空海の遺した三教指帰と聾瞽指帰、漢字分解読みしたら真相が何となくわかって、業の回収とその役目と気づいた話
寝起き閃ワード 空海
( ¯꒳¯ )ᐝ空海?梵字関係かな?と思ったら、なんか突然空海の『三教指帰』が気になりだして、調べた
若き日は山岳信仰その後は沙門空海諡号【弘法大師】
空海真跡【聾͡瞽指帰】が大原典金剛峯寺に秘蔵されたり
これは若い時は「儒教も道教も仏教もダメじゃねーか!」と調子こいた事を言ってたけど、今思うとなんて若気の至りだったんだろう(恥ずかしい)・・そこで改めて『考えが変わった事をまとめておく的なもの』・・だと以前どこかで聞いた気がするが、真偽はシランケド
確か私は以前空海に興味を持った時、空海が『弘法大師として神格化されたのは死後』
空海が『真魚』の時に言っていた『三教批判』が邪魔(仏教側にとって都合が悪い)から
弟子が都合よく書いたんじゃね?
と思ってた
ま、未だにその答えは『死人に口なし』なのでどう解釈するかは『真相は分からない』が、少なくとも『あの時の私』はその『中身』にまで興味は至っていなかった
今回はその【空海弘法大師自筆の名著『聾瞽指帰』 高野山金剛峰寺蔵】中身を紹介しているブログが気になったので、そこで紹介されていた漢字を感じつつ、自分の中に落とし込んで見る(あくまでも独自解釈なので、その辺の御用学者説とは別物)
聾瞽指帰
まずこの四字熟語から始めると
『聾』とは物事にくらい。心がくらい。
『瞽』とは目の見えない人。盲人
なんて自分の心は暗く、なんて『周りが見えていない盲人』だったのだ…と物凄い反省、改心が込められた四字熟語
三教を批判したタイトルにも着いている指帰とは、『指差し』は行為としての『レッテル』でもあり帰るとは『掃う』にも似ているように、箒でサッサ!と『払う動作』と見れば若気の至りの三教?シッシヾ(*´ー`) ポイ
という自分が『名付けたタイトル』に対しての『アンチテーゼとしてのアンサー』が『聾瞽指帰』=無智蒙昧を謹んでお詫び申し上げますm(_ _)m となる
この時点では本人が書いたのか、それとも…「師匠がなんか若い時にすんませんでした」と、密教が仏教に『統一』して行く過程で弟子が書いたのかは分からない
【物情不一】【飛沈異性】
物の心は一つならず鳥と魚は違う性質
と解釈されているが
【面容魁悟】【容貌魁偉】
顔形優れるとは世に言われたる【容貌魁偉】
と解釈されているが
姿かたちが立派な様子。 容は、体つき、姿。 貌は顔つき、外見。 魁も偉も、大きくて優れていること
うーん( ー̀ωー́)まだ『本人感』が感じられんな…
【喜歓踊躍】【踊躍歓喜】
喜びを動作に表す踊る喜び
と解釈されているが、この辺からおや〜?と私の「直感」レーダーが働く(´◉ω◉` )むむ?!
私は以前、『踊る』と『躍る』には『明確な違い』があると気づいた
踊る(受動的・扇動・流れに乗る)
躍る(能動的・先導・流れを生む)
そこで『歓喜踊躍』を調べると
【歓喜雀躍】. 〘名〙 非常に喜び楽しみ、こおどりすること。喜びいさむこと。歓喜踊躍。欣喜雀躍。かんきしゃくでき。
『歓喜雀躍』とでてきた
漢字分解読みすると、『権』力が『欠』けた『喜』び、『雀』は『躍』るように羽ばたく
これは尾が短い鳥は飛ぶ際にパタパタと自力で風を産まなければ行けない様がまるで『楽しげに踊っている』ように見える形容だから意味としては通る
それを…
踊躍歓喜となると・・
誰かに踊らされるのも、自分で踊るのも『権力を必要としない喜び』であると、広義で見れば『全ての事は愛でした』とも言えるが
なんか「三教に逆らってすいませんでした。自力も他力も『力は一緒』ですよね?」という『謝罪の入りの流れ』が抜けないな〜
【千種千彙】
多くの衆生仏教に帰依して風に乗り至ること
とあるが…
『彙』とは同類のものを集める。その集まり。また、同類のもの
つまり千の種、千の同類…という表現はできても、仏教に帰依とか風に乗るとかは誇大解釈
とても世界を旅して『それぞれ違うもの』と最初に表現している【物情不一】【飛沈異性】=物の心は一つならず鳥と魚は違う性質
これと『矛盾』する
改心して納めてる熟語に矛盾があったら『未熟』だよな?怪しくなってきたぞ?(´◉ω◉` )
【慈悲慈檄】
慈悲の羽檄を十方の衆生に分かち与えること
うーん『解釈が飛躍』してんな〜(´◉ω◉` )『十方の衆生』なんてどこにあるの?
