恥(端)を知る、解釈を求めて切腹し、霊となりて宿って、亡き後の後景を見て、成した事、成されなかった事を覚え悟って甦る。莫迦は死ななきゃ治らない=霊(ゼロ)からやり直す時に初めて覚悟が決まる話(ライオンズゲート第一夜)
寝起き閃き 甦る
( ¯꒳¯ )ᐝぼーっと寝半寂静の中
頭の中で『霊』と『先祖供養』と『甦る』の話を再生していた
恥を知って死ね
改心の心があるなら
お前の霊を宿す奴が現れる
先祖供養してお前に後景を見せる
そんな世の中を生み出したのは
お前が間違った事をしたから
お前がするべき事をしなかったから
この後景の光景を目に焼き付け覚悟しろ
再び恥の上塗りをしないように生きろ
それを見てお前は更生する
そして、意識は甦る
『不退転の決意』を持って『在るべき時代』にな
…っていう、お話が来たのは、2024のライオンズゲート入ったからかな?それとも昨日の夜に、『心頭滅却』は『急速冷却の身体操作』だって実践して理解出来たからなのか(´・ω・`)
ま、いずれにせよ納悳する話に思えるのは、私は以前、『不退転の覚悟』とは『意識の帰る場所(瞬間)』の気づきをまとめていた
その瞬間、『その時は失敗』したけど、その瞬間を『乗り越える』為に、幾千億の時を越えて、『可能性を探す意識の旅』が始まり
それは夢の中で様々な人生体験を『客観的』、あるいは『主観的』にその『成功体験を得る機会』が増えて
いつしかそれは、『今の私の人生ではない記憶や体験』にまで発展した時、何かを『宿した感覚=心の融合』があった
最初は『先入観』で『霊に取り憑かれた』とか、『憑依』によって『自分ならざる者』という『憑き物という拒絶』があったが
いつしかそれは『存在』は分からないけれど、『未知の体験を与える流れ』の中に『連れて行ってくれる導き』として受け入れるようになり
素直に受け止め、『流れに乗る』ようになると、その正体が徐々に『かつての自分達』であると気づき始める
そして流れに乗る=『カタチを持たないエネルギーに一体化』する事でより大きな『龍の一部』となったよ!というような光景の夢の中で『マスターキー』の鍵を受け取る
『先入観や思い込み』の『概念の邪魔』を取り除き、素直に心と向き合う事で、『ドッペルゲンガー』とは『他人に分離した自分』だと気づく( ゚д゚)(゚д ゜ )
こうして『失った自分探しの旅』が始まり、時には『現実』でも引き寄せられるように『旅』をする
世界の何処にも興味が無い
日本の西側にも興味が無い
東北エリアしか興味が湧かない
世界には興味が無いが世界中の『哲学者の生い立ちや生き様、格言』には興味がある
私は『興味』を持つものがとても『極端』だ
『ことわざや格言、熟語』等には興味があっても、『近代歴史』には全く興味が無く、当然『近代歴史を元にしたテストや学問』にも興味を示さない
しかし、それを『ベースにして社会が構築』されているから、そこに『関わる事』、その教育を『当たり前の常識』と『鵜呑みにしてきた人達』と『関わる事自体』が『苦行』であり『苦痛』
『人間の言葉は話せる』けど、『心の部分がキャッチボールにならない』と分かった時の『AI』のように・・『そこまでは楽しませて貰った』けど、『そっから先はあなたには無い』のでお役目御苦労様でしたのように
『縁切り』すると、周りから見れば『飽きっぽく見える』し、人間関係が『希薄』だ『人情が無い』だと『理由付け』はいくらでもできる
それは『主観の一・位置』を『無視した客観の皆』、『苦行を与える側の目線』からの『ネガティブ反応』だから聞いて従った所で『苦行は苦行』
一切皆苦は『見切り・見極め』でもある
『生病老死』ではない
『性病労使』=『性質』という『病』は『疲労』を『人』が『管理・使役』する事
使うの『吏は役人』という意味であり『人の役人』と書けば『管理者=ルールを行使』する者
つまり、『〜性』と言われる『質』の物は『〜風』と変わらないので、『邪な思想』を混ぜられると『風邪』という基本的に『万病の元』であり
