俱、ともに、倶生神、倶利伽羅剣、倶楽部、色んな想いが込められてるタイトルを深堀考察・・とすると真面目にやってるのに所々カイジの鉄骨渡りになる不思議なお話
『俱』は変換候補にでてこない漢字
先日、中島みゆきの『最後の女神』に話の中で触れたきっかけか・・「あなたへのおすすめ」で聞いた事がない新曲を知った
大局を捉えた目線のメッセージの考察は後からやるとして・・「ともに」といくら漢字変換をしても出てこない
ここが「友」「朋」「共」「供」「伴」でもなく『俱』である事。これこそが『名(曲名)は体(詞)の集大成』となるのだから・・
ここをまずはっきりと捉えないといけいないという事で詳しくチェック
俱の読みと意味
人と、 (ク、グ)(そなえる、ともに)とから成り、「ともに」の意を表す。 「具」の後にできた字。連れ立つ/ともにするなどの意味
人と具 が合体して生まれた、それぞれが『連れたつ』という事は、無くてはならない『対』の関係性。だから、根本的に『唯一無二のパートナー』を指すようにも感じる
そんな『俱』という漢字を用いた物を調べると『知らなかった事』を知った(。-人-。) 有難い
倶生神
人とともに生まれ、その人の一生の善悪をすべて記録し、死後閻魔王 (えんまおう) に報告すると考えられた神。 人の左右両肩に男女二神があり、おのおの善と悪とを記録する
まるで、天使のささやきと悪魔の誘惑に反応して行動した回数をチェックする、常につかず離れず見守っているor監視のお目付け役のような。。倶に(連れ立って)生まれてきた神(愛)の子・・は自分でその神の両隣両肩に常に存在するエネルギー
ちなみに私は夢の中で『右に梟』『左に蝙蝠』がいたのだけど・・これか?(笑)
倶利伽羅剣
不動明王の立像が右手に持つ剣。三昧耶形では不動明王の象徴そのものであり、貪瞋痴の三毒を破る智慧の利剣
不動明王とその『偶像』は有名でも、手に持っている『刀の名前』までは知らなかった
三昧耶形とは
三昧耶形とは、密教に於いて、仏を表す象徴物の事。『三形』とも略称する。 ちなみに三昧耶とはサンスクリットで「約束」、「契約」などを意味するサマヤから転じた言葉で、どの仏をどの象徴物で表すかが経典によって予め「取り決められている」事に由来
略して三形ってのがどーもアレだけど・・要は(さらに訳したΣ(゚Д゚))この倶利伽羅剣というシンボルが、『不動明王が誓った法』の『契約』であり『約束』とするなら、一文字一文字の意味を読み取る必要がある
倶 連れたつ、ともに、善悪を記録
利 役に立つ、頭の回転がはやい、通りをよくする
伽 退屈をなぐさめる話相手、病人の世話をすること。看病
羅 つらなる。ならべる、うすもの。うすぎぬ、あみ
剣 もろは、断つ
こうやって読み説けば『荒々しい不動明王』というより『虚空蔵菩薩』の印象のほうが強い
「虚空蔵」はアーカーシャガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩」という意味
こちらも右手に剣を持っているが、『その剣の名前』は調べても出てはこない。不動明王と虚空蔵菩薩を『同一視しない』のが一般的らしい
これはかつて『神仏習合』していたのが、『廃仏毀釈』によって『釈迦の教えを消された影響』だろうか?
明治新政府の神道国教化政策に依拠しておこなわれた仏教排斥運動であり、神仏分離令の布告・通達にともない、仏堂・仏像・仏具・経巻などにたいして各地で起こった破壊行為
なんて『罪深い歴史の隠蔽』だろうか・・と深い想いのノスタルジーに氣が巡るほど、『倶』という一文字には『黙して語らず不動(変わらずそこに在る)』そして『明王(日月(和)の王)』とても深いエネルギーがある
ま、私は最初から、一緒じゃね?(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)と思ってたので、今更って感じwむしろ知らなかった剣の『名前』とその『体を表す中身の知識』を知って『ほらね』『やっぱりね』と『直感に素直に従って正解』と迷いや疑いが断ち切られていく(虚空蔵菩薩の加護)
そこでもうひとつ偽物を見つける訳だ
倶楽部
会員制の集まり、社交・親睦団体などを指す。共通の趣味・興味を持つ仲間が定期的に集まって形成する団体
西洋の『clubの当て字』らしい。唯一無二の生まれた時から一緒にいるでもなく、とっかえひっかえ有象無象が集まるも・・『クラブの掟は絶対』と裏切り者や抜け駆けは許さないという
『秘密結社』な社会的な『善悪活動の社会貢献の相互監視』の『倶に』
明らかに生まれから連れ立って見守る『倶生神』でもなければ『倶利伽羅剣』という誓いを持って『人の役に立つ為』に氣を巡らして見守ってくれる不動明王や虚空蔵菩薩とは『訳』が違う
やはり『倶』という言葉を『利用する時代』と『精神性』が違ったんだろう
clubとはドイツ語では『蟹』、カニは英語で『キャンサー』、キャンサーは医療用語で『癌』であり、12星座では『69』(維持と破壊のSDGS)のシンボルであり、神話では、『こっそり英雄の足止めをする役割』を担う
それが=『会員制秘密倶楽部』というね?ちなみに『日本昔話の蟹』は『分断のハサミ』なのだよ?
