捨てる神あれば捨てられた神の子を拾い育てる神の国あり、そこが地上の楽園になってしまえば子を捨てた親のメンツは丸つぶれ・・という観点から深堀したら、イサヤとドラゴンボールが見えてきた話
カタカムナ74首に?
73首はあらゆる方向に『波動の波』が出ていて、その波に乗って行くとまぁ、『日本昔話』な失われた月の話と、その月と鬼の間に繋ぐ龍があったと…そして『ヒルコロード』
で、その『龍』が『存在』しては行けない
神が認知しない『ヒルコ=黄泉の国からの生還』
『神の血』を持ち『人の心』を持つという神に見捨てられた『不具合があった者』が不堕落の『黄泉の先の東洋・漢方の地で復活』
捨てる神あれば拾う神あり
そんな『ヒルコ=蛭子=蝦夷』
『神の子』でありながら『醜い』と葬られた『水蛭子』
アマテラス、ツクヨミ、スサノオ(三柱)…のツクヨミとスサノオの間に神に見放された子がいた(あるいは最初の子)
異母兄弟なのか、死に別れした血の繋がったツクヨミの妹弟か、スサノオの姉兄か
いずれにせよ、多くの人が見落とした古事記や書記で姿が消えたのは『ツクヨミ』だけではなく
蛭子=水蛭子
エビス=胡=水胡=水虎・水子(の霊)→三歳で奇形な癌が治らないので捨てられる
=三つ子の魂・密後の魂百まで
水虎=ミトラ
亡くなる事を『看取られる』という
蝦夷出身の聖徳太子の法隆寺に保管されている『笑み面=胡=ペルシャ人系』
笑み面が北国、『北斗七結界の神社』の『七つの鬼面』のひとつにあり胡→エビス=蛭子と読む
その地は蝦夷=大黒天=福の神
それが蝦夷で福の神の地
そりゃ『自然の生薬』で『生まれながらの持病から救われた』のなら『薬師・久須志の心意気』を広める『薬師如来の生涯』を生きても不思議は無い
『異常増殖する癌細胞』を『自分の意志』ないし、『自然の生薬でコントロール』出来たら『無限の回復力』がある体は、まさにどんな病気をも自分の身体に取り入れ、そして『治癒の方法』を見つける事に活かせるだろう
それが『炎帝』では無いのか?と考えると、シバ、もしくは『アグニ=火の神の子』とは『最強免疫の持ち主の鬼人』
東北を旅した時に見つけた『神農神』そのものではないか?と、考えるとその『漢方の知恵』が受け継がれてきた『秘伝の国』は例外なく『国が消滅』してきた
和唐も百済も新羅も『ない』
日本も失われた『空白の400年』
誰も『繋がり』を知らない
そして誰もいなくなった
(完全犯罪の証拠を遺して)
byアガサ・クリスティ
その理由は『存在してはいけない神の痕跡(言霊・言語)が遺る国』だからだと思った(´-`)oO
『神を信仰する』とは『絶対的なヒエラルキーを誇示』してその『格の違いや威光を示す必要』がある
本当は『そんなものは無いのが自然』だが…
という
神のヒエラルキーの『威厳を保つ事』にポジティブな、『ポジショントーク(宗教)』と『アクティブワーク(宣教)』をしている者達にとって
その神が「自分の子を認知しないで捨てたやん?」という、『血が繋がっている』のに『神に見放された者達、捨てられた者達』
そんな『黄泉の島国送り』となったフダラク・ニライカナイの地が・・そこがまさかの『和合した地上の楽園になっている』のでは、『神の威厳や面子』が丸つぶれ
『醜くて捨てた神の子』が生きる地
ツクヨミ(月)とスサノオ(海)がそれを『見護る』
…と敵対視で見ると(´・ω・`)『天照が悪者』になってしまっていたが…
冷静に考えると
天照=太陽の波動・光合成、四季による『植物への恩恵の風土』
月黄泉=月の波動・太陽の反射光・『動物への振動・生体パオリズム』
須佐之男=海のうねりと『海流・生命のスープ』
こういうまさに『三柱は神=エネルギー』だなとなって、その『月と海の間』に『神としては認知されなかった神の子』がいる
それが『人間』だとしたら『人間と異母兄弟』の『三柱は守護神』
あるいは神の最初の子として『捨てられた兄弟』の為に集まった兄弟姉妹・守護三天使
うーん(´・ω・`)となるといつから『男女という仕切り』で見てたのか
みんな『女性神の姉と妹』と考えれば『三女神の三柱信仰』がなぜ『古代の日本に浸透』していたのかが見えてくる
と、同時にやっぱり、神に『醜くなる呪いをかけられて追放されたリリス』という『ユダヤ神話』における『三枚の護符の三天使』
それが天照・月夜見・素戔嗚という三姉妹(自然エネルギー)ならば、『追放された神の子』として認知されなかった『兄弟・姉妹=人』を護っている見えない恩恵
神に見捨てられた奇形な無限増殖する癌細胞=追放されたウイルス
それは『密後の魂100まで』の『人間(細胞組織)』を意味している?
