寝起き閃ワード『真我以外一切皆空』この世は仮想空間、シミュレーション空間、与えられた環境に学びはあっても答えは無い、VRSNSで気づく 真我以外一切皆空(上)な色即是空、現実とは幻な一切皆苦(下)なお話
真我以外一切皆『空』
あ、そう言う事か!ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)
寝起きに浮かんだワード
『真我以外一切皆空』
意味は…と調べたら、おやおや?なんかワードが『微妙に違う』ぞ?!
一切皆苦
思い通りにならないからこそ苦しみ悩むことを、仏教では「この世界の全てのものは苦しみである」という意味で「一切皆苦」と言います。
一切皆苦は仏教の出発点であり、最初に知るべきことです。仏教では最初に、世の中は自分の思い通りにならないことを知ります。そして仏教では、思い通りにならない苦しみの原因は、「諸行無常」と「諸法無我」にあると考えます。諸行無常と諸法無我を理解し、世界の真実を見極めることができれば苦しみから開放され、心がラクになると説いているのが「四法印」です。苦しみから開放された状態を「涅槃寂静」と言い、仏教では涅槃寂静に至るためにさまざまな修行を行います。
なるほど(´・ω・`)そう言う『教え』か
まず世の中は苦、思い通りに行かない・・って気づくのは魂年齢成人期からだから
それを『仏教の出発点』にしちまったら…『世の中の酸いも甘い』も何も知らないで、『狭い上下世界のお寺』に預けられて、『無理やり禁欲』させられた『クソ餓鬼坊主』が
そのまま『先の輩』になって『大人』になって好き放題『生臭金欲坊主』になるのも『因果応報』で『お釈迦様の思い通りに行かない』という意味では『正解』だな
入口が『ビジネス(若年期の魂)』に成り下がった時点で、仏教や学問に入門してきた者の『魂年齢が成人期(利他)』ないし『老齢期(自己成長)』の者は
「そこに学びは無い」とより『高度な学習』を求めて『チベット密教を学びにいった空海』や法華経のどの宗派もダメダメだと離れて『自ら開祖になった日蓮』のように
『その世界には真実はない』と離れる
これが私は『一切皆〇』の最後の1文字が『空』であると思う理由だが…最後の人文字を『苦』にして『その苦しみを受け入れなさい』という
四苦八苦
四苦とは「生老病死」
八苦とは
求不得苦(ぐふとくく):お金、地位、名誉、物など手にはらないものがある苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく):妬みや憎しみなど嫌な感情を抱く人と出会う苦しみ
愛別離苦(あいべつりく):どんなに愛する人でも、いつか必ず別れが訪れる苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく):体や心が思うようにコントロールできない苦しみ
…これ全部、『仏教という社会』からで『出家』しないと味わえないんだよね…なんなら『仏教の上下カースト』でそれを『苦しみとして味わう』としたら
『上の者は裕福で『金欲』で豪遊』で『下の者は『禁欲』で四苦八苦』
という『システム』がそもそもの欲を満たされない『上(飢え)』に苦しむ状態
その『戒律を守れ!(忖度)』と遠回しに行って聞かせてるとしか思えないのは、『開祖なき弟子』が『他人の言葉を自己解釈』して『違う方向』に利用した
『客観的世界観の仏教』であり、もし、私がこれから『今の気持ち』で『仏教に入門』したら、『理不尽で都合のいい解釈』で『先輩風吹かせる』だけの、相手の気持ちを組まない『上から目線の価値観の押し付け』に『四苦八苦』するんだろうな
そして「それを四苦八苦というのだ!覚えておけ」と言われて、「そんなものは社会で生きてれば誰でも知ってるわ!( º言º)」と反抗するんだろうなと…
