目は口ほどに物を言う、口は禍の門、先人達が後世に伝え遺した諺が語る神と嘘を読み解く
神は目から生まれる
日本神話における
アマテラス・ツクヨミ・スサノオは
黄泉帰りの『イザナギの泪』から生まれたという
つまり『目』から生まれている
その泪を『雨』とするならば
靈の雨の下にある『三つの口』は『三神』を意味し
その下の『巫(かんなぎ)』はそれを受け入れ宿す『素直な器』とする
では『口』から出るのは?と思った時 それは『音』
その音に『伝えたい心』を込めれば
『意』
その意に『味』を求めれば『意味』
その意に『図(計画)』があれば『意図』
それが『言葉』の持つエネルギー
なぜ言の葉(植物)というか?
それは以前読み解いた事がある
そんな言葉は、『心に素直に生み出す』と『出任せ』
しかし『意図的』だと『デマ枷』
『デマ』という『枷』を『相手』に与える
それが『口』から出た『虚』=『嘘』
神は『目から泪』=『靈』で
嘘は『口から虚』
泪は『心を洗う』という
嘘は『心を汚す』という
なぜ『涙』ではないのか?と思うだろう(´-`)oO
涙には『戸』がありその下に『小さな大=一人』
戸は『口に使われる表現』であり『ヘブライ、ユダヤの隠語』でもある
そうなると『氵=水の流れ』
『流れてきたヘブライ』の中の『小さな大』
伝来された教えの中=『涙』
伝来のルールの監視の下で『羊飼い』によって『羊』は『罪と罰』を与えられる
それは『目』は『口』ほどに物を言う
物を言う=『難癖つける』
『番』付の『審』議をする
戸の中の大=『井の中の蛙の一人』
『一人を小さく』押さえ込んでいる
それが涙ならば
泪は『水の流れを見る目』
『伝来』を『ありのまま見る目』
『物言う宗教の口』は無いから
そこに『造られた嘘の神(概念)』はない
ありのまま『ただ自然』
つまり『目はありのままを映す』
その『目を覆う流れ』が『隠蔽』=『藪に隠す』
矯正眼鏡→VRゴーグル→スマートコンタクト→AI義眼埋込み
真実・現実を見得なくする=『元』を無くする
MR・XR=拡張して『新しい型』にはめる
隠された藪をつつけば、『邪(口封じ)』が出るか『鬼(元)』がでるか
『改心』する事を『目から鱗が落ちる』という
HAHAHA( ̄▽ ̄)やはりな
俺の気づきに『無駄』は無いようだ
『うろこ』に他の漢字はないか?
調べたらこれだ
虚 烏鷺
からすとさぎ。転じて、黒と白
ちなみに『トキ』という日本の国鳥は元々は『鴾=ム牛鳥』だったのが
トキ=『朱鷺』
『赤い鷺=赤い詐欺』になった
『時の鳥』と書いて、ほととぎす=時鳥
『時の権力者に監視』され、『口』を開けば『口封じ』
詐欺は『口』から『デマ枷の嘘』を言う
『デマゴーグ』を吐く『支那ゴーグ』
それを人に言う事を用いたら=『信用』
『信』じたら『枷』がつく
そんな『嘘を盲信』する
目にも『虚が詰まってる』から
改心すれば『虚子』が落ちて『目』が覚める
『意の泪』が『音(周波数・波動)』を伝えて『目を洗い流す』
なるほど(´・ω・`)
『目隠し=神隠し』なのか
道理で
『真実のラーの右目』に
『監視のプロビデンスの左目』
そんな『目』もまた『眼』とあるが
眼の右側=『右目は艮(丑寅=うしとら)』
つまり『艮の金神』であり、合体すると『銀』となる
銀はいぶし銀など、つやのない灰色、見た目の華やかさはないが実力や魅力があるものと表現される
いうなれば、『襤褸は着てても心は錦』
ふむ( ・・ )また『素直に出口』に誘導されるように、出口の鬼門の『鬼三郎』に『言向け和す』の精神で誘導されるように艮の金神へ
私は古事記の三神は『なぜ目から?』と気になった結果
目は『五感のひとつ』であり
『語感』で捉えると、その『互換』も気になり
『目と同じくらい重要』と言われる『口』は
『神と同等の何に該当する?』と調べた結果
口から『デマ枷の嘘』
それを『信じたら間違う』
=『嘘の概念空間』に囚われる=囚人
