好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

ソロモン(一人門)の瞑究 その9 動機はシエン

全ての動機はシエンである。私怨、試演、思遠、支援・・『恨み』と書いて、心の艮=鬼と書く意図、それは『裏見』でもある。やはり元の動機が気になるので洞察するお話

私怨とは

個人的な私の怨み(恨み、裏見)

しかし、『裏見』が『間の術(マノスベ)』としては読み取りやすい

想像主であり創造主というのは『自分自身の内面(裏)にある物』と向き合う

わかりやすいのは『愚痴』

愚痴は『吐き出す、漏れる』というように内面に溜まっていて『溢れそうなエネルギー』

例えば『世の中への不満』が溜まっていたら?

『人の世』を『憂う事』に秀でる『優秀』な人は

不平不満を言うよりも
進んで明かりをつけましょう by釈迦

『漏れ出る愚痴』『風刺の説法』に変える
『言いたい事』『メタファーで表現』する

『ストレート』に言っても『聞く耳持たない』なら
『曲がりくねって』ひねくれて『歌舞伎(演劇)』にしたろ

『表現する形』が違うだけで、発信源は『私怨』
それを後押しする『支援』

『私怨を支援』するエネルギーの組み合わせは前回の瞑究の『救世主システム』と『感情ドラマシステム』

感情に流される『主役』と場の雰囲気を読んで合わせる『脇役』
つまりはソロモンが『難しくて誰も解けない迷宮を創った』というのも『私怨』と言えるだろう

性善説

言葉の迷宮は『哲学』だから『答え』は無い
出口は『自問自答で納悳』できない限り見つからない

『他力本願』は永遠に哲学は終わらない

自分で出した答えを『他人と応え合わせ』しようとしても『唯一無二に同じは存在はない』ので合わせようもない

『自力』は自分自身で『納悳した時点』で終了
足るを知る=『満足』が無ければ満ち足りない=『欲』を求める

目の前にゴールが有っても『好き魔(偏見)』がささやく
「あっちの扉も・・気になるだろう?」と『空間=悪魔』が手招きしている

その扉を開いてしまうと・・あっ!Σ(゚Д゚)しまっ・・

キィ・・パタン(真実はここではない=間違い)

閃きの阿字観から阿羅漢(羅+間=ラプラスの間)へと導かれて「全ては無だ・・」と全部放棄して『無一文=素空観』になってまた『真理の間』に戻ってくる

「今度は間違わないぞ!」と好き魔が入る『隙間=偏見が無くなる』から、『心に素直』に向き合える

結局は哲学とは『心との対話に収束』する
その全ての動機がシエン

カタカムナの言霊で シエン は
示しの強い投影

私怨ならば個人的な恨み=裏を見れば『至らない自分自身』と向き合う
思遠ならば、遠くを思う、思いは遠くへ→『千里をかける想像力』
支援ならば、支える援助、『成功へ導きたい』
試演ならば、試しに演じる、『思考シミュレーション』

ソロモンは古代イスラエルの王
『王という権力者』の『心の悩み』は誰にも理解できない『唯一無二』

そんなソロモンが『一人抱えた哲学的な思考の迷宮』
その『シミュレーションを想像』して成功するかを『試しに演じる物語(設定)』を書く
題材は、「至らない自分がどうすれば理想に至るか?」という試演

答えが出ない哲学的迷宮が生まれるには『十分な動機』になる『示しの強い投影』

今では誰でもできる『自問自答』

しかし『立場が王』である場合、その『行動や発言』には末端にいたる『全ての人へ影響する力(業)を自らが生み出すリスク』という『名病み』がつきまとう
『名(名声)』が『心』を蝕み狂わせる『悩み』となって苦悩と葛藤する

「その心のままに物語を書いてください」と想像を創造のメタファーにすれば

はい、『ソロモンの迷宮(出口がない)』の出来上がり(≧▽≦) Σ(゚Д゚)

と、やっと『一人の人間=一人門(私)』が、軽く考えられるほど、『思考遊び、哲学の探求』というのは、もはや『王(立場=唯物)』ではなく、『王(自由意志=唯心)』になったのだから

立場上では『出口のない迷宮』だが
立場が無ければ『出口は創れる』

それが亜空間の『間の術』『間を総べる』という事
私はα(始まり)でありω(終わり)だよ?=いつでも出入り自由(笑)