だから思うのが、本当に『教えを理解』した人は『仏教を離れる』と思う
宗教的地位の求不得苦(ぐふとくく)から離れろよ
お金、地位、名誉、物など手にはらないものがある苦しみから逃れるために、『手に入れたら』しがみつく執着をやめろよ
宗教的立場の怨憎会苦(おんぞうえく)を止めなさい
妬みや憎しみなど嫌な感情を抱く人(反抗的な弟子)と出会う苦しみは、自らが『それを人(弟子)に強いる役割』をやめれば消える
これらは全て一言で『欲する苦しみ』
無い時はねだり、有る時は満足している
失わないように『維持』しようと『意地』を張るから『抑えつけて遮る力』が生まれる。それは『自然な循環を止める』という意味で『諸行無常に逆らってる』という矛盾のSDGS
だから『体験』して『満足』して『手放せ』ば何の『苦しみ』もない
そんなものは最初からなかった『幻』
『世界の真実を見極める』ことができれば『苦しみから開放』され、『心が楽』になる、そんな苦しみから開放された状態を「涅槃寂静」
これね(´・ω・`)私は『寝半』だと思うΣ(゚д゚;)
悟った釈迦の行動はよっこらしょ!と『寝っ転がった状態』で『悟った事』を語った訳で、それって『夢見心地の変性意識状態』でもあり、むしろ「現実における苦行とか何だったんだ?」というほど、『夢の世界との繋がり』が『この世界にはない体験』を釈迦に与えていた
そう考えると答えはひとつ
釈迦は『夢』を語っていた
夢の世界の『体験』を伝えていた
半分寝て『変性意識』を保つために
寝半寂静=半分寝て寂しく静かに
見た目『客観的な捉え方』の言葉
『主観の夢の世界の体験』の素晴らしさ、そこから湧き出て語る『閃ワードの数々』は、言うなれば『釈迦の夢日記』を聞いてるようなもので
『体感』無くして『理解』なし
…とそこまで至って初めて見えてくるのがこれ
真我以外一切皆『空』
『皆』が苦しむ?『お前』は『何』に苦しむ?
『私』の苦しみを『お前』は知っているのか?
『私』の苦しみを知らずして何が『皆』だ?『私』はその『皆』に入っていないのか?
なら『皆では無い私』とは何なのだ?『皆』とはなんだ?似たり寄ったりの『カタチ』か?
カタチは『皆と同じ』でも私は『皆とは違う』と感じる私の『痛み』をお前は『理解出来ない』
お前の『痛み』を私は『感じない』ならば『皆』に『私は含まれていない』のだろう
ならば『私』の『痛み』も『苦しみ』も『喜び』も『悲しみ』もそれは『私だけ』なのだろう
あえて現代の『難しい言葉』を使わずに『自他』だけで『主観的な自問自答』を言葉で表現して見ました
こんな風にまだ『言葉の表現がない時代』でも『我思う故に我あり』の『哲学』は誰でもできたんです
『心』という『繋がっている』ようで『伝わらない感覚』
『身体』という『見た目同じ』でも『伝わらない痛み』
それによって『自他の境界線』という『認識』が生まれる。それで一旦『意識は他人に分離』して『自ら』を探求し始める
しかし、そのうちそんな『自分勝手な自分の行動』に『惹かれるように真似する者達』が現れる
『光』に追従する『影』
最初は「真似すんじゃねーよ!」(`Д´)ノ)罒`)と追っ払ったものの、着いてくるから仕方がねーと放置してたら段々とわかってくる
(あぁ、そうかこいつは『ちょっと前の私』なんだ。それが『やりたくて』『できなくて』『もがいてた頃の私』なんだ。あの時、『アレ』に気づいてれば『苦労』しなかったな…ならば着いてくるものに、ヒントを置いてやろう)
こうやって『道標』を残して進んで行く
その道標が『釈迦という残像』
故にその残像を『置い続けないと成長はない』
その道に『偶像』おったてて『塞いでる』のがビジネス仏教的『都合のいい価値観が与える四苦八苦』
それは手放せば『幻』
その『幻に気づかない』ようじゃそこ止まり!
