2026/6/15 11:23 突然、あらゆる人のスマホに届いた土砂災害の警報音、多くの市民は冷静で「土砂災害?警報?雨も降って無いのに??誤報かな?」と反応した直後、また警報通知が鳴り、誤報のキャンセル通知かと思ったら「市街へ逃げろ」という内容だったことから・・そこから人目を遠ざけたい何かが今から起きる?という想定をした時・・戦後の青森市に起きた歴史を思い出した
聞いた事ない土砂災害のアラーム警報が鳴り通知がきた

緊急地震速報の「プァープァープァー」という音ではなく「テテテテテーン~」というインフォメーションのような音(音割れする最大ボリューム)が聞こえた
私は九州の知り合いが通話中によくこの音が鳴っていたのを思い出し「テテテテテーン~=雨ふるよ~」という意味だと理解した
そして通知を見ると・・
(土砂災害警報?・・いや、外は雨一つ振っていない快晴だが?誤報かな?)と、市内の人のX(Twitter)での反応もまったく同じだった(11:23~50分くらいを「青森 土砂」と検索すればわかる)
一度目の通知が起きた後、3分くらいして、『第二報の通知』が鳴ったので、『キャンセル速報』で誤報を伝えてくるのかと思ったら

対象地域は、十和田、八戸、八甲田など山間部の人は、今すぐ市街地のほうへと山を下りてというものだった
まるで津波の逆で、「津波は山へ登って!」だが、土砂災害は「山から下りて!」という避難だが・・わざわざ『青森市のほうへ向かって』という『指定がある』のが気になった
発進元が青森市で、向かうのも青森市へ?
そもそも、『八戸市、十和田市』、など『市が住民に警報を出す』ならわかるし、なんなら『県が各市へ一斉に呼びかける』ならわかる・・
情報の発信源の争点は、青森市になる
ここまでは、単に『事実』として『多くの人が確認』した『現実的な出来事』
さて、こっからが妙の見方の『妙見狸の訳詞如来』と供養して宿した先祖が反応した部分なので、ついてこれない人はここでお帰り下さい(重要)
十和田湖の青龍伝説と鉄砲水と渓流と土砂災害のリンク
十和田湖の八郎太郎と南僧坊の戦いの伝承が、『7日7晩33昼夜』続いた『八龍と九頭龍の戦いの激しさ』を描く物語だが・・
現実に奥入瀬渓流を観光すればわかるように、『溜まった水の圧力』が『柱状節理の岩壁を破壊する鉄砲水』となり、流れ出て『圧力』が抜けた事で、『穏やかな渓流』に成った(結果)
そういう意味では、『雷と豪雨が続いて外にも出られなかった人達』からすれば、「まるで龍と龍が戦っているのでは!?」と言われたら、そう思い込んでも、例えても『誰もが納得する伝承』になるだろう
しかし、そういう『伝承を利用』して、『その地を安定』させたという事は、「その龍は私が化けたんですけど?」という『龍が人に納まる龍神伝承』もまた『証明不可』な『都合のいい丸く治める説法における霊感商法』ともいえる
さて、事は『線状降水帯』という、コロナ禍に生まれた、『謎の新しい気象用語』だが、この気象用語が実に都合よく、さまざまな『不穏な雲の軌跡』を『ケムに巻いているトレイル』であり、これが現れた地域には、なぜか『雷雨や豪雨が確実に訪れるという因果』が確定している
そういう意味では、この地に再び『龍神伝説のリメイク、リバイバルを起こす』というのも、『天候操作技術(クラウドシーディング)』を使えば再現可能
だから、まず疑うはその『ケムに巻かれた雲のトレイル』が、ここ数日、『その地域付近』であったのかどうか?
