好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

感覚的量子論10 言霊は内に響かせる合気の喜怒哀楽

他人(役割の違う自分)にかける言葉や行動=自分の心に響くという法則、喜怒哀楽は気楽と度合の合気になっている事に気づく

言葉が内に響く感覚

常識的な一般的に共通な表面的な表現でわかりやすく言うなら

傷つけない言葉
トゲのない言葉
優しく語りかける
厳しく叱咤する

いわゆる

『他人の為』を思う

そういう観点から相対する存在に向けて『放つ』のが『言葉』だと感じるだろう

でも今の私は

相対する存在=『相手』とは、『分離』して『今の自分では無い経験や体験をしている自分』と捉えているせいか

今の自分が『既に経験して乗り越えた事』ができてないで、イライラして、八つ当たりをしていたり、『気に病んでいる』のだろうと感じた人は

『かつての自分』だと受け止め、例え攻撃的な嫌味やトゲのある言葉だろうと、その人が『今問題になっている事』を突破すれば、それは『解消』されるものだと感じてる

だから、相対する相手の『言葉』に『耳』を傾ける

言葉には『感情』という余分なものと、叶えたい『目的』と、満足する達成目標=『悩みと願い』がある

カタカムナ46首 悩みと願いの違い

『問題を乗り越える前』はそれに『気づくことは無い』。しかし『答え』を教えてもすんなり受け入れないのはその人の性格だから…などでは無い

その人の本質的な『魂の成長過程を邪魔する事』になるために『答えを聞く耳』は持たない

馬の耳に念仏
釈迦に説法

友人でも家族でも『説法』のような『真理』の話をすると『眠くなる=頭に入らない』という現象も確認済み。『自分で気づく』という『体験を求めている魂』にとって、答えは『もっともいらない邪魔』だから『拒絶』する

故に『情け』は『人の為』に非ず

それが分かれば、自分で気づくためのきっかけとなる『ヒントをアドバイス』すればいい。答えそのものは教えてはいけないなら、『方向や道を指し示す』事は問題ない

と、言う感覚で人と話すと
自然と『後の先を取る形』になる

先手必勝では無く
『合気=相手の氣』を利用する

まず『氣の流れ』を把握するために内に流し込む。するとそれに『心が反応』してざわめく。湖畔にさざなみで波紋が立つ如く『心を振動』させる

それによって相手の『感情や気持ち(周波数)』が水鏡に写した様に読み取れる

明鏡止水

独自体感論 明鏡止水と霊的な言霊の本質

その波紋で生まれた波をひとつひとつ『打ち消す波紋の振動』を出していく。それが『言葉』という『言霊』として自然に放出される『真言』であり『進言』

まずはそうやって『相手の気持ち』を受け止め、感情や悩みの問題を抱えた『波紋を相殺』し終えたら、そこで初めてヒントやアドバイスを『聞いてくれる状態』になる

聞く耳を持つ
『心』に『耳』を当てられる

『恥を知る=恥ずかしい間違い』に気づく

『間』違いはいいんだよ
『誰』にでもある事だから

間違い探しの面白さ

大事な事はそれを繰り返して『波立てる振動』の『波紋』にしない事

波紋は『波紋(共鳴・共振)』を呼ぶ
共振は『狂信』を生む

『心穏やかに』というのは、言い換えると『波風立てないように』と表現するのだろう

黙っていろ!という意味は『間』違いだ

だからそうやって『相手に返す言葉』は、自然と『自分の中に響く感覚』がある。まるで本当に自分で自分に『気づいた閃き』を語りかけているかのように、マイク入力の音声をヘッドホンでモニターしてる音声のように

誰にも聞こえてない
『自分の声』に『心を開く』ように

目の前の問題に囚われた人に答えを教えて自己満足するのでは無く、その人が『自力で間違いに気づく』ための『道』を指し示し『その方向に歩く』のを『見届ける水先案内人』のように

自発的な教育 子供が成長する瞬間を見た!