慈しむ悲しみ
慈しむ倣
『慈』とはいたわり育てる。父母が子を愛する心。なさけぶかい
『倣』とは先例をまねる。まなぶ。ならう
うーん(´◉ω◉` )
終始…三教に逆らってすいませんでした
今後は「同類」として「先例に学ばせて貰う」ので
父母が子を育てるように「お慈悲」をください
とも読めるんだよな
【讃唱関関】
八部四衆集まり仏徳讃えて詠唱すること
とあるが
『讃』とは他人の美徳をほめる。たたえる。
『唱』とは声に出してよみあげる。ある文言を声高に言う
『関』とはかかわる。かける。あずかる。 「関与・関係・関知・関連・関白・関心・相関・連関」大事な場所。しかけ。時機、さえぎりとどめるもの
『三教の美徳』を『声に出して褒め称える』ので『遮らない関係性』を
と流れるように読めてしまう( ー̀ωー́)
どこに『八部四衆集まり』とかあんだよ?
【自他利済】【自利多利】
自己と他者とを利益救済世に言う。自らの仏道修行により得た功徳を、自分が受け取るとともに、他のためにも仏法の利益をはかる
『自他利済』は何となくわかる『カルマの肩代わり』自分が他の利になる事を済ませる、借金の肩代わりになる事で、自分は『有難い体験(苦行)』を得て、他人はその『苦しみから解放』される徳を積む修行
究極のマゾヒストだね(´◉ω◉` )Σ(゚д゚;)
真実的にはその人の『因果応報の学びの成長の機会を邪魔してる』んだけど、もっと『広義な次元』の目で見れば、『他人も過去の自分(まだそれを経験してないだけ)』だから結果『自己救済』なんだけど…
そうなると既に『クリア済み』の事を下ばかり見て延々と『自分で自作自演で繰り返す』だけ
前に進めよ!ヽ(#゚Д゚)ノ┌┛Σ(ノ´Д`)ノ
って思うけど…
「自利利他」は商売の原点なんだって、つまりは『ビジネスが関係』してくる
そうなると1つ前の『賛唱関関』の意味も加えると
「今後は遮らないでビジネス関係を上手くやっていきましょう」 となる
はい、まとめてみよう
空海(本人)がかつて批判した『三教(儒教・道教・仏教)』に対して、世界を旅して『自分の愚かさと天狗になっていた事を反省』した後に『自己否定』した聾瞽指帰(本人か不明)の内容は
物の心は一つならず『鳥と魚は違う性質』でして、大きくて優れていること、長い物に巻かれて『自ら躍るも誰かに踊らされるも喜び』でして
それもまた千の種、千の『同類のひとつ』
三教に逆らってすいませんでした。今後は同類として『先例に学ばせて貰う』ので父母が子を育てるように『お慈悲をください 』
三教の美徳を声に出して褒め称えるので、今後は遮らないビジネス関係を上手くやっていきましょう
なにとぞよしなにm(__)m となる
さてさて、空海が一方的に過去に批判した『三教にへりくだった証文』のように綺麗にまとまってますが…
私はこれは『空海が書いた』のであれば可能性はひとつ
空海に込められた言霊と役割
『密教を受け継ぐ弟子達』が、今後苦労しないように『教えが絶えない』ように『道を切り開いた』とも言えます
というのもまず空海は『仏教を学びに行く』と言ってその元となった『チベット密教(初期ヴェーダの梵字)』を持ち帰ってきたのは有名な話ですが
その古代インド、ヒンドゥー教の教えは『後に消される事』を『先見の明で悟っていた』としか思えない行動
それを『師弟関係』で受け継がせて行く『真言念仏密教スタイル』に対して、仏教はその『派閥』を爆発的に広げる『免許皆伝方式、経典(教科書)スタイル』になって門下を広げた時
間違いなく『密教を邪教として追い払う流れ』が起きる…と読めたら、その『一門を仏教の傘下』に入れて「木を隠すなら森に…」とする為に
過去の自分(空海になる前の三教を馬鹿にした真魚)と三教との軋轢となる『三教指帰を間違いでした』と完全に取り払うだけでなく『謝罪』もしなければいけない
さて、そうなって来ると最初の『一文』が深い
【物情不一】【飛沈異性】
飛ぶと泳ぐは異なる性質
これは『真魚だった自分(若い時)』と『空であり海である(受容)の今の自分』
