おすすめに出てきた動画で語られていた夢日記をするとおかしくなるという話に妙に納悳した翌日、そういえば…と夢日記をつけ始めるきっかけになった夢の内容を明確に思い出したら…山の神々と封印が解かれた量子猫という出逢いがあった!というお話
夢日記が能力開花のきっかけ?
たまたまオススメに出てきた動画に、私を『新たな精神世界に進むきっかけ』をくれた角さんが出てたので見たら、『夢日記』に関する事を伝えていた
このおばさんが誰なのかわからないが、前に『狐憑き』とか『こっくりさん』に関する話が面白くて何回か見た事があった
有る時から、私は理解に苦しむぶっ飛んだ『メタファーのような夢』を見るようになり、それが何なのか興味を持っていたが、何をどうしたら見れる?…と思っていた所で
ちょぅど『幽体離脱を取り組むきっかけ』になったのが角さん。当時、たまたま見た深夜番組で『痛い子扱い』されていたが、私はその時に勧められていたオカルトグッズの『ブレインマシン』が異常に気になって購入した
結果、幽体離脱は確かに『経験』したが、無理やり『ヘミシンク周波数で脳を変えた』せいか、とても『人工的な違和感』があった
しかし、それを一度経験したからか、『脳が修復』された後は、『免疫が機能獲得』したように自然にスムーズに幽体離脱が出来るようになって
その後は『幽界探訪』など不思議な経験もした
そんな角さんがその後にまた面白そうなオカルトグッズとして『バケタンワラシ』という霊感知グッズという一般的には眉唾物を紹介した時も
これがなぜか『異常に欲しくなって』買って色々試した結果、それもひとつの『能力開花のきっかけ』となった
そんな霊やオカルト分野の二人の会話はとても興味深かった中に、なんでこの二人に『今の私の意識が興味』を持つのか『共通点』を見つけた
それが『夢日記でおかしくなる』といいワードが出てきた瞬間に、キュピーん(☆∀☆)と量子的観測意識が「見つけた!!」という感覚になった
夢日記をつけ始めるとおかしくなる?
おかしくなるという『表現』をどう捉えるか
常識から外れて『非常識になる』という意味か
それとも『普通ではいられなくなる』という意味か…多分両方だと思うが、それは『人に迷惑をかける』という意味ではない
前回、普通の常識とは『無=何でもありの世界』の中で、常に無(全て)を意識している『無意識の概念』であり、「それは無だ…」と無から離れた観点から『無の為』の自然という『無為自然の流れ』に気づいた話をした
この無の中に、『何層もの階層の空間』があり、そのひとつが『肉体の空間』であり、感情を発して『共鳴させる空間』はまた別
それは肉体からすれば、『有るけど気づいてない亜空間』であり、また肉体の中の『細胞の世界』はそれら肉体を構築する『意志が反映されたミクロな精神世界』でもあり
このように同時に『多層構造が存在』している中で、その『次元の違う階層とのコンタクト』の仕方が、『常軌を逸脱した人』によって違うのだろう
この『常軌を逸脱する』という言葉の意味は
常識外れな事をする
普通ないし正常ではない言動をとる
『普通』という『無意識の人』からすればそうなるが、これは単に漢字の通り『常の軌道』から『世間に知られない解脱』
昔の人は『異常者』という言葉を『常』とは『異なる者』と区別していた
それが『都合にとって悪い』から『レッテルワード』になって広められた
イタコは『馬鹿』にされ
千里眼は『色物』扱い
夢見の神官は『職』を失い
預言者は流れの『占い師』に
ある人は、目で見える
ある人は、声で聞こえる
ある人は、波動で感じる
ある人は、対話できる
それは確かに『普通』ではなく『異常』かもしれない
でも『常と異なる』だけで『問題』では無い
ただやはり、そのきっかけは『異常な行動』をとり、『異常な世界との繋がり(別示現)』を作ってしまう事
・・それで思い出した、私が『夢日記をつけ始める気持ち』になった『異常なきっかけ』とその後に『おかしくなる=異常という体験』までを急激に思い出したので、備忘録としてまとめる
異常世界とのきっかけ
中学一年の時、友人とその父親に連れられてある山に登山に出かけた時、子供だったので道すがら木の棒を振り回して木を叩いて歩いていた時