こんな風にタイトルに『俱』という漢字を選ぶ事で『様々な想い』が駆け巡る訳だが、その想いが詞の中に『物語がある』事を意味している
という訳でここから『詩に込められた想い』を読み取っていこう
『俱に』歌詞の洞察
まずバックグラウンドとして、重要なのは『この時期』に生まれた曲である事。コロナに振り回され『政変』や根本からの『グレートリセット』が起きている世界、日本を越えて『世界を見て活躍』するアーティスト
若い時から目の付け所が違う『人類規模での愛のメッセージ』を歌い伝える人が『今(2022)』に生み出した詩。それを踏まえて、読み取っていく必要がある
手すりの無い橋を全力で走る、怖いのは足元の深い谷を見るせいだ
透き通った道を全力で走る、ガラスかも氷かも疑いが足をすくませる
つんのめって出遅れて、日は沈む、雨は横殴りだ
はい、カイジの鉄骨渡りでしょうかね?
( ‘ ^’c彡☆))Д´) パーン
ふざけましたすいません
そう『平和な日常』だったらそんな受け止め方です
『今の状況』がまさにこれです
透明なのはガラス(怖いけど一応安全)か氷か(踏んだら滑る)
しがみつきたい手すり(安全策)もない高い所
その上、暗くなって視界もない上に横殴り(風あり)の雨(滑る)です
いやぁぁぁぁぁぁぁヒィィ((ll゚゚Д゚゚ll))ィィ!!! ·!やめてぇ怖い!想像したくなーい!!
普通の人でも『絶望』しかないのに、『高所恐怖症』はもう『失神』します
歯医者の待合所でキィィィィン!って聞こえるくらい不安になります。そして「麻酔はしないので多少痛いかもしれません」って言われるような
いやぁぁぁぁぁぁぁヒィィ((ll゚゚Д゚゚ll))ィィ!!! ·!やめてぇ怖い!想像したくなーい!!
オチツケ( ‘ ^’c彡☆))Д´) パーン
『透き通った道』というのは、間違ってる世の中で、『間違っている』と『素直に言い続ける当たり前の事』が、とても難しい事になってる
『無理』が通って『道理』が引っ込んで、でも、『世間体』はそれが『ニュースタンダード』として『新しい当たり前』にしてしまおうとしている
そりゃそんな峡谷(幅の割に、深く、きりたった細長い谷。深い谷)を覗き込めば怖いよね。でも『幅の割りに』だからこそ、勇気を出せば『渡り切れる』とも解釈できる
倶に走り出そう 倶に走り継ごう
過ぎた日々の峡谷を覗き込む暇はもうない
生きる互いの気配がただひとつだけの灯
はい、ここでサビの『倶に』に『倶生神(善悪の行いを報告するもの)』と倶利伽羅剣という『約束・契約』を持って『迷い』を断ち切り『目的』を果たそうと奮い立たせる自分の意志があります
過ぎた日々の峡谷とは、コロナ過の茶番もワクチン薬害に苦しむ者達であり、覗き込む暇は『もう』ない
この『もう』気にしたって生がない、手遅れという、彼らは『自ら望んで同意』の元、それを『体験したくて受け入れた』のだと
それを気にして『下』ばかりを見ているとガラスか氷かわからない谷の上にいる事に『おびえて』足元がすくんでしまう、しかし、まっすぐ『同じ目線』を見れば、それぞれ『進む道は違う』けど『同じ高度』で進んでいる『お互いの生き様』が『灯』になって見える
うーんやっぱり鉄骨渡り・・
( ‘ ^’c彡☆))Д´) パーン
身代わりはいらない背負わなくてもいい
手を引いてこちらへと示してほしいわけでもない
君は走っている、ぜったい走ってる
確かめるすべもない、遠い遠い距離の彼方で
独りずつ独りずつ、僕たちは全力で共鳴する
なるほど、これは『慕情』
海から生まれてきた、それは知ってるのに
どこへ流れ着くのかを知らなくて怯えた
生き残る歳月 ひとりで歩けるかな
生き残らない歳月ひとりで歩けるかな
前にこの『生き残らない歳月ひとりで歩けるかな』の部分がひっかかっていたのだけど、先日読んだ『戻ってきたアミ』の中で、『いずれひとつになる双子の霊(ツインレイ)』、ペドロとビンカは、再びまた逢うためにそれぞれが『約束』を果たし『精神を高める修行』を行う
生まれては死に、時には出会ってまた別れてと繰り返した果てに『永遠に一つになる愛の波動の領域』がある。その『永遠という瞬間』のために『永遠とも言える時間』を旅する事になる
一定の愛の波動に至ると『記憶を持って転生』する事ができるらしい・・と考えると中島みゆきさんってあんなに綺麗で引く手あまたなのに『独身』らしいです
それはもう『愛の波動が高い』から、『記憶を持って伝道者』として転生し時空を超えた次元に『ツインレイとの再会がある』とわかってるからかも?