『そこで涙』してもそれは『流れが遮られた戸』の中の『小さな一人』
その場所=『ヘブライ+中国の傘下』の小さな大
『泪』にならなければ『意の改心』はない
『伝来がプロビデンスの左目』ならば
『真実のラーの右目=根源の神・元』である
その『両方を見通す心』が変われば『音』が変わって『意』が変わる
『虚子=嘘』は消えて無くなる
『自然に戻る』『原典に帰る』とは『嘘を無くす』という事だから
実は『一人一人の生き様の繋がり』で可能
『ありのまま』を伝えない
『都合の悪い事』は『隠して隠蔽』して
『保身の嘘』を『人の為』といい並べ立てる
その口から出任せの『デマ枷』もまた、『信じた者』を『嘘の空間に閉じ込める偽』でしかない
それが『人の世の愚かさ』の学び
嘘をつかれたからといって自分も『嘘』をついたら『また最初から』
そうやって『何度も何度も繰り返してきた』から、素直な人、正直者はついには『嘘をつけなくなった』
だから、『嘘で作られた社会』という『狭い界隈の世界』では『息』苦しいし『生き』苦しい
『嘘』をついて『人を騙せれば』どれだけ『楽』か?
『与えられた台本』に従い、心を裏切り、その『職』に『業の責任』があると
『無責任』で生きられたらどれだけ『気が楽』か?
これが課せられた『堕落への誘惑の枷』
辛いよね
でも遂に『そこまで』来たんだぜ(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)
『嘘』をついて『人を騙す』
そんな『簡単な事』が出来ない
それは『一番始まり』が『その間違いから産まれている』と気づく事
『ありのまま』を見て『ありのままでは無い嘘をつく』
それは『人の為』と『誤魔化した嘘』
『嘘つきは泥棒の始まり』という
なぜ『水の流れの尼』と書くのか?
それは『因幡の白兎』を意味するのか?
泥棒は『何を盗んでいった』のか?
だとしたら、私は『嘘つきが嘘をついてる』と思う(´-`)oO{理由は簡単で
『相手を貶めよう』という『意図』は
『立場や都合の保身』という『不自然な物言い』だから
それは『自然では無い』
『言い逃れ』『擦り付け』『罪逃れ』の責任転嫁
やはり『口』は災いの門( ´・ω・`)レッテルしか出てこない
そんな訳でまとめると
神は『目』である
神とは『示申=心』である
神とは『貴方の目』を通して現れている
左目はプロビデンス=『全体監視の目』
右目はラー=『自然体を観る目』
その『両目』を開く=『目覚めるための言葉』も先人達は遺している
『刮目』してみよ
目をこすってよく見ること。注意して見ること
心に素直に正直者は『先=左記』を読め
しかし、似たようなかんじ悪ーい漢字がある
『舐(なめる)』
ねぶる、しゃぶる、 舌で唇などをなめまわす
人を食ってかかる、『詐欺(鷺)』が『鴨』にしようと、『骨の髄までしゃぶってやろう』と、『舌の根も乾かぬうち』に次から次へと『デマ枷』の『騙し、脅し、弱み』を握って『いやらしい奸計者以外立ち入り禁止』の『禁忌の空間』を創る
=『嘘の世界』に閉じ込める
舐めるなよ?(# ゚Д゚)と真実をありのままに捉える時
それは刮目している=曇りなき眼で『嘘=仮想空間』から目覚めている
刮目の刮の意味は
(小刀・かみそり・へらなどでひげ・うろこ・皮・塗料・さび・泥などを)そる,こそげる,削り取る,剥く
『嘘』で塗り固めた『化けの皮』を剥ぐ
そういう目=神・心・真を持つ事が、『目覚める』という事
私が思う事ではなく、『先人の遺した漢字の意味や諺』が、『時代』を超えて『解釈』を変えて、私の中でパズルのように組み合わさって『表現=表に現れた』だけ
これもまた『丑寅の金神=鬼の地』で生まれた『異能の風土』なのかもしれない
全ては『嘘』から始まっている世界、『真』はその嘘の後に出てくる
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