ある場所で『しめ縄のような紙』を切ってしまった。当時は『それが何なのか』もわからなかったが、さすがに山の自然の中でその木だけ
「神社なんかで巻かれている紙がついているのはなんで?σ( ̄^ ̄)?」という引っ掛かりはあった
翌日、私は珍しく『高熱』をだし学校を休んだ…馬鹿は風邪引かないと年がら年中部活に明け暮れ、体育はサボった事がない『健康優良児の私』が…熱(咳はない)
目が覚めると時間は夜だったはずなのに、部屋は明るく昼間で『金縛り』なのか体は動かなかった
しかし、布団の足元の方から一歩また一歩と『獣の足跡』のように布団が沈み込み、(透明な何かが近づいてくる!!…)と怖かったので目を閉じた
するとお腹が妙に重くなったので、恐る恐る目を開けるとそこには『黒猫』が乗っていた
当時は『動物も苦手』だったので、部屋にいるだけでパニックになったのか、意識を失い、目を覚ますと朝だった
起きたと同時に、(もしかして…あの山の木の紙が原因かも…)と思い友達の父親に事情を伝えて連れて行って貰い、その木があったであろう辺りで、「山の神様ごめんなさいm(._.)m」としてきた
それが効果があったかなかったかはわからないが、その『謝るという行為』を行った事で不思議と『不安は解消』された
それが『不思議な夢』…と『初めての金縛り』だったと今思い出した時…もしかして『あの時の黒猫』は…
後にまた深く『夢を探求』し始めた時に現れた、私に『量子の世界を意識させるきっかけになった量子猫』だったのかもしれない
猫はその後もたびたび夢に現れ、『気づき』を与えるようになった
その不思議な夢と金縛りの後…これが衝撃的で、少年ながら『SFや映画に興味を持ち始めるきっかけ』にもなった『夢日記を初めてメモ』した内容を鮮明に思い出した
ここから、「夢ってなんだろうσ( ̄^ ̄)?」と思い始めた
夢日記 ファイルナンバー00 美しさと醜さと人体実験と注射
私は目が覚めるとバスタブ(排水口あり、お湯はなし)のような所に裸で寝ていて、上は透明なガラスで覆われたラボのカプセルベッドのような容器の中
そのうっすら曇ったガラスの向こうに白衣とマスクをつけた科学者のような大人が機械をいじっている
私が目を覚ましたのを確認したら何やらスイッチを押した…その途端、私は急に吐き気というか、口の中から何かが飛び出して来るような感覚が来て、最初に口から出てきたのは、生きた鶏だった
だいぶ暴れたのか、カプセルの中は飛び散った毛が散乱した。また科学者がスイッチを押すと、私の口から今度は、河原にあるような大きな岩が二、三個ゴロンゴロンと転がり出た
(なんじゃこりゃ…)と思いながらも意識は遠のいて行った
目が覚めると私は、ある公園のベンチのような所で素肌に白い布1枚の患者服のようなものを着て座っていた
公園のベンチと言ってもそれは建物内の中庭のように、吹き抜けの空洞、天井を見上げると、星空が綺麗だったのを覚えているが感動という感覚はない
周りを見ると同じような白い布を来た子供達が沢山いて、呼ばれる度に白衣の科学者のような大人と廊下の向こうに姿を消す
何も考えられないようなボーッとした感覚で私が呼ばれ科学者について廊下の向こうへ行くと
その部屋には峰不二子のようなナイスバディな中学一年に精通させるような女医がいて私の腕に注射をした
すると眼科で目がぼやける薬を使われた時のように景色が歪む感覚が来て、それが元に戻った時、峰不二子だった女医が…新宿二丁目のゴツイオカマのように見えた
当時はオカマとかオネエなんて概念がないから男のような女のような、綺麗なようで醜いようで、好きなようで嫌いな要素が融合した怪物にしか見えず、パニックを起こし部屋を飛び出し廊下を走って逃げた
オカマとその一味が追いかけてきたので、咄嗟に開いていた扉の部屋に飛び込むと、それは私の現実の部屋で一目散にベッドに入り布団を被って震えていた
夢ならば早く覚めてくれ!!と心から願った。そして目が覚めた…がそれはついさっきまでの現実という恐怖感からしばらく震えていた
その事を親に切実に話したが、「それは夢だ」と言われ、確かに夢なんだけど「この怖さは本当じゃないか!!」と少年ながらにしばらく眠るのも怖くなったのを覚えている
