津軽じょんがら節の川柳とたまたま家にあった手拭いに書かれていた般若心経…与えられた意味ではなく、己の心にしっくりくる忌で今の心で観念して独自に読み解いたら…これは君たちはどう生きるか?だったお話
津軽じょんがら節の一説から始まる
北の血がどくどくじょんがら節になる
血(継承)であり地(風土・風情)
どくどく(鼓動)でありドクトリン(血)であり毒毒(恨み節)であり
真相を知れば常縁(千徳氏)の武士(意志)になる
縁ある者にとってはまるで
「俺の財宝が欲しいか?探せ!この世の全てをそこに置いてきた!」
と突き動かされるような川柳に出逢った時、たまたまその数十年前の母が感銘を受けたと保管していた葉書と一緒に手拭いがあった
白地に黒の模様が見えたので、最初はねぶたの豆絞りかな?と思ったが…開いてみたらそこにはびっしりと
般若心経が書かれていた
こういう時、意味わからん漢字の羅列だからと、興味を持っても直ぐに他力本願でググって答えを出そうとすると都合のいい答えを鵜呑みにするだけだ
これは人為的なので『100パーセント』と言える『確信的なパターン』を見つけてしまった
一音ずつ同じキーでダラダラと読み上げる『読経』ではなく、漢字で読むという事
すると、『四字熟語の羅列』と気づく
一般的な認知されているよくある言葉として、般若心経に書かれているこの言葉
色即是空、空即是色
色とはすなわちこれ空(有無)
空(産む)すなわちこれ色
単純に読み解くとこんな感じで、色と空は『相似している』と今までの私は解釈していたが、今朝の私の閃はこう解釈した
そう思うから、そうなるものだ( ´∀`)σΣ(゚д゚;)確かに
こんな風に、『なにかのメッセージの文体の一部を抜粋』しているだけで、『前後のストーリー性』があると気づいた時
パズルの外枠から繋げていくようなパターンを見つけた
さぁ( ´∀`)σここから誰も知らない『四字熟語の数珠繋ぎ』で読みといていく般若心経の解読
妙見狸ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢの読解 法華経の始まり始まり
般若心経ポイント1 一行目は命題 最後の業は伝え手
佛説 摩訶般若波羅密多心經
『人』の『仏』が言う『悦』
「諸説のひとつですよ」という言い回し
魔ではなく、『摩』、南の方『薩摩』の言う可能性
『波の導き(羅針盤)』の『密多き心意』を伝える
般若は女性の怒った顔=鬼面
もう、この時点で、私はこれの著者は、南方のユタの女性の巫女の預言であると感じた訳ですが
それを裏付ける理由として、最後の一行に
薩『婆』訶 と閉められているので
やはり『婆=波女』の言う可能性
『伊那の巫女の神託』…あるいは南方のユタの苦言
これで『始まりと終わり』が綺麗にまとまる訳です
どうです?『中身』が気になってきませんか?(・∀・)ニヤニヤ
実は解読パターンはまだあるんです
般若心経ポイント2 繰り返す 般若婆羅密多は章題
般若心経の中には、般若波羅密多という言葉が五回出てきますが
その後に続くのが
時、是、故、多
というキーワード
般若波羅密多、自体が『南方の女性預言者が導きで見た様々な佛説=諸説』とした時
是とは これから、あるいは今
故とは、既に起きた故事
多とは、可能性
つまり、『章題』事にまとめられた『託した預言』と言える
ふふふ(・∀・)ニヤニヤ内容が知りたくなってきただろう?
まだだよ?読むにはまだパターンがある
般若心経ポイント3 般若とは 船役の自然の右
般若と言えば、『女性が怒ってる面』が有名
誰もが『怒り狂った女性の顔』を思い浮かべる
それは『何故』ですか?