十和田八幡平国立公園
山頂からの景色⛰️
変わった雲が🪢😳めがね沼(眼鏡沼)
岩手と秋田の県境見返り峠より
畚岳(もっこだけ)
綺麗なピラミッド型で姫神山にも似ていますね▲大雪壁越しの岩手山
ここから望む岩手山は「裏岩手」と呼ばれる#十和田八幡平国立公園#八幡平#めがね沼#岩手山 pic.twitter.com/h4i4MVtbrg— せおりん🗣️🧚♂️🐉 (@seorin369) June 14, 2026
おはようございます!
雲湖朕鎮 (うんこちんちん)🤣
変な言葉ですが、秦の始皇帝の逸話「湖に映っている雲は水面で動じず佇んでいるのを見て」、「怒り・興奮で冷静な判断が出来ないときにこそ周囲に目を配れるようになるべきである」
十和田湖から
今日も素敵な一日を!😊🙌#おは戦40629js🌊 pic.twitter.com/MG2TJU8oxK
— ミーリー/宮井/長期積立分散投資を実践するコミュニティの運営 (@AMEdtechVenture) June 28, 2022
はい、因果の『因』がある事を確認
私は以前、岩手旅行をしている時、『前日』はとても『心地よい快晴』だった
『夕方に変な雲』が広がっているな~と感じたこの翌日、『記録的短時間豪雨』に遭遇した
この時も『変な気象情報』は既に『気象庁の発表では準備』されていたが、現場の当日は、『明らかにへんな雲』があっての『この因果』だろうと、確信した時、『一匹の虫の知らせ』を元に、予定の一泊を急遽キャンセルして、一目散に青森市に返ったんですが
帰ったら、凄い『軌跡の虹』を見ました(虫の知ら正解)
なので、「青森市に避難しろ」・・というのも不思議と『自然な災害』だろうと『不自然な人為的災害』だろうと『逃れる』という意味では、『早期の行動(直感)に従うのも有り』かと(私自身の体験談)
戦後、青森市に起きた新型焼夷弾のテストと敵国の警告ビラ
これは青森市に住んでいる人でも、『ごくごく一部の人』しか事実を知らない隠されてないけど、『埋もれた歴史』
今、当たり前のように『ねぶた祭が運行しているルート』というのは、かつて『川』があった場所で、その川で多くの『青森市の市民が焼け死んで亡くなっている』。実はねぶたは現代の住民にとっては『夏の風物詩』という娯楽の祭りでも『先人の鎮魂の祭り』でもある
かつて、戦争が終焉を迎える直前に、アメリカの『新型焼夷弾のテスト』が行われた。その対象となった青森市の市民の上空からは『大量のビラ』がまかれ「これから兵器テストを行うので逃げて下さい」という既に『決定した事項』に対して、『軍人ができる最後の慈悲としての勧告』だったのだろう
それを知った住民が逃げ出そうとすると、それを止めたのは『日本軍』だった。「敵の妄言に騙されるな!家からでるな!」と命令され、『逃げる事も出来なかった人達』がたくさんいた。そして、その焼き尽くされる『消えない火』から逃れる為に、川へ飛び込んだ・・しかし、川でもその火は消えなかった為に、多くの人が亡くなった
これは、『国の公式記録』には残っていない、地元の人がずっと忘れるなと『有志』が語り伝えてきた『青森市民だけの戒めの記録』
この『歴史の戒め』から見ると、青森は『テスト環境』として使われやすい
原子力発電、再処理施設、核廃棄物補完
『気象操作実験』もまた、『山間の土砂災害の規模を確認する』という『大義名分』でも、『そこに利用価値がある』と考えた者には、『本土に影響が少ない辺境』と言えるだろう