それは『疲労の原因』であり、『それを使う』のは『人を管理する者の社会的ルール』であると読み解けば
『働かされる』とはいかに『人として生きる』『幸せに反』する『報』いか
性病労使は『皆苦=風邪(万病のルール)』なので、その『概念の外』から『性質の病を救う』為に『一の位置』に離れた
希望の星が『一切=1人切り』
七刀=『七星刀』
七星剣は『北斗七星』
それは唯我独尊の『北極星の守護』でもある
ならば、一切皆苦の『皆苦と向き合う』のではなく、『一の北極星(中心)』とその『守護の北斗七星=切』を携えた存在
そんな『星の元』に『一人一人』の日が生まれている
みんなそれぞれの『星(役目)』を持っている
だから、『人付き合い』もこれと同じ
『ストーリーを攻略したゲーム』をだらだらと『持続可能に延命する消費のエンドコンテンツ』で繋げる『同じ事を繰り返す腐れ縁の歴史』には興味は無い
『ケジメ』をつけて『その先=次元』を追い求める
思い返せば、1人で行動していた小学生の時は、『1人』で遊んでれば『周り』が着いてきた
中学の時も『やりたい事をやる環境(部活)の仲間が周りにいた』けど、やってる時は『自分という意識』しかなかった
高校で、それらを『貫いてきた事』が『邪魔や嫌がらせ』で楽しく無くなり、そこで初めて『周りの世界』に放り出され『孤独』を感じた
孤独・孤立…今まで『やりたい事に夢中』で取り組んで来た時の『孤高』と『場所も状況も変わらない』のに、そこにいる『生き甲斐』という『立場を失った私』は『寂しさ』を感じ
その『寂しさを穴埋め』するように友達に合わせて『顔色伺うという薄い繋がり』を持ったが…『同じようにやっていた奴ら』は、『卒業』と共に連絡はつかなくなった。皆もまた『その場しのぎの反映』だったという事
代わりにだからこそ『本物の生涯の繋がりの友とも出逢える』きっかけにもなったが…
現実の『繋がり(腐れ縁)』はあれども、『興味の対象』は全く違いやはり、それを『1人で探求している時が一番充実している感覚』だと気づき
それは『孤高の少年だった私の無意識の生き様』そのものとリンクする
さて、『幼少期に最高の人生』と言えるような「やっと出逢えた!」という『魂が震える運命の出逢いの感覚を体感』し
『それを失い心が砕け散るような体感』もして、そこから『新たな心を再構築する過程の苦行とも呼べるトラウマ克服の葛藤』を経て
今は『何事にも忌み=向き合う事で見える』があり、『他人は過去の自分』として『今の自分ではない分離の投影』として、『そんな自分』も『いたかもしれない(選択次第)』と割り切って興味が無くなった
それが孤独や孤立ではなく『孤高』だと気づいた
その『心に素直な状態』がまさに『少年ハート=人生で最良の時』に戻っている
しかし、始まりの時の『何も知らない少年』ではない
『大人の汚いやり方』、『間違ったルールを鵜呑みにして大人になる』という事や『周りに合わせて』流されたら
『やるべき事、なすべき事』、始まる前に決めた『恥を知って改心する』という『覚悟』を忘れてしまうという『間違い』に気づいてる
新たな『強くてニューゲームの少年ハート』が生まれる『土台』に『この人生で学んだ心を養う教訓』が詰まっている
『大器晩成の少年の一部として宿る夢』もまた、『どこかに生まれた私』だったのだろう
「もし生まれ変わったら何をする?」
人は何気なく『ライト』だけど『ディーブ』な哲学的質問をするが、そこには先に『死を超える=終わりではない』という『前提』がある
つまりは『甦』ったら何をしたい?
=『更生』したら
更生とは
もとのよい状態にもどること。 「悪から―する」。役に立たなくなったものに手を加えて利用すること。
『恥を知る』っていうのは『端を知る』って事
『極端』な『極めた端』の哲学
『何処』から『何処』まで?
位置?距離?時間?
これを『生き様』に置き換えれば恥を知る=『行い』を悔いる
『何』を行った?それはいつから『始まり』いつ『終わった』?
