寝起き閃きシリーズ。卑しいという漢字が使われている卑弥呼。その卑弥呼の歴史はごっそり消えている謎。勾玉と陰陽、弥生を呼ぶ・・邪馬台国の目的、計画された侵略、そして見えてくる縄文の意思について
卑しいという言葉が気になった
寝起きになぜか「卑」という漢字が気になった
卑しいとは?
下品だ。げびている。がつがつする。欲望をあらわにして、さもしい、心が下劣
極めてネガティブでマイナスの意味を込められた一語であると感じるが、この漢字を付けられた歴史上有名で日本で敬われているのが
卑弥呼
卑弥呼とはどういう存在だったのか?
3世紀ごろの邪馬台国の女王。「魏志倭人伝」によれば、30余国を統治し、239年に魏の明帝に朝貢((外国人が来朝して)朝廷にみつぎものを差し上げること)し、親魏倭王の称号と金印とを受けたとされる。ひめこ。
なるほどね・・
という訳で今回も言葉の意味深堀シリーズです(≧▽≦)
※信じないで適当に聞いていけば歴史ロマンで楽しめます
卑弥呼の謎を解くカギ
邪馬台国の女王、日本の最初の巫女と呼ばれる存在なのに、どうして忌み言葉が使われているのか?それは忌みは先にあったのではなく、後からつけられたのでは?という点がポイント
弥生時代の到来は縄文時代の終焉を意味する
高度な火力コントロールを必要とする土器や、繊細で巧みな職人の技がなければ不可能であろう、貝に丸穴をあけて装飾品にする出土品が大量に見つかるのに、武器や鎧が一切見当たらなかった縄文時代は1万年の平和を築き上げたとされる
その時代が急速に終わりを告げた理由は侵略にあると思う
そこで卑弥呼という漢字を読み解いていく必要がある
天孫降臨=大陸からの侵略を手引きした先兵
卑という漢字をシンプルにばらしてみると、由とヰという形が見えてくる
由は由緒、ルーツ、始まりのといった基点を指し、ヰは失われた50音のひとつ
古代言語のカタカムナの思念読みでは存在を意味する
これを踏まえて卑弥呼を読み解くと
始まりの存在、弥生を呼ぶ となる
昔は右から左に読む傾向もあった事を考えると
呼び寄せる弥生の存在の始まり
これは侵略をへて、日本という統治国家を立ち上げて、新たな歴史を創り上げるという意思を言霊にし、その名を付けた存在を日本に送り込んだという呪術的な考え方もできる
その繋がりを紐解くのが卑弥呼の好んだ装飾品に見えてくる
勾玉と陰陽、片割れを呼ぶまじない
以前、勾玉のルーツを調べた事があるが、ルーツは見えてこなかった
しかし、69が対となる存在であり、それが陰陽の二元論を表す大局図として認知した今、二元論とは争いを繰り返す火種であるという結論にたどり着いた
おもしろい事に「まが」という言葉にいい意味は存在しない
禍々しい
逢魔が時
魔がさす
まさに災いの種のようなカタチであり、言霊
ここで勾玉じゃらじゃらつけまくりのファッションリーダーが卑弥呼
弥生を呼び込む先遣隊の卑弥呼がまず何をしたか?がポイントだ
宗教国家 邪馬台国の建国
縄文時代に武器や鎧など、他者を警戒する敵意がなかった心優しき縄文の民たちは、相手が侵略を目的に近づいてきたとは思わずに色々な協力をした事だろう
そのひとつに文化交流の拠点の建国があり、その中で大陸の陰陽を主体とした宗教を伝える教祖だったのが 卑弥呼ではないかと思う
そして、邪馬台国の女王の存在を各地に広げ、陰陽思想を広げていき、国として統治し、競争や権力構造、善悪などの知恵と宗教概念を定着させ人々の争いを誘発させていく
そんな乱世の救世主のごとく登場する大陸からの天孫降臨という画を描いた通りの古事記のストーリーがしきやすい
冒頭でも述べたように、この卑弥呼は、魏の明帝に朝貢((外国人が来朝して)朝廷にみつぎものを差し上げること)し、親魏倭王の称号と金印とを受けた というのが最初から計画済みの事だったと見えてこないだろうか?