いずれにせよ、捨てた神が目障りだと思えば消したがるし、助からないと思った我が子が生還していたとすれば、親としてはこれ以上嬉しい事はない
しかし、皇族・皇室の序列でいえば、『皇位継承という立ち位置』の関係でもめる事になる。例え、放棄しても目障りである事に変わりはないから・・
争いをさけて国を譲るか
それとも騙して権利を奪いとるか(イサクの息子・ヤコブの夢)
あの手この手で子々孫々を虐めて苦しめて、同族殺しや自殺に向かわせたいエネルギー』が渦巻いていると考えれば、色々と合点がいく
・・とここまで書き終えてから数日たち・・追加の閃きはなぜかドラゴンボールだった
ドラゴンボールに隠されたイサヤ人=主の救い
ドラゴンボールにおける大猿、猿の手(エサウ)
地上に捨てられ御飯に拾われ武天老子に育てられたサイヤ人の子=高麗人参=キャロット=カカロット(自然の生薬・温野菜)
滅んだ戦闘民族サイヤ人の王子=野菜=イサヤ=ベジータ(人工培養)→フリーザ・冷えという大敵に支配される
悟空は少年時代から地上のあらゆる脅威と戦い強くなってきた自然免疫・抗体
ライバルのカカロットのいる地球に執着するベジータ
のちにベジータとブルマ(ユダヤマネー)=西洋科学と天然エキス=薬(カプセルコーポレーション)
のちに悟空とチチ(牛魔王・東北の王の娘)=自然と天然=漢方
どちらも害をなすウイルスの脅威への手段
どうしてブルマがベジータと繋がったのか『関連性』が読み解けてきたぞ?
人工的な薬と生薬の相いれない関係性(悟空とベジータ)
悟空もZ戦士も滅んだ世界線で現れるトランスヒューマン人造人間17・18号
悟空が滅びない世界で人造人間を止めようとした別の世界線に
Z戦士(御飯)に鍛えられたサイヤ人の王子の血を引くトランクス
トランクスの世界では存在しなかった人造人間16号(人の意識と機械の共存の可能性)
優しかった16号がセルによって破壊され怒りで目覚める御飯
そのトランクスを追って現れたセル(寄生虫)による人造人間を捕食したセル=AI(ウイルス)+人造人間
人類の生き残り(自然免疫抗体)をかけた vs AIトランスヒューマン(セル・ウイルス核)
決め手は抗体(超サイヤ人)を量産・強化する『精神と時の部屋=人類の霊的精神性の向上』
ここでイサヤ=預言者・『主は救い』という意味
主とは宗教では『神』ないし『神の使い』を指すが
『日本語での主』とは『己』を『忌み=己の心』
主は神=『示申=示し申す』であり忌みとは『己の心=心の主』を指す
最後の希望がサイヤ人=イサヤ人=『主は救い=心』
『自分で自分を救う』為に必要なのが『霊的精神性の向上=身体的自己免疫強化』
自分を追い込んで追い込んで、そして『仙豆』で超回復
人と山と豆=人と山がつながって『魔滅』=自然の大切さ
この辺は、ちょっとググってイザヤに関する預言を読んでみておもしろいシンクロニシティを感じました
74.イザヤ書66章7-14節『エルサレムと共に喜べ』から抜粋
「エルサレムと共に喜び祝え」と告げた第三イザヤは、エルサレムにおいて、
彼女の慰めの乳房から飲んで、飽き足り豊かな乳房に養われ、喜びを得よ。
見よ、わたしは彼女に向けよう、平和を大河のように、国々の栄えを洪水の流れのように。
解釈はとても『宗教的ストーリーの整合性に都合がいい取り方』なので、私の『直感』とは解釈が違うようなので、省いて、第三イザヤが『語った内容』だけです(気になる方はリンク先を読んで)
