなあなあに誤魔化す皆』が好きの中では、『痛い(所に気づく)存在(不適合)』になるのは百も承知
『納悳できないもの』は例え『教科書』だろうと、『専門書』だろうと、『法律』だろうと、『経典の説法』であろうと、ことわざの『意味の例え』であろうと『説得力ある自己解釈』で『鵜呑みにしないで神砕く』から・・
いくつかの『宗教に入った友人の目を覚まさせて改心』ざせて『脱会』させてしまった事がある(笑)
だから・・『類は友を呼ぶ』という意味では、『勧誘相手』を間違えてはいけないよ?例え、『霊を宿して友とする』という意義は同じでも、『他者』を介さず『己の自己探求で行う者』にとって
『皆で共有する霊』というのは、気持ち悪いんだ・・普通・・っていう『普通の基準は無い』のに『普通を当たり前』にするくらい空っぽ
『何にも無い』って事は『何でも有り』にする事も出来るから
『先祖供養(自己成長・自己探求・自己解釈・自己解決)』はしても
『先祖共有(皆が共通の霊・教義の思い込み)』という気持ち悪い事はしない
だって、『そういう会』に入ったら、『私の想う日蓮』という個人的な感想や人物像は、『統一集合意識の中の一部』に呑まれてしまうから・・ある意味、『宿した魂を売る事』になる
ま、もともと持ってない『無知蒙昧な人』は『団体の使役する日蓮の魂を宿される(インストールする)事』になる訳で・・
やっぱり『発想の自由』は無くなるから、『波動』は合わないし、合わせる気もないので・・
「この人は勧誘するべきではないな」┐(´∀`)┌ヤレヤレと勧誘に来た人の持ち帰った印象で『リストから除外』してくれればそれでいい
お互い『ほっとけ=仏様』ってなもんよ
有る意味で、『パワーストーンが切れた』のも最初の『波動が合わない思想のコンタクト』の時に、『魔除けの石』にダメージが入って、二度目の勧誘の接近では、やはりお土産程度の石では『耐久性が無かった』のかも
つまり・・『次のパワーストーン(継承の石)選びの時期』という事だ(≧▽≦) Σ(゚Д゚)そういう事なの?
さて、次は何の先祖の石の意志を宿そうか
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