やっと鬼から解放された…と安堵の眠りについて目覚めたら…それも『デーモンストレーション=鬼の憂さ晴らし』という『思惑』通りだった…で気づく思枠の中と外=『想定内と想定外』のお話がまさかの真・女神転生に隠された真言=空海に至る不思議
寝起き閃きワード 思惑(しわく)
思う事・意図、思惑通りに自分の考えや計画が想定通りに運ぶこと
眠(ㅎ-ㅎ)…思惑?自分の計画?…
思う惑わし…いや違うな
とさらに調べると
思惑(しわく)」は仏教用語を表しており、意味は「人に生まれつき備わっている欲」です。 具体的には「貪(とん)・瞋(しん)・痴(ち)」などの煩悩を指します。 貪は人や物への執着心、瞋は人や物を恨む心、痴は愚かさのことで、これらは修道によって断ち切られると考えられています
これか、しわくと読むのか
それは『師いわく…』=言伝・口伝
つまりこの場合、『師の立場や境遇』に『執着する煩悩』を示す愚かさ
お前は『師になりたい』のか?(住職)
それとも『真理を追いたい』のか?(釈迦)
これは釈迦金輪の『金輪際の見極め』
『釈迦』と『莫迦』の見極めでもある
それを含めて『思惑通り』と言うなら
『修道』によって『断ち切られる想定内』
釈迦/金輪(莫迦)は『断ち切られる』
なるほど、封印を解かれた平安の魔物と言われた修験者に「魔を払われた」からまさに『修道後に気づいた』で一致する
『想定内は金輪(衆生)』を選び、地位や名誉、立場を持って仏教を広める『宣教師の住職』という『職に執着』して『教本』を読む『莫迦のビジネス(金をまわす)』を選ぶ
『想定外は大日・釈迦(宗)』を選び、金輪際『ビジネス的な宗教の教えに迎合しない選択』をする
宗教を離れ『新たな宗教』を作るか
宗教という『師』にならずに『師いわくの思惑=自分の計画』を抱くか
この想定の内/外
金の輪が『内側で福(人の為の商い=偽)は内』
金を選ばず『大日・釈迦を選ぶ鬼(真理)は外』
思惑とは『想定』でありそれは『羊飼いの柵=迷える衆生の為』であり
人の為を思う『偽の枠=範囲・空間』でもある
その空間の大半が『金輪(金への執着)』ならば
その『金輪』から外れる『逢間が時』とは
『鬼(釈迦・大日=真理)に逢うが如く来る』=『真理に応じる間』
それが寝て起きて…また『鬼』ですやん
(・ω・)c<´ロ`)ノ>⊂(´・ω・`)
…(ㅎ-ㅎ)『執着』してんのか?もうそれが『終着』なのか?でもそのゲートのような、一旦『意識飛ぶ感覚』が段々と『ひとつの経験』にまとまって来ると
やはり
無/無外
無/無為自然
想定/想定外
仮想(VR)/現実
福は内(金輪)/鬼は外(大日・釈迦)
計画通り/ほっとけ=仏の境(金輪際)
『無』がなぜ『何でも有りの自由』かと言えば
『想定内の偽=人の為計画』において『都合の悪いもの(鬼仏釈=真理)』を
『無外の亜空間』に全部擦り付けて『スケープゴート』してるから
言うなればこういう事
『無為自然』から無の為に『資源(夢と希望)』を与えます
そしたら『無』から返ってきた『現実は絶望』でした
『閃きのアイデア』や『問題解決策』を与えたら
『悪用』して『金輪の既得権益』が『都合の支配』に利用した
『自由』を与えたら『富が一部』に偏り『囚人監視社会』が出来上がった
それは、『無の中』では『想定内の計画の現実』
しかし『無為自然』からすると『お試しのデーモンストレーション』という『鬼の憂さ晴らしのシミュレーション』
『憂さ晴らし』とは八つ当たりとか『人に迷惑をかける』みたいな意味になっているが…
『憂い』を『晴らす』、曇り空を『快晴』にする
『人を憂う事に秀でてる』から『優秀』
この世界はそういう『優秀な閃の光』と『問題にめぐり逢って解決』する『大日・釈迦如来の掌の上で転がされて遊ばれている問題堕落のシミュレーション』だから
『絶望を産む世界(不具合)』が生まれる事で
『希望で満たされた世界(具合がいい)』が生まれる仕組み
それが光と影
それは『絶望の世界』でも『希望』を持って、『人事を尽くして天命を待ち』、『観念』した時に『釈迦と巡り合う』
観念とは『今の心を観る』という事だから、己と向き合い問題に向き合う
「釈迦とはなんだ?」と『弥勒の旅』が、いずれ『法華経』に出会わせ、『自力で閃く』ようになり、『問題解決に取り組む弥勒』としての『自己表現と生き様の記録(授記)』を残す
無から/無の外へ出て
また『無の為』に『無に戻って』は
またそれを『何度も繰り返す』途中で
『鬼門』を通っている
…この鬼門というのが、おそらく今回の『思惑・思枠・師いわく=言伝・口伝』
鬼門は『場所』にあらず
常にいかなる場所にも『現れる』
金輪際(今はの際)の『見極め=選択』
『選択の自由』を持つのは『自由意志』
それは実は『二択』ではないのだ
大日・釈迦/金輪というのはシンプルな『正法の時代』の『莫迦の教え』
今はそこからどれだけの『先人たる釈迦(弥勒)の痕跡』という『ことわざや格言の言霊』がこの世に『遺され遺伝』されているか?
