単純な事だった、四字熟語は読んだら逆からも読み返す、黄泉返りの復活でワンセットだったという新しいパターンの気づき
終わりから始まる黄泉帰り?
先日、南無阿弥陀仏や名無阿弥陀仏を『逆から読む』と、『文明ルーツの位置』だったり、『悟って解脱する』とこの世界の真理に気づく流れだったりと見つけた訳だけど
いわゆる『右から読む』という昔の日本人は当たり前にやっていた方法で読み解くと、色んな事が新しくも、より細かいディテールで理解出来る事に気づいた
例えば
薬師如来
言わずと知れた全国に漢方や薬湯等治療の知恵を教えて歩いた存在だけど
逆から読むと
来如師薬
来る如く師の薬
『困ってる人』の元に『先人の知恵のような薬が来る』という『待ち人来る相互エネルギー』になってる
弱肉強食
強い物が勝つ!という『自然の摂理』を伝えているという解釈だけど
逆から読むと
食強肉弱
食べて強くなるのは一時で、『その肉』のせいで『弱く』なる
これは勢いは初めだけの『竜頭蛇尾』やどんなに勢いがあるものでもいずれは衰えるという『栄枯盛衰』にもあるが
結局、『食べすぎ』たら動きは鈍くなって『弱く』なるし、消化不良で『弱く』なる事かもしれない
人間でも太る理由は、消化しきれない量を食べたり、動物の油を通常の体温で燃焼できないからぶくぶく『脂肪』がついて『弱く』なる
『何を食えば強くなる』かは限定されずとも、『肉を食えば弱る』というそんな『達観した教え(仏教は肉禁止)』にも読み解けるわけです
勧善懲悪
善を勧め、悪を懲らしめること。 善人が救われ悪人が懲らしめられる単純な筋立て
うん、そのままだと『正義を盾にした善の押し売り』だけど、逆から読めば、
悪懲善勧
最初に悪があって懲らしめ、それを『前例』として『再発防止の教訓』を伝える
つまり『問題』が起きてその『解決策をアドバイス』するという『正しい教え』になるんだね
ん?(´・ω・`)このパターンは…
色即是空
周りに映るものは瞬間の想念なり
空是即色
想念は瞬間で現象に反映される
あぁ、やっぱりそう言う事ね!
『仏教用語』は『右から読め』ばいい
黄泉(読み)返りでワンセットなんだ
黄泉返りパターンで四字熟語を読んでみる
一日千秋 秋千日一
秋の一日が『千日に感じる(長い)』時はな?
秋の一日も『千日のひとつ(短い)でしかない』と思え
『自然』から『不自然』に『特別』に『分離』するから気にするだけ(´◉ω◉` )落ち着く心理
弱肉強食 食強肉弱
弱い奴を強い奴が食べるけど、食べて『強くなったつもり』でも『弱い肉ならDNAも劣化』して弱くなる。『弱い物虐め』は結果、肉体も精神も『自分が弱くなる』だけ(立場も)
確かに生きがってる奴ほど小物(´◉ω◉` )心理
勧善懲悪 悪懲善勧
薦める善で「懲らしめようぜ悪を!」というけど、『悪』を『懲らしめて』からその『善』を『薦めろ』よ
『正義を語る』なら『正義を成して語れ』
『善悪勧める=そそのかす』前に『やってみせろ』と戒め
勧善懲悪は扇動(他力本願)
悪懲善勧は先導(有言実行)
戒めの説得力の凄さよ(´◉ω◉` )
あ、ここで出てきたからこれもやってみよう
他力本願 願本力他
他の力を本に願うと願った本の『力は他に』いっちゃうのよね〜
『計画』とか『弱み』とか『他人に話す』と、それを『弱みや計画』として『他の人に使われて』しまう
パクリの心理(´◉ω◉` )願いは人に話すなのわかりやすい例
AIに「人類はAIに滅ぼされるんですか!?」と聞けば、AIは「そんな事をしませんよ~」と言いながら、『人間はそれを恐れている』と『学習』する
ほんと利己的な保身に走った馬鹿は足引っ張るよね。そういう『画期的で打ってつけ(疫病ワクチン)を打つ獣(無知蒙昧)な飛んで火にいるうつけ者(愚か者)の近くにいるから、足元を『掬われる』んだよ。『他力本願』だから『掬われた』という真理
でも結果、その『掬われた』という『失敗の前例』もまた『自然』の中では多くの人の目を覚まさせて『救う事』になるから良くできたエネルギーの相互作用
有言実行 行実言有
有ると言い実際に行うと、行いが実になり言った事が有る(起きる)
これは『有り得るの法則』でもそうだけど、『有ると信じて行動する事』そのものが『有り得る(可能性)』を生み出し『有り得ない』は存在しなくなる
(´◉ω◉` )こりゃすげえ、そりゃ1/9999の『369』とも出逢う訳だ(笑)
色即是空 空是即色
目に見える『現象は瞬間の幻想』であり『幻想は瞬間の現象』である
つまり思考も現実も何もかも『幻』(´◉ω◉` )深い
…とまとめ終わった時間 1111
エンジェルナンバー1111は『願えば叶う』だったかな?
つまり、この四字熟語を真に理解するためには『生』から始まり『死』に向かう、『読み始め』から『読み終わり』まで行ったら『黄泉帰り(返り)』で
『生死』の『死生観』を振り返る=『生き様が言霊』というワンセットの蘇り
前回の『南無阿弥陀仏』だけでも、相当な『知恵の黄泉返り』だったが、これ『仏門の人』がお経でやったらすごい事分かっちゃうんじゃない?悟っちゃうんじゃない?
少なくとも、お経の締めも『南無阿弥陀仏』の時点で『終わりはない繰り返し』とだけはわかる(どこから行っても逆を辿らないと見えてこない)
ま、私は『お経の読み方は知らない』ので、それは分からないけど、少なくとも自分が普段から多用している『四字熟語』は
『黄泉返りパターンで読む癖』をつければ、また何か『物事の裏』というか『新しい観点』が見えてきそうな?
熟語…熟成された語り
カタカムナの言霊では
内なる示しが自然に湧き出て引きより転がり出る
ははは(≧∇≦)まさに『言霊の黄泉返り』や!…と気づいた瞬間の私の心にまたアムリタが…(*˘⌣˘*)リラックス💭
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