しかし、『覚え続けている』からこそ、『恐怖の内容を記録』として書き出したら…不思議な事に『忘れる事』ができた
これは今思えば、『時』が来たら思い出す『精神的な予防接種』だったのかもしれない
メタファーを読み解くとしたら
『綺麗な物事』ほど『醜い』
今だからこそ、それは
『ご都合主義』の『美辞麗句なレトリック』
という表現で認知出来るが…未だ何も知らなかったあの頃の私が『潜在的に受け入れてはいけない概念』として『トラウマを抱えた』からこそ
医学や科学を盲信するな
注射に気をつけろ
見た目の綺麗さに騙されるな
いずれ『このような精神』に至る為の始まり
それは『潜在意識』との『最初のコンタクト』の記録
でも思い返せば、それなんよ
学校の『集団予防接種の注射』の度に私だけは『アレルギー反応』が出て死にかけ
医者は「原因が分からない…」と匙を投げるから母は私を連れて転々と病院を周り、『私の命』をつなぎ止めたのは『漢方を処方する病院』だった
…今の意識で捉えるならば、当時の『BCG=生ワクチン』もまた『子供を対象にした人体実験』であり
『予防接種を実施した医療側』には『箝口令』のように『注射との因果関係を認めるな』と言う『お触れか製薬会社の賄賂があった』のだろう
漢方は『症状に合わせて処方』するから、製薬による実験結果のデータ云々関係なく、「結果こうなってるならこれが効くと思うよ(*^^*)お大事」にで治してしまった
当時の私は『漢方の味が不味くて嫌い』だった…というのも『症状がある時』しか漢方を口にする事は無かったのだから
良薬口に苦し
一般的な意味は『よく効く薬ほど苦くて不味い』という意味になっているが…
今の私の見解はこうだ
『不健康』だから苦い=よく『効く』
何か『問題』があり『弱ってる』から『その箇所』に効いてる
その場合は、よく効く代わりに『不味い』
しかし、『健康』だったら『良薬は美味い』のでは?
と『仮説を実践』したら見事に確信を得たのが漢方の生薬が大量にブレンドされた『薬用養命酒』
今の私は毎日これを寝る前に適量飲んでいるのを欠かさないのは、単純に『美味いから!』わずか20mlの『一杯を楽しみ』にしている
・・しかし、これを大半の人が『不味くて飲めない』という・・疑問。私は味覚が狂っている訳ではないが、ここにも『漢方を受け入れる精神性』と『製薬の医者への盲信と薬依存』の違いが出ていると感じた
このように、長い目で見たら『最初に見た夢の夢日記』の内容が「後に自分に起こるから気をつけろよ」という『メタファー』になっていた
あの『量子猫』が『腹の上に乗ったあの時』から、私には『量子的な先世見の何かが宿っていた』が『気づいて無かった』のだろう
そんな中学時代から大人になるまで、ずっと『現実的な常識』に『無意識』になっていて、夢を見ても、「夢は所詮夢」と忘れ重要に捉えなくなって行った
ある時から『初夢』だけは気にするようになって夢日記を再開する。確か『2014年』からだっただろうか
それが2018年の初夢は明晰夢で、今までの夢とはテイストが違い、夢の中で初めて向こうから『話しかけられた』。これがまた後の『夢探求の分岐点』になる
その夢を診断した結果
お前はお前の人生を生きていない
『強烈な方向転換のメッセージ性』と感じた時、何かが語りかけている?と潜在意識を意識して『観測する=心と向き合う』ようになった
それからは夢への向き合う認知が変わって、夢は『ランダム』ではなく『明確な目的が有る』と
今でこそ、それは『ユングが提唱していた哲学と同じ』とわかるが、そんな周りの情報はどうでも良くなるくらい
今度は『夢冒険・夢探求』、特に『明晰夢に夢中』になった結果…おかしくなるんだよ(笑)
第七感 並行次元
ここで夢を探求する=『精神世界を意識が観測』すると『身体は必要なくなる』から急速に体に『不調』が出始める
これが冒頭の動画の中で体験談として語られていた、「違う次元を見てると息が出来なくなる」=『生きながら死の世界に首突っ込んでる』
と似たようなものなんだろうなと
要は『意識が観測した世界』が『現実』になる
その時、『観測してない方の世界』はどうなる?