邪馬台国とはどうして邪な馬という漢字なのか?これは江戸時代に新井白石が通詞今村英生の発音する当時の中国語に基づき音読したことから「やまたいこく」の読み方が広まった
とwikiに書かれているが、これが先にしても後にしても実に感慨深い名前
のちに邪馬台国は滅亡し、日本国内の歴史は闇に葬られ、魏志倭人伝にのみ記載される存在になるというのが、中国側が最初から乗っ取る計画で邪馬台国を日本に作ったとしたら?
邪:正しくない、心がねじけている、まがっている、よくない
台:見晴らしがいい高く建てた御殿。高くて平らな土地
その国の女王が間者(スパイ)であり、侵略拠点として見晴らしもいい城を建築して回っていた
そして邪馬台国は謎の滅亡を遂げるのだが・・女王がどうなったか?という最後は語られていない。つまり死んだ事にして、もともとスパイだった者が役目を終えて大陸へと帰っただけに過ぎないかもしれない
だから日本には邪馬台国の女王という存在の情報だけが残り、歴史は抹消されている事と、弥生の侵略の動きを知っていた縄文の残党は全て根絶やしにしなければいけない理由があった
というのがひとつの側面
もうひとつは単純に侵略された縄文側からの恨みから生まれた考え方
縄文の意思 碑文の意図 卑弥呼は蔑称
邪馬台国の女王にしてやられ、自然で自由だった縛りのない平和が、国として分断統治されていった中、服従せず迎合せずに離れ、山の民、川の民、森の民、海の民となって自然信仰を大切にし、ちりぢりに世界中へと去っていった縄文の民もいただろう
平和で分断のない縄文時代を破壊し、不調和な争いを持ちこんだ女王がいた
その姿、その発言、その思想を忘れないために、後から卑弥呼と名を付けて広めたとすれば、卑という感じにどれだけの想いを込めたかが想像できる
卑怯:正々堂々していない
卑劣:いやしくきたならしいこと
卑猥:下品でみだらなこと
卑屈:自分をいやしめて服従・妥協しようとする。いくじのない態度
卑下:行為を低くした態度をとる
卑語:人前で言うをはばかる、いやしい(汚い)感じを与える言葉
卑称:指す対象を卑しめた言い方
卑俗:下品でいやしいこと。低俗
忌むべき存在、断固屈してはならない、下ってはいけない、属してはいけない、そんな行為をしてはいけない!
そんな想いを後世に戒めの言霊として残すカタチを取ったのかもしれないと思うのが
石碑・碑文(石に刻む)にもこの漢字が使われている事
ここにも実におもしろい言葉のロジック・法則が発動している
卑しい、正々堂々としていない、下品な事!と侮蔑する言葉が、なぜに石碑や碑文など、重要な記録物に使われているのか?
由緒(原点)であり、ヰ=存在(リアル)を表すカタチが石に刻む意思というカタカムナの側面もある
昨今では、何かの記念碑等で、どこどこの町長が寄贈しましたというような風潮になっているが、言い換えれば、卑しい自己顕示欲の象徴とも言えるよね(笑)
もともと石に何かを刻むというのは、巨石文化の縄文の知恵と技術
紙や何かに文字や歴史を残した所で、焼き払われ、捨てられ、埋められればそれまでの事(歴史隠蔽)だけど、雨風吹こうがびくともしない巨大な石に刻む事でその意思は消えない
言霊にも言葉の意味にも定着させる事で、その想いも途絶えない
これは平和を脅かした侵略者に対する呪いであり、守るべき者たちへの意思の伝達でもある
と、同時に、自分たちが侵略者たちへのうらみつらみを物質的なカタチで残そうという、卑しい自己顕示欲にもなっているため言葉の呪いの意趣返し(恨みを返すこと、意趣晴らしすること)=因果応報(現在の行為に応じて未来の果報が生ずること)になっているのも興味深い
ここから歴史は弥生系天孫降臨(自作自演の侵略)VSと土着系(もともといた縄文の民)の血みどろの争いへと発展していく
言霊返し?漢字のカタチと意味のすげ替え
天孫降臨、子々孫々この日本を守る神々の・・という古事記に描かれた神話は、侵略拠点を作って計画的に大陸を渡ってきて無抵抗の民を虐殺蹂躙した話とわかる
しかし、その時、縄文の民の意思はバラバラ
争わない選択をし一部は仕える道を選ぶ(大国主の国譲り?サルタヒコ?裏切者?子孫を残すため?)