『存在は同じ』なれど『物事への捉え方は違う』のです
と、そうやって読みとくと空海の思惑がもっと『達観した所』にあると見えてきますね
当時、仏教の代表者とも言える『最澄と空海の二大巨頭のシンボル』の片方が『仏教に帰依して非を認める』というのにもはや誰も文句をつける事は出来ない
つまりは『空海の教えはそこで絶えない事が確定』し、『弟子に生きていく場所』を遺した
『托卵』したんですね、密教を仏教の中に
托卵とは動物の習性のひとつ。自分の卵と誕生した雛への世話を他の個体に托すこと。育ての親は仮親と呼ばれる。もともとは鳥類の行為を指したが、魚類・昆虫類の行為も指す。 巣作り・抱卵・子育てなどを仮親に托すことを托卵と表現する。一種の寄生
これがうまくやったなぁと思うのは、後の日蓮が法華経から独立した時、日蓮宗という『仏教を裏切った者は徹底的にその教えを妨害』された事からもわかります
馬鹿正直に正面突破だけが方法ではないと、さすがは空海、まるで『未来の失敗を見てきた』かのように・・(この人そもそも空海説・・)
その『真言や念仏』、そして『梵字』が今に残るのは、この証文一枚が歴史を未来に繋げた…と私は『尊い解釈』に至りアムリタを感じた
だから私も指帰しなければいけない
弟子が都合よく書いたんじゃね?×
師匠が弟子の為に自らの業(過ち)を回収した〇
その若りし日の『真魚の思い上がり』で触るもの皆傷つけたギザギザハートの三教指帰を、大きな『空と海という広い心』が受け止めて元に戻す『大きな愛の親心』が空と海から生まれた『子達(弟子)の生きる場』を生み出した
なら私たちは『地』に足着いてしっかり『根』付いて『木』になってそこから生まれる『実を大切に』しなければいけない
空海という『名』は『全てを生み出す受容(受け皿)』という『体』だったんだ、『存在しなければいけなかった役割』なんだ
くうかい の言霊は 引き寄り生まれた力の伝わり
念仏とは今の心の仏
あなたは今何を求める?心で唱えよ(ご唱和下さい)
真言とは『心現』である
漢字なんざ心で意味を当てればいい
真言念仏=音(響き)は変わらない
ナムアミダブツ(音の響)
『名』無阿弥陀仏(まだ名のない宇宙の可能性)
『奈』無阿弥陀仏(まだ叶っていない宇宙の願い)
そこに『意識』を飛ばす即身成仏(名を持ち叶った未来の今の心)
『叶った未来の心』と繋がれば、『過去への導線』が創られる
時間は『未来から過去へ』と流れる
過去からすれば未来を手繰り寄せる引き寄せ
未来からすれば過去を手繰り寄せる引き寄せ
その導線は道中『次元』を超えていくから、その都度、『その領域の常識』を解脱して行かなければいけない
例えば私が今回、「弟子が書いたんじゃねーの?」と疑惑を持った気持ち(常識的・穿った物事の捉え方・真魚の若気の至り)
それを空海が納めた指帰を読む事(独自に読み解く四字熟語)によって、それは何段階も先の先の『次元の未来へと繋がる達観した導線』であり
その『救いの糸のような導線』に気づいて初めて、その『思い込みによって囚われた次元』から解脱ができるようになる
これを延々と繰り返した先に、『空海が思い描いた未来』、その空海に『未来を見せた先人達の理想』がある
死後に空海が『神格化されて弘法大使』となったのも、単純に『道を遺してくれた師への弟子たちの感謝』から必然的になったという新しい物の見方も生まれる
そんな感じで、『閉鎖的で発展性のない不毛な議論(指帰は本物か?偽物か?)』への疑念が取れた今、空海が日本に持って帰ってきた『梵字』に関するあらゆる事への意欲が増した
という訳で一曲どうぞ
ボーン(梵)tobe(飛べ) ワイルド(野性)( ̄▽ ̄)Σ(゚д゚;)
歌詞サビ 和訳
そうさ相棒!やってやろうぜ
この世界を愛で抱きしめよう
全ての銃をぶっぱなせ
宇宙まで爆発させろ
これは愛で抱きしめる『超圧縮』と宇宙まで爆発させろの『BIGBANG』
『野性』なのに『理論』というちょっと面白雑学でした(笑)
LEAVE A REPLY