西から来る偽=人の為のあらゆる自称を禁(とどめる)恕(ゆるす)、その精神が天才バカボンの歌にあった漢字の読み取り方
西から昇ったお日様とは?
…あ、それでいいのか(´・ω・`)Σ(゚д゚;)納悳した
これは漢字の捉え方
『西』を示す『左辺』
『東』を示す『右辺』
例えば 酔 という漢字は
酒その他の条件で、心理的・生理的に平常と異なった状態になる・意識を無くす・心を奪われる
西から東に九十=『苦渋』
事がはかどらず、苦しみ悩むこと
これとひとつだが
西から東へ九鳥=『鳩、十字架』
幸せ(呆け)の『鳩』、戒めの『十戒・十字架』
例えば 酷 は
西から東に告げる
容赦がなく、きびしい。むごい。ひどい。言葉にして相手にわからせる。知らせる。下から上に告げる。もうす
下から相手に分からせる・もうす=南から入る・モーゼ
大陸由来のモーゼの十戒(片方の石版を叩き割る)や大乗仏教やキリスト教は『統一思想の教義』がごちゃ混ぜで『争い』の元
『中身が矛盾』してるから『程度が低く惨い教え』が『南西』から入って広まり、『心理的・生理的に平常と異なった状態』になって『事が捗らない』
『酔と酷』の二文字で
『西から来たもの』が『東に何をもたらした』か?学びとなる『反面教師の教訓』を伝えている
酩
ひどく酒に酔う
酪
仏教で、 五味 ごみ の一
仏教で,酸味,苦味,甘味,辛味,鹹味 (塩味) の5つの味を意味する。 また『涅槃経』には乳味,酪味,生酥 (しょうそ) 味,熟酥味,醍醐味の五味を説き,牛乳の精製過程で生じるこれらの味のうち最後の醍醐味を涅槃 (究極の理想) にたとえる。 また天台教学ではこれらの味を教説の深浅にたとえる
教説の深浅は、釈迦の説いた教説を内容や難易の度合いで分類したもので、五教や五時八教などと呼ばれています
『正法』は苦味=『苦渋(精神性)』と伝えるが
『西方』はその苦味を告げるから西九十=『酔』
教説の理解が『浅い』
酒に酷く酔うの『原因と結果』が『酩酊』であり、原因は醍醐味から『西というゴミの抽出』であり、所詮は『正法を模した真似事』である
『西』を取って考えれば『是胡』
中国での『胡』の意味は
えびす。 中国の北方・西方に住む異民族。 「胡琴」「胡人」 ②でたらめ。 うたがわしいこと
『レッテルワード』に捉えられています。これが漢字や意味を『忌み嫌う』として貶める『精神性の低いパターン』
えびす=胡=『夷』は既に『和国』に渡っていて、その『五つの是胡味を浸透』させていた訳で
西由来の醍醐味は『粗大ゴミから抽出』しても、『美味い酒』は作れないから、やっかみで五味で美味い酒が作れる『自然豊かな稲家の鬼の地域』が嫉妬される
ちなみに中国の一部で日本にヘイトを向けている人達は『日本鬼子(ひのもと)』をスローガンにしているが…誰が吹き込んだ概念やら
『ひのもと中央』は東北にある
これは『西』を省いた結果わかった事だが、その酩と酪の二文字は『東に何を伝来』させたか?
