寝起き閃ワード『土俵』からの男は度胸、女は愛嬌という格言の『間』違いについて。正しさの押しつけは傲慢の始まり、知恵は生き様から学ぶ事、日本人の根幹に根付いてるのは?
男は度胸、女は愛嬌
男子にとってだいじなのは物に動じない度胸であり、女性にとってたいせつなのは魅力ある笑顔、つまり愛嬌である。
検索すると教えられる解答
鵜呑みにするのは考えない奴
先人の知恵の言葉がある
度胸は 『試す』
愛嬌は 『振りまく』
試したり、振りまいたり、その『行動後』に一貫性がない
おかしい(´・ω・`)そんな『言霊は弱い』
直感はこうだったのではないか?と思う呪術の組み換えを行おう
男は土俵、女は愛今日(教)
土俵は一度上がれば倒れるまで降りられない。がっぷり四つで組んで逃がさないし逃げられない力と技と意地のぶつかり合いの場
そんな土俵は『女人禁制』であり『男の戦場』
突然、土俵の外に女がいる訳で、女は黄色い声援の『愛嬌を振りまく』事しか出来ないが、それは大抵『ミーハー』のやる事
本当に土俵に上がった『最愛の相手へ無事を願う妻』というのは『声を上げない』
(*>人<)怪我しませんように
『愛』を込めて『今日』も祈る
だから
男は土俵 『覚悟を決めて上がる責任』
女は愛今日 そんな『覚悟の男を送り出す火打石(心に火を宿す)』を鳴らして無事帰ることを祈る
『男も女も覚悟と責任』が『相撲という土俵という縁・円』ひとつで成り立つ
男は土俵、女は愛今日
それは現代の『スポーツ格闘家』と『それを支える妻の構図』で見てもよくわかる体現である
『外野』で盛り上がるのは大抵『ミーハー』
身内では無い『無責任』な奴ら
これを『男は度胸』にすると度胸試しに『お試し色々』できる
これを『女は愛嬌』にすると
〖嬌〗 キョウ(ケウ)なまめかしい。あだっぽく美しい。なまめかしい女性。
『性への誘惑』で男を寄せ付ける
「お兄さん、寄ってかない?」
なんつーか…
そういう事か(´・ω・`)
昔の日本の格言を貶めている?
現代でもよく出来た『フレーズ(語呂)のキャッチコピー』をネタにして『もじる事』はある
例えば、芸人がよくやる『大喜利』で
「〜みたいな言い方で〜を表現して」
『イジる・茶化す』 という風潮
これは品格や格式、伝統など大事な物も含めて『貶める事』ができる言葉の呪術の『レッテルの始まり』だと思えばいい
『例えは法華経の技』のひとつだが、これも二元性があり『物は言い様』という観点で言えば、法華経を使う者の『精神』が腐っていると、『弁の立つ詐欺師』や『言葉巧みに人を騙す悪党』になる
悪の手口を見抜く『抑止力となる思考や思想』は、誘惑に染まれば簡単に『最悪に寝返る』
『女で寝転ぶ』か『金に溺れる』か
そのどちらにも傾倒しないのが『真の心』
そんな真心で『人に道(言霊)を説く事』もできるが、それは必ずしも『良い方向』に行く訳では無いのが『影響力』
影響力とは『付きまとう余韻』
『語呂がいい』とそれが起きやすい
故に語呂がいい格言ほど『茶化』して『違う意味』に書き換えやすい
さて、『国技の相撲』がいつどうやって始まったのかは分からないし『発祥ではなく伝来』かもしれないが、それは確かに古代の日本人に『根』付いていた
『木(自然)と艮(牛信仰・ミトラ・弥勒)』の『影響力』が大きく素直に『浸透(神道)』していた。私がこの間行ってきた北斗七星結界のひとつ『妙見(大星)神社』にも『土俵』があった
私がよく通う地元の神社も昔は『土俵と寺子屋が隣接』されていたと神主(地元生まれ)が教えてくれた