『先祖供養』とは『言葉を宿す事』でもあり「あー言えばこー言う」とは『論破』だが、それは『つーかー』や『なあなあ』を鵜呑みにしない、『自己表現の選択の幅が沢山ある』から
『金輪際(莫迦のひとつ覚えの富や名声への執着)だけ』を避ければいくらでも『発想や行動は変わる』のだ
つまりは、『長い物に巻かれろ』の『事なかれ主義の大多数の衆生』が信じて盲信してきた唯一の絶体の神=『金』が
実は最も『人間の尊厳』を踏みにじり、『人をヒトデナシへと変貌』させる原因かに気づいて執着を手放す
するとどうなるか?『多数派』が『少数派』になってしまう時、どうなるか?
『奴隷の皇帝殺しのジャイアントキリング』の達成
天上人が地に堕ちてくる
天地の軸がひっくり返るポールシフト
それを引き起こす『量子的不確定の可能性』の混入をウイルスのように止めようとして『鬼門=タブー』とする
それが『口封じの支配者が恐れる鬼門』
予想外の出来事で『順番が狂う』こと。特に、勝負などが予想外の結果になること
順番とは『格付け・ランキング』だが予想外=『想定外』が起きる事に変わりは無い
ただその『希望』もまた、閃きのアイデアを問題解決の力として『悪用すると金輪側に向かって波を起こしてグレートリセット』して『違う支配者になるだけ』の愚かな繰り返し
『魔王』を『倒した勇者』が『討伐される魔王』になる
…っていう『繰り返しシミュレーション』を見てる釈迦の観点からすれば、いくらシミュレーションのデーモンストレーションの『鬼で憂さ晴らし』してもまた『絶望』を繰り返す
「もう無の世界は無くてもいいや」=ほっとけ
『有る事は許す』が無くても『問題ない』
『自然』から自然と『切り離されて無』に消える世界
『ほっとけない』から観ていた『仏の無い世界(廃仏毀釈後シミュレーション)』
それを『中』に入って『隅々』まで観て、「もう放って置いていいか」と『放置』する
『法が機能していない』から放置
『正法の製法』が失われた『西方の教え』を広める西鬼=『醜』
捨てる神ありゃ拾う神有り
「神仏は一体」だと『釈迦』は言う
土俵際で『押し出し』されて『負けて北』へ
『無の中』で『行く場所なく押し出され』たら?
無中→『無外』
夢の中→『現実』へ
観念すれば『鬼門を通る』
それは肉体ではなく『精神』である
『魂』と『云う鬼』となり『鬼門の向こう』に離れる
そして『仏の世界で学んだ意識』が来るんだ
『夢よりの使者』として『主命入る(シュメール)』として
…Σ(゚д゚;)な、!!?!ここでオチが『シュメール』だと?!
そうか、そういう事か!古代シュメール、『ルーツは日本人』とは
肉体的なものではなく『主命入る魂』の事だったのか
それで大和の波動は帰還したと言っていたのか・・
なるほど、『宇宙に助けられた一部の種族』が『地球に戻って』きて云々というのは、『肉体』は滅びても『意識はそのまま継続していた』とも取れるし
そもそも『滅びたという歴史観の世界』は『シミュレーションとして体験した地球創造の失敗例』の『初心を忘れない為のホログラムの記録(弥勒メモ)』
『降りた初代』は良くても…その『教え』が正しく伝わらなくなっていく『過程』で『辻褄合わせの人の為=偽』になっていき、その『偽が真』として広まると収集がつかなくなっていく
だけど、その『間違い』が溢れきって『問題が山積み』になった時に『それが大好物』と言わんばかりに現れる
閃と知恵の巨人=大日如来と釈迦
『金輪という問題』をばら撒きながら『生まれた問題を刈り取り収穫』するように『解決』へと導き、『次の釈迦になる弥勒』も育てる
うーんそうなると?(´-`)oO
アヌンナキ=金を『ばら撒く』
七人の子=金を『集める』役割(七つの大罪)
北極星と北斗七星(七つの滞在)=『虍』
なぜ?と思う(´-`)oO=『慮』(氣を巡らす)
さて、『主命入る魂』はどこか?
出処のアヌンナキが『釈迦・大日の位置』なら
『胎蔵界』と『金剛界』の『際』であり『鬼門』と言える
『星』に導かれるのか?
