大きな意識の中で小さな意識を育て集合しては分離する。ルーツを辿ると決めた時から始まる意識の時間逆光?
寝起きひらめきワード『時間逆光』
( ´꒳` ) .。oO(時間逆光?
ここでポイントは逆行ではなく逆光
逆に行くではなく、逆に光る
つまりは移動、映画TENETのように時の流れが逆再生という考え方ではなく、光の当たる向きが変わって、投影によって映し出される物が変わる、景色の見え方が変わるという感覚
逆光で撮影(客観的視点)すると自分自身も輪郭の影(黒い質量)にしかならない、光無くして自他を認識できない。そんな真我以外、一切空の幻の世界にいる間が空間であり、その瞬間のコマを連続して繋げたものが時間
合わせて時空間であり、そこに意識が存在するには、光がなければ自分というカタチを認識はできない。その光の当たる方向へと進む事で、過去は影、その瞬間の心は陰となり切り離される(自分)という所までは、ホツマ夢黙示録3で理解していたが
その明るい未来への導きのような普遍的な光源が移動すると、自分という存在に現れる陰影もまた変わる。例えるなら正面顔は自信が無いが、角度ならいい線行ってますよ私?みたいな角度美人や、体はだらしないけど、手は綺麗な手タレとか
影の中にあって気づかなかったけど、脚光を浴びるポイントを見つけるのは、光の当たり方しだい、つまりは意識がむく=観測点が変わるという事
ここから面白い解釈になっていく
光の差す方が体の正面に固定して向かって進むのが一方向の時間の流れ(過去・今・未来)としたら、光の差す方が常に体の側面に当たるように固定して進んだら、それは時空間の流れはどうなるのか?
ここでは光源の位置が変わらないとした場合、光を側面に捉えて進むという事は、必然的に光との距離は縮まらずに、光源を軸にした円運動を行う事になり、その場合、一定の所から徐々に時間の流れが緩やかになる事を意味し、また半周回れば
そこからは今まで向かって来た側に逆に進みだすために、時間の逆行にもなる瞬間が来る
仮にこれを陰陽の調和状態とした時、光の当たっていない側面には常に影が見えている事になる。これが深淵を覗く者は常に深淵に覗き返されているという意味では、闇と光の淵(縁・境界)を認識し続けるという意味かもしれない
ここで陰陽はバランスであり、常に中心の微調整が必要であると考えた時に思ったのが、光源は常に動いている(動かされている)のではないか?という考え方
これは未来は決まっていないとも取れるが、光源の位置が変わるからこそ、光と闇の縁を行く存在には遠心力の動作が生まれる。例えば光源の高さが上に上がると光の当たる範囲は狭くなり、必然的に影の部分が増える
逆に光源の高さが下に下がると光の当たる範囲は広くなり、必然的に影の部分が減る、同様に光の強さ・弱さによって相対的に影の範囲は変わる
それが光を認識している空間というもので、私たち物質的な体の目が捉えている光子の範囲。逆に言えば光子が捉えられない、影(陰)の空間(科学はダークマターという)もあるが認識できてないだけ
と、あくまでも物質的な光源=太陽や月、人口的な明かりを例にしたが、それに囚われてると道を踏み外すんだな〜と何となく思ったのが
本当の光源は目に見えないんだ( ー̀ωー́)という確信
忘れてるのは色即是空
目に映るものは光すら幻
だから陰陽の調和には心の安定が必要で、心の安定の根幹には内観した自身の中にある光、自らの明かりが頼りになる
最初に言ったように光がなければ自分の輪郭すら認識できない、もっと言えば、外に自分を客観的に映し出す鏡のような反射(光)がなければ自己認識すらできない
しかし自分が自分を認識して照らす光を内側に持ち自らが光源になる、これで自分自身とは周りにどんな影響を与えている存在なのかを内側から見る事もできる。
これを自明の理という
意味:あれこれ説明する必要のない明白な道理。 それ自身で明らかな論理
そしてその光が強くなり外に漏れ広がるようになると、手元足元の範囲の闇が遠ざかり、今まで見えなかった影の正体が見えてくる。1歩ずつ1歩ずつ、足元を確かめるように自らの光が進めば影の中身が明らかになる事を確認して、さらに自信を持つと光はより強くなる
