倶利迦羅→ 八大龍王→和唐→日月→明→不動明王→大日如来へと気づきが連鎖する、陀羅尼(ダラニ)が伝える八大龍王の名が現す体とは失われない歴史(真言)だったという気づき
八大龍王の内の一王
前回、大日如来のある真言寺で不動明王の手印を組んで見た所、倶利迦羅=黒龍=天邪鬼という気づきをまとめたが
そもそも、その名は…
八大龍王の内の一王の名であり、『陀羅尼集経』では鳩利龍王とも訳されている
八大龍王は間違いなく夢で感じた…それも『空海の筆』に結びついた不思議な時空を超えた『旅を支える存在』だった
陀羅尼(だらに)とは?
陀羅尼は総持と訳され、咒を意味します。 仏教においては、修行者が心の散乱を防ぎ、教法の記憶や保持に集中するための呪文
咒=まじないは…マジない(ヾノ・ω・`)ナイナイ Σ(゚д゚;)
色即是空、空即是色=『そう思えばそうなる』の思い込みのプラシーボ(信じれば影響がある)
これは般若心経を『阿呆陀羅経(時代を見る社会風刺)』で漢字読みすれば書いてる事
それが『プツプツ念仏の霊感商法』の勘違い
↑↑↑これはなう(2025/04/02 07:13:46)の直感
?7の13は46?
『自然法則』の『忌』は『シミュレーション』 ←亜空間パスε≡ ヽ__〇ノ゚
ふむ( ・・ )という事は…
八大龍王とは名の集合体
八大龍王」はそれらの統一教典に法華経の会座に列した護法の善神とされる龍王は
難陀(なんだ)
跋難陀(ばつなんだ)
釈迦羅(しゃから)
和修吉(わしゅうきち)
徳釈迦(とくしゃか)
麻那斮(まなし)
阿那波達多(あなばだつた)
優鉢羅(ゆうはつら)
これらが八大龍王
並べたら『パターン』が読めるよね?
まず第一に釈迦とは『人物』ではない ←ここが認知の分岐点(亜空間の入り口)
釈=問題を解決する
迦=巡り合う
問題にめぐり逢い解決する=自力本願
その観点が一個見えていれば
これは文章になっている
文の章題=命題・テーマになっている
難陀(なんだ)
ななめ、まわりくねる、けわしい。 2. くずれる、おちる
それは難しい事(なんだ)
跋難陀(ばつなんだ)
ふみつけて歩く、とびはねる
踊らされる or 躍動するのは難しい事なんだ
釈迦羅(しゃから)
問題に巡り合い解決する…
鳥や小動物などを捕獲するための網 or 導き
和修吉(わしゅうきち)
和やかに修める士の口
徳釈迦(とくしゃか)
めぐむ問題に巡り会い解決する
麻那斮(まなし)
麻の国と那の国の昔の斤(交易)
阿那波達多(あなばだつた)
阿(始まり)は那の波達が多かった
優鉢羅(ゆうはつら)
優しい鉢が導かれてきたor人を憂う金の本が巡ってきた
こう読み解くと
険しい荒波を越えて漁業をしている
和の国の士の統治国から
問題解決の知恵(漁業or航海術)を恵まれ
麻の国と那の国の昔の斤(交易)があった
阿(始まり)は那の波達が多かった
それは穴場(漁業圏・ビジネス)だった
『阿』は気づきの『因』でもあり、それは『亜空間=有るけど気づかなかった世界』への『紛争の始まり』でもある
つまりこれは
『東日流外三群誌』における『蝦夷』の成り立ち
『アソベ族(和国)』と『ツボケ族(唐)』の『因果』を伝えている
『荒波を越える航海術』があり、『遠洋まで漁業をしていた和の国』と、その『技術を提供された那の国』
最初は『良好な関係』だったのだろうが、後に『唐剣などの武器商売』が始まる
刀の素材はおそらく交易で手に入れて、鉄の加工技術と武器の扱いは大陸から入った
『皮肉な物語の始まり』を感じる・・
『木、水、土、海、星、風』という『自然法則を理解』して『海の恩恵に囲まれていた生魚を食べる耐性を身につけた島の民』が
その海を越える『知恵と食の恵み』を分け与えた結果、『火の争いの知恵』が入ってきてしまう
『穴場』だったのは、『戦乱の大陸』からみて、『到達不能』だった『荒波に囲まれていた東方の島国』
それは『ニライカナイの仏国土』か『仙人のいる蓬莱』か
やはり『わからない』ではなく、『和唐』はあった
…という八大龍王の『名が唱題』になっている
『名は体を表す』という捉え方は『法華経の読み方』だった
無一文の『無を一問』問えば、『無を説明』する為に、『無から有を生み出す空想』のように
『名』を聞いたら、その『名=使命を説明しろ』と『阿の字』を見たら『観測しろ』という阿字観
私はあっ!Σ(゚д゚;)という閃光のように、『漢字』を見た瞬間に感じるのを『寝起き閃ワード』と言っていたが
要はそういう『阿字観→阿羅漢への導き』だった
その観点で内容を読めばなんて事はない
表で失われた歴史=『偽書扱い』された『東日流外三群誌』と同じように『和国の始まりとその因果』を伝えている
和やかに修める士の口=吉
ここに『德』があり、問題解決法を『徳(めぐむ)』
この流れ=龍は、さくらさくらの歌にもある
イザヤ、救いに行かん
ヨナ推し=世直しに救いに行かねば
イザは北
ヨナは南
『争い』はいつも『南』からやってくる
これは長い長い歴史の中で、『和国が鎖国』に至った経緯であり、間口を開くなら『南(出島から)』
しかし、そこもやはり『武器商人や人身売買』という『支那国側からの流れ者、野蛮な南蛮人』が押しかける
それができるようになったのは、『航海術』を教えて『島に到達』できるようにしてしまった…『渡りをつけた存在』がいた
それが『国常立尊の国譲り』←結果的に売国奴
『猿田彦』というが、豊臣秀吉も『サル』というのだよね
しかも名前は木下藤吉郎→秀吉=『吉』が入ってる
さるの言霊は、『遮り留まる』・・どっち側に遮ったのだろうか?