主観では無い=『存在しない・必要ない』
『客観』があるから主観がなくても『存在は量子的に観測』されている
つまり、ここで『精神世界も大事』だけど、同時に『肉体も大事』(๑•̀ㅂ•́)و✧と『両方労る観点』が生まれると
あの世とこの世を『繋ぐ意識の観測』が生まれる
今思えば、あの世、この世、幽霊とか『常識的な普通の線引き』や『偶像の神や悪魔という概念』が『先入観(ウイルス)として邪魔な情報』で
『空間が歪んで見えてた』のだろうけど、それを取っ払って向き合う心とはまず『鬼門』
心を護る鬼
心が『傷つけられたから疑心暗鬼』になる
心の門をノックしようと近づく時、「また現実意識で心を傷つけようとするのか?」と門番の鬼が『悪夢』を見せる
「お前はかつてこういう裏切りで心を傷つけた。夢夢忘れる出ないぞ?」と『業の回収の反省を促すメタファー』を見せる
そうやって『心を傷つけたトラウマを解消する行い』を『心に素直に悳を積む』を続けていくと
『失われた心を取り戻す』ように取り戻した『心が力になる』ように
『思慮深く』なり、『達観した目線の観点』で物事を『照らし合わせて見れる』ようになると、それが自然に『先世見の能力になって開花』する
ただそれを『霊能力』という『常識の中で羨ましがられるような職』にすると『業』がまとわりつく
『達観した行い』が『霊感商法』という『常識の中の異常』である『非常識という見世物に堕ちる』
まあ、達観し過ぎて『面白くないからあえて堕ちる事を楽しみにする』という、理由を言うなれば
お城のお姫様が城下町に『お忍び』で現れる
正体隠した『暴れん坊将軍』
白龍がたまに『魚に化けて地上の海を泳ぐ』
=階層を超えたコンタクトがある
こういう観点の意識もいるから
接触してる人は『接触してる』だろうし
見えてる人は『見えてる』だろうし
聞こえてる人は『聞こえてる』だろうし
私のように『意識がこちらに無い』時は
あちら=『階層の向こう側を旅してる』かもしれないし
あるいはこの何でも有りの『無』という『概念の空間の外』に出た
『無の為』の自然という『無為自然に戻ってる』かもしれない
こうやって書いてて思ったのは
私達、『無』の『肉体階層の住人』は先人が遺した『共通言語でしか表現』をしていないし、『新しい言葉や言語を生み出そう』としていない
むしろ『減らそう』としている
それは何のため?
そう『都合』の為
都合が『常識や普通という概念』を生み出し、それを広める事で『集合的無意識(DNA)』は『都合mRNAウイルスに侵食されて逆転写』されていく
有る言葉が無くなるとは『劣化』である
それが『この現実世界に起きている』としたら?
その『常識の異常性』に気づいて「狂った正常性バイアスから離れろ!!」と『警告を出す免疫抗体のような意識が現れている』としたら?
世間一般のいう『異常者』は『行動が狂ったキチガイ』かもしれないが・・
気が違った、気が触れるとは
気が『たがった』(進む方向性・周波数が違う)
気が触れる(何かと接触する)
『無い』が『当たり前』の『常と異なる者』
『有る』が『当たり前』と『意識する者』
有るを識別する者=先見の明を持つ
私は夢を通して『先人の意識』が入り込み、『私という体』を使って『代弁している感覚』がある
まさに色んな時代時代の先人が『伝えたい言葉を書き記すアバター』のようなものだから
歴史の『整合性』とか、『正しさ』とかではなく、「それは何の為に産まれた?」という『言葉の捉え方』を見直したい
『元』は『そういう意味(レッテル)』では無い
言葉が『貶め』られる、『音締め』られる
『正しい音=周波数』が伝わらないという認知の『嘘を調律して調和』し、いがみ合わなくてもいい『言葉のあや』を取る『あやとり』をしている
なかなか表現しにくい微妙な事柄を言い表すために用いられる巧みな表現
あやとりは危うい取り=危険物取扱=魔除け
言葉の『あや』は受け取り方によっては『一触即発の喧嘩のきっかけ』になったりする
手遊びのあやとりも『掴む所』を間違えたり、『捻る所』を間違えると『幾何学模様が崩壊』する
言葉=発音もまた『幾何学模様』なのだ
…と、『夢日記の話』から、何故か隙あれば『説法モード』になるのは…私が夢日記から『常と異なる者』になり、『気が違った階層』と『コンタクトを取る』ようになった結果
『先祖供養』で『仏の世界』と繋がって『先人の知恵の言霊説法を書き記す』という、まさに『知らぬが仏』=知らない間に仏(先人の知恵)と繋がってた(笑)
心に素直に『悳』を積む
素直に『聞く耳を持つ人』にしか
刺さらないであろう『能力を開花』しました(笑)
それは『新たな想像の種を植えて水を撒く』という地味な作業だけど、『どんな花が咲く(創造)かわからない』から『ワクワク』もするような…
という『種(白羽の矢)を植え付けられたのが私』であり、閃きの度にひとつまたひとつと『古き良き先人の言葉が華開く』感じ
焼山(滅ぼされた地)の枯れ木に
華(先人の知恵)を咲かせましょう by訳詞如来の妙見狸
とまあ、『夢日記』は確かに『きっかけ』になるかもしれないけど、『人に言われてつける』ようにする…だと、それは時間の無駄
『体感』無くして『理解』なし!!