今度は見たい方向に光を向ける。その動作を先見の明(さきみのあかり)=閃きと言えばしっくりくる
その道理の先を見たいから明かりを向けるという単純な闇を切り裂く閃光
これは簡単に言えば懐中電灯持って暗闇を歩くようなもの、最初は小さな光しか出ないから照らせる範囲も少ないけど、自身の中に自信が着くと光の強さが変わってくる
3m先の一角までしか照らせなかったのが50m先の全方位までハイビームではっきり照らすように、強い光で闇を明るみにする。そうやって気がついたら自分が光源になって、方向関係なく過去も未来も好きな方向に行けるようになる
例えば、古い映画を見直したら、当時とは全く違う印象の作品になるとは、わかりやすい過去意識改編だと思う
その認知が変わった瞬間に、その当時から繋がる経験の記憶なども全て違う捉え方ができるようになり、結果、存在しなかった別次元の第三の選択肢がその瞬間に生まれ、それがあの時できていれば!・・と確信的な答えが生まれた瞬間に次の事が起きる
意識の分離と旅立ち
私は並行次元の意識が融合して来ているという表現を何度もしているが
※ほかにも色んなとこに書いてて拾いきれない
今回のでなんで今までそんな事が起きたのかわかった気がする。冒頭で言ったように、動く光源=本流のシナリオを追いながらも自分軸は闇の淵の動きも見て、善悪二元論の中心で正気を保つ
そんな意識で生きてきた結果、私は円運動になりながら、自らが見えない光の光源となって、自分の周りの闇に突入した結果、闇堕ちしていた自分自身(止まった空間)を救出する事ができた
あるいは光が当たらなくて影に埋もれていた自分自身の小さな光を大きな光で吸着した。これは陰陽理論の小さな陽は大きな陽に惹かれるの理屈(核融合)
そうやって磁石で砂鉄を拾い集めるように、私は陰に埋もれてしまった私自身を核融合させていった結果、大きな陽から陽を吸収した小さな陽(パワーを得る)は、同じ陽のレベルになったら離れていく
それはつまり、俺もっかい頑張って見るよ!(*´罒`*)とその瞬間、瞬間の過去に心の光を持って分散していく
イメージはこんな感じで、ひとつ一つが私の心の光(中心の光源)を宿した別次元の役割を持った私で、それぞれがそれぞれのその瞬間の好奇心と意欲に従って、先見の明の閃光でその先を照らしている(洞察)
肉体という器と環境がある以上、そこは光の当たらない影=客観的な投影の燈台下暗し
意味:灯火をともす照明具の下の辺りは、周囲よりも暗い。世間のことをよく知っている人も身近な事柄に意外にうとい
そうやって
終わった過去
失敗した過去
やり直したい過去
それらの後悔に、ちゃんと向き合ってやり直そう!と光を持った自分の意識を戻す。それがトラウマ克服の夢だったんだと今ならわかる
後悔は先には立たず後からついてくるが、ついてきた後悔をその後どうするかは人それぞれ(ま、忘れられないから後悔という闇)
だから一周廻ってもう一度向き合って解決する、それが時間逆光
そして一周じゃ拾いきれないカルマを解消するために何度でもやり直す
それが輪廻転生
文字通り、輪(環)を廻るように転がって生きるを繰り返すという真理
これは逆もまたしかりで、今の私の意識はかつては、お先真っ暗な影の中にいた。でも夢で現れた自分自身がお前は大丈夫だ(*´罒`*)好きな事やれ!と、光の消えた空間に囚われていた私に光を与えてくれた
それで今の私の意識が、自分を磨き(精神修行)大きな繰りの氣の根を張って根付くアンカーの役目になり、分裂している自分自身を引き寄せる宿り木となった
ワイヤーつけた好奇心ぶん回して意識が惹かれるものに吸着し、それを強い意欲というウインチで巻き上げる。それで釣れるのは光を失って影に埋もれていた何処かで無くしたアイツのあいつ(並行次元の私)
この光の球を闇の中でぶん回す遠心力と軌道がまさにカタカムナ軌道や銀河構造と一致する
姿形や善悪関係なく、惹かれるものにはかつて全部自分に関係がある事だと思う。好きも嫌いも感情論で、その両方を持っているからこそ向き合う必要がある
何故その時好きだった?
好きだったから何をした?
何故その時嫌いだった?
嫌いだったから何をした?
