カタチある願いとカタチなき悩み、その本質の違いを理解すると見えてくる引き寄せの秘儀について
心のスキンシップ
すやー( ˘ω˘ )スヤァ…と2度寝した世界で私は違う次元の夢を見た
エロい気持ちはないがハグとかスキンシップとか、肌を寄せ合う距離感でいたいのか、温もりが欲しいのか、そんなノリで女子に、悩みを聴くよ(*´罒`*)と肩に手を組んで頭を撫でたりしてた
アノネー( ˘•ω•˘ ;)(´ー`*)ウンウン
一通り聴き終えた後
そいつは「悩み」じゃなくて「願い」だねえ
( ゚Д゚)ムリーΣ(゚д゚;)エェ
と、あんだけ頭ナデナデして、相手は喉鳴らすネコがジャれるみたいに素直になって言った言葉を
一刀両断━━╋⊂( ´ー`)彡 スパッ (・∀| |・)?
それで悩み事と願い事の違いを考えるきっかけになったのは、まるでその頭ナデナデされて、話を切り出したのが私だったかのような衝撃から
今日のテーマはそれですか?と課題が始まった
悩みと願いの言霊の違い
カチカムナの思念読みでは
悩みは核が飽和した実態・光
願いは充満した内なる力の伝わり
なるほど(´・ω・`)こいつはおもしれぇほどわかりやすい。まず手っ取り早い方から
充満した内なる力の伝わりとは、自分の求める願いが明確に決まった叶えたいカタチ
願いは願ってるうちは叶わないってよく言われるとおり、その願望を解き放つ必要がある。それは誰かに向けて放つのでは無く、自分の中に押し込めてないで外に放出すれば叶う
引き寄せは強い想念を現実から切り離して完全に忘れなければ叶う事はない
もう叶いました!と感謝(*´ω`人)する…はいささか強引な自分騙しだが、その自分騙しを素直に信じられる人はどんどん引き寄せが叶う
これは簡単な事じゃなくて、自分の望み以外に興味がない素直なサイコパスか、全てにおいて肯定的で騙された事すら気づかない素直な人じゃないと無理なやり方
だから自分以外に興味がないサイコパスの成功法則=引き寄せの法則をノウハウとして体系化し、それを崇拝し盲信する騙された事に気づかない素直な人がそれを体現してより引き寄せの盲信を深めて行くため、この両者は見事に力を利用できているが
常識的に考えてない…でしょ?
いや、ありえないって…?
騙されるかもしれないけど…?
みたいな人は半信半疑が普通
普通とはみんながそう思うだろうという集合的無意識
つまりみんなで引き寄せなどない、叶わない事に向けてブレーキを踏みつつ、自分だけは願いが叶うといいな!と矛盾した事をしているという愚かな状態
故に、もういいや┐(´д`)┌イッチヌッケタ
と、その願望を引き寄せようという集合的無意識から離脱する事でやっと願望は実現の方へと向かい出し、忘れた頃にそれはやってくる
多くの人が願いは具体的に描く
しかしそのためにその願望を更新して更新して、ずっと手元において解き放たない。どうやったら素直に解き放てるのだろうか?と言えば
執着しない事
と言われてできないのが、引き寄せの法則という欲望に囚われた人
だから大抵の人は、違う何かに意識を向けて願い事を忘れるしかない
先人の知恵も言っている
果報は寝て待て
良い願いだろうと悪い願いだろうと、願った後に忘れる事で叶うというノウハウは昔からの知恵
熱しやすく冷めやすい、飽きっぽい人というのは、時間差でやりたい事の願いが叶って行く。色んな事を体験するから、色んな事に興味や好奇心が向いて願い求めた事をすぐに忘れる
だからそれがかつて求めていた自分が引き寄せた願いが叶った事すら忘れて、好奇心のままにそれを堪能して、また次の想像と創造の引き寄せを繰り返している
とっちらかってるように見えて、一つ一つは心が成長する為に求めた大事な意欲に忠実に従う。そのため、巡る縁(人・物・環境)も目まぐるしく移り変わるため、客観的に見れば波乱万丈の嵐のような生き方に見えて
本人にしてみれば、常に台風の目にいるように穏やかに興味を持って好きな事に囲まれる事になる。だから、具体的な願い事は自分で引き寄せて叶うんだから俺(心の自分)や他人(違う役割して分離した自分)に言わなくても
それを空に放って気持ちをスッキリさせなさい
想念は抱え込むものでもなければ、言葉で表現するものでもなく、胸いっぱいに膨らませたワクワクを込めた風船を風任せに解放つようなものなんだ( ̄▽ ̄)っと伝わってきた…なるほどφ(・ω・ )メモメモ
で、もうひとつの悩みが本命
核が飽和した光
これは中心がないホワホワ、モワモワと、光ってはいるけど核の輪郭がまだない
体を成していない実体なき実態
そこで名は体を表す=カタカムナ
表現する言葉・言霊を選んでいる
悩みとは、何も無い闇を手探りしてるのでは無く、実態無き光をどう実体にするか?という選択を決めかねている
だから悩みを聴くというのは
あなたはどんなカタチに願いを整えたいのか?