一部は自然と共に生きる選択をして
森の民(さんが)
山の民(鍛冶)
川の民(河原者)
海の民(海賊)
残りは北へ北へと土地を追いやられていった
だから東北のほうは温厚な人が多い反面、よそ者の変化を入れない(警戒)傾向が強いのかもしれない
歴史はこれを、急な氷河期があって食べ物がなくなって・・それを追って・・縄文人は北に行ったんじゃね?シランケドwのように大雑把に記しているが果たしてそれは本当なのか調べようもないから、民族大移動の理由をそれっぽい理由で好き放題言える
が・・その中の血筋には、一族を守るために侵略者と戦う事を選択し、武器を手にするものたちもいた。縄文の民の子孫、阿弖流為と地方豪族と大陸から渡来した派閥との闘いが激化していく
鬼=もの=モノノフ⇒もののけ
圧倒的な強さにつけられた鬼という漢字
偶然にも鬼という漢字もまた、角の位置と角度が変わってるだけで、ほぼ由心=原初の心
ただ、心の点がムになっている
ムの意味は、もうない、なくなった等の意味があるらしい(ムー大陸も?)
つまり、はじまりの民の心を失ったモノ=復讐の鬼・抵抗する者(モノ)と考えれば、鬼退治の桃太郎=陰陽による歴史の生き証人の残党狩りという構図がどんどん見えてくる
こうして、歴史の勝者はおとぎ話の中で鬼退治という新たな印象操作を広げていく
誰にとって鬼が脅威だったのか?
すでに半分が侵略され、新たな混血(弥生と縄文)の血筋が生まれ、出生地がこの地になった者たち(ハーフやクオーター)からすれば、自分たちに抵抗する者、文化や新しい伝統を受け入れない者たちは、何をそんなに拒絶してるのか!?意味がわからない厄介者でしかない
という事はどっちが本来のルーツだったのか?という議論すらも曖昧になってしまう
だから、鬼は討伐され、その土地が支配された後、妖怪や妖の類として、その存在自体を忌み嫌われる者として封印されてしまったのだろう
節分、魔滅、鬼(縄文)は外、福(天孫)は内
鬼滅の刃が流行る前は、最初は免疫力、抵抗力をつける、大事なのは自然と呼吸法という気づきだった(ちょうどコロナの始まりの時期だった)
だけど、その後の作られた異常に加熱した気持ちの悪いブームは明らかに人の欲望の手が加わり、延々と鬼は悪いもの、滅ぼすものというイメージを定着させる事に使われている印象
この精神的な戦いこそが、いまだに天孫降臨系の主張と土着の神の意思が存在する事を表していると思う
そんな争いから完全にドロップアウトして関わらない事を選択した一部の縄文の民たちは、そんな歴史もあったんだよ、忘れちゃいけないんだよと、文化や風習の中で石に意思を刻み、後世へ知恵を残した
いつか世に出た時に正しく理解される事を期待した石板に刻まれた記号
カタカムナ
争うのではなく、言葉の言霊の力で、人の意識の変化でいつか変わっていく事を願って各地に残したんだろう
そういう石に刻まれた意志も見つかれば破壊されてがれきの山にされたあげく、そこにも宗教(天皇家ゆかり)が回ってきて封印して歩いてる(徹底した残党や痕跡潰し)
もしかしたら、そういう物理的に壊して歩くのを防止するために、モノリスが突如現れて世界各地の縄文の民のルーツに伝えてるのかもね?