『相撲の精神の根幹』に『土俵での正々堂々の戦い』があり、そして相撲がいくら男より強くても『女は土俵に上がれないという制限』があった
その変わり、女にはそんな『強い男』の『精神を受け継いだ子』を宿し、『産んで強く逞しく育てる』という愛を教える=『愛教』という
『男には出来ない明確な役割』があった
母の愛は偉大な土台
まさに『地母神』
それが土台にあったから、『男は土俵!女は愛今日(教)』が事実であり、妻は土俵に上がった夫が、家族の為に無事戦いに勝って帰る事だけを祈る(*>人<)
私は『相撲発症の誇り高い言葉』だと感じた
相撲取りの『力士がなぜ太る』のか?それもまた簡単に土俵から押し出されない『重さという戦略の選択の名残』だったのかもしれないし
当時はろくに『食べ物もなかった細マッチョ』と考えると、『太っていた=肥え太らせる金持ちのタニマチ(悪知恵を与えるスポンサー)がいた』という事も見えてくる
現代相撲でも『舞の海の八艘飛び』のように体格に恵まれない『小柄でもスピードと技で翻弄する』という重量が全てでは無いという『発想による戦略的選択の幅』からそれは『見た目の競技では無い』のだとわかる
大事な事は『土俵』に入ったら負けを考えずに『己の培ってきた技で戦う潔い覚悟』というシンプルさがある
逆に
男は度胸=『試す』のはいくらでも『試合』ができる
度とは度々、何回も
胸は『借りる』
度々胸を借りる=ぶつかり稽古=度胸=『試させて貰う』
『負けても関係ない』から『責任』もない
女は愛嬌=『振りまく』のは『特定の相手もいない』から『誰の心配もしない』から『責任』もない
こんな無責任な『男と女』が出逢ったら?
『愛嬌振りまく女』に『男はお試し』をする
女の『胸借りて』『ナニをぶつかり稽古』するんすか?(すっとぼけ)
お分かりだろうか?
『実直で硬派な生き方』が『邪で軟派な生き方』に変わる
強く重く『決意や覚悟ある遺伝子』ではなく
弱く軽い『決意も覚悟もない遺伝子』が増える
『吉原や遊郭』という『男を色狂い』にする
『骨のある男を骨抜き』にする
『骨法』が消えた日本の強さを奪う『国盗り物語』
尖兵は『宣教師』(言葉・話術で教えを貶める)
続くは『水商売』(売女で男を骨抜き・梅毒にする)
トドメは『奴隷商売』(増えた子(ハーフ)を人身売買)
これは肉体も精神も『交配』させて『荒廃』させる混ぜるな危険の『劣化遺伝子組み換え実験』
劣化ウラン弾=劣化した売れない魂
人の魂は『ウラン』ですから
日本という国は『外面(政治・経済・常識)』だけじゃなくて、『内面(人や先人の大事な教え)も精神汚染』されてる事に気づかない
滑稽な終わらないお笑いに支配された滑稽なコンテンツ
そういえば、『ジャニーズが落ち目』になると次に穴埋めに台頭してくるのは、当然『芸人枠』。これを見越していたのかわからないが、芸人が一斉にギターやら音楽を始めたビジュアル重視に変わった異質な流れがある(計画的)
政府は芸人育成に金を出して『100億くらいのキャンペーン』をしてた訳で、何だかよく分からない『二世三世の芸人』がゴリ押しで『ゴールデンタイムの時間枠』や『赤い背景のCM』に出まくっていた訳で
一昔前の焼き増しの『思考停止の番組のリヴァイバル上映』を見ている感覚になってから『テレビを見ないのが当たり前』になって
気がつけば、『誰も読まないであろう本』を読み、その本から得た『地名』を訪れ、もう『廃墟になりそうな地』で『野ざらしの土俵』を見てきた
その結果『時間差』で
男は土俵、女は愛今日(教) に気づく
これも『自然な導き』なんだろう
その土俵には多分、目では見えないけど、劣化してない『純粋な魂が木霊』してたんだろう
