やはり心は水面、現実で琴線に触れる一瞬の出来事があると、波紋が夢を見せて伝えてくる、甦った母に出来なかった労りを和足す夢を終えて感じた、過去の私へ干渉した未来の私という存在エネルギーのお話
夢のあらすじ
目が覚めると母がいた
私はえ?こないだ納骨までしたのに…え?は?(´・ω・`)と
明晰夢でもなく、見せられる夢でもなく、意識と主観のズレもなく、別の現実の中で『現実記憶が二つある』ような混乱をした私は
父にそれを言うと、父は「まぁいいじゃないか、こうしているんだし」と『死の儀式』事態はあったのは『認識が一致』しているのに、『黄泉がえりの不思議を肯定的に受け入れている』ような感じだった
私は…「そうだ!死亡届とか出してれば社会的に死んだ事になって生きづらいんじゃ…」と言うと
父は「いや、実は死亡届はまだ市へ提出前で、来週期限だったが・・ださなくていいなw」と言ったのを聞いた時
(´・ω・`)ほな…えーか Σ(゚д゚;)
生きる上で、スーパーやよく使う日常的な民間サービスの会員等は、登録者が『亡くなった事を知らない』から普通に使える
しかし、『公共サービス・行政』に関しては、『死亡届出せばあらゆるものが使えなくなる』から、死んだ→甦ったを知られてないなら
(´・ω・`)ほな…困らんからえーか Σ(゚д゚;)
と私は死んだはずの母が元気に帰ってきた事を自然に受け入れた生活で数日を過ごした
目覚める度に、(夢だったんじゃないか…)と起きたらすぐに『母の生存を確認』する事3日目の朝
いつものように起きてリビングに行くと、窓際の光の下で母は洗濯物にアイロンがけをして健在だったのを見て安心した
「どうしたの?」
「いや、いつもの生存確認w」
起きる度に私は(これは夢であって現実に戻るのでは…)と『疑心暗鬼』に『この現実が現実であって欲しい』と三日間ずっと確認し続け
(もう大丈夫だな)と思った時(´-`)oOふっと思考が湧いた
今まで母は専業主婦として週7で家族の面倒を見ていたようなもので、その気遣い、気配りに甘えて、『それが当たり前』のようにしてきたが
『母が亡くなってから身についた習慣』では、家事全般が当たり前で面倒では無くなった『今の体験感覚』だから
((´-`)oOそうだ、母に週2日くらいは家事全般を変わって『好きな事をする時間』を作ってあげようかな)とその心に浮かんだ『前の人生ではなし得なかった労り、気配りの気持ち』を言葉で伝えようとした
その瞬間…目が覚めた
今の気持ちは・・
フーーーー( ´Д`)y━・~~
悲しさでも、寂しさでも、やるせなさでもあり、楽しさでもあり、ワクワクでもあり、『確信めいた達成感』でもあるような不思議
思議にあらず=感覚
取り敢えず、この夢は『出来なかった労り・気配り』の『恩を和足す事』で終わった
これが『夢』から覚める『現実の設定のゴール』だった
死んだはずの『母が甦った世界』
それは『持続可能な現実』
母が元気だからと言って、『役割に依存』して『今までの世界の習慣を続ける限り続く現実』を寝ても覚めても『繰り返す世界』
『失ったものを再び失いたくない』という『執着の現状維持』は、『失われる事は無い』という『不安が安心』に変わった時
今までの現実では母に負担をかけ『労働搾取させる消耗の繰り返し』で、母にとって『マイナスな存在』だった
しかし、『母なき現実で身についた今の習慣』はそんな母の気苦労を『労り和を足す』という『和足す心』が生まれていた
そして、その『行動を夢で実践』しようと『心』に決めた瞬間…『現実だと確信していた世界』は『夢』と消えた
フーーーー( ´Д`)y━・~~
儚いな〜人の夢
でも面白いなw
『失いたくない』と『執着をする限り』与えられる
気持ちが『不安で浮かばれない現実』の観測
この現実は夢のように『失われる不安はない』と安心し、『かもしれない』という『現実への執着を手放した』事で
夢の明晰夢のような『自由意志の行動』になり、今まで無かった『労り、気配りの現実』を想像して創造した
これがひとつの『新たな現実世界』が生まれた瞬間
『愛』が生まれた日、『永遠』が始まる
その『自堕落な自分を変えた意識』を生み出す為に、今の現実は『母を亡きもの』として退場させ
