もったいない、もったいぶる、もったいつける・・もったいてなんだろう?と漢字にしてみると勿体・・勿にまつわる名前に『勿忘草』をみつけた所から始まる、真勿忘草(わすれなぐさ)物語
ふと気になったもったいないの『もったい』
もったい+ない
もったい+ぶる
もったい+つける
もったいとは・・なんだろう?
私は自問自答の中で、見所のある他人に対し『もったいない・・』と考えた時
『憂う』という表現で使った
心を痛める、思いなやむ、心配する
嘆き訴える、ぐちをこぼす
悲しむ、嘆く、悲しみ嘆く
気づかう
『人を憂う』と書いて『優』
まさっている。すぐれている。理想的、優しい
その対象の人は『元来優秀』であるにも関わらず、何かが『足り無い』
その『足る』を知れば、『真』を発揮できるのに・・という
がっかり?あきれ?期待はずれ?・・しっくりくる表現が無い事に気づいた時、しっくりくる『漢字』を探してみようと出てきたのが・・
勿忘草(わすれなぐさ)
勿忘草の和名は「シン(真)ワスレナグサ」
勿忘草(ワスレナグサ)の花言葉は「真実の愛」「誠の愛」「私を忘れないで」
何かが『足り無い』に繋がってくるし、『足る』を知れば『真』を発揮できるという『和』の心にも繋がったシンクロニシティ
人を憂う『優しさ』という『足る』を知る=『和』
それが『足りてない』のかもしれない
「真実の愛」「誠の愛」「私を忘れないで」という花言葉はドイツの恋物語由来だというが、花言葉あるあるの恋愛絡み
ではなぜ勿忘草の和名が「シン(真)ワスレナグサ」なのか?
さらに漢字を深堀していこう
勿の意味は=してはいけない
勿忘草では=忘れてはいけない・忘れないでだけで
『何』を忘れてはいけないのか?が見えてこない
しかし和名の真勿忘草は、『真を忘れてはいけない』 となる
『私』を忘れないで・・とは、言いえて妙たが
『和足し・渡し』を忘れないでとも取れるのだ
『真=和足し』ならば、『和を足す事・渡す事を忘れない』という事は
『勿体無い人』=『忘れてはいけない人の本質が無い人』に
『和を足す事を忘れないで』という、『気づかう=憂う事』となる
それは憂いた相手に『足りない和をめぐむ』事で『優』となる
めぐむ=悳・徳・恩・恵=『心』で支える
人を『憂う事に秀でる人』も『優秀』であり
『足りない恩を受けた人』もまた憂いが消えて『優秀』となる
『真=和足し・渡し』を忘れないで=継承=うけつぐこと
『真勿忘草の花言葉』を今日を機に『真理を追う者』として『私は忘れない』
そんな『花』という『物』を『語』ってみた『物語』でした
・・え?俺、今日は( ゚ ρ ゚ )ボーっと雪かきしてただけだぞ?wwなんでこんな閃きが(笑)
やっぱ( ゚ ρ ゚ )ボーっとするのが『真理の探究に最適』なんだろう=心に素直=悳を摘む←花だけにw
・・そうなると
もったい+ぶる
もったい+つける
これは適当につけられた使い方なんだろうね
花言葉だけに『高嶺・高値の花=女性』が絡む
もったいつける=『価値』を高く見せる
もったいぶってんじゃねーよ=『価値』を下げようとする
うーん、『ビジネスとレッテル』って精神レベル低(笑)
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