そこに『人が住んでいた』としても、『心亡き者=Busy(忙しい)ness(役目)に従う者』には『動物(扱い)がどうなろうと関係ない』のだ
追い出された、『逃げて来た熊が人の地に入り込む』というのも、『ツキノワグマは基本的に人を避ける(農家は200~300m先の熊は昔から見ていた)』生態だった事を考えれば、逃げて来た『元の方向』に『自然ではない不自然』を感じ取って、『そこから逃げて来た』ともいえる
今回の通知が、これから山間部で『何かが起きる(起こされる)』という結果は確定していて、その被害を最小限に抑える意味での『青森市へ逃げろ』というのが、『敵国の勧告ビラ』と同じだと考えた時
当時は、『逃げたくても命令で逃げられなかった先祖達』は「安全な所へ逃げろ!」と伝えているのかもしれない
名を奪われた焼山の光景
東北には、『山を焼く』と書いて、『焼山』という『元の名前を失った地名』がたくさんある
実は焼山という名称が着いた場所は日本各地にある
標高1000メートルを超える山名がある場所は
北海道(択捉島)
青森(八甲田)
秋田(鹿角・能代)
福島(猪苗代・昭和村)
新潟(糸魚川・妙高)
長野(上田)
岐阜(中津川)さて…勘のいい私はここで気づく訳です
縄文に由来がある場所ばかり
昔の自然信仰は『山を神』として、『自然との共存』で生きてきた。逆説的に言えば、『信仰の根元を断つ』というのが『侵略の手口』であり『勝手口(裏から勝つ手口)』
『太陽光発電(信仰)』という『表の名目でメガソーラー(教え)』という『山(信仰の元)の森林破壊(勝つ手口)』が起きた・・これを『偶然』と思うか? 『必然』と思うか?
自然環境と共に生きている山の民、森の民の観点で観れば、『山』を焼かれて『山狩り』、『雨』で崩され『土砂災害』という結果的に『信仰の元が悪意に感じる』事になり、『山から人』は離れ、『森から人』は離れる
すると、ぽっかり『空いた間』は、『漁夫の利』である。そうやって、住みにくくされた環境から離れ離れで『北の地(蝦夷)へ来た人』からすれば、そりゃ『アラハバキ』のような、東北は『抵抗の鬼(ここで侵食を食い止める)』にもなるのは必然の理
だから、『ただのアラーム』では、私の意識が止まらず、『宿した先祖の智慧』が『あらゆる方面の警報』を鳴らしたと感じたが・・
結果的に、『何を気にする?』という「恐れるなら正しく原因と結果を恐れよ!」という『氣を引き締めるきっかけ』にもなった
ここに引用した過去の記事は、その当時、その場所で感じた『不可思議な体験』の記録であり、その不可思議を追い求めた結果、辿り着いた『失われ埋もれた歴史という土壌の質』
『青森で生まれ育った者』には、少なからず、その『脅威を生き残って伝えた先人の意志』が『他にはないDNAの奥深く』に眠っている
私は突発的な『不可思議なアラーム(道理がおかしい)』をきっかけに過去にまとめた記事を思いだした、思い出された・・
なぜ、あの時、私は誰も気にも止めない『青森の歴史とその姿』を書き留めていたのか。これこそまさに、『風土』であり、『風流』が、『風』に『邪』を混ぜて邪魔にした不自然な流れを見極めて見抜く為
かつては『火(山を焼かれ森をやかれ人を焼かれ)』で苦しんだ。今度は『水(津波、洪水)』か?『土(土砂災害・土地買い上げ)』か?木(花粉症、外来種の種)か?
最後は、金(金による支配)か?