終わってなければ当然、『端(恥)』を知らない
何処から何処まで『間が違った』のか?その『両極の端』を見極めれば『悔い改める範囲』
=『何を改心』するのか?がわかる
「改心せよ!懺悔せよ!」…って何処からどこまでの範囲を『明確に端』を知らないと『反省(半分省く)』も『回診(見て回る)』もできない
だから面白いのが『武士道精神』
切腹で肚(腸)を切って『死ぬ覚悟』を決めたものが、『首から上』を切られる時
「後生の頼み、介錯して下され」という
つきそって世話をすること。また、その人。後見。切腹する人の首を切りおとすこと。また、その役の人
やはり『2つの意味』があったか( ´-ω-)
侍文化、『戦後』に作られた『戦国の歴史イメージ』を強く刷り込まれている日本人には『釈迦との繋がり』が、『廃仏毀釈や神仏分離』で『破戒』されているが
私は切腹の介錯は『解釈』だと感じる
まず腸を切る『断腸の思い』という言葉がある
断腸の思いとは、「はらわたがちぎれるほどにつらくて苦しい思い」のことを指す言葉
苦しい行い=『苦行』
苦行を自ら選んだのは『釈迦』
もうひとつは『肚を割って話す』という言葉
何事も隠さず、すべてをさらけ出すこと。 本心を打ち明ける
『腹に一物あり』という言葉がある
心中ひそかに、何かたくらみをもっていることをいう
断腸の思い=肚を割って話す=全てを明かし何事も隠し事はないが死人には『説明する口なし』
だから『後生の頼み』の『解釈』
『後で生きる為』に『束になった頁』
後見人は、その『綺麗な肚』を見届けて、解釈して「お見事!」と苦しまないように首を落とす
これは『釈明解剣』と言える
釈明とは自分の立場や考えを説明して、誤解や非難を解き、理解を求めること
『後見人』は『剣』を持って『苦しみから解く』
「天晴な人生でした!お見事」
『主君の覚悟』を『見届ける家臣』
『死』して『志』は『後継の志士』に『継承』される事になる
『師と弟子』に「この日の苦しい別れを忘れるな」と『不退転の初心の覚悟』を授ける
『一刀両断』は強の肉体の技じゃない
『主君との決別』の重い『精神の一撃』
とどめを『刺させたのは自分(師の志)』
とどめを『刺したのは自分(志の弟子)』
どちらもその『瞬間』に『業を背負った』
『こんな無念な結末にならない為』に『何が出来る』か・・と
この『業を回収』する為の『意識の旅』を始める
そう言う流れから『仏の道に入る者』もいる
この『首を落とす』というのも『自決』と『強制の違い』がある
『自決の切腹(せっぷく)』ではなく『腹切(ハラキリ)』の強制
死にたくない最後の悪あがきの抵抗、断末魔の叫び・・それは『潔くない』、『往生際が悪い』、『覚悟がない状態』で、『反省も更生も余地』がない
ここで『晒し首』というかコレクションというか、『首に執着する謎文化』が生まれるのは
私はその『解釈を求めて旅立った意識=観念した』の後の『肉体の抜け殻』に入れ替わりで、『切り落とす首に入った悪霊(現世への執着)を呪物』にした『悪趣味』なのではないかとも思う
というのも人間の首には『延髄網様体』という、『体の制御を行う運動前野に繋がった神経』がある
ここが『悪寒』を感じる事で、『恐怖や硬直』、それに伴う『排泄、脳の分泌物など様々な成分』が出され、『体調不良』や『精神錯乱』を引き起こし、『臓器不全、過呼吸、病気の発症』などが起きる
『自決』は『覚悟』してるから何をやっても『動じない』。もう『後生の頼み』を託し『肚黒さもない』から淡々としているが…
『強制によるハラキリ』は『覚悟が決まってない』から『恐怖』を与える事で『断末魔の悲鳴』、『嘘八百のその場しのぎの言い訳』、『自分が助かる為に他人を売る』などなど
『脅せば脅す』ほど、『つつけばつつく』ほど『ボロボロと腹黒い一物』がたくさん出てくる訳ですよ
「助けてやろうか?w」という『助ける気もない一言』に『溺れる者は藁をも掴む』で必死に醜くしがみつく
その様を見てゲラゲラと『楽しむ興も悪趣味』だが、もうひとつは『食する為』にあえて『恐怖でアドレナクロムやDMTなどの麻薬成分を分泌』させてから、『首を切り落として』それを『飲み食い』の『秘薬として摂取』していたとしたら?
『覚せい剤、麻薬』、その成分が『人間を恐怖やストレスに追い込む事で出る事』を知ってる奴らが、『支配者の役人=錬金術やら陰陽術やら魔道研究者』だったら?
