好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

本来の本とは原典=法華経

本筋、本質は本→中に限る物語とルール。だから偽物は都合がいいが、法華経は解脱=解いて脱するが目的だからまずは解く=なぜという謎を追う所から始まる

本という言葉

例えば様々な芸人が『自伝』を書く
それは『芸人を目指す人の為』にはなるが
芸人を目指さない人には『本質』は合わない

『芸人理論・理屈』であって
求めてない人には へーほー( ゚ ρ ゚ )と

参考にしかならない『参考書という本質』になる
参考書とはメインに対する『サブ』でしかない

『参勤』交代とは
国の殿に対する『地方役人』でしかない

参とは『比べあわせる』なので
参議院は衆議院に『比べて…』程度の存在

いる?皆体(体裁)

こんな風に何を『本質』と捉えるか?
本の教えの『質』が自分に合わないものは

基本、『参考程度』のものなんだけど
その『教えが全て』と盲信するから宗教は酷い
宗教『信者』は惨い、『儲』けのカモにされている

鴨かもーんщ(゚Д゚щ)経典の教えウマー

宗教の『幹部(患部)』はすでに『癌=病は品山』に侵されているのさ
『莫迦(経典一つ覚え)』が『馬鹿(無知蒙昧)』を呼ぶビジネス

『物質的な本質、本筋、本当』とはそういう物

しかし法華経的な観点で言えば、経典は全て『例えの謎かけの問いかけ』ばかり

あくまでも『例題』を聞かせて『問う』訳です
さて、これは何を例えているでしょう?と

『目に見えるもの』に囚われるな
それは『安易で愚直な罠』だというように

わざと目先に『わかりやすい例』を投げて
しっかりと食いついたら、釣り上げる『疑似餌』

本質を問う(それは法華経か?)
本筋を問う(本の教えの繋がり)
本来を問う(それはどこからか?)
本当を問う(真偽)

例えば『キリスト教』というのは
元は『ユダヤ教』であり、その前は『ミトラ教』

だから『虎(ミトラ)』の威を借る『狐(稲荷)』のように『猫』を被る=『正体』を隠す
猫は『13番目』の干支(存在しないが存在する量子的存在)

しかし原点は『北極星、北斗七星信仰』
預言者システムの『星読みのゾロアスター教』

法華経は『ここ』を捉えている
なぜならこの『預言者』の部分が『法華経』

偽預言者は『法華経の模倣』をしているが『本質、本筋』がわかってない

『本来』がどこから来ているのか理解できてない
本当の『真偽』が理解出来ていない

真と偽は『対比』だが
究極は1と0=存在と非存在=有る無し

真は絶対的『一の位置』
天=一大事

だが偽は『人の為の立ち位置』の『一』を生み出す
『1が有る』となると『対比』の『無い』が必要になり

そこにまた『偽』の『真と空』の
=『真偽の間』が生まれるが

これはもはや『造られた神事』というより『人事』であり
『審議』が必要だから審神者が『神官』につく

これが『偽救世主・偽預言者』
『全ては人の為』という善し悪しで有無
『天』から『地』へと離れた二元論

それは1/1/1(137)の仮想空間
真/偽/偽=1/0/0=on/off

だから『真の教え』を理解する為に
真の教えを『身につけた存在』が『偽の世界に降り立つ』と…

なんで?なんで『こう』なってんの?σ( ̄^ ̄)?
これはなぜ?それはなぜ?あれはなぜ?

『なぜ?』とは自分の中に落としこもうとしても『素直に入らない=納得出来ない』という事

それは例えるならば『入るカタチの穴はある』けど『入れる物質のカタチ』が違う、カタチが変わってる

本当はあーこれだこれだ( ̄▽ ̄)見つけた!と『回収して終わるはずの業』が…
『汚い思想や尾ひれはヒレの間違った解釈』がこびりついていて

なんでこんな事に…となってる先人の叡智の言霊がたくさんある

まるで、誰かが釣ろうとして『釣り針を引っ掛けた』けど糸が絡まってもつれてもうどうでもいいやと『自己都合で捨てる為のレッテル』を貼り付けた傷物の魚のような…

まるで、自分のものにしようと無理やり手籠めにしようと強引に女性に迫ったけど、体は抵抗できなくても心は絶対に屈しない!と拒絶された腹いせに相手をけなして自己正当化しようとする小さい男のような

『惨く雑な貶める言葉に迎合する意味』になっているものを、そのまま『鵜呑み』に出来ないから、糸を解すように、問題の糸口を見つけて

釣りから学ぶ 問題解決の糸口の真意

(誰が何をすればこうなるんだよーったく(´-`).。oOと)

『解』して意味を忌みとして囚われた『思い込みの解釈』から『脱』する事で、『本来の状態』へと『戻す、正す事』になります

その過程で『真の姿に戻った状態』を見て、なるほど(´・ω・`)『こう』なっていたのか〜そりゃ『そう』動けばそうなるわな〜と

絡まり尾ひれはヒレがついた挙句、『放置されてそのままのエネルギーの流れ』が見えてくると、『その隠ぺいの事象を元』に『警戒するべき相似象も想定』できるようになります