その創造を想像しながら協力するよ
フレームワーク(骨組み)を手伝うよ
これが悩みを聴くという事であり、相手の心に触れるという事
体のスキンシップはきっかけに過ぎない
本当にしたいのは心のスキンシップ
そして建設的に意思を交換して構築する共同創造
多分、その方法として例え話がある
例え話は共通の想像次元に両者の意識を合わせ、その中でこれをこうしたらいいんじゃないか?のプランを提案する
それを聞いた相手が自分の心の中に持ち帰り、納得すると少しずつ心の扉を開いて、飛び出して来る言葉(表現)が変わってくる
表面的に取り繕った身を守る言葉ではなく、元々心の中にあったけど外に出せなかった本音
・・実は(実話)ね?
それをこちらも心をオープンにして受け取るからこそ、心と心のスキンシップは心地よい
悩み相談に乗って、その人が抱える問題を一緒に解決したその時だけ味わえる達成感
相手との信頼、親しみの距離感が近ければ近いほど、その心地良さは比例する
肉体の快楽では決して得られないひとつになる感覚
かと言って悩みを聴けばいいってもんでもない
ここがまた諸刃の剣なんだよね
悩みを打ち明ける=力を試される
悩みの本質は自分で決めかねている状態
誰かに背を推して欲しい、もしくは決めて欲しいという他力本願
それにカタチを助言すると言う事は…
気に入られる例が、先に言ったお互いに心地よくなって信頼が深まる良い例だけど
気に入らないカタチになると、こいつはダメだ・・と二度と心は開かれる事はなく信頼を失う事になる
そして、悩みを聴かなければ良かった…自分には力不足だった…と後悔の念を抱き、自分が病んでしまう
だから人の悩みなんてそう簡単に聴かない方がいい
触らぬ神に祟りなし
光とは闇を産む
形のない光は形のない闇でもある
前回、死後に最も恐れるものは、あの世とこの世の境界にある得体のしれないエネルギーに近づかない事と教えられた
おそらくそのアンサーでもあるんだろう
悩みとはカタチ=役割が決まってないカオス
そこに名をつけて体を表すカタチにする
それが悩みを解決に導く事だとしたら
生み出されたエネルギーの行方は、それを扱う人の精神性に委ねられる事になる
それを考えると、やっぱり人下の無(ヒトゲノム)の現実世界では、直接知識を与えては行けないのだ
知識を手にして人は火になる火種
それが上下マウント取り合う争いの炎上
先人の知恵の言葉にもある
天災は忘れた頃にやってくる
知識を天才に与えると転載して天災を引き起こす莫迦になる
ま、対策はあるよね
そういう精神性じゃない人を選べ(厳選)
知恵を正しい事に役立てようという光を模索している者達の悩みを聞いて、自分の持つ光も混ぜて、皆でより良いカタチを生み出そう
これが個への執着を捨てた共同創造
個人的にはレムリア創造
なんだけど、それを認めたくない!と穿ったものの見方(現実)で捉えると
人類補完計画
みんながアメーバのようにドロドロの液体になりひとつに溶け合うという表現
物の捉え方にはそれぞれの意識の存在してる次元の違いがある。だけどその次元とは知識という情報では無い
体感による確信、確たる土台が必要な訳で
夢を見ない人には夢がどんなものか分からない
金縛りを経験してない人は金縛りに伴う様々な主観的症状や変化も分からない
明晰夢を経験してない人は意識が肉体から離れても記憶や思考が可能である事も分からない
後からそれを一次元の情報として聞かされた所で主観的な体感を伴わない時点で意識の存在次元は上がらない
だからこれからの機械と一体化して電気信号で他人体験をするというのがどれだけ本質とかけ離れた心が満たされない表面的な模倣か良くわかる
そういう世の中になれば、スタンドアロンコンプレックスは実際問題の悩みになるだろう
悩むのが機械か?人か?