そう『形象を継承』されたからです
そこに『忌』があったんです
般とは、『船』と『役』が合体して『船役』になってますが…
『八の口』は『宗教(八徳)』
『行人偏』は『行商』
つまり、商売でもなければ宗教でもないただ『一般的』とした時に、若とは『未熟』であり『幼い』『まだ何も知らない』という捉え方もあるが
『草』の下に『右=自然の保守・あるがまま』
『何も知らないから自然体』と言える訳で
そうなると『般若』とは一般的で何も知らない『自然に素直な者』=『無垢』
だから『巫女』の心『經』
この経ではなく『經』が大事
意図は『又土に還る』のか(莫迦のひとつ覚え)
意図は『一』から『3つのく(苦)』の『工』を与えるのか(苦言を呈し工を与える)
『三枚の御札』という日本昔話
『リリスを護った三天使の護符』という民間伝承
靈は雨が『三つの口』を『巫』に降ろす
降ろされた巫が『三つの苦を乗り越える知恵』を語り継ぐ
だから『無垢な自然体』の『伊那の巫女』が『神からの提示を語る』と書いて
般若婆羅蜜多心經
しかし、『見多』ならば『多くの可能性』だが…
『蜜多』とは『蜜に群がる有象無象』=多い
つまりは『誘惑=人の堕落』
あるいは『秘密が多い』
あるいは『愚弄場リズムの皆心』への苦言
巫女が伝える『人が愚弄場リズムで堕落する預言』
にひひ(・∀・)ニヤニヤ『真理の探求』とは面白いだろう?『現世』の事が『都合のいい一部の茶番』に見えてくる
さぁ、それでは『莫迦のひとつ覚え』で、『巫女が語り伝えた神託の預言』を、『都合のいい仏教の経典』にすり替えた『門下生の阿呆共』は気づく事が無い
『門外漢の阿呆陀羅經』の『読解法華経』で津軽じょんがら節(武士)の精神を宿した妙見狸ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢの訳詞如来が
『南方の伊那女の神託の巫女の預言』の内容を読み取っていこうか
般若心経ポイント4 四字熟語で読め
冒頭で般若心経の一説を抜き取りこう表現した
色即是空、空即是色
そう思うから、そうなるものだ
このように『前に言った事を逆さに繰り返す』言い回しの『四字熟語のパターン』があり、四字熟語で読んでいくと、とても『寄せては返す=波』という表現がピッタリ来る
まさにリズミカルな『波の旋律』のように、『瀬織津姫』が『機織をコットンカッタン』おって『縦糸と横糸を紡いでる』ような…
なんなら…ハンニャハラミッタ♪
♪└|∵|┐♪└|∵|┘♪┌|∵|┘♪
と『音頭』として踊れるレベルのメロディ
そこで、1文ずつ書き出して、『熟語』及び『一語』ずつ『分解読み』して見よう
私は『概念』という『与えられた意味』に囚われず、そのまま『己の心の今の心』で『忌』を書いて行くので、鵜呑みにすると『間』違いますよ
文字通り、『存在しないまだない念=未や念(まだやねん)』
あるいは『既に伝えられていた』けど、気づいてなかった『残念な故念(津軽じょんがら節)』を知った『記念』の『忌念』に(笑)
佛説
人の仏が言う悦、諸説
摩訶般若波羅蜜多心經
南方の怒った女性が言う波の伝わりの指針の秘密多きの心の神託
観自在
「自分の観方」がある、捉え方は自由に観る
菩薩行深
草立つ口、草の梯子を降りて産まれる行いは深い
自然に口から出た言葉は自然に降りて産まれる深い行い
=神託である、心して聞け
般若波羅蜜多 時照見
時の事に照らし合わせて見る
五蘊皆空
蘊
積み集められたものの意。 つくられたものの総称。 存在するものの性質側面を5つの面からみた五蘊として用いられる。 古くは「陰」とも訳された
5つの概念は皆(有るし無いし)