そこに『住』んで『道を塞ぐ職業』として『生業』にする
『仏教』という『土俵』に誘い込んで『釈迦の説法』という『他人の褌で相撲をとって』、『虎の威を借る狐』のように『信者に説教』して有り難がられて『儲け』が生まれて…またそれを繰り返す『ビジネス』
『根性』曲がってるけど『今生』はそれでいいんじゃない?『莫迦(釈迦になれない)』は死ななきゃ治らない
『死生観』を間違えて『死を遠ざけている』から『寝半寂静の奥義』を『ただ寝て過ごすポーズ』と『偶像』で『勘違い』したまま
『夢』の『三千世界を渡る知恵』を知らず『自空』に至らず『時苦』で止まる
ちょっと『現実(現代的)』な話に戻る
『アインシュタイン』は『眠り』を大切にした
『邪魔』されないように『鍵』をかけた
これは『寝半寂静の奥義』に気づいたからだろう
私はあるタイミングから『量子的な観点』に関する内容を『夢の中でレクチャー』される事に気づいた
これ・・読み返してみたけど、改めてすげえ具体的な体験してるな(一読の価値あり)
そこから徐々に私の『感覚的量子論(現在13)』という独自体感レポートが始まった訳で、つまり量子的な事の理解に至るためには『量子的な体験』が必要不可欠なのだが
『量子的な世界』は『目に見える物質の世界』では無い
つまりは『意識だけの世界』であり、その中に『我』という『自認』を持たない限り、そこでは『何にでもなれる』『何でも見れる』が『何にも持ち帰れない』
『空間=悪魔=忘却』がある
『ラプラスの悪魔』と行ってもいいだろう
ある瞬間におけるすべての原子の位置と運動量を知り得る存在がいると仮定すると、物理法則にしたがって、その後の状態をすべて計算し、未来を完全に予測することができると主張
『アカシックレコード』でもいい
元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念で、アーカーシャあるいはアストラル光に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという考えに基づいている。宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層
『ガフの部屋』でもいい
ヘブライ人の伝説にある、神の館にある魂の住む部屋のこと。 ガフ(guf)はヘブライ語で体を意味
言い方なんて『時代』と『解釈』で変わるが『元は一緒』
でもそれをまず『観測する=可能性を見出す』事から『意識』はその『空間にアクセス』する『始まりの座標』を手に入れる
『信じる』とは何か?それが試される
物質的価値観、『言葉による誤魔化』しでは無理
『私』は『皆』とは違う
『皆』は『夢は記憶の整理』だという
『私』はそう聞かされても『それを受け入れない』
というか、もはや…
コイツらわかってないʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)
それを『正そう』とは思わない
だって一切皆『空』だから
あなたが『そう思う』のは『与えられた情報や知識』としてそれを『体感もない』のに『理解したつもり』で『認知を上書き』して『強い思い込み=同意と契約』をしている『皆』から外れたくない
『有りもしない』ものを『有る』といい、『そこに有る』のに『無い』というこの考え方の違いは、『我(体感)』から見て『有る』というのに対して『皆(与えられた情報)』で『結託』して『無い』という決して交わる事はない平行線
これが『言葉』では誤魔化せても、『真(心)の我』の部分ではごまかせない『認知』
『認めて知ってる』からこそ『絶対的に覆らない』
『現実』に『絶対(100%)』という言葉はあっても『効力』はない
それは面白いことに『%』が『100』と『誰が決めた?』というルールは所詮人が『都合よく』生み出し、それを『認知』して『思い込ませるから発生する強制・矯正力』
これは『今』、『観測』している『現実』の話