酩は西から『名』が来た
酪は西から『各差』が来た
『名』も『各』も『元』からあった
名は『使命』、各は『十人十色の区別』
そこに『差』は無かった
西から来た華僑と華族=名声と富の地位の格差
これが日本という国が抱えた『島人』になりすました島人では無い『大陸由来の癌細胞』
後から『南西から伝来した擬態するウイルス(金)』であり、ここがさらに『大陸との架け橋』として『様々な都合のいい教義(精神的病気)』を持ち込み利用する『売国奴』
歴史上彼らがやってきた事は『元々ある教え』を乗っ取り『破戒し都合よく歴史を書き換える』という『過去改編』
古事記は神話の『乞食』
『有った事を無かった』と『無かった事を有った』と有耶無耶に『混沌』を生み出して行く『元凶』
北東には元々、『釈迦の教え』が広まっていた
釈迦という『人物』ではなく、教え『そのものが釈迦』
釈=文や語の意味をとき明かす
迦=あう、めぐりあう
つまりやってる事=『実践行動が釈迦』
失敗したら『お釈迦になる』って言うのも間違いでは無い
成功も失敗も『物事を明らかにする解明』
その行動が『釈迦力に生きた』という証
あぁ…なるほど(´・ω・`)この『流れ』を説明するために、ドラクエ3は『遊び人が賢者になる伝説』の閃が先に来てたのか
『西から伝来』した『ロト=囚』伝説というものは『酷いゴミ』ばかりだ…と『否定して拒絶』するのではなく
面白くないものを『面白く』
不味いものを『美味しく』
食べにくい物を『食べやすく』
笑えないものを『笑えるものに』
別の観点から『解釈・釈明=解明』して
『難が有る』から『有難い気づきと学び』を得たと
『明るい方』へと『解脱して心を解放』する
禁=とどめる
恕=ゆるす
『受け止めて改良』する『カスタマーエンジニア』
これは『人を憂う優しさ』が無いと出来ない事
(๑•̀ㅂ•́)و✧釈=問題と向き合おう!
(๑•̀ㅂ•́)و✧迦=閃に巡り合った!
(๑•̀ㅂ•́)و✧力=さぁ解決しよう!
これが『西の日』とは違う、『東日流の根底』にある
そうやって『根付いている』からこそ『西がやる行動』は今も昔も目に見えてわかる今昔物語
都合の悪いものは『焼き払い根こそぎ根絶やし』にする廃仏毀釈・神仏分離・言論封鎖の繰り返し
釈迦の教えを『破壊と破戒』
漢字の『意味を都合よく書き換え』
都合に逆らう『正論を敵』として『貶める』
┐(´-д-`)┌『我儘な餓鬼』なんよ
だからほっとけと仏は云う
やりたいようにやらせればいい
『言われる内が華』っていうのは
そんな馬鹿げた『自己中』で『傲慢』な『周りに迷惑しか広げない業』を広げ、それに『加担している者』も含めて、その状態を『保つ』エネルギーもいずれ『人』に『呆』れて『恩恵』を与えなくなる
「与えられた『恵まれた環境の恩恵』を奪い合い汚し壊し、『同族で殺し合う』ならば、お前達に『大地の恵』は与えない」
『カインの刻印』である
『ヤコブの夢』である
だからほっとけと仏は云う
やりたいようにやらせればいい
言われる内が華っていうのは
『誰も言わなくなる時』がくる
『誰も言う必要が無い時』が来る
夢の死者(使者)の『お迎え』が来なくなる
『拾う神』あれば『捨てる神』あり
仏の顔も『三度』まで
三方向の視野
方向性の違う相反する二元は『中立で安定』
一辺の狂いもない『各差が無い正三角形』
この対極に『邪』という『中立の中から裏切り』六でもない『四角(刺客)』が出た時は、そこは『仏』ではなく、四角を監視する『鬼(角)の役目』になる
邪は『自分の罪』を『鬼』に擦り付け『二元の善悪を動かそう』として、『中立』に邪なものが持っていた『罪』を擦り付けるとどうなるか?
例えば、現代風に言えば
『真実を伝えていた人』が、ある組織から『案件としてお金を貰っていた』と情報を聞けば?例えば『罪なんて無かった』のに、メディアや司法・行政組織が結託して『一人の冤罪』を風説の流布としてでっちあげれば?