=五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚)
度一切苦
〜そのたび一切苦しみ
厄舎利子
厄は舎(家・仮の宿)の借り手が貸し手に支払う金銭
=借りたツケ→業の回収
色不異空・空不異色
色にあらず異なる空
空にあらず異なる色
=思い通りにいかない
色即是空・空即是色
=そう思うからそうなる
受想行識
受ける想い、行う認識
亦複如是
亦
意味 同じく、やはり、
意味への違和感
組み合わせ漢字 『変、恋』
夂
意味 くだる、おくれる、後からついてくる
そうなると、『変=やはり後からついてくる』
変化=『やはり遅れて化ける』
なるほど(´・ω・`)やはりは『先読み』か
そうなると
亦複如是
=やはり、また、のごとく道理
舎利子
=借りたツケを払う
是
これ、道理
諸法空相
言う者を水に流し去る有無と向き合う
=可能性で問題に向き合う
不生不滅
生きるにあらず滅びるにあらず
不垢不浄
垢にあらず水に流す争いにあらず
不増不減
増えもしないし減りもしない
是故空
道理ゆえ有無
中無色無
中は無いし色も無い
受想行識
受ける想い、行う認識
無 ない
眼耳鼻舌、身意無色
眼も耳も鼻も舌も、体に意はない色
聲香味觸
声役の耳、香る味、触る感触
法無眼界
水に流し去る見えない領域
目の艮=丑寅の鬼の空間=鬼門
乃至 ないし、または
とは、基本的には「~から~まで」という大まかな範囲を示す表現、もしくは、選択肢を列挙する場面で「または」「もしくは」と同じ意味で用いられる表現
無意識界
=意識が無い領域
無無明亦
=やはり明るさ等ない
無無明盡
盡 意味 余す事無く、尽きる
=明るさが尽きる
乃至 ないし、もしくは
無老死亦
=やはり死や老いは無く
無老死盡
=死も老いも尽きる事は無い
無苦消滅
=苦しみは消えて滅びる
道無
=道はない
智亦無得
=智はやはり得など無い
以無所得
=得をもちいる所も無い
故 ゆえに
菩提薩埵
埵 盛土
自然に立つ口、手でこれ、自然に産まれた盛土
=口に出した言葉、手で行った行いの業の山
依 根拠・拠り所
はい、ここまで般若波羅蜜多第1章をまとめると
自分の観方がある、捉え方は自由に観る
神託である、心して聞け
時の事に照らし合わせて見る
5つの概念は白に比べて空(有るし無いし)
=五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚)
それを使うたび一切る苦しみ=来る死身を産む
宿(身体)を借りた業の回収の学び
思い通りにいかないのは
そう思うからそうなる
周りから受ける想い、自分で行う認識
「やはりまた…」のごとくになる道理
借りたツケを払うのは道理
そうではなく可能性で問題に向き合う
生きるにあらず滅びるにあらず
垢にあらず水に流す争いにあらず
増えもしないし減りもしない
道理ゆえ空の有無
中は無いし色も無い
周りから受ける想い、自分で行う認識
そんなものはない
眼も耳も鼻も舌も、体に意はない思い込み
声役の耳、香る味、触る感触
それらを水に流し去る見えない領域
鬼門の向こうの意識が無い領域
やはり明るさ等ない
明るさが尽きる地獄
もしくは
やはり死や老いは無く
死も老いも尽きる事は無い
苦しみは消えて滅びる道はない
智はやはり得など無い
得をもちいる所も無い
故 ゆえに
口に出した言葉、手で行った行いの業の山が依 根拠・拠り所となる
なう(2024/12/26 09:36:04)
つまり『次元=次に行く世界』は『今の人生(仮)』で決めている
そう思うからそうなる