それらは全て因果応報に繋がる業
向き合わなければいけない課題
これは今として認識している現代という西暦2000年代に限らない
意識の旅は、光なき世界に光を灯す作業
夢の世界って終わった世界もある
でもその終わった世界には終わる原因があったのだから、その原因を確定させた時にひっくり返す事ができる
それじゃタイムスリップやタイムリープじゃないか!!と現実的な話に結びつけると科学では証明出来ない
例えば、この世界が滅びました
でもその後救われました
と言われれば???( ´ ▽ ` )になるよね。繋がりがないから理解不能、ここが目に見える限界
そう、観測者(生きて見届け伝える者)がいないからその事実があっても確認する事ができない。観測者がいないのに救われた事実をどうして知っている?というのもまた愚の骨頂なんだけど
原因と結果という因果応報
結果に至る原因をつきとめ、それを止められる誰かという意識が芽生えれば、それは必然的に生まれるエネルギーを引き寄せる
しかし、その要因はとても複雑で、新たに生まれるのか、既にいるものの意識が変わるのかはわからない
わかりやすく現代に合わせて言えば
日本の医者全体が目を覚ませ
金に眩ませる事無く世界の医療を見ろ
都合のいい情報だけじゃなく都合の悪い情報も見ろ
……と書いてる時間がまたしても誕生日の919(不思議だ)
両極併せ持って自分で判断し、人を救う医療とはどういう事か?をよく考える必要がある節目に来ている。ワクチン非接種で健康な人間は何故健康なのか?どうしてそっちに目を向けないかをよく考えるべきだ
①科学調味料など人口化合物を極力避けて無農薬な自然の野菜や魚を食べていたり
②一日一食で腸の活動負担を減らしていたり
③適度な運動で快適な睡眠をとっていたり
④日光に当たり風が運ぶ自然の木や花の匂いの中に含まれた自然細菌を取り込んでいたり
健康だから医療の世話にならないのではなく
医療(薬)で体をいじくられないから健康なんだ
という、根本的な医療というビジネスにとって都合の悪い事をやってる人達が健康だという事実を認めた上で、今の自分達が人類の破滅への片棒を担がされている手先(汚れ仕事)という事を悔い改めて意識して、本当にそれでいいのか?と自問自答する必要がある
2年前にはもうはっきりと自然免疫システムが壊れると専門家が声を上げていた論文に、耳を傾けて真剣に受け止めて動く医者が多ければこうはなっていなかった
今騒がれだしたコロナ感染で死亡者増加という流れは2年前にNYとイタリアで、死亡診断書の死因の偽装で基準を見直したら9割減ったという、使い古された詐欺行為という事も
死亡診断を下している医者の中からもっと基準への疑惑を言及をすれば、死因がコロナ死ではない事くらいわかる要因が山ほどあるが、これらに一切触れず、デマや陰謀論と一般大衆と同じ思考停止にさせられ
医療という組織の中から牙城を崩す姿勢が見えない限り、忙しく頑張った医者や看護師とは思えず、悪党の被害者ビジネスの片棒を担いだ手先の戦闘員としか思えない
腐った大人、怠惰でクズな人間は死んでも構わない、罪悪感がないという、自分の体を欲望のままに痛めつけてきた奴は自業自得だろ、という理念があるならそりゃ構わんが
健康で未来ある若者に毒物(予防接種は将来の爆弾)を打つという行為は、もはや責任逃れはできない。多くの良識ある親や打ちたくないという子供たちは医者からのストップを待っている
先人の医療従事者達がやってきた慣例だから従う
間違っていたとしても従う
気づいているのに止めない
多くの人が止めてくれと懇願してるのにやる
今、世界一の病原体国というレッテルの原因を作っているのは、世界の最先端で毒物をばらまいてる医者と製薬会社と電磁波環境。その原因を追究しない事が人類が破滅の道に向かう…
という事を認知し、考えを改めはじめ、止めよう!変えよう!という意識が行動として現れたなら
それはもう、滅びても救われる世界は確定した(*´罒`*)闇の中から光が生まれる
そんな意識の医者が、お先真っ暗な闇の中にいる事に気づく(自分の中に明かりが灯る)、そして自分の行いを見つめ直し、正気になって精神修行して陰陽調和(心が安定)し、時間逆光によって過去の過ちを振り返り
「あの時、俺の小さな行動でみんな助かったんじゃないのか?」
と陰の中で光を失った当時の医者の自分に「おい!お前!!目先の金に目がくらんでんじゃねーぞ人類を救え(`Д´)ノ)罒`)」
この時代に起きた事に心を痛めて後悔し、悔い改めた医者の魂意識が、夢の世界で時間逆光し、終わった過去の意識の改革を促せば『今この現実の結末は変わらない』かもしれないけど
今度こそは!!( -`ω-)✧と行動を改め別の選択を実行した意識の世界の人類(その人の意識)は救われる
ワクチンで先に逝ってしまった人達の意識は、そう言う世界で『被害者を救う側』に行ったのさ、失敗して苦しんだという魂の経験が次はそれを選択しない!という強い自由意志のエネルギー(精神抗体)に変わる
救世主とは一人一人の意識の中に宿る自由意志
1人が動き、その1人に影響された者達が動き、そのムーブメントは大きな心の光となって伝搬して広がっていく。これは目に見える表のデモ活動という事では無い、心から変わるから望む世界の引き寄せが起きる
だから結果、滅びという失敗があるから滅びは免れる事になる
という『現実の一生』という概念に囚われない自由な発想が出てくるのは色んな非現実的な事を見て体験したからかもしれない
もちろん夢でだけど(*´罒`*)
その夢の中で現実では知らない知識を教えられて、目が覚めて調べたら本当に現実にあった
そんな経験すれば、その夢の知識はどこから?その知識を授けてくれた存在は何処に?