自然(火水木土)を奪われれば人は『金』に頼る『流れ』になるが、それは『風(自然の循環)』を失わせた『風→金=邪』を混ぜた『風邪(万病の元=気)』である
『間違った陰陽五行』が『青森』に向けられている?と感じた時、この青森には知る人ぞ知る『北斗七星結界』というものがある
五行の点は『人為的な五芒星』をひと筆で描くが、その『中心』に生まれるのも『外』に生まれるのも『五形』
さて、『妙見(北極星)』狸としては、これは『妙(変)』だな?と見る訳で、歴史上、『~の変』とは『成功したクーデター』、『~の乱』とは『失敗したクーデター』
『変な五芒星』をひとつ書くと、『見えない二重の五芒星』が生まれる法則
『不可思議』だね
仮に『内側の小さな五角系の支配』は、先に『外堀の5つの点と点が線』を描く事で生まれる。内側の五角形の中からは、『外側の五角形(見えない線)はわからない』ように・・
木を見て、森を見ず
不自然な人を煙に撒く雲の描く『線の痕跡が怪しい』とは思わない
結果的に『内側で起きる災害(五行)』に目を向けられるが・・
それを『陽動』とするなら、必ずその外には『陰』がある
かつて、その陰が行ったのは『新型焼夷弾のテスト(事実)』
その事実を『被害を抑える為に伝える』という『勧告のビラ(事実)』
それを「逃げるな!命令に従え!」と言ったのは、『内側の狂った日本』
これを『現代』に訳し直すなら
気象庁のアラームは『土砂災害は決定事項』だが『被害を最小限に抑える為の勧告ビラ』
必要ない広範囲に発するのは『なんで?おかしくね?』という『自問自答の問いかけの誘発』
これは転じて、コロナ禍の『ワクチン(mRNA新薬)騒動』でも同じことが言える
政治家、自治体、医者、看護師は『決定事項だから』とそれを行う
しかし、一部の医者は「自己責任だから選択は自由」と『勧告のビラ』を撒く
それは『被害を最小限に抑えるという慈悲』であり、『自問自答するきっかけ』でもある
結果、『言われるままの命令』に従い、自分で自分の事を考え、『自己を労わる選択』をしなかった多くの人は『命を落とした』
当然、『試験ロット(新型テスト)』だから『当たりはずれ』もある
生き残った者はラッキーだった・・なんだかよくわからなかったと『不思議』に思うのではなく
「あれは必要だったのか?」と『不可=無理』を『思議=思う事を議論』するべき『余地』が与えられ、その『余地の中』から、『予知』が生まれ、「次は同じ勝手口(裏切り)に合わないように」と『心構え=心が前』ができる
これ即ち、『かつての生き様』を恥じた『宿した先人の智慧』
それが風土、風流を思い出した時、流れ込んでくる『風の便りという頼り』
たぶん、私には何も起きない=『無事』だが、この『突発的なアラーム』を聞いた事で、『精神抗体』が刺激され、『先世見の戒め』が気を引き締めさせた
『気づく事が大事』であり
『考える』前に『感が得る』事が大事であり
『生きてきた体感』無ければ、『自然体(ありのまま)』というのはわからない。ここに書いているのも、『気づきや自発的な思考の指向と試行』を促す『ただの言葉』でしかないから、一過性で『風化する一時の意志の現れ』にすぎないが・・
『臨む機会に応じて変わる=臨機応変』できる者は、『意識が変わる=風で化ける』だろう
今回の意識の観測旅も「もしかして・・?」という『模試(仮想シミュレーション)』を『可視(仮想空間没入)』して『手口(やり方の一致・相似象)を探求』してみた
『お釈迦様の掌の上の猿』のようなものだ
『不思議(原因不明・因果関係不明)』という言葉だが、それは『不可思議』から『可』能性を取り除いた『思考停止』にする言葉だ
『何気なく使っている言葉』で、『自分の可能性』を取り除いている
不可とは無理=『道理が無い』
『道理が無い』のは『なぜ?』と『思う事を議論』する事で『可能性』は生まれる
私にとっては、『その可能性の導く先』が先の祖を人と共に養い宿す『先祖供養=元へ戻れ・原典回帰』となる
心に耳を傾け、『恥』を知り、そして心に素直に『悳』を積むという
ただ『あるがままの自然体の道理』に従っているだけの『言の葉を額に乗せて化ける狸=自然の智慧』
それを『風土、風流』という形の無い『巡る恩の恵み』なのだから、『恩』知らず=『因に心』を巡らせなくなれば、難が有る『恩も恵』として『有難い』と感じる事も無いだろう
まずは『間違った五行』という『陰陽(おんみょう)の誤行』を『恩妙』として読み直してみる事を試してみては?









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