色即是空、空即是色
こんな感じを伝えている
4936=『刮目して聞け』と
だからまずは第一章の般若波羅蜜多の『時照見』
時に照らし合わせて見よ=時代の吾(われ)を省みろ
『今のお前』が『発言している事や行い』が全て『借り宿のツケ』として回ってくる事を
ゆめゆめ(努々・夢夢)忘れるなよ? と
これを聞いて『戦々恐々』と震え上がって『悔い改める人』はまだ救いがあるが、「そんな解釈は仏の道にはない!!」と突っぱねる仏教の門下生が居たら、それが『馬の耳に念仏、馬耳東風』
さて、第二章に行ってみようか
波羅蜜多 故
心無罫礙
心無い〜さしつかえる
無罫礙故
ゆえにさしつかえる〜は無い
無有恐怖
恐れも怖さも有るし無いし
遠離一切
一切って遠く離れて
顛倒夢想
想う夢は倒れてくつがえる
究竟涅槃
物事を最も深いところまで明らかにする事を終え涅槃する
涅槃=水の流れ日は土に巡り木になる
三世処佛
三の世の処の人の仏
=『人としての仏陀(悟り)は三次元』まで
依 根拠・拠り所・
ここは短めですが、一章の『前置き』があっての二章
心が無いから肉体では差し支えるが
だからこそ、精神ではさしつかえる事も無い
恐れも怖さも有ると思えば有るし
無いと思えば無いし
それらから一切遠く離れれば
夢から覚めて現実と夢がくつがえる
可能性と向き合い、問題と向き合い
物事を深いところまで明らかにしたら
その自らの流れは日となり土を巡りやがて木の芽を出す
人の間の学びでわかるのは
人の範囲の三次元=仏の顔も三度まで
ここはそう言う仮の依代
『私』だからそう観る『観自在』なんだろうか(´-`)oO{だからこそ前置きの佛説、観自在、時照見という言葉が後ろの章にきいて来る
次行ってみよう
般若波羅蜜多 故 ゆえに得
阿耨多羅
降りてきた可能性、稲穂の振り付け、多くの導き
=大嘗祭
三藐三菩提
藐 かろんじる さげすむ
三つをかろんじさげすむ、三つの自然に立つ口と手の道理
故知 ゆえに知っている
…さらに短いが、私は阿耨多羅(あのくたら)が
『阿の百済』=災いを持ち込む『南からの渡来人』
それに対して『自然の三つ口を軽んじる』というのも靈性ではなくむしろ『邪魔』してるような
癌=病の品山
『自然の三』に『三つの口が立つ』とも捉えられる
癌は病気だが、『気(精神)が病む』事で起きる『細胞の異常』と感じる
次行ってみよう
般若婆羅蜜多
是大神咒
これ、おおかみのまじない・魔除け・念じる
是大明呪
これ、大明の呪い
神に祈って他にわざわいをこうむらせる。また、他人が悪くなるように願いごとをする
是無上呪
これ、最上の災い
是 これ、道理
無等等咒
などなどのまじないは無い
能除一切苦
能を除けば一切苦
眞実不虗
まことに、実に人をあざむくこと
このブロックの受け取り方次第で解釈が変わりそう
阿耨多羅 三藐三菩提
捉え方1
『阿の百済が蔑む大嘗祭』などの『まじないや大明の呪いの能』がなければ『全ては苦しみ』
それを『妨害』するのはまことに『人を欺く』こと
捉え方2
『阿の百済が大嘗祭』などの『まじないや大名の呪い』を『能で蔑む事』が『全ての苦しみ』
それを『妨害』するのはまことに『人を欺く』事
しかし
無等等咒
などなどのまじないは無い
まじないはマジ無い(ヾノ・ω・`)ナイナイ
どちらも無い=思い込みという『打ち消し』もある
先へ進もう
故説 ゆえに説
般若婆羅蜜多 咒 まじない
即説咒日
すなわち説とはまじないの日
羯諦ぎゃー諦
羯=えびす。 中国の異民族の一つ
『羊』に『喝』を入れる『言う帝』
羊飼い=導き・伝道者=『えびす=胡=夷』
二つ目の漢字がなぜ出てこないか?