『責務を全うしてる』という事を『家(心)でモニタリング』されてるかのように自分の『心』に『嘘』をつかない

自分の『心が喜ぶ事』に胸を張った生き方をできるように

言葉を『選んで』
言葉を『生み出して』

そんな感じだからわかってきたあることわざの真の意味がこれ

君子危うきに近寄らずの真理

単純に常識的に考えれば危険を事前に察知して回避するという『先見の明』なんだけど

達観した目線からすれば
『終わった事に興味はない』でもある

『興味』という言葉もまた面白い

『興』とは『演劇』のようなもので、『意味』も『シンボル』も表しているように

『右』と『左』に別れてるけど『同』じ『台の上』

『オチ』を知ってれば興味もない
『味気』ないガムを出すようなもの

それは対面した人の抱える『悩みや問題』でもそう

『最初から興味がない』ものは、どんなにプッシュされても『鬱陶しいだけ』と感じる。例え世界の『99%が肯定』しても、自分の『心という1%が拒絶』したら興味はない

ワクチン接種がそんなもので『得体のしれないコロナ騒ぎ』の時は一時分からなかったけど、その後に出てくるワクチンはどんなものであれ、全く『打つ気』は最初からなかった

続!アインシュタインの一枚の写真からの閃き その4 ウイルス

何の前情報もなく感覚的に
何となく嫌ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)直感

心配していたのは自分の周りの大切な人が『それに流されないようにさせるためにはどうしたらいいか?』だけだった

メイソン

武士道

大人に

カタカムナ45首 武士道

つまり『君子=心に従う自我』は危うきに近寄る気は全くなかった。それはつまりその興は『オチ知ってる』から『見る必要はない』と感じていたという事

『生理的に無理』は肉体依存の『人間性』
『興味がない』は心の領域の『精神性』

君子の言霊は強く引きよる示し
まさに健全な精神と健康な肉体(-人-)

独自体感論 健全は健康と違う

つまり自我(生理)と心(興味)の両方が『拒絶』した事
それが『mRNAワクチン(新薬)』だったという事

だからシンプルにわかって来た事

合気とは喜怒哀楽のコントロール

合気の言霊は
命・感情の伝わりのエネルギー

相対する他人から流れてくる波動エネルギー
心に波風の波紋を立てる氣の巡りを感じている

波はぶつかれば『大きな高波』にもなるが、ズレると波は『打ち消し』合う、あえて『引き寄せて高波』を起こさせて『波に乗って遊ぶ』事だって出来る

それが『感情コントロール』というテクニック

『喜怒哀楽』に『同じエネルギー』を向ける事を『同調する』という

『喜び』に喜びは『楽』しい(・∀・)人(・∀・)ナカーマ
だから『喜楽』で『気楽 』←真理的な心理

『怒り』や『悲しみ』に同調しても生まれるのは、『敵意』からの『喧嘩』からの『争い』からの『戦争』で待ってるのは『不幸と死』からの『復興都市(権利を握られた)』の不幸都市(デストピア)

『悲しみ』のどん底の『自暴自棄』による『自傷行為』を止めようと同調すれば『鬱病』になって『自殺』で待ってるのはやっぱり『不幸と死』

でも怒りや悲しみも『必要なエネルギーバランス』だから
そこは『怒哀』の『度合』←真理的な心理

これも『氣のコントロール』として『受け止め方』次第のテクニック

自分の『今の心=念』を『相手』に使う=『想念』
でもその『現実で描いた想念』と『届けている相手』は『問題を抱えた自分の意識』への『気づきのヒント』

まさに『夢』で『心』に言われた事そのまま

感覚的量子論4 意識と想念は違うよ?と言われた夢

それを行う絶対条件

汝(自我)、己(心)を知れ
『心』に『耳』を傾けろ=『恥』を知れ

恥とは『心に従わない事』である

心は水鏡、何もかも『反射』するからこそ
『無色透明』の明鏡止水に透き通ってなければいけない

なら最後は何も無い=『無』と同じか?と言えば
無は『有=全て』であるのだから

カタカムナ51首 常世の扉=01+Q

デジタルな10(棒零=亡霊)に振り回される天才達

『始まり』であり『ゴール』でもあり、波紋の始まりの『一』はその波紋が消える事無く広がる『全』でもあり、それがどんなものかは…

『到達』してみんとわからんな〜ʅ(´⊙ω⊙`)ʃだから人生は『人の間』の旅の途中

カタカムナ46首 1から学ぶには9次元思考?!