良かれと思った『善の吉を重んじた士の口』は、結果的に『身を滅ぼす災いの厄災を招いた因=始まり』でもあった(豊臣は梅毒で・・)
これが八大龍王という『唱題の名』の体を『直感』と『失われた歴史観』と『地域伝承』と『古き方言』に遺る戒め言葉の『ツボケこの!』という祖父が子供を『本気で怒る時にだけ出るという口癖』
かつて『津軽(北)』と『南部』の相容れない要因でもあった
『異文化交流』には『良い面』と『悪い面』がある
人や物、まだ見ぬ『未知との遭遇』はワクワクするだろう
しかし、それと同時に『支配欲、独占欲、都合のいい都合』という『組織化による権利(ルール)』の取り決め。それは『境界線を引く』と起きる『刀と刀をぶつけ合う鍔迫り合い』の緊張を産み、その緊張を解く方法が『文と武』
文は『上から蓋』をして納め
武は戦の『中に入って止める』
これらは『両道』だが、逆に言えば・・『争いをわざと』起こして、『目に見えないわだかまりの境界線』を引き、その『引き際(国境線)を定める』為に『武器と文(法律)』を使って実際に『分断統治』する
これがマッチポンプな『つぼけのやり方(火の智慧)』だとするならば、そりゃ『アソベ(先住民)』はたまったもんじゃない
『難癖』つけられて、『あや』付けられて、『善を吉とする者』は物も土地も権利も奪われる
そもそも…そんな『境界』もなかった所に、名前やルールや『禁忌を押し付けられて奪われて行った結果』が
襤褸は着てても心は錦
武士は食わねど高楊枝
という一部の抵抗勢力=弱き者を護る『北の豪族=侍蝦夷=鬼と化す』
人を支配しない環境(自由)に人を支配する知恵(不自由)が都合よくコントロールし始めた
『頭がいい』とは『都合がいい勉強』ができるだけの話
『地頭がいい』とは自然に巡る物事で智慧を産みだす事
『教科書の莫迦のひとつ覚え』は『想像力がない』から『同じものを繰り返す』
これは『宗教の教本』も同じ事で『開祖は自力=釈迦』だった
釈迦とは『人物』にあらず
問題にめぐり逢い解決する『流れ』
その釈迦の後を追い、『後の釈迦になる弥勒』とは『あまねく全てを記録して表現する者』という意味
問題解決した方法の『痕跡=釈迦』
それを見つけて応用した『記録を遺す=弥勒』
別の問題を解決する為の『道具として弥勒』を使う
『釈迦』の果ては『虚空像菩薩』
それは弟子達の『未来=未だ来ない姿』
この『涅槃寂静の教え』に至るまで全ては『物語風』になっているが、そんな『人物』は存在しなくても、『漢字の言葉の意味』を素直に読めば伝承される
だから今回
八大龍王という八人の龍。あるいは『人の行い』…のように『幻想的なメタファー』にしておいて
その実はただ表では『偽書』として消されてしまった『歴史の真言』を語り継いでいる
真言の『与えられた意味』ではなく、一度飲み込み『自力で釈迦力に弥勒』する
その『弥勒の化身の空海』が伝える『密教』
サンスクリット語を会得し、『唐』が滅びる前に『梵字(一字)』を持ち帰った流れ
その『一字』が表す『形象』がまた『物語と教え』を有無
密教とは『秘密の教え』…ではない
都合に隠された『歴史の真言を伝える事』が目的ではない
『促進成仏』とは仏になれと促し進める
それはつまり『無』になれ、『無一門』になれ
無という『流派』、無だから『全て』がある
全ては無にあるのだから有るものは『仏=ほっとけ』
咒なんて、マジない(ヾノ´°ω°)ナイナイ
これは無という『空間の密度』を伝える教え
この現実を『ベクトル(力の表層)』だとするなら、その現実には見えない『レイヤー(階層)』がある。これが『スカラー(密度)』であり、その全体を観る為には『素空観(スッカラカン)の無』にならなければいけない
無で『一文を生み出せる知恵』があれば、その何も無い空間に『閃光』が現れる
暗いと不平を言うよりも
進んで明かりをつけましょう by 釈迦
釈迦の言葉=法華経とは、時代時代の『釈迦達(自力で問題解決して答えを導いた)』が遺した『ことわざ』の遺恨
促進成仏とはこれら、『仏になった先人達』が遺した『ことわざ』に出会い、そのことわざが『どのように生まれた』のか?