どちらかが止まってしまえば『同じ領域』で『同じタイミング』で逢う事は出来ないからこそ
君は走っている、絶対走ってる!というどこの誰に生まれ変わっているかは『確かめるすべ』はないけれど『また逢いたい』と求めているなら、独りずつ独りずつ、全力で走った先に『共鳴=同じ周波数』になる
そういう『どこ』にいても、『どんな状況』でもきっと『同じ方向を向いてる』いう『一途な約束への信頼』
私はその気持ちが凄いわかります・・( ;∀;)であった瞬間に「見つけた!」という恋愛感情以上の家族愛以上の太陽で月で・・みたいな一緒の空間にいられる事が天国だった
それが失われた時、心って壊れる時、『ガラスが割れるような内面の音がする』と初めて知りました。そこからもぬけの殻のような『生き様を失った日々』をへて「また逢うために!」という気持ちになったのは、夢でお別れを告げられた時に「また探してね」と言われた事で、精神を高める修行の意欲が生まれた事
こんな『最後の女神』が迎えにくるような『社会状況』だからこそ・・
風前の灯だとしても消えるまできっちり点っていたい
はい、気持ちを先にフライングで代弁してしまいました(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
『点』っていたいというのが『弱く小さい』かもしれないけど、明かり(自分という生き様)を絶やさないでいたいという願い
生きる互いの気配がただひとつだけの灯火
生きる互いの気配がただひとつだけの灯火
はい、『互い』と『二回繰りかえす』所に、『特定の想い人への気持ち』が籠ってるような、これは『一期一会』という曲の中にもある
忘れないよ遠く離れても短い日々も浅い縁も
忘れないで私の事よりあなたの笑顔を忘れないで
これは上記の『すれ違いの多生の縁の転生』の中、『一期一会の一生に一度』の出会いの瞬間に生まれ変わった『姿形は前と違っていた』としても、『自然に笑顔になる状況』とは自分の波動が何かに『感動して共振・共鳴した瞬間』でもあり、それは『魂の経験』として引き継がれる
それが『積み重なって』いけば、いつかお互いに『あの時出逢っていた!』と思い出すという事は『目指す方向、求める事が同じ』になる
つまり、まとめるとこうなる
言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン
俺は俺らしく生きていく
という『意志』を『お互い』に貫いていれば、例え『どんな時代』であろうと『どんな状況』であろうと、目指して『たどり着く場所は一緒』
こんな足元真っ暗で見えない透明なガラスなんだか、氷なんだかわからない上に、横殴りの打ち付ける雨があっても、支えになる手すりもない橋を全力で走る中
進む前に『人』がいる、『同じ方向を目指す人達の小さな明かり』がぽつぽつと見える。きっとその中に「あなた(ツインレイ)もいるでしょ?」と『迷い』を捨てる
これは魂年齢『老齢期』以上にいる人へのメッセージ
身代わりはいらない背負わなくてもいい(善悪)
手を引いてこちらへと示してほしいわけでもない(中道・正邪・邪悪)
もうこの時点で、周りに気配りする成人期は超えてます
自分の自由意志で『進む方向』を決める
その『意欲の源』は「だってツインレイに逢いたい!」から
シンプルだね
そのために『俱に』(道を迷わないために)
倶生神(自由意志のサポート)と倶利伽羅剣(誓い・約束)
目的を達するまで決してひかない『不退転の決意』とも言える
勝手な『深読み』でした(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
でも『戻ってきたアミ』を読む前だったら、もしも中島みゆきがカイジにハマって鉄骨渡りを人生観で深くしたら、命がけの極限状態をこんな表現にできるんじゃないかと、そっちに囚われてましたw
これが偏見や思い込み、決めつけという『ジャッジのエゴイズム』
今までリリースしてきた愛の波動を放つ『詩』を加味しないと中島みゆきさんの『生き様』も含めた『初志貫徹の覚悟』まで『氣』が巡らない
物事を捉える『意識』がまた変わった気がする
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