『エルサレム』は『地名・聖地』という『場所として認識』されてますが、ヘブライ語で「イール・シャローム(平和の町)」を意味するのが主流という説を見つけて
シャロームとサラーム・セラーム・セーラムと響きが似ているのがねぶたの『ラ・セラーム』なんですね
そしてねぶたには
ねぷた=戦に向かう→ヤーヤドウ
立佞武多=戦の最中→ヤッテマーレ
ねぶた=凱旋→ラッセラー
この三種類があると言われているのでラッセラーの凱旋は『戦』を終えて『平和を祝う掛け声』でもあるわけです
そういう観点で、読み解くと
彼女の慰めの乳房から飲んで、飽き足り豊かな乳房に養われ、喜びを得よ。
見よ、わたしは彼女に向けよう、平和を大河のように、国々の栄えを洪水の流れのように。
彼女の慰めの乳房に養われ喜びを得よとは
自然の山の恵みに感謝しよう
彼女に向けて平和を大河のように国々の栄えを洪水の流れのようにとは
いつまでもこの自然の恩恵を大切にしていこう
という『自然環境から得る恩恵の大切さ』を語ったと読み解けますが・・残念ながら、引用先はとても『一神教の教科書』どおりでした(あれでは真実は伝わらない)
たった『一説』でこの『認知の違い』が生まれる
もしかして、『今の私』が『聖書』を読めば『違う解釈』で『まったく違う流れ』が見えてきそう(笑)
そんなわけで、私からすると
サイヤ人=イザヤ=有言実行の預言者
『民と共』に『豊かな自然』を大切に『護っていく強い意志』
生まれも育ちも『地球の恩恵(野菜)』の中で成長し、『地球を攻めてくる脅威』から『地球を護る悟空達(サイヤ人)』、傷ついたら『人と山が一緒に産みだす豆』で『魔を滅する力』を得て、『邪気を追い払う自然免疫を強化』する
そんな悟空が『ピンチ』の時に使った技が『元気玉』
「地球のみんな、オラに力を分けてくれ」=アチマリカム
集まれcome・集まれ示申(心の主の主体性の集大成)
『みんなが同じ気持ち』にならないと『脅威を押し返す抗体』が負けてしまう
『病は気』から『氣(皆)』の持ちようで状況は変えられる
この地球というのを『自分の体』に置き換えれば、自分の心や体を労わるように、地球の隅々の命の痛みも内観できる、誰でも『有言実行のサイヤ人=イサヤ人=主の救い』になる
ドラゴンボールは『人類が生きる為の現代の預言書』となるわけです
どうやら私にとってのカタカムナは『これから起きる事(かつて起きた事)』を、そのタイミング事に『現代だったら何に当てはまるか』を導いてくれている『預言のエネルギー』なのかもしれません
カタカムナ11首では、コーディネーター(デザイナーズベビー・優生思想と戦い)を予言
一方で同じ11首の時、私は、その『化け物的な思想の根幹』に潜む拠点へ向かう戦闘員(ヤムチャ)体験・・(サイバイマンやセルジュニア)
ただ大事なのは『争いの後』なんですよね
それを『一回経験』してくると『それが起きない平和な未来創造』
75首ではどんな景色(景勝)に導かれるのか
75だけに・・『なご~』なるかな、もしくは『なごみ=和』かな?(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
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