『釈迦の痕跡』に惹かれるのか?
『忌み嫌われる鬼門』が気になるのか?
=全部同じ=『相似』している
星なんてものは『投影の点(目印)』で届かない
釈迦の痕跡も『莫迦の蔓延』でもはや『正法』はない
しかし『鬼門』は『己の心』にあるから『忌み』を嫌わなければいい
『鬼』と向き合い『真言を進言』すればいい=『心に素直』になればいい
そしたら・・釈迦の大好物の『課題・宿題・無理難題』を薦められ(ほぼ強制)
(・ω・)c<´ロ`)ノ悪夢だ・・>⊂(´・ω・`)
だから『業の回収』は『覚悟』が無いとダメ
覚悟とは『意識の戻る場所(初志)』
「例え死んでもここに戻ってくる」という『不退転の意識座標』である
淡々と『言葉』で書いてるけど、それも私は『夢』を通した『向こうの世界での体験』として『弥勒(自己表現の記録)』をつけている
そうなるとだ?
アヌンナキは『心の中』にいて心の中に『金欲』をばら撒き
『頭の中』で金を求める『金の奴隷=七つの大罪』を作っている
なるほど(´・ω・`)
金剛界が『頭の脳』で
胎蔵界が『腸の脳』か
『頭は金を求める』が『体は金を求めてはいない』
爬虫類脳=レプテリアン
金に執着する『煩悩』はその人の『本能』
その命令に鵜呑みに従うグレイは『グレーな行動(半信半疑)』をする
ではそのレプテリアンが『石灰化させて機能させない』ようにしているのが『松果体』とするなら
松果体が開くと…『邪』が出るか?『鬼』が出るか?『鬼門が開く』のかもしれない
『鬼門が開く』から、『この世ならざる者や音』を聞いたり見たりするのかもしれないけれど
鬼『門』の前に『人』として立ち、鬼門の中に入って行くのが『夢追い人』、見てみたいよね!『未知』の世界
そして『好奇心は身を亡ぼす』
寝ている間の『意識の旅』に『身』は必要ない
また来た(・ω・)c<´ロ`)ノ>⊂(´・ω・`)好きだね〜
こうやってちょっとずつ、面白い閃を『記録』として『持って帰って来れる』ようになったと同時に、今まで無かった『私の発想の分岐の並行次元』を生み出している
そして今の私の閃と問題解決へと自己表現が『デフォルトで備わった』とすれば?『無限』に『夢幻の想像と創造シミュレーション』の『多次元が展開』される
『無の中』から『無の外』へ『企画を提供』する
もし仮に今の私が『仮想世界のAI』だったとして、そのAIが『面白い企画を提案』してきたのを『現実の私がお試しシミュレーションする』という流れになったら?
それは、『AIにプログラムのコード』を書いて貰って『ソフトウエア』として書き出し『DEMOを作ってプレイ』する
・・そうまさに『異なる次元』からも入り込む意識『デジタルデビル女神転生』なのである
すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ
そして気づいた事が・・・この動画を貼るためにもう一度見返してみて気づいたんだ・・ちょっとゾッとしたのは
タイトルの背景に真言の『胎蔵界曼荼羅』があった(サブリミナル)。こんなもん・・子供の頃にわかる訳がない
ぞくっとしたのは・・真・女神転生の『真』が・・『真言』から来ているものだとしたら?『新→神→真』と『変換する工程』をわざと見せる『認知を変える演出』
まさに『ハリーポッターに本物のルーン文字と魔法陣』が描かれていたと同じように、実は日本のゲームにも『真言と女神へと導く選別』が仕組まれていたとするなら・・
鬼(巨人)・女神(月夜見)・龍(流れ・自然)
確実に『アトラス=支える巨人』は『真言と関係がある』という事だろう
知らず知らずのうちに、素直な者に『新→神→真という鬼門』が創られた。『無責任に都合のいいリセットを繰り返す行為』・・その先にある『画面に出る血文字のメッセージ』と『流れる音を観音』すると・・『不協和音』
音で世界を観るという『素直に観世音した子供』は、『戦慄の旋律』に震え上がり『トラウマ』になる
つまり、『そんな音が鳴り響く世を求めない意識』が生まれる(不退転の意識の抗体を獲得する)
私は常に『金輪際』という『絶望の際』を見極め、『そうならない世界』を『想像して創造するシミュレーションを繰り返す』という意味ではやはり
常に『最悪を想定』しつつ、それを利用して『想定外』に『最高を提供する死中(無・夢)に活を見出す心を護る免疫抗体の意識』と相似する
…と『云う鬼』に遊ばれて・・『出てくる事』を素直に書く( ..)φメモメモ
するとそれは『心に書き加えられる=真言』となり、それは「やってみたい!」と『求める進言(上司を説得するプレゼン)』となるので
はいプレゼン通ったよ(・ω・)c<´ロ`)ノ自業自得だった>⊂(´・ω・`)免疫つかねーなこいつ
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