それすら曖昧になれば存在そのものが悩みとなりあの世とこの世の境界に…
あーそう言う事か(´・ω・`)(´ー`*)ウンウン
得体のしれないエネルギーとは
人の心を持った機械(人間の模倣)
機械になった人(意識ノデータ化)
並行次元のデストピア化してしまったトランスヒューマニズムとそうでは無い境目だったのか(納得)
やっぱり、どんな些細な体験も、意識して見える世界は次の学びのヒントのようだ
で結論から言って
願いは具体的に想念で設計(道筋を描く)したら解き放って別の事に意識を向けて忘れる事
悩みは人に言うなら相手をよく選べ
適当な事を言う奴もそれに従う自分も双方に心と関係性に傷がつく事になる
悩みは光と闇を内包していて、まだカタチは決まってないから問題=闇として捉えない
光には必ず闇がついてまわる
闇がない光などない
つまりどんな選択にも影は生まれる
その時、後悔しないカタチを創り出す作業は
本来は自分が意識して向き合う作業
大事な事は、悩みという曖昧な状態を分離する
願望=自分の望み・光
問題=乗り越えなければ行けない障壁・闇
問題がはっきりとしないから立ち向かうべき相手がでかいのか?強いのか?把握出来ないから恐れる
しかし、幽霊の正体枯尾花
浮き彫りにしてみれば大した事ない事もある
その問題を乗り越える事に意識を集中してみ?
その時点でもう願望は解き放ってるんだよ?
(*´罒`*)Σ(゚д゚;)ホンマヤ
だから本当の引き寄せの簡単な方法は、こういう簡単な公式
悩み=(願望・問題)
~だったらできるのに・・
~ならこうなるはずなのに・・
この叶えたい望みと問題の要因を因数分解すればいい。数学的な考え方ではなく、感覚論的には、足枷となる問題の原因の数を把握して、それとは性質が違う願望を分離して
願望は計算式からは省いて、問題はなぜ発生している?どうすれば解消される?と真剣に向き合ってるうちに
切り離した願望が叶って、問題がどうでもよくなり、問題と向き合う次元から離れる=問題が問題ではなくなり役目を終える
これは私の真理の探究法の秘儀とも言えるノウハウです
問題解決に意識を向ける事
それを解決しようが、できなかろうが、深く深く意識が最初の願望から離れていく事で、願望への道が開かれる
急がば回れ
急いては事を仕損じる
やっぱりこれも先人の知恵なのだヾ(*´ω`*)ノ
私はそんな先を歩く意識達に夢で出会い、頭をよしよしと撫でられながらヨシヨシ(。・ω・)ノ(´-ω-)
イッテコーイヽ(#゚Д゚)ノ┌┛Σ(ノ´Д`)ノキャー
と先人の谷に突き落とされる獅子の子のような体験の中での(表現できる限り)レポートです
カタカムナ46首は、ほんと、あの世とこの世の境目の法則・システムについてレクチャーされてるみたいだ( ˙꒳˙ ).。oOオモロ
最近の現実の私は・・リアルでこんなんばっかです
最近はロダンの地獄の門…色々と深い∑(゚Д゚)!!
正に通ったら帰って来れない門の上でその者たちを観ているような…意味深です。
久しぶりに上野に行きたくなりました。
ナカジーさん いらっしゃい(≧▽≦)
え?(;’∀’)ロダンってそんなどえりゃーもんだったんですか?何も考えずアイキャッチの画像に最近のオレこのポーズてよー思考してるわwwって選んだだけだったんですが・・まさかそんな深い作品だったとは(笑)
なるほど、地獄の門の写真見ました。色々興味を持って考察したけれど、これってロダンが一生かけて生前には実現しなかったという、のちの世にロダンの単体作品をあれこれ並べて出来上がったようなので・・おかしいな~と直観的に感じた点があります
おそらくロダンのポジションと下の門に描かれている醜い人間模様や上から下に落ちたくない!と抵抗する人や蹴落とす人、しがみつく人等は最初から構想が出来上がっていた気がします
しかし、没後に出展の確かな神話絡みの有名人や神が描かれたのは蛇足ではないかな?と思うのは、キリスト教も仏教も開祖が没後ですからね(死人に口なし)、ダヴィンチの作品ですら何重にも時代によって絵が鳴り変えられてきた訳なので
ロダンはただ考える人=真理の探究者を創ったんではないかなと。私でも神曲ダンテの絵画の世界には様々な暗号や仕組みがあるのを見つけたくらいなので、先人の知恵たる哲学者はもっと深い所まで悟ったんじゃないかと
ロダンとダンテの神曲・・何かピーン!ときたので、今度考察してみます(≧▽≦)毎度次につながるヒント助かります