そう・・「モノ」リス なんだよね?( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
なんか最初は数個だけだったのが、数百個は現れてるらしい(いくつかフェイクを混ぜてごまかそうとしてるけど)。最新のモノリスはトルコでメッセージは「月を見たければ空を見よ」との事
月は個人的には意味深だと思う
まとめ:偶然にはできすぎな言葉の意味とカタチ
卑弥呼という漢字を読み解くと、どういう生き様だったかのストーリーが見えてくる
卑弥呼が建国して歩いた城がその後に大陸との交流を始める訳で
卑弥呼はその後、滅ぼされて姿も消し、歴史からも消えた
卑弥呼という名称が後か先かわからないが、そのまま読んでも
卑しく弥生を呼び寄せる存在となり、その役割を全うした事になる
しかし、卑しいという漢字は、石、石碑、碑文など
決して風化しない歴史隠蔽を免れる証拠物=モノへと伝え残されるようになる
モノ=物質=カタチが大事
カタカムナの文言の一部に「カタチサキ」という表現がある
※詳しくはこちらの記事の中で全文解釈してます
力が別れて凝縮した遮りのエネルギーというのは思念・想念、内なる想いの振動が抑えきれずに外に溢れ出る事を意味し
それは時に言葉や行動へと変わる(恨みや願い等)
そして、その想いや意思は現象として現れる
忌み嫌う存在を根底から否定する裏み漢字
卑や邪
それを生みだす民族を恐れつつも、その精神テクノロジーを利用し、鬼・物の怪・妖怪 など忌み嫌われるカタチに印象を作り替えられる
そういう呪術廻戦をやめようよ┐(´д`)┌ヤレヤレ という意思なのか
それとも、そういう呪術廻戦始めようか( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚) の意思なのか
アニメの呪術廻戦は単純におもしろいだけじゃないよ?また鬼滅の時みたいに、見えない意思と意思がぶつかってるのかもね
もともと、古きを知り新しきを知る、温故知新の精神だった上に、今の自分には過ぎたオーバーテクノロジーを間違った使い方をした時の怖さも急速に体験で理解し、学問の嘘や天体と知識のズレの違和感、自然生態系メカニズムの凄さを実感したのち、夢での精神世界の気づきもレクチャーされているような
そんな私は、争いに加担しない縄文の民側に導かれてるのだろうと思う(((uдu*)ゥンゥン
さて、おまけのおまけに爆弾ぶっこもう(笑)
大陸から卑弥呼(ハニトラ)が送り込まれ、のちに侵略して乗っ取る拠点の邪馬台国を建国し圧政を行い不平不満を高める
そして満を持して侵略を開始し、地域住民を圧政から解放した英雄様!という天孫降臨の古事記伝説を持って統治を開始
ハニトラで市区町村のトップ及び政治家が弱みを握られて圧政を行い何も知らない国民から不平不満
国家戦略特区というスマートシティ構想で移民受け入れ、治外法権のエリアを創る現代の邪馬台国計画
大陸から移ってくる富裕層たちがのちに数を増やして自国に変える(民族浄化)
と、見た時に現代の今の状態にリンクしてませんでしょうか?(気づけ)っていう話
戦った者たちは鬼とされ、無抵抗の民も鬼の一族扱いだったんだろう
まるで、陰謀を実行してる側が事実を訴える人たちを陰謀論者としてレッテルを張るような行為
歴史はずっと繰り返されている
魏志倭人伝を読めば、倭国の事について書いてるのかな
ま、読むとしたら、新訂版は避けたほうがいい
なぜなら都合の悪い歴史を検閲して改ざんしてる訳だからね(真実は隠蔽済み)。もしくは極端に★が低くてひどいレビューで叩かれてるのが読む価値があるかも?
Amazonの書籍の傾向として世に出回ってほしくないものに対する過剰なバッシングや価格高騰があるものには、印象操作の影がある(特に怪しい日本語が文句言ってる時はポイント。本来怪しい日本語は自作自演で褒めるレビューに多いものなので)
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