『平穏な新たな続きの現実』を生み出すために、私はこの『今の意識』を手放し『心を和足す為に存在』したのだ
そして、その『役目を達成』した瞬間
『意識』を失って戻ってきた
あれだけ何日も「夢じゃないよな?(((゜Д゜;)))」と確認しても、そんなものは無駄だった(笑)
夢の現実には『明確なゴール』があった
それを成し遂げたら『意識は観測の役目』を終えた
これは前に、『魂の繋がり』を感じたように『一目惚れ』が『結婚して子供を授かるまで見守るように続いた女性』がいたのだが・・、実は私の魂の欠片はその『女性を見守る父親の目線』だったと気づいて納悳した夢を見た事がある
その女性が『生まれたばかりの子』を連れてきて『家まで抱っこして3人』で歩いた帰り道、『天にも昇る気持ち』だったが、その一人の帰り道の道中、現実では心が『ガシャーン!』と割れる音がしたのを覚えている
『見守る愛』だった魂は私と彼女を『一緒』にはしなかった
『近づきたかった私の自我』は壊れた
まるで『織姫と彦星を監視』する『天帝』の元の恋の状態が、私の『心に内包された宇宙』だったように
『見守りと決別』という『現実での夢の終わり』でやはり『意識が変わった』のを覚えている
今回の夢は、前にカタカムナで体験した『心の融合』の『逆の立場』とも言える
前は『融合される側』だったし、その内容が『合わなかったから気持ち悪さ』を感じたが…、今回は『融合』して『和足して消滅する側の意識』を体験したような感覚
きっとこの『死の体験をした時の私』も、自分の体験の一部を『和足して融合』したんだ
そう考えると、今回の和足す心はメッセージではなく『労りと気配り意識』
自己保身の『執着や依存の役目の自分(不安)』を手放した時、残った『元の自分(安心)』が何をするか?
既存の『現状維持を繰り返す』のか?
そこには無い『新しいを想像』を生み出すのか?
自分勝手なワクワクの想像の力
その『方向性』を『労りや気配り』に回す和心
『周りが良くなる事』で『自分の環境も心も軽くなる想像』
『明晰な未来』を描く夢の中で『心に素直に描いた行動指針』が和足す心
それを…『渡して』来たんだ
この現実では『母の役目は無い』
この現実では母が持っていた『気配りの心を継承』する過程で、『和の心』に惹かれ、それを『和足す心の意志』として
何度も、何度も『反復練習』のように『和を足す精神の記事』を写経するように書き続け、その『本番』が今回の『夢のゴール』をクリアして『和心を渡す事』で
『新しい私の想像世界が継承』された
役目を達成した( ´Д`)y━・~~
この結果を『余韻』として感じている現実ではただの『夢物語』
だけど『恩』を伝えた『向こうの世界』は『和足した心を継承』している『新たな現実』
この世界の私に『夢の世界から消える私の意識』が『生き様の経験』を消滅をかけて託してきた
それもまた『意識して観測した世界』の在り方のひとつ
例えるならば
テレビはカット編集やCMという形で、視聴者に『都合の悪い所を見せない』が
『夢と現実』を繋いだり『対話』したり、やり取りする『意識の過程』という
『舞台裏の裏方のシステムを見ている』ようなもの
前に『マスターキーを得るという夢』の話をした
その当時、なんで?と思っていたが、今日の夢でマスターキーとは『和心の事』だったと理解した
どこに行っても『心の回路』を傷つける事なく
『心と心』を繋ぐ『和らぐを持って尊し』となす
これは以前、『龍のお仕事』としても『気配り』と書いていた
一つ一つ、『先』に見ていて意味がわからなかった体験の夢の記憶が、『時間を逆光』するようにひとつの線の方向が繋がっていく
今日の『夢のような現実』で『今までの現実の私のこれまでの体験』は決して無駄ではなかったし、何よりも、この夢で生まれた『和心を継承した私』の『新たな現実世界』が生まれたからこそ
その『和心を持った安心した自分』が、『コロナ禍の絶望』に立ち向かう前に『夢に現れた』のだろう
絶対的に自信溢れる姿で現れた私が、『夢よりの使者』として『元気』を『和足し』てくれた
その『元となる気』の循環を考えれば『卵が先か?鶏が先か?』のパラドックスである(笑)
卵(過去の私→体験で和足す心を身につけた)が先か?