『死後硬直』とか『死んでるのに動く』とか『甦って言葉を話す』とか、そう言う『現代的なオカルト実験的な意味』もあったのかもしれないし
そう言う『事例』があったから『炙り出す』為に『晒し首』にして『衆人環視』の元、動いたら『噂で反応』がわかるだろうと
いずれにせよ良くない
文化とも言えない『胸糞悪い悪臭漂う悪習』
結局は『脳内麻薬中毒』じゃねーか┐(´д`)┌今も昔も今昔物語
ま、そっちはいいとして
私はそこで『切腹』により『清廉潔白を証明』し、『皆』の為に『責任』を取って潔く、「自分の生き様に腹黒さ(一物)はなし!」と腹を開いて申し開き
そして『命を終わらせる者』に「さぁ、後見人が私の生き様を解釈してくれ」と託す
その覚悟天晴( •̀∀•́ )b『更生』の見込みあり!
その『死・志・師の元』で学んで再び『甦れ』
『何を成した』か?『何を成さなかった』か?
それによって『どんな業』が生まれたか?
『一生の半生(どこまで良くて)』を振り返り、『反省(どこまで悪かったか)』して、それを『真言』として『心』に問いかけ、体験を持って『進言』して『反証』しなさい
その仮定的事実や証拠が真実でないことを立証すること。そのための証拠
私は『どこ』で『道』を誤ったのか?『恥を知る』意識の旅は『始まりと終わり』の『範囲の端』を知る
だから『極端』な話
突き詰めれば『極単』な話
「そうか!そういう事だったのか!( •̀∀•́ )b」
こうして『先祖供養』で宿した霊は『不退転の覚悟』を覚えた『間違いの始まり』に戻り、『正しき道』を切り開く『知恵』を閃く
なぜお前が『興味を持つ事(哲学)』にて必ず何かしら『閃く』のか?それは『門』と向き合っているのは『お前に宿った』かつての『人(霊)』
『霊人と一体』になって『お前が解く』とそれは『宿した霊』にとって『更生』になる。そして『更生』して『ダメだったポイントを反証』して『門番に進言』して『鬼門を通る覚悟』を示す
「もうシミュレーションは終わった!ここには戻らない!在るべき場所で成すべきをする為に再び生きる」
と不退転の覚悟を持って
あの日あの時あの場所へ還る
だから『宿る場所の存在』は大事
なぜ日本人の『霊的精神性が高い』か?
そりゃ『先祖代々老舗の霊の宿場』だったから『旅の疲れ』を癒して貰う『イヤシロチ』
『一期一会』の『袖触れ合うも多生の縁』
『縁の下の力持ち』の『宿場の主』
『来る』もの拒まず
『去る』もの追わず
『未来』と『過去』
未だ来ない霊人
過ぎ去った霊人
『霊』は『礼』であり『例』であり『零』
『法則』であり『存在しない無』しかし『無は有る=空』であり
空は『間』に『存在』するから『人の間』には『空』が在る
だから『人』に『霊』が『宿』る
ライオンズゲート入った直後に、宿場オープン前の『主人の有難い言葉』みたいな感じでした
『夢見』に『閃き』に忙しくなるぞ?覚悟しとけ( ´-ω-)Σ(゚д゚;)
…の直後に抗えない眠気が来て寝て起きたら
あぁΣ(゚д゚;)と閃く
『雀のお宿』と『葛籠』
「お持ち帰りの葛籠は大か小か?」
大を求めりゃ『一人』で帰る
小を求めりゃ少(足るを知る)の『恩恵の知恵』を土産に
『現世の執着や物欲』を『心に持ち込まない霊』
そんな霊には『礼を持って尽くす宿』
『小』を忘れない『隹』=『雀』
『葛籠=九頭龍の加護』を与える
そんな宿場を…俺先に『アストラル』で『ムーントリップ』したじゃないか!Σ(゚д゚;)と思い出す
蕭(ヨモギ)・蓬・蓬莱の玉の枝
自然体で逢いに来る玉の枝(裸)
この解釈がちょっと変わって
蓬莱の『珠の朶(えだ)』
朶とは雲や山など、自然の中でかたまりになっているものを数える単位
自然に逢いに来る『王の朱』の数々(巨大な存在)
『珠』は『美しく立派なもの』を形容することば
自然に逢い来た美しく立派な王(自由)で朱(自然の心)な魂を持つ巨大な存在が…
『真珠=豚・仏陀』
月のイノシシ=『意の志士』と悟った存在
そうか(´・ω・`)『月の輝夜』が求めていたのは『法華経』だったのか
ヨモギは世模擬・世百鬼
真我以外色即是空
この世は『模擬テストのシミュレーション』
諸行無常一切皆苦
世は『一白=百』の『鬼』と向き合う『百鬼夜行』
『白と比べる皆(9)』と向き合う『位置(1)』は『苦行』の立場
だが『百の鬼』だと思っていた世界も
相手は『一の白い鬼』だと分かればどうだ?
