好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

ちょっと小話 365(弥勒後)の釈迦(1)意識

何気なく自分で書いた過去記事を読んでいたら、自分で表現した一枚の画像を見て、瞬間的に理解した、結局お釈迦様の掌の上で踊らされていた事に気づくお話

1/365=釈迦と弥勒後

気づかないだけで、過去の自分の記事の中でこう書いていた・・

365

365=弥勒後の世界 神は日本人の中にいる(天岩戸)

これは365日(太陽暦)、354日(太陰暦)から『差の11』を引くと
その11は『(5+5)+1』の『自作自演の介入』ができる云々から

語呂で『365=弥勒後』という表現をしていたのは

56億7千万年後(コロナ後)に弥勒が降誕して極楽浄土をうぬんかんぬん・・
弥勒は後の釈迦であるなどの宗教思想の概念から導いていたが・・

今の私は『感じる漢字』を読み解いただけで同じ所に至った

釈=問題を解決する
迦=巡り合う

弥=あまねく・全て
勒=彫ったり歌にしたり、詩にして表現して記録する

・・という『シンプル漢字一文字』ずつの『解釈=釈迦を解く」をした

まさに『一字は万字』

文字という漢字に氣が巡り・・一字が万字と気づく

そりゃ『釈迦』とは何ぞ?という『痕跡』に魅了されて、あーでもないこーでもないと自分なりに『自力で釈迦力に表現して記録』しよう・・
とする行為そのものが『弥勒』であり、その因果の過程に『心』を巡らせ『恩』にすると

それは釈迦を追いかけている弥勒が『問題に巡り合っている状態』であり、弥勒がその『体験レポートを自分のオリジナル』でまとめた結果が『釈迦という痕跡』になる

だから何をどうやっても、『1の真理』を追う者は『弥勒後(365)に釈迦』になる
一年(365日)ではなく、その一念=『一』を想う『今の心』が『果ては仏』に至る『念仏』である

そうか・・私は過去の記事の中でも、繰り返し繰り返し『答えに至っていた』のだが、その導線はあまねく全て、あらゆる方向から『まだ見えてなかった同じゴール』に向かっていた

まさに『お釈迦様の掌で踊らされていた』と言える(笑)
そりゃ『観念(ギブアップ)』すればお釈迦様に合って『冷たい顔』される訳だ(笑)

観念したらお釈迦様と遭遇した夢

( ´_ゝ`)「自力で解くから弥勒だろ?他力本願するな」Σ(゚Д゚)はうわ

そして、今その『過去の記事の全ての方向性が集約』しているのが

廃仏鬼釈=廃された仏・鬼・釈

仏は『説く』
鬼は『護る』
釈は『問題を解決する』
迦は『巡り合う』

つまり廃仏鬼釈とは、『自力で考える思考力を廃した』という事

精神の根源と『切り離す』
産まれた宿業を『問う事を忘れる』
その問題に気づいて『解決する意志を失う』

だが、『弥勒』はそれらに『巡り合う』

例え、世界中の宗教に『ばらばらに分かれて』いようと
例え、現代故事成語のように『起きる出来事に触れよう』と

必ず、そこに辿り着く

失われてはいけない『教えを護る鬼』
『俱利加羅龍王(法華経の守護龍)』と向き合い
『門』の前に『人』が立ち、問題解決の『閃き』を持って『釈迦』となる

大日+釈迦=『大光明の問題』に巡り合い『解決に至る』
その為に『今はの際=金輪際』という『切り離すべき問題=金』を見つける

時空を超えた呪術繋ぎは授術 封印の中心は大日金輪?

それを時代時代に現れた『弥勒』として、『歌・詩・物語』、あらゆる『オリジナルの表現で警鐘の形象を継承』して遺す

それが『後の釈迦』となり、その釈迦の『痕跡を見た弥勒』が、『自然に法華経』に出逢い、『大日と釈迦の教え』に気づき、『金輪際』を見極める

この繰り返しって・・『法華経』やん(笑)

2023年まとめ 法華経への導きの集大成の動画

独覚法華経 現一切色身三昧と化城喩品

そうなると・・直観的に感じたは、『観自在・変幻自在』とは『物質的なもの』ではなく『意識の変容=昨日の自分、さっきまでの自分』と『瞬間的に役目』が変わる

『今は・・の際』なんだ

だから、「今は・・」の『心』と向き合い『念』を『有無(空の間)』
そりゃ『自我=境界線が無い』から『忘』っとする(笑)

空(有無)をぼう(忘・望・房)と見上げる時ほど考えている

そして何かを『受信=電波』する・・のではなく『授心=心を授かる』しているのだ
だから、心が変わり、『素直に心変わり』して『悳』を積むように改心する

『眼』から鱗が落ちるように、『左目(支配)の民』ではなくなる

看板

眠(ねむる)という漢字を調べたら目覚める

目が覚める=『自覚』する・・そして私は『字書く』する

妙見狸の『訳詞如来』として
『妙見(北極星)』=『大日・釈迦金輪』を見る
『妙な見方』をして物事を『狸』囃子を奏でるように『訳して表現』している

なるほど・・受信ではなく『授心』か(納悳)
そして、授心した心を『記す』から『授記』なのか(納悳)

これはこの世には無い説法
ここだけの『一説』

でも弥勒に伝われば『伝説』(笑)

その頃には『釈迦』となる・・か

偉人も『死後に神格化』される訳だし
『今の際=この世とあの世』はわからんな・・

だから生きて活かすのか・・『悟った』所で『余生の生活』は続く(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)

それが『私の生き様(宿業)』なら・・
『莫迦の一つ覚え』『死ぬまで治らん』

密後の魂百まで

三つ子(密後)の魂100まで続く?

ここであったが100年目?という言葉の意味

密後の『密』は『密教に出逢った』という意味かもしれん
密教に出逢った者は、ずっと『釈迦=真理を追いかける弥勒』になる

それは教えが無い=『廃仏毀釈後の世界=他力本願』『新たな教え(気づき)=自力(釈迦力)で考える』を広めるという事かもしれない

門外漢=『門の外』『秘伝の漢字』を広める『漢』(笑)

門外不出の秘伝は既に外に輩出

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