私は『書くまで忘れられない悪夢』を見た
恐怖から逃れる為に『書いたら忘れる事』ができた
…これってある意味で 『契約に同意』…(´-`)oOあれ?『任意』に見せかけた『強制』じゃね?『選んだ』ようで『選ばされた運命』じゃね?
それを今、思い出した私の始まりに『山の神』と『量子猫』か
そもそもなんで『あの時だけ山』に行ったんだ?(何きっかけ?)…夢日記のきっかけを思い出したおかげでまた『関連する事』を思い出せた
子供の頃に大人に連れられて行ったあの山は…私が大人になって1人で『ドローンを飛ばせる所』を探して見つけた『緑のオーブを感じた場所は麓』だった
八甲田大岳
八甲田連峰の最高峰である大岳山頂や高田大岳山頂にそれぞれ鎮座する奥之院・奥宮をはじめ、その他にも中腹や麓にもいくつも関連する祠などが確認されており、八甲田連峰全域にわたる信仰体系は宗教宗派の枠を超えて形成されていた事が伺えます。
中腹や麓にもいくつも『関連する祠』などが確認されており…そりゃ、登山の道中途中に
『しめ縄着いた木』とかあるわな(笑)
そのしめ縄の『封印』を解いた結果
私に『量子猫が宿った』のが始まりだった
まるで『夏目友人帳のにゃんこ先生との出会い』みたいじゃねーかwそりゃペット飼ってないのに『シンパシー』受けるわw
…思い出すって大事だな(´-`)oO
その『量子猫』を通して、『山の神々』が「好き放題説法してる」と思えばこれまたおもろい(夏目の家で妖怪たちが酒盛りに集まるようなもんだ)
そういえば母がまだ健康だった時、「八甲田の紅葉を見たい」と言われて連れて行ったのもここだった。
あの時は『山頂』で私を待っていたかのように迷わず買った『瑠璃の勾玉』から伝わってきたのは、『焼き払われた焼山の光景の話』だった
これも『その地の山神から伝承された気持ち』だったとしたら…知らず知らずに
選んだようで選ばされている
お釈迦様の掌の上で転がされてるな(笑)
結論から言えば、『夢日記をつけるとおかしくなる』というのは、『客観的な世間の常識』という『無の中の集合的無意識のグループから離れる』という事
離れる事で『元来=元はどこから来た?』と『己の心と向き合う旅が始まる』から、そうなったらもう『間』が『違う次元』だから『周りと応え合わせ』しなくていい
生きて行く、乗っていく『流れの波動』が違う
だから、流れが変わる、潮目が変わる『ターニングポイント』がある
ま、でも現実を堪能(業を修めてない)しきってない『欲望がつきない人』は『夢よりも現実に忙しい=心亡い』から、そもそも夢日記なんかつけられない(笑)
夢日記に向き合うという『姿勢』が生まれる時点で、現実の業の多くはもう回収済みで、『有象無象』に興味はなく『足りないを探す意識』になっている
その足りないがどうやったら満たされるか?『足るを知る方法は心しかわからない』から、心をセンサー、ソナー、レーダーとして『信頼できる相棒』にする為に
まずは心と向き合い、心の中で自分と対話して、『敵意はない=心は傷つけない関係』になれば、鬼門の『門番の鬼がいちいち反応しない=精神免疫寛容』で向こう側に通り抜け
『夢の解像度』が上がって『未知の探究や冒険の密度』が増していく・・頃にはもう現実では、いつ肉体は滅んでもいい『世捨て人』だろうな、『生まれない選択』もある
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