現実と繋がっていない場所で現実の知恵を得る
だから真理の探求、自己のルーツを辿るための内観や哲学は面白い(*´罒`*)
カタカムナ44首 思念読み
こんな不思議な理屈を寝起きにぽんと詰め込んでくる44首=士師と繋がる知恵を思念読みしてみよう
カムナガラ
マノハストヂノ
トキオカシ
ワツラヒノウシ
カサネツミ
メグルマノ
チマタムスビヌヒ
カタカムナ
アキクヒノウシ
ムカヒマリタマ
オキサカル
オキナギサヒコ
力が広がる核の内なる力の場(心)
需要が時間をかけて引き合う方向に進み、統合の内に凝縮し時間をかけて統合のエネルギーを奥から示す(心の葛藤)
調和が集まる場の根源に時間をかけて生まれた示し(本当の気持ち)
力の遮りが充満して集まった実態(問題)
思考が内に引きより留まり受容が時間をかけて凝縮し、需要が分かれ広がる方向に進み、内なる根源を抜けて、根源から力が分かれ力が広がった核(行動の意志)
命のエネルギーが引きより根源から時間をかけて生まれた示し(新たな意識)
広がる力が根源の受容から離れ、分かれた受容の奥にエネルギーを遮る力が留まる(過去のトラウマ)
奥のエネルギーの核が内なるエネルギーを遮る根源に転がり入る(トラウマ解消の意識)
これなんですよ( ´꒳` ) .。oO(毎回すげーな?
今回、自分の実感で得ている、体感が先で理論後付けの時間逆光の独自理論
途中で例に出した人類を滅びから救う世界線を生み出す医療改革者意識の誕生のプロセス。これ、カタカムナ読みが先で、私の感覚論や途中で出した例が後付けだと思いますか?
そうじゃなくて、書いてる途中で、自分でも驚きの919(またかよ!)な時間経過を見せているように、全部書き終えてから、思い出したかのように
( ´꒳` ) .。oO(そういやカタカムナ44首とか言っといてカタカムナに触れてねぇな…と毎度、後から余力で言霊読みして
Σ(゚д゚;)またシンクロニシティ!!って自分で納得して驚くから、どんどん意欲が湧いてのめり込んで行くんです(笑)人間の意識って理解の外側、初めてに刺激されるとめちゃめちゃ認知が変わるんですよ
そう言う意味では、私にとって夢とは実技という旅の体験、で寝起き閃キーワードから始まる夢日記は、座学で旅の経験を復習してるっていう感じなんでしょうかね
カタカムナ44首で納得した時間逆光は、現実を変えるのでは無く心の内側を変えて、別次元に強い意志を持った『今度こそは!!全員救ってやる!!』くらいのノア(Noor)の意識体を飛ばすメカニズムのお話
もしかしたら、愛国心ゆえに消されていった人たちの意識は、この現実では手遅れで救えなかった人たちを救いに行ったのかもしれません
って感じ?(*゚∀゚) あくまで感覚論 Σ(゚д゚;)
ちなみに、後で読み返してみたら、なんとカタカムナ7首の時に『逆再生』というキーワードが出てました
なんだか40首あたりで5.6.7首あたりに出てきている引き寄せのより詳細なメカニズムが出てきたり、最近私がだんだんとルーツを辿っている古代ヘブライや士師記の移民伝承に関する事がカタカムナ16首で出てきたり
その瞬間、瞬間の閃きの点を投げっぱなしなので、拾い集めて読み説くとさらに自明の理が輝きそうな予感・・根拠のない創作を延々と描き続けるという行為、やってる事が和田喜八郎と一緒じゃねーか(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
さてさて、44首はまだまだ色々な事を伝えてきているので、45(死後)以降の世界はしばらくお預けですね( ̄ー ̄)ニヤリ
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