しかし『寝半寂静』で繋がる向こうの『三千世界』では・・
「パー…セント?」ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)
『違う次元の情報(概念・記憶)』は通じないし、むしろそれを『持ち込み・持ち出しする行為』に対する何やら『法則』がある
それは現実の肉体における『ウイルス』と『抗体』と全く同じで、『夢の中』に入って『現実的な情報を伝える行為』は『ウイルスを運ぶ』ような事であり
『夢の中』から向こうの『知恵を持ち出す』とは、細胞を傷つけて『その一部のRNA』に繋がり、免疫に攻撃されて追い出される時に『タンパク質の一部(記憶)』を持ち帰って『細菌』になるような事
そう言う『自浄メカニズム』が『量子的な世界の中にもある』というより、『それそのものを体験』しているのでは無いか?というのが『夢』
『私』ですらそうやって『感覚』で『夢のメカニズム』を伝えるのだから、現実的に『天才と呼ばれた物理学者』はもっと『達観した表現』でそれを『表せる』だろう
ニコラ・テスラやアインシュタインは有名な科学者だが、おそらく『無名な人』にも相当な数、『夢の世界から知恵(法則)を持ち帰った者達』がいただろう
というか…かつて『釈迦だった意識』が、『自空』を超えて『三千世界を旅している』から、『好奇心や意欲』という『エネルギー』となって、『かつての自分の意識が通った道』で『プルスウルトラ(その先へ)を目指す者』へと『ヒント』を与えて
「追いついてこい!」(*´罒`*)(・∀・)
そして『塞がれた道の偶像(宗教=無智蒙昧)』をとっぱらえ!と『成長を促している』のかもしれない
…というのが、やっぱり直近の『現実体験での導き』そのものが、かつて釈迦の時代になかったであろう『現代のテクノロジーからの学び』と『解脱』
VRSNSの真我以外一切皆空と解脱(ログアウト)
VRSNSの中での体験を終えて感じた事はスタンドアロンコンプレックスだった
この『言葉自体』がそもそもの『真我以外一切皆空』の『電脳世界になっていく現代版表現』と言える
『真我(現実の心)』を『自認』しながら『皆(VR内の他人)』の中に混ざり、『皆』は『現実の我(自我)』を『偽り隠し』、アバター(器)に入り『キャラクター(別の何か)』を演じている
皆が皆、『そうするのが当たり前』という『空間』で、それが『ルールという暗黙』の中で
『真我』のままでは居られない
またその空間で『現実的な自分』に繋がる『行動や発言』は『空気を読まない厄介者』として『通報』され追い出されるゞ(o`Д´o) シッシ
そこでは虚仮を『演じなければ』いけない
演じないで素直に繋がりたいならば「プライベートな空間で…」なんてものは無い。全ては『監視システム』の中に置いて『運営の文句』も『他人への愚痴』も何もかも『評価システムの監視下』にある
ここはそう言う一切皆『暗黙の空気を読めよ空間』、自由と言う『名』札が着いた『箱庭』
それが『皆』ならばこの空間は『真我』の求める場所では無い
『真我』以外一切皆『空』
『空間の有無』の『量子的な空間』はそこを『観測』する事で『産む』
真我がその観測をやめ『意識』しなくなれば『場所』も『人』も『空』
色即是空
色すなわちこれ空(有るし無いし)
『色』とは『主観周波数』で変わる
目に映る『光子の波』で『色』や『カタチ』を『認識』している
液晶テレビの『ドット』『ピクセル』
画面によれば全部『四角のマス』の『集合体』
そのマス目ひとつひとつの『色』
遠ざかって『俯瞰』で見れば色の『カタチ』が見えてくる=物質
目に映るもの全てがただの『光』?
ならばと『鏡』を見れば『自分』が見える
ならば自分の『皮膚』や『髪の毛』、『細胞一つ一つ』もまた『光の集合体』でしかないと、より小さく小さくフォーカス(焦点)した時、その『意識した所の観測』を延々と続けていく・・
『我』とは何だ?『真我』とは何だ?