それはアップにした画像をよーく見て欲しい
ぎゃーていぎゃーてい『音では同じ』でも『漢字』では伝える存在が違う
二つ目のぎゃーは『羊』ではない
クが喝を入れて言う帝
ちなみにこの漢字の違いはよく見ると
『日』と『目』なので『伝えたい事は全く違う』訳です
波羅ぎゃー諦
波の導きは〜言う帝
このぎゃーは確実に『ユ=ユダヤ』を指す
『羊飼い』と言えば『ユダヤ・ヘブライ』のシンボル
波羅僧ぎゃー諦
ここも解釈が分かれる
捉え方1
波の導きの『僧(聖職者)』は『クを諦める』
捉え方2
波の導きの『僧(聖職者)』は『クを帝と言う』
菩提薩婆訶
自然に口から持ち出した
自然に降りて生まれた波の女の言う可能性
般若心經
はい、(´-ω-)完結
やはりこれは『預言者の南方の女性』が伝えてます
仮に『仏門の僧』ならば『尼』です
波の導きで渡ってきた因幡の白兎=尼
因幡は『ひるがえる』という意味
確実に『えびす=羯=胡』。 中国の異民族の一つに触れています
そのえびす以外の『ふたつの勢力』にも触れていて、それは『帝を言う』と伝えてます
さらに大神の『咒』と大明の『呪』というまじない
『能』を『能力』としてみる場合、『結界』とも『呪い』とも言えるし、伝統芸能の『能の66番物真似=猿芝居』とも
まじないなんてマジ無い(ヾノ・ω・`)ナイナイ
色即是空、空即是色
それを有ると思うから有るという思い込み
阿の百済の是大神咒の『おかげ』や
他に災いを逃して護ってる是大明呪の『おかげ』…
無等等咒
そんなものは無い(ヾノ・ω・`)ナイナイ
霊感商法に騙されてるんじゃね? と
…なんだろうこの感じ…あれだ、中島みゆきの歌詞を『英語に変えて逆読み』した時に、出てきた
この世の悪党は交代制の輪番制だクソくらえ みたいな感じ(笑) 詳しくは記事を読んで下さい(笑)
般若波羅密多心經を時照見=『時に照らし合わせて見よ』
持ち回りルールを設けてメンバーが入れ替わる輪番制
『善が悪』になり『悪が善』になる『陰陽の現代支配者構造』
クソッタレが!と
般若=『怒った女性の苦言』にも感じるし
船=八の口=『八徳』を消し
役=行商=『ビジネス』を消し
一般の『自然の右(保守)=無垢で素直な者』に向けた心の經
だから『ビジネス仏教』には読めない(笑)
これは『世の中を風刺』した『阿呆陀羅經』
と、観自在に訳詞如来の妙見狸ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢ
胡=えびすは『北』から現れた渡来民
百済は『南』から現れた渡来民
どちらも『知恵の伝道者』とした時、『北の天皇』、『南の天皇』と言う『帝』がいた訳ですよ
しかし、最後は『ユがつく言う帝』ですわ
帝が言うんだから諦めましょう(´-ω-)Σ(゚д゚;)
でも『大事な事は第一章』に長々と伝えられてましたよね
色即是空、空即是色
そう思うからそうなる
『故事成語』や『熟語』というのは
『事故』にあったから『語』りが『成』り立つ『先人の知恵の苦言』
熟語の孰は『たれ・いずれ』
馬鹿たれ=二元性の争いに呑まれる
その『陰陽』の『まじないや呪い』も所詮は『色』であり『空』
それが『孰れ』わかる『心が支え』になる『熟した精神』だから語れる=『熟語』
この般若心經はま~か~はんにゃ~は~ら~み~た~と念仏唱えてる莫迦のひとつ覚えでは
きっちりかっちりと『四字熟語で形成』されている『美しい構文』だという事がわからないのだろう
・・まぁ、まじないも呪いもないって全否定されているのは『死生観を謡う霊感商法』には都合悪いからね
最初に全ての死生観を完全否定しますからね、地獄とか天国とかも含めて(笑)
全ては、この人生(仮)で発言・行動した業のツケ
それが『あなたの行先を決める』と
だから『心に素直』に『悳』を積む
この悳という字は配当外漢字に隠されています
心に直という小学生でも簡単に覚えられる上に意味が
人の身にそなわった品性。特に道徳的にすぐれた人格や行い。また、それを有する人
まず一番最初に『道徳で教えるべき漢字と意味』が『配当外=テストに出ない=社会に浸透しない』というこの『虚仮世界のルール』を決めている存在がいる
それに対して『異を唱える』のではなく、『心に納める』事
この漢字は『めぐむ』という読みであり
恵・悳・徳・恩=全て「めぐむ」
共通点はみんな『心が支えている』よね?
これが『心經』
『心』を読み解きましょう
以上、私の独覚法華経かつ阿呆陀羅經(世の中風刺節)の『読解解釈の般若心經』でした
ま、解釈は観自在ですよ(観方は自在=自分に在る=味方=心)
LEAVE A REPLY