別に一般常識通り
男は度胸、女は愛嬌って覚えて置けばいい
それは『硬派(屈強)』が『軟派(軟弱)』になっただけの話
最近はこんな語呂のいい言葉が出てきたらしい
男は度胸、女は愛嬌、『オカマは最強』
LGBTQIAだね
でも最強=『煩わしい悩み』がなくて『自由』かもしれないけど
最も狂ってる=『最狂か最凶』という二元性がある
最も狂ってる=『特別扱い』
最も凶=『わざわい』
質(たち・立場)の悪い『異物=異なるエネルギー』なんだよね
『自然界の両生類』は子供を『産むか分裂する』けど、人間の『自称両生類であるオカマ』というジャンルは、『産む事』も『分裂』する事も出来ない
だから
『遺伝子組み換えで造る』事や『クローンでコピー』すればいいと、『そういう事』を推進したい『科学者や金の亡者』に利用され『生態系実験材料』にされてる事に気づいた方がいい
実際、『元々オカマ』という『自覚のあった人達』が『LGBTQIAは異常だと反応』しているのがいい証拠
『在来種のおかま』は男と女の使い分け=『擬態(風呂やトイレ)をわきまえている』が、外来種のオカマ=侵略者を『異物=脅威と判定』している
色仕掛けの遊郭に骨抜きにされた『軟弱男の遺伝子のハーフ』がそんな『親や境遇を恨み』、『両方になりたくないという精神』になると
『両方を上手く使い分ける』という第三の視点が生まれるように、本来は『二限の安定バランス』だったのが崩れるのが『ハーフ・交配・混血』・混ぜるな危険
それをやるのはいつも…『お試し』という実験
『軽い好奇心』が『間違い』を起こす
魔が『違った事』を指す
間が『違う場所』でやる
『潜像』で描いた『妄想』を
『幻想』ではなく『現象』で実行する
おっと(´・ω・`)またシンプル哲学から脱線しかけたのは、『左目(偽)』が覚醒してきたからか
この辺でざっくりまとめると
寝起き閃きの『土俵』から伝わった『先人の知恵と生き様』は未来永劫、『自然に親から子へと継承されていく伝統』だった
これは最近見た、カタカムナ『61首』で体験してきた『親孝行が当たり前の感覚世界』と一致する
相撲
木の目の手の業
自然の流れ(木・氣)
手(業)を使って力をコントロールする(撲る)
八卦良い(周りの氣は熟した)
(‘д‘⊂彡☆))Д´)パーン
そりゃ相撲は『気合い』と『根性』だわ(笑)
でも、今は風の時代
『嘘・騙しで結託』する『八百長まみれの腐った土俵(円・縁)』から降りる
そんな『潔さ』も必要な時
土俵から『降りれない男』はどうしよう:(´◦ω◦`):オロオロ
土俵の『外の女』はあーしよう(∩´∀`)∩ワクワク
女性性=流れは『女神信仰』だな(´-ω-)ウム
女性性とは受容、包容力、共有、調和、安定、直感、感覚、感性、柔軟性
『自然信仰の男』はみんな『持ち合わせている感覚』と言える
相撲は国技、神事というのも『国津の心域』だとしたら・・
その相撲で負けて『国譲り』があっただぁ?
それはもう『八百長』でしょ
八百八町に灯がともる
八八=88=『ヤハウェ信仰の侵攻』
『ヤコブが相撲して神を従えた』というくだりは限りなく『日本の話』かもしれない。なぜなら『ニニギノミコト=ヤコブ』という考え方もあるらしい
古事記に関して学んでいると、ニニギノミコトから曾孫の神武天皇までの系図は、旧約聖書に書かれているヤコブからヨシュアまでの系図と一致している
私はまったく『違う観点』からたどり着いたけどw
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