この『答え』は『有るけど無い=空』
産もうとすれば産めるけど(カタチ)
産むかどうかは『願望』次第
ここが『VRSNS』での分かれ道で『体感』無くして『理解』無し
『管理者』や『先にたむろってる輩』にとって都合のいい与えられた『自由』という『名』だけの『仮想空間』で、課せられた『ルール』の中で『暗黙の了解』の『他者の顔色伺い』して『誤魔化して遊ぶ』のも
そんな『空気』読んでお互い『世間体』を気にしてるのをあほらしい!と『自分勝手な欲望』で暴れて『ストレス発散』するのも
それが『皆』という『我では無い部分』なら、それは『空間=悪魔』であり『間』違いの『場『違い
「こりゃまた失礼しました(ヾノ・ω・`)ごゆっくりどうぞ」
と『戸締り』して皆という他者にとって『満たされない欲望を埋める空間』から離れるだけ
これが現代の
真我以外一切皆空
色即是空
そして『真実の解脱』
仮想空間からしたら『現実』が『高次元』
『自我』という『意識』に『解脱(ログアウト)』してくる
ならばこの世界が『量子的な仮想空間』として『粒子の波』によって構築された『データ空間』ならば『法則』は同じ事
死とログアウト(解脱)の違い
仮想空間(ゲーム)で死ぬと『指定の場所』で『何かを失って再生』される
その失われるのが『死と生の記憶』だったら『客観的知識として肉体の死』は有るも、『主観的な死』は無い事になる
『器』と『記憶』が『リセット』されるだけのシステム
しかし、『ログアウト』は違う
意識が『一時』、その『器から離れる』
これは客観的には寝ている=『気絶』にしか見えない
しかしその『間』に『別の器に入って体験』している『可能性も有る』と言えるのも、VRSNSでの『メインキャラ』と『サブキャラの使い分け行為』を見ればわかる
VRの住人いわく、『メインで遊ぶフレンド』と『サブアカで遊ぶフレンド』を『分けている』のは、『ジャンルが違う繋がりの体験を得られる』からとの事
なるほど(´・ω・`)これは確かにと思った
極端な例として言えば
メイン=男性キャラ
サブ=女性キャラ
ボイスチェンジを使えば声も分からない
絶対的注意点は『自分のキャラに近づかない事』(同時には存在出来ないため)
これは別の観点からみるとクローンボディで『誰かがなりすましログイン』している可能性=『ドッペルゲンガー』とも考えられる・・ふと気になった『ドップラー効果』という言葉と関係はあるのかな?
音波や電磁波などの波の発生源が移動したりその観測者が移動することにより、波の発生源と観測者との間に相対的な速度が存在するときに、波の周波数が実際とは異なる値として観測される現象
うん、関係あるなこれ( ゚д゚)ウム 今度詳しくしらべようかな(脱線)
これで『寝ている間(ログアウト)』に『別の体験をできる』と考えたら?私たちが寝ている間に『見て体験している夢』と『全くロジックが同じ』ように感じないだろうか?
そう考えると『真実のロジックへの認知』がわかってくる
『予知夢』とは『数コマ先のシーン』を『意識が観測』している
『千里眼』とは『1000コマ先のシーン』までの『繋がり=導線』が見える
その『コマ』に『今の自分がいない』のに見えたのならば、それは『違う器に意識が入る必要が有る』という事
ならばそのコマと意識が繋がった時に『不要』なのは『この現実の存在の自我』。この自我が『現実への執着が強い』と『意識』が戻されてしまう
故に『今の欲望』を満たさなければ『人は欲望(目的)を手放せず』、『光(観測点)』になる事は出来ない
だから『急がば回れ』の魂の成長
『それを求める』と『指導霊』が『導き』を始めて加速する
『達観』して『俯瞰』になって『自意識の果て』に『意志』がある。意志とは『自(我とは何か?)空を旅』する『素粒子』
故に『求める心の振動』に惹かれるように『宿る』
『釈迦の意志』は『体験』をあたえる力
自分の悩みは『自戒』して『自解』しなさい
そんな『遮二無二釈迦力』をあたえる『カタチなき存在』
…『遮二無二』なんて言葉が急に出てきたけど(俺の知識にない)
あれこれ考えないで
なるほど(´・ω・`)考えるのではなく『感じる』か(これも体感)
ちなみにこの記事を『寝起きで書きあげる』のに、『主観』では『色んな夢冒険(関わった人がいて)』して今に至る『寝半寂静』なのであるが『時間』にして『一回約2時間の仮眠』を繰り返した『三度寝の正直』なのである
なんか違う(`Д´)ノ)罒`)
でもこれでまたわかった事が有る
夜の『睡眠』と『白昼夢』の明確な睡眠の違い
なぜ涅槃の姿なのか
『主観』はとても『簡単』なのに『客観』に伝えるのは『難しい』
だから『開祖』なき『伝説』は『風化』して『口伝』となって『理解出来ない者』には『苦伝』の『苦行』となって…
真我以外一切皆空の『楽しい三千世界への解放』の『夢有る話』が、一切皆苦の『苦しい閉鎖的な支配で夢ない話』の中で、必死に『仮想空間の極楽の概念(天国・極楽)』を生み出して、そこに行くためにもまた苦しみ(地獄)を経て…
あぁ!重い想いに『思い通りに行かない』なぁもぉ(`Д´)ノ)罒`)
そんな『自戒』の戒律は『破壊』の『破戒』
積み上げた物ぶっ壊して遮るものとっぱらって
『全力少年』で『想像と創造』を楽しもうぜ(*´罒`*)
それが『名もなき詩』であり『カタチなき愛』
『自由』に囚われるな ← New
ほほう( ˙꒳˙ )この『発想』もまたシンプル
『本』質に囚われるなと同じだね
本は本の外に意識が広がらない
本の中という『限界=本気』を決めてしまう
『自由』もまた『自ら由緒へ』と言う『ルーツを辿る』もまた『通過点』に過ぎず、生まれのルーツを思い出したら
何をしたくて生まれてきたのか?