『本の意味』を『他力の教えをこう』のではなく、『開祖の気持ち』を『自力で追う』
『無』となって『無に意識』を向けて『夢を観測』する
それは『仏の世界』と繋がり『三千世界を旅をする』
そしてその『夢の旅の終わり』の目覚めに、目覚めたら取り組むべき『唱題』を持っている
今日は( ¯꒳¯ )ᐝ「八大龍王…」か・・この間は信長と弥助~家康だった
私はこれが空海が伝えたかった『密教の促進成仏』だと納悳した
『現実のベクトル(金剛界)』から切り離された『夢(胎蔵界)』という『供養した先祖と逢えるスカラー(密度)の空間』を『意識が観測』すれば
己の心が希う望は何か?=『希望』
亡き月の王=『足りない』のは何か?
その『足るを知るヒント』というきっかけの『阿字観』(閃く今の心=念・因)→阿羅漢(業を修める導き・恩)→素空観(無に戻る・果=仏)
真言=『足りない望み』
念仏=『今の心は(先祖供養・恩)果ては仏』になる
『足るを知ったら』ほっとけ
仏陀・シッタールタ=『足るを知った(仏)』
八大龍王と同じで『名が唱題』になっている
だから思うんだ
『ブツブツ念仏』を『読経(カンニング)』しても無駄
咒はマジない(ヾノ´°ω°)ナイナイ
考えない奴、『試行錯誤』しない奴・・それは浅い、薄っぺらい、教科書に書かれた事しかやらない『莫迦のひとつ覚え』
釈迦になれない者を『莫迦』という
それは悟れないのではなく『喩えられない』
言葉を転じられない、新たな授記を書けない
『応用』が効かない具足の息子
自分の息子をへりくだっていう語。 豚児 (とんじ)=貪瞋痴
全ての無理難題に『応じられる倶』と書いて、『阿羅漢』である(先祖供養)
釈迦の教えの『ことわざ』の数々は、そのまま『鵜呑み』にしたらただの『メタファー=隠喩』
言いたいことをストレートに言わず、『解き明かす』のに何重にも『知恵の密度(スカラー)』が含まれている
それをひとつずつ、『現実の実体験の応用』で『無い鍵』を想像で創り、紐解いていくと…『説き明かす事』になる
『説いた問題を明らかして伝える』為に様々な表現(歌・詩・彫る)をする『弥勒』になる
「なんて難しくて有難い教えなんだ!!いや〜法華経ってほんと素晴らしいですね〜!それでは皆さん、さよなら、サヨナラ、さよなら」
=仏(ほっとけ)になり…
その『痕跡』として遺した物を
「…これはなんだ!?Σ(゚д゚;)」と『自力で解こうとする者』にとっては、『かつての弥勒が釈迦』になる
こういう『エネルギーロジック』になっている…と気づく頃には、なぜ自分が『釈迦を追っている』のか?それは自分が『弥勒(先祖のことわざに魅了されて新たな表現で伝えようとしている)』だと『納悳』しなければ始まらない
つまりは『龍=流れ・そういう導きのエネルギーそのもの』であり、『氏名の使命』で『ご指名』されて『今という意識』が『観測している空間』に『有る存在』
『役目』が無くなったら『今の意識は必要ない』
存在すると言うことは、『役目』がある
存在するとは『無駄』な事ではなく『無陀!』
無難陀(むなんだ)
まわりくねってけわしい
くずれおちる
それは難しい事(なんだ)
でも『有難い事』なんだ
『僕羅=人の業の導き』は、みんな生きている(先祖供養)
友達難陀 ← そこから『阿の紛争』が…(以下繰り返し)
なう(2025/04/02 09:11:16)
え?これも911ライトワークだったのか
これを読んだ誰か『一人の無意識』の中に『閃光を産んだ』と言うことか、無駄ではなく『無陀な行為』( ・・ )だんだんわかってきた(笑)
LEAVE A REPLY