『あくま(悪魔)』でも『私=一人門(ソロモン)の哲学迷宮』ですので、世間一般の共通認知の『72の悪魔を使役・封印』したという『メタファーのソロモンの迷宮』とは違います

私は哲学の迷宮=ラビリンス
ラビ=指導者+リンス=綺麗に濯ぐ

『指導者が不名誉・恥を洗い流す環境』として捉えているので、これは『師の問題に向き合った弟子』という『師弟空間=課題』として捉えてます

迷宮は『クリアする為』にあるのではなく、『なぜこの迷宮があるのか?』の『存在を哲学』する為なんだよね

そこを間違えると、『ソロモンの智慧の有難み』がわからんだろう

・・と書いてる『今の私』は・・実はこの下書きをまとめている段階では『未来人』
この『動機はシエン』の迷宮の『次の次の扉を抜けて戻ってきた私』なんですね(笑)

そういう意味では、今この瞬間に『過去(下書き)・未来(その後の事を知っている)・今(過去も未来も含めてまとめる)』の全てが揃っている

主観の空間で言えば『時間』などないし、自分が『世に出すタイミング次第』で過去も未来に、未来も過去にできる(時系列)
それは『思考シミュレーションの中でも同じ』だし、頭の中で『発言する前に言葉を組み立てる』のも同じ

外に出るまでは未だ知らない=『未知』
知らない=気づかれないが存在する=『亜空間』

そして、この後は自ら『間違いの扉を選んで開けていく迷宮探索の宝さがし』が始まった(笑)

当初は宝が目的でソロモンの迷宮に入った訳ではないのだが・・入って観たら、ここは『知的探求心を満たす宝の山』だったから

時間も空間もない世界で『永遠の哲学を楽しんでいる先人達』もたくさんいるのだろう

「これは・・答えを出すのは野暮ってもんだ」と手放す
そういう流れで『知的好奇心への執着を手放す形』もあるのかもしれない

やぼ の言霊は
飽和して内に引き離す

うーん、まるで・・

『膨張して内側から膨らむ力』と外からそれを『引っ張る力』で膨らみ
『有る時』が来たらその『外で掴んでいた力』を離して『元の状態』に

ばいーん・・ばんゆいーん・・万有引力
質量を持っているすべての物体に作用する引力

私は以前、『質量を持った素粒子=役目』と表現していた

感覚的量子論5 質量を持つ事を選んだ素粒子=意識

仮に、この『飽和していく力』と『外から引く力』を『導く役目』『智慧を追う意志』としたら
それは『世界という物の見方の解釈』を『多次元・多世界へと拡大』させていくとして・・

ある『極点』を迎えたら、その『拡大解釈した多世界』『一つの世界に集束』して元に戻る
それを野暮(やぼ)といい「深追いすんな、そこは濁しておけ」と『真相』を明かさない

だが、私は書いててイメージはわかった
『一点』『天』を突き抜けて『突破』したんだ

『星』=日の生まれになった=天空に『穴』が開いた

つまり『外に出た』という『悪魔=空間の証明ができ無い=やぼ』なだけで『出てないという事は無い』のだろう

これもユダヤの『スケープゴートの仕組み』と同じ・・と考えると
『柵(しがらみ)』を『角で壊す』のは『頭角を現した山羊』である

預言者=マギ=麻鬼=魔術の間術なら、『心に麻鬼の門番』がいれば
予言者=想像主は創造主の思惑を『先世見=オチを想定』できるだろう

これは単純に

映画監督は『監督目線』で映画を見る
脚本家は『原作と作品』を比べて見る
映画俳優は『俳優目線』で演技を見る
一般人は『映画全体の物語』を見る

『同じ哲学の迷宮』に入っても、『捉え方』が違えば『見る所』も違うように、『終わらない週末』になる

陰謀論者を嘲笑う映画 終わらない週末

ソロモン(王)は『孤高の一人』である
つまり『一人門=自分の事=自由意志とは?』として向き合うべきだと私は感じた・・という事は

私の探求の『動機』にもソロモンへの『私怨=恨み・裏見』があるという事か?(笑)
まぁ、恨みの時点で、『心の艮(うしとら)』だから、レッテルワードある所に『鬼』あり

鬼さんこちら手の鳴るほうへ~(/・ω・)/魔 (*^▽^*)

ソロモン(一人門)の瞑究 その1 悪魔の証明

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