『罪なき所』に『罪』を生み出し、『矛先を向けるべきでは無い所』に『不要な怒り』を生み出し、『争う必要が無い所に敵対する争い』が生まれる
それに『感情』が飲まれて『正義を主張する自分に『酔』う状態』になる人が出てくる
ロシアとウクライナの戦争の始まりの時、SNS上では分かりやすく『ウクライナカラー(アンティファ)』という『カラーギャングに加担した者達(思い込み)』がいて
「ロシアを支持する者は人のクズだ!」と『正義マン』として罵って『周りに迷惑をかけていた』が今は何食わぬ顔で平然としている『恥』知らず
コロナプランデミックの時、『ノーマスク、ノーワクチン』で全然大丈夫!という人に『マスク警察や正義マン』は『非人道的な暴言』を吐いた事も忘れて
『ワクチン薬害の被害者』が表に出てきてもなお、「俺は私は死んでない」と『自己都合で積み重ねた業』を『無かった事』にしようとする浅ましさ
『鬼(心の門番)』は全部見て『呆』れているぞ?それは必ず『苦しみ』として心に向き合った時に『因果応報』する
その業は元来、『自然のエネルギーの流れ』ではなく、『邪な人の思惑』が作り出した『人工ムーブメント』という『不自然な流れ』
人を『虚仮にする流れ』であり、巌となって『虚仮が干上がるまで耐えりゃいいだけ』だったのに
流された細石=細かい意志は
酉(ひよみのとり)
風見鶏(かざみどり)
『西(ウクライナ・バイデン)が優勢』と見て『都合のいい多数決(メディア洗脳)』に乗っかって『悪事に加担するという流れ』もまた
そもそもその『多数』が『人であるか』も怪しいという流れ(変化)に気づかなかった(ディープフェイク)
SNS・インターネット・メディア、情報操作、情報統制を行う『風説の流布を捏造して自動化(AI)』できる時代において何が真実かは分からない
アメリカでは『トランプが優勢』だと最初から最後までわかっていたのに、日本国内のメディアは『第二次世界大戦中の大本営発表』のように
「トランプは負ける!ハリスとは僅差」という『嘘・捏造・でっちあげの情報操作』で国民はまんまと『騙されてきた事が発覚』した
このように『西側メディア』は『東に様々な嘘を広める』という教訓
『仮想敵』として『一部の中立』に『金棒(金の延べ棒)』を与えて『傀儡の天邪鬼(スパイ)』に仕立て上げる『先導や扇動の闇バイト』は容易だ
テレビに出る『特任教授』とは大学に企業から出向しているだけの『都合のいい発言をするお仕事』のお抱え学者
『大学』という『地位や立場の肩書き』をぶら下げもっともらしく『ポジショントーク』をするが、述べてる事は『金の延べ棒』欲しさの『案件の推進』である
『虎の威を借る狐』にだまされてる
何が『虎の翼』が『鬼に金棒』と意味が一緒だよ?
虎に翼の時点で『異変』が起きてる
翼は『羽と異』なる時点で何なんだ?
虎がなんなのかを動物に例えるえーと?の『干支』から既に色々『解釈』が間違ってる
虍=『上』から伝わる『七つ』の力
日月火水木土風の『七つのエネルギー』の滞在空間
これが『自然の基軸』になって『思い』を巡らすから『慮る=心配り』なんだよ
虎は『動物』じゃない
鬼に金棒は『無用の長物』だ
『韓』の字を持つ一族は『朱熹(自然)』を貶める
だからこそ、心の門番の鬼は『魂』を持っている必要がある
『云う』とは『目上』の話す事
『先人の知恵』と『立ち向かう意志』がなければ、『何を護る』のか『目的』がわからない
善悪や光闇という二元の中立は『人を憂う優しさ』でバランスを取るが、そのバランスを取る優しさを『優生思想=名声・富・各差をコントロール』すると『傲慢』になった『邪』は
『優しさ』を『愚かさ』として『騙して利用』して切り離すトカゲのしっぽ切り
…だから西から海を渡って『使用済み核燃料』という『自然に還らない負の遺産のゴミ(責任)』も押し付けられ
「早く動かしてちゃんと管理しろよ?」と『使用済み核燃料再処理施設の目の前の地震』で脅されるのか?