人生が終わっても『別の次元の旅』は続く
『急がば回れ』だよ、ほんと

カタカムナ52首 創造主の目的は意識の拡大

袖触れ合うも多生の縁と一期一会の幾何学的本質

最後に『損して得取れ』という言葉の『間』違いも伝えておこう

損の言霊は、強く外れる
得の言霊は、統合して引き寄る

ルールや与えられた条件の既成概念が『外れない型』ならば、その如かれたレールから外れて道なき未知を開拓する『型やぶり』が外れるの意味になる

つまりは権利や地位を維持しようとする時の支配者がやってほしくない『革命』『革新』という事をすれば・・・と!勘違いするかもしれないか

それも間違いなんだな〜ʅ(´⊙ω⊙`)ʃ

人の心を重く苦しめる支配から人の心を解放する事=重いコミットを軽くカラット!(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)輝き!?

別に支配者のやり方に対抗して反抗するという事ではなく、奴隷根性を『根』っこに『性』質として『植え付け』られた意識から引っこ抜いてあげるという『抜本的改革』だけでいい

他への『問題提起』という存在の必要性

その誰かに頼ったり、支配を求める帰依・依存する意識を捨てなさい
『金と本』に毒された参考書の『嘘の部分』に気づきなさい

聖書を清書 天使の喇叭(ラッパ)と7つの鉢(金と本)

シンプル哲学 神(男女)の役割(ヘブライ語編)

その腐った『性根を根本から叩き直す』という言葉として『先人』は『叡智の言霊』を残してくれている

ちなみに今回の記事も書き始めが『911』のライトワークの導きスタート

911

私のライトワークに参考書(バイブル)はないが『未知を歩く』とそこには『先人の道導』が立っているからそれを参考にしている

先輩という輩の戦敗から荒廃へ

道引く者たち

私が書き記す『感覚的量子論』とは『意識』が『未知』を旅して見つけた旅の記録。その蓄積が統合して引き寄って『徳』になっている

『徳は誰かの為に積むものではない』のだと『悟りはない』と気づいた時と似たような感覚を感じた今のお話でした

徳のシステムは向こう側にあるという夢

カタカムナ45首 聖なる道「悟り」などない

COMMENTS & TRACKBACKS

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  1. たぬきちさん、こんばんは。
    先日ご返信頂いたお言葉もありがたく拝読いたしました。

    そして今回のこちらの記事もとても沁み渡っております。
    「人の学びを邪魔しない」にまつわるシンクロがあまりに多く…

    まず体感として両肩と腰の痛みから始まり、こちらの記事、
    そしてとある動画での「限界(加減)の健全な線引き」…

    まさにいま自分が見極めないといけないテーマなのだろうなと思っています。

    それこそ私自身が『自分で気づくという体験を求めている』ので
    人に対しても邪魔をしたくない…奪わないようにしているつもりでも、
    『成長過程を邪魔している可能性』もあるのかもしれず、
    だからこそ肩や腰に痛みとして出て『邪魔出来ないようセーブしている』
    可能性もあるのかな…と思っています。

    身体の痛みは色々な要素が絡んでいると思っているので
    私の場合はですが、痛みが出た箇所によってまず本や情報を
    もとに分析をするようにしています。

    今回は「自分の負う必要のないことまでしている可能性」もあり
    それが肩の痛みとして出ているかもしれない…とみています。
    (実は自分だけでなく相手が痛みや違和感を訴えている箇所も
    個人的に分析して参考にしています…勿論相手には言いませんが…)

    たぬきちさんのようにいずれは『相対する相手』を『分離した自分』として
    捉えられるようになりたいな、と現在進行形で訓練中です。
    「相手の気持ち」を受け止め~相殺…も、ようやく出来るように
    なってきたと実感しています(まだまだですが)

    それでもだいぶ波風立たないようになっていて穏やかな
    状態になりやすくなっているような感覚もあります。

    ここ数日また夢の内容が突飛になっていたりしてそれもまた
    分析してみると色々見えてきていて…本当に何というか全てが
    繋がっているのだなあとしみじみしております。

    (今まで夢の中で何かを宣言するという事が無かったのですが
    今回は現実でも宣言している事を夢の中でもしていたので…
    逆にそれだけ強固な意志になっているのか、はたまた…)