鶏(未来の私→和足す心を受け取った私)が先か?
『ハイヤーセルフ(高次元の自分)が導いた』とも言えるし、低次元の自分が、『独自の様々な精神修業で次元上昇』して『高次元に至った』とも言えるし
『今の和足す心』の『元の気』は素直に『心がやりたい』と思う事が、結果的に『周りにも良い影響(自由意志)を発する循環の流れ』を作る源流
そのみなぎる『氣』を和たされていたから『コロナ禍という絶望』の中でも、『自由意志』を掲げ、『ルシファーにシンパシー』を感じたのだろう
半端ねえ『カリスマが間借りしている感覚』は常にあった
『振り回されてる』けど悪くは無いと、受け入れて『宿す器』が、受け止め切れて無かっただけで、『意識の拡大』と共に、その『元の氣のエネルギー正体』が『和の心』だとわかってきた
なぜ和の心はコロナ禍や社会的な動きに対し『活発に活動して離れよう』と導いたのか?
簡単な話だった
そのコロナ禍で『波動が落ちた空間』に
和の心に『調和する和』が無かった
『皆』といても『孤独』を感じる『一切皆苦』
進む方向が『孤高』へ導かれる一人切=『大切』
そうやって和の心は『調和する心』を求めた
『思い合う2人』が『お互いに出会う』ように
『勾玉』のように『割れた魂がひとつ』になるように
この現実ではない『和する存在がある場』へ導く
なぜ『夢の探求や研究』をしてきたのか?
それは『和する心』が『還るべき和の元に戻りたい一心』だった
心が『あるべき所』、『あるべき姿』の自然体
『元に戻る方向』の指針を示して来た
今回の夢は『必要なチェックポイントは通過』できただろう
『理想の世界』は生まれた(元から在った)
その世界を『観測できる意識』も生まれた(元から来た)
それでも『この現実の観測に意識が戻った』という事は…前に体験した『幽体離脱』の時のように、『私の意識』がなくても『私のように行動する私』がいるから私は『安心して肉体から離れられる』
これと同じだ
『母も甦った理想の世界の和足す私』という、いわば『大日・釈迦の和の心(仏鬼釈)』を宿し、それを『周りへと実践していく世界』という
『胎蔵界(私の理想郷)』が生まれた
だから今の現実観測意識はそこに『決して入れてはならない』と、金剛界の大日・釈迦目線で『和にならない常識や概念』を見極め、『金輪際で切り落とす刀』となるのだろう
…それにしても
( ´Д`)y━・~~
「これは?現実だよね?夢じゃないよね?」と散々調べて、 疑って・・
「よし、夢じゃない!続く現実だ(≧∇≦)」と安心して
『夢のような現実』にワクワクして『新たな想像』を膨らませたら
夢でした
( ´Д`)y━・~~
夢の中で「これは夢だ!」と気づくと『明晰夢では想像が創造』になるのはわかる…
夢の中で「これは現実だ、現実だと思ってる限りは夢を何日でも見続けられる」が、「これは夢だ」と認知が変わった以降は『明晰夢』になる
明晰夢になると『別の世界で目覚める事』になる…とはいえ、それは『元に戻る事』なのだから
やはり、『夢』からは『現実』に覚めた方がいいのか?『現実は夢』だと認知を変えて『明晰夢』にしてしまった方がいいのか?