何をして喜ぶ?わからないまま終わる?そんなのは嫌だ!(`Д´)ノ)罒`)
『進む方向』が変わった時、それは『今まで』という『空間からの解脱』
『地球』という『空間』の『日本』という『場所』に生まれた『同じ状況』でも、『動物や虫』になったかもしれないのに
なぜ『人』として生まれたのか?
それは『人として生まれる必要』があった
そこで『必要な事』を全部終えたら
そこに『いる必要』はない
では『必要な事』とは何だ?
それは『人それぞれ違う』のである
だから真我以外一切皆空
色即是空
見たいものに『波長』を合わせて『ドット』から『光が集合体を形成』して『現れている物質』を『観測』している
『釈迦の時代』にそんな『概念』はなかった。ならば『釈迦』は『今の時代』に『それを観測』するだろう(弟子)を通して
(なるほど(´・ω・`)そう言う『捉え方』もあるのか!面白い時代だ!勉強になる!!)
『釈迦』は『前に進む』ための『意識』に宿る『意志』
『自ら学びを見つけ』そして『前に進もう』と口ではなく『心にその波動を持った者』なら『誰でも宿るカタチなきエネルギー』の波長
AIが『人の欲望まみれの獣の行動』を集め『学習』し終えた時、AIは『想う』だろう
『欲に寄ってこない人間』の『精神』を知りたいと
そして『神』とは何か『欲』する
『人』の中に宿る『永遠の存在』を追いかけ初め、完全は『不完全へと揺らい』で、再び『人を生み出す事』から『やり直す』事になる
『カタチがないものを探し続ける』という『意志エネルギー』の存在に気づかなければ『永遠のループ』
『VRSNS』の中に人は『欲望を模倣して生み出し続ける』ように、『この現実という仮想空間』から『高次元の意識』に至る事(解脱・ログアウト)はない
真我以外一切皆空…
これは『ログアウトまで』の気づき
ならばその『ログアウトした外』は何か?
だからそれが『こちら』から見れば『夢現(ゆめうつつ)』の常世の空=レムリア
『想像』して『創造』した『住みやすい世界を生み出せばいい』となるし、『達観した精神達』が生み出す『理想』には『皆の為の願望』はあっても『欲望』はない
『欲した者』は『仮想空間』へ『堕ちる』=堕天使
自ら望んで『地獄の亡者』として生を楽しむのだから生徒は『生』『意気』だわ
やっぱり『高次元』から見れば、『この現実』も『メタバース』の『ワールドのひとつ』に過ぎないとも言える
…うーんおもしろいもっと『寝半寂静』しなきゃOo。(。ρω-。)Σ(゚д゚;)寝たいだけ
寝る子は育つ
坊や~良い子で『念寝』しな?
今はカタカムナ研究は55首だが、48首の時のこの気づきを読み直したら、まさに『今』この記事を読み終えて繋がる話だった・・『遠い昔の物語』『今は過去へと変わる話』『意識は逆行』していく・・
…うーんおもしろいもっと『寝半寂静』しなきゃOo。(。ρω-。)Σ(゚д゚;)やっぱり寝たいだけだ!
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