    六芒星を巡るのは11月の予定なのでまだ先ですが
    より循環させるべく自分のエネルギーを巡らせておきたいなと思っています。

    たぬきちさんの日々の閃きと記事が私にとってのヒントであり
    アドバイスであると思っています。本当にありがとうございます。

    まとまりのない文章をいつも長々すみません。

    • yuki.mさん いらっしゃい

      >『成長過程を邪魔している可能性』もあるのかもしれず、だからこそ肩や腰に痛みとして出て『邪魔出来ないようセーブしている』可能性もあるのかな…と思っています。
      身体の痛みは色々な要素が絡んでいると思っているので私の場合はですが、痛みが出た箇所によってまず本や情報をもとに分析をするようにしています。

      なるほど、確かに部位的意味ではストレスは首の裏のこりとして来るは有名な話で、ストレスの原因は、肉体的には不自由への我慢、精神的にはやりたい事が出来ない、邪魔・妨害を受ける・自粛という名の自縮=自分で自分を押さえつけて縮小させている

      苦言は粛々と受け止めると言いますが・・実際、苦い言葉を受け止めるのは、自分にとってはストレスの圧力で縮縮と縮こまる行為でもあるし、それが血管ならば、細くなって血行が悪く冷えてしまう=凝り固まる

      また首を引っ込めるという意味も、自ら縮こまる=殻に閉じこもる=亀でもある訳で、攻撃からの自衛・防御でもあり・・

      うん、どう転んでも『首の凝りはストレス』とわかりますね(笑)

      腰はなんでしょうね?話の腰を折る=話題を変える、本筋からそらす、させねぇよ?と邪魔をする
      =それを人にする?されて折られる?腰が入ってない=集中できてない?

      >今回は「自分の負う必要のないことまでしている可能性」もありそれが肩の痛みとして出ているかもしれない…とみています。

      なんかそんな気もしますねw

      要は、自分ができるからできない人のために『良かれと思って情け』をかけて、背負った状態では負担が大きく、また『思った通りに事が進まない原因』を抱えているために『ストレス』が溜まり『首』に痛みがきて、本来自分がやるべきことに『腰が張らないで集中できず』に『腰くだけ』の『腰痛持ち』になってしまう

      まさに『情け』は『人の為=偽』に在らず

      目に見えない『重荷=責任』をおろしなさい
      それはあなたの荷物ではないので背負うには荷が重いのですよ

      に の言霊は 圧力

      『遮って収縮させる力』なので、背負うほど進むほどに重くなる
      子泣き爺や砂かけ婆

      やる事なす事ケチ着けて砂かけて妨害してくる婆
      ガキのようにピーピー泣いて縋り付いてくる爺

      これらは『常識』という『凝り固まった世間体』そのもの=重力
      その為に『人』が『動』いて『働く』ってか?

      ( ̄▽ ̄)に!っと笑って背負い投げ(っ´∀`)╮ビタン _:(´ཀ`」 ∠):_

      さぁ、獣の人間性を投げ捨て、心に自由な精神性へ軽くなりましょう、みたいな(笑)

      はっΣ(゚Д゚)私はまたネタバレを言ってしまったかもしれない・・けど、大丈夫!本当に求めてる答えなら絶対に納得しないで聞き入れないはずなので(笑)

      すっと入るという事はヒントとしてパズルのピースが見つかるって事なんで、私からのヒントは・・『体に関する先人のことわざと意味』を解釈=介錯=生き様を問うをしてみる事をおすすめします

      『相殺』という殺気だった力のぶつかり合いも、手を繋いで読み方変えれば『挨拶』です( ´꒳`*)人(*´꒳` )その穏やかになった後は受け入れる事も、受け流す事もできますよね

      >(今まで夢の中で何かを宣言するという事が無かったのですが今回は現実でも宣言している事を夢の中でもしていたので…逆にそれだけ強固な意志になっているのか、はたまた…)

      こういう話はとても面白いですね

      私も『自由意志』と言葉に出したのは夢の中で発言したのが初めてで、寝起きに自由意志ってなんだ?Σ(゚Д゚)と検索して夢の中で『自分が示した態度』がまさにそれなんだと実感しました

      精神体である夢の中ではメンタルの強さがそのまま反映される中『宣言』はとても強し意志表示だと思います。その宣言を『現実でも実践』していくと意識が変わって宿る意志=宿命を思い出し、必要な何かを次々と引き寄せ始めると思います

      11月の旅の後に何がどう変わるのか、その旅までに無意識に準備の体験をしてるのかもしれませんね(*^▽^*)大いに楽しんでください、私も元気と気づきを貰いました

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