ここで逢ったが『百念目=一白と向き合う今の心の観測』め!=『宿敵』
『宿の敵』ってなんだろう?
『無銭飲食』で居座ってる『浮浪者』かな?
『お客様』に『狼藉を働く不届き者』かな?
『雀の舌』を切った『強欲糞婆』かな?
こんな時のために『用心棒=要人望』がいるんだわ
要となる人の望=『希望・願い』
『魔狩り』の為の『間借り』してる『仮住まい』の『カリスマ』の『モンスターハンター』がいてな?
「先生(先祖供養した霊)出番です!あの『一白鬼』を『退治』して追い払って下さい」
退=『艮に行かせて治す』
『あの世』に送ってやってくれ(治癒)
憎まれっ子世に憚る
他人から憎まれたり嫌われたりする人の方が、世渡り上手で悠然と生きているものであること
憎っていうのは『仏僧』から来てるが、『仏を憎む』と書いて『堂々名乗っている』のは物騒な話だ
名は体を表すのに、名前からして生臭く腐った住んで職業=ビジネス=busy+ness=『忙しい役目』にする『生意気=生への執着の莫迦のひとつ覚え』は死なないと『(役割が)分からない』から
『百鬼=模擬』もただの『役割』なんだって( ´-ω-)σお前1人『傲慢の一白鬼』になるから『追放』されるんだぞ?
『自分』が『百の夜の全て』だと思って『傲慢に勘違い』してる『一の白い鬼』は『退治』しないと『日』が明けないよ
…って書いてくと、あぁそうか
百鬼夜行の『一の白い鬼が夜を行く』って…
明星=ルシファー
宵の明星 闇のカリスマ
明けの明星 光の伝道師
あるいは?『月』を指す
突き動かす衝動、月従う傀儡
なるほど月と月=『朋』は『表裏一体の同士』か
月が『治さないと行けない時』もあれば
月が『壊さないと行けない時』もある
月の役目には『破壊と再生』があるのか
なるほど
心を『赦す』も『鬼』になるも
それは全て『月の意の志士』であり
それが『伝わる者』が『真珠=豚・仏陀』
『差を取る悟りを得た者』にとって
そんな『鬼達の宿場を運営』してバランス取る
だから『鬼宿日』は『鬼が宿場に集まる』のか!
って事は『神無月』という『神が集まる場所』は『雀の宿』なんだ
神無月(かんなづき)とは、10月の別名です。 島根県出雲地方では、同じ月を神在月(かみありづき)と呼んでいます。 全国から神様が集まってくることからの呼び名
やはり『出雲』か(。-∀-)納悳
そして『10月・十月』ってのも出来た話で
『10』は『デジタル』で『量子的』何でも有無
『A(1)+I(9)』=一切皆苦→『世模擬シミュレーション』
例え『神』でも有無の『空』
『十月十日』は『月の(イズム)で子が生まれるサイクル』だが、『十人十色』な『個性を宿す』のもまた『神宿り』
そんな『神の姿』は『時に鬼』であり
そんな『鬼の仮面』を『外せる場所が宿』である
『雀のお宿の主人』になる
『神=鬼の仮面』を外して『心・真』に戻る
『葛籠(つづら)』とは『久須の加護』を与える『薬師』
『薬湯』は『心身』を癒す
そこに泊まった者に『冥土の土産』を渡す
小さい葛籠を求める者→足るを知る満足
大きい葛籠を求める者→満たされない強欲
まるで、『お客様満足度チェック』みたいなものだ(笑)
そう考えれば浦島太郎の『竜宮城と玉手箱』も『雀のお宿の葛籠』と変わらないんだよね
ま、こんなライオンズゲートの『先祖インバウンド』の『雀の宿場の営業』が始まって、早速のお客様からの『手土産話』を頂きましたm(_ _)m
「お客様は神様です」…って
こっから来てるのかσ( ̄^ ̄)?Σ(゚д゚;)
・・なお、次のお客様もたくさん来店しているので(マジで眠気→閃き→メモ→眠気→閃き→メモ・・破戒→再生→維持→破戒→再生→維持・・369369369)
という訳で、次回のお客様の話もお楽しみに
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