酩と酪は『名声』とそれに伴う『各差』の、西から伝来する『地位協定の不平等条約』として利用されている。『名声と地位』を与えられて『不平等条約の売国に加担する者』が、『西から東へ持ち込む契約』
愚弄場リズム
こばかにして、からかうこと
宗教は『醍醐味』という『粗大ゴミ』を
ビジネスは『使用済み核燃料(業)』を持ってきて
元々あった『是胡=蝦夷=艮=丑寅=北東の鬼』の地を『禁忌の場所に破壊』しようと企んでるのかね
でもそれも含めて『それでいいのだ』
『正直者』は『馬鹿』を観る
西から昇ったお日様(偽=一部の都合の人の為)は東に沈む=『静夢』
日が沈むと『静かな月』が現れる
夜は『穏やかな夢』を見る
云うは目上の人の言葉
夢の『目の上』は『草=自然』
では罠の目の上は?→無い
では罪の目の上は?→無い
目上が云う=『自然由来』には『草』がつく
ここで突然、『蓬莱』という言葉が頭に浮かんだ
紀元前3世紀ごろからの中国で盛んになったといわれるが、陰陽五行説や民間伝説、それに老荘哲学など道教的思想が複合して発達したものが神仙思想で、不老不死の術を会得し、人類不変の理想である永遠の生命を得ようとする思想。 神仙蓬莱思想ともいうし、蓬莱思想とも同意で使われる
私に取っては、『蓬(ヨモギ)を吸う』という体感の時に感覚で理解した認知は
草(自然)に逢に来る
求めるのではなく『求められる』
向こうから『逢いに来る』事で『巡り会う』
…ん?(´-`)oOそういえば今日の記事で
(๑•̀ㅂ•́)و✧釈=問題と向き合おう!
(๑•̀ㅂ•́)و✧迦=閃に巡り合った!
(๑•̀ㅂ•́)و✧力=さぁ解決しよう!
『釈迦という存在(人物)』ではなく、もはやその『氏名こそが使命』のエネルギーとして意味ではなく『忌みとして宿す生き様』
問題に向き合う事で閃が逢いに来る=釈迦=蓬莱思想
そうなると
神仙蓬莱思想とは
神=示申=心
仙人=人山人
蓬莱=自然に逢いに来る
問題(山)に向き合い困ってる人の心に
問題の山を『超えた向こうの人』が『閃』を届けに『逢い来る』
そこまでが神仙蓬莱=『釈迦』
『力』はその『知恵を現代で実践・行動』して『成功・失敗体験の知識』として『賢者』に至る為に必要な事
失敗も成功
「なんて愚かな…」と『目の当たりにする=量子的観測記録を取る』から『愚か』と感じた事は二度としなくなる
これも学びであり『人を虚仮』にする『愚弄場リズム』はどんな『多次元世界の観点』に置いても『追放』して受け入れるべきでは無い
昨日『ありえない所』に『ありえないタイミング』で『有り得る地震』が起きた
それをきっかけに『懸念してた事』が湧き出し『現実の問題を観測』して、『愚かな選択』と『罪の片棒を担ぐ愚かな人間』に気づいた
それに気づいた所で『現実』ではどうにもならないが、『現実以外の空間』に『この現実を再現してはならない』という『心に刻む戒め』として
『冥土の土産』にして持っていきます
あ、『見返る(三省)』なんで(*゚∀゚)アヒャヒャ
全て忘れて何度でも甦り世を見帰るさ
ある意味で仙人の愛(マナ・氣)弟子
LEAVE A REPLY