( ´Д`)y━・~~
これは…元を辿って見たら
『夢』とは『存在そのものの行き来のゲートシステム』という、もっと『根源的』なとてつもない『システマチックでブログラム的なエネルギー構造』なのかもしれない…
ま、『和足す心』を『産む世界』、その為に『学びと苦しみ』があった
『親孝行』という『業の回収の修業』の果てに生まれた『和の心』
『足りない所』に『必要な和を足す』
『足るを知る』とは、まず『自の心を労わり息苦しくない自由』を得る
その上で、満たされたら『周りの足るを知る』事で『足りないを和足す事』ができる
そうすれば、周りも満たされ、『和』が生まれ広がる
『一人の和』が一+人で『大和』となる
この『大』になると新たな『日』が生まれる
大日和
これを見る者達は『日和見』
大きな日の和を見る=『大日の和の心=安心=大丈夫』である
『大丈夫』とは『釈迦の事』を云う
「調御丈夫(ちょうごじょうぶ)」という言葉で、人を導くのが上手な人、つまりお釈迦様のような立派な人を表す
絶望のコロナ禍に『私の夢に現れた私』はこう言った
あの時現れた『夢の私』は『今の私』が体験から生み出した『和の心を和足して生まれた夢の現実の安心世界の私』
『自らの心』に『和の心』を『和足し』に来ていた
『今の私の心』がやってる事を『未来の私も心に素直』にやっていた
だが、その世界は『今の私の体験の先に生まれた後の可能性』なのだから・・
『和を持って貴しとなす』という教えは
『一つの現実』を越えた『別次元に至る』ための精神的な導き
『気づき』を和足し、『未来共同創造』の為に『今の私』、そして『可能性の別次元の私』がいる
『存在の連続性』は無くても『意識・心の連続性』は繋がっている事を確信した
これらの『体験からの気づき』だけは普遍的な『私の達成感』と言える・・が功績や名誉という『執着』はない(笑)
私はただ『適材適所の役割』として、それが『為すべき事の意識のひとつ』だっただけの事
気づきと学びの役目を終えたら、また意識は『素粒子』となって離れるだろう
以前、『魂が求める意識の観測の役目を終えた』のに『心が音を立てて壊れた』のは・・『初恋の人と結ばれない未練という自我の執着』が原因だろう
『執着を遺す』と意識の観測は『その後の現実(不安・不満)の続き』に向き『浮かばれない魂』になってしまう
だがその『執着を手放す事』こそが、『意識の観測』が『自由に次へ進む事』ができる
だから、『今の自分』が『何に執着』して『意識して観測』しているのか?
『目の前の現実』を見て、そしてその『感じた事』を『心にフィードバック』して
『夢の中の現実』で『問題を解決=釈迦』する事をおすすめします
『夢の中の現実』では『想像が創造の力を持つ=釈迦力』が使える
『自力』で『問題解決』に向き合う時、釈迦の『閃きのサポート』がある
『何に執着』しているのか『問題を具現化』し、どうやってそれを『解決』するのか?
夢の中で達成する=現実では問題ではなくなる
『問題ではなくなる』という事は『息苦しく』なくなる
『重い』と思っていた『思い込み』が『軽く』感じるようになる
現実では『呼吸』の快適さが『精神・波動の調和』のバロメーター
息苦しくない
自らの心が快適を感じる
そんな和の波動が満ちた空間を生み出すために
まずは自分の心を労わる事
それが心が前の心構え
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