『二度』ある事は『三度』ある
『木』を見て『森』を見ず
『井』の中蛙『大海』を知らず

そうなってはいけないな(´ー`*)ウンウン

と間違いを正す事で

本当(真偽)を見抜き
本筋(エネルギーの流れ)を辿り
本来(発生源)を突き止め
本質(これは学び)を理解して解く

解きほぐして執着から脱する=『解脱』…は簡単なんですがね
それじゃ〜『如来』にはなれませんてな話(ヾノ・ω・`)ナイナイΣ(゚д゚;)

如来はその『問題を学び』として『先人から承った事』で『成長を実感したのだから、これは『形象を継承』しないとその流れは途切れてしまう

しかし『そのまま同じ事』を繰り返したら『莫迦の一つ覚え』という、『模倣の思考停止の悪い前例』を残してしまう

だから、その時代時代にあった『共通の出来事』に例えて『問題提起を再構築』して『新たな成長の種』を残して行く

他への『問題提起』という存在の必要性

それが自分も衆生も導く『究極の解脱』

昔の人は『北極星と北斗七星を基準』に教えが広まった。いつからか人は『星』を見なくなって、人の世の『人の理』ばかりを語るようになったが

『龍』だけは『シンボル』として共通だった
それが『法華経=星読み』である証でもある

ならばその元は『星へと意識を戻す』為に『導線』を引く為の『例え話』に訳詞如来(。-人-。)

その時に『龍の理由』に気づいた

龍の形象 砲身の方針と多宝塔如来と薬莢と火薬

龍は流れである
発信源と行き着く先がある波
自分が波の発信源ならば

その波の向かう先
その波が振動で振るい落とす汚れ
その波の起こし方

これら『龍が流』である『理由』を
法華経の『守護龍というシンボル』が物語っている

先人の如来達はみな『龍人』だった
かつて『龍』で『人』になった存在

それはかつて『流儀』があってそれを『人として体現した存在』でもある
『経験』があるから『多様な表現』の『想像や創造の例え』が可能と言える

雲の龍に乗る夢

自分自身の事を『本人』という
それ以外の事を『他人』という

なんで『本人確認(客観)』というのか?
なんで『自己確認(主観)』と言わないのか?

本人とは

The person himself

自己とは

self

日本語が伝える『本』は訳されていない
『book(本質)』はどこに?

語源が『スッキリ』しないだろ?
嚙み砕かないと鵜呑みに『飲み込めない』だろ?

こんな『ルール』をどこの誰が『何のために作った?』という『人の為』の世の中は『歪』だらけ
それを『歪で気持ちが悪い』と感じるという事は、そんな『歪がない状態を経験してきた感覚』があるから

ただその『記憶がない』だけ

好奇心→名は知らないが『体は覚えている』
違和感→名は知っているが『体が合わない』

こういう『間違い』を正して『再構築』する作業に必要なのが『法華経の理解』だが、『解脱』ばっかり考えてると『その後』まで意志氣が巡らない

戻っては、また戻ってくる
自分の意志で

『終わりがない所』からやっと『自分の意志』で出たのに
また『終わりがない所』に『自分の意志』で戻ってくる

トンチのような話だよね(笑)

違うんだ

「ゴールはここだ!」という『水先案内人』として、『道』に迷ってる『過去の自分達を導く為』に戻る

『先人の知恵=アセンデッドマスター』として

それが『閃き』のエネルギーの正体
閃光のように放たれる『多宝塔如来』
飛躍的な爆発力を持つ『火薬の秘薬』

間違いを『破戒』し『穢れ』を吹き飛ばす
そして『命運の玉』を運んでくる次の命の『ニギハヤヒ』を

それが法華経の龍

白龍の導き 天地人を繋ぐ 命運を握る龍(流)=ニギハヤヒ?

だから『終わりなき旅』を楽しむ『問題や困難』にぶち当たっている

そんな問題から逃げないで『立ち向かう』と決めた次元の自分の元へ「その意気や良し!(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)なんか来たー」と『顕現』する事を繰り返す

そういう『別次元の自分の世界を助ける知恵』を『今の私の意識』で行ったりしてる体験
それは『夢』だけど、実際に『夢で自分の意志で選択』してやってる事

適材適所と臨機応変を実践で学ぶ トラウマ解消の夢3

だから『別次元の実体験』を
そのまま語れば『例え』になる

例えに『説得力』があるのはその発言の裏に『同じ状況』になっても達成させる『道筋』を描ける『漲る自信』があるから

既に『結末まで終えてきた事』を語る

そして『役目を終えた如来(例え)』は眠る
その『龍の逆鱗』に触れて『砲身から放たれ』るまで

なう(2024/02/10 11:11:30)

龍

『読み物の本』は『読み合わせ用』の教科書
『読み解く本』の答えは一つではない

『本』という『空間』から飛び出て、本を書いた『本人』やその背景、『何がきっかけ』でこの『物語』を描いたのか?

誰のどんな『言葉や音』に『感銘』を受けたのか? その『導線』を何処までも辿った時、『1人の人生の枠』を超えて『別の人生』へと繋がって行く

そんな『人の生き様を辿る』と『惹かれ合う感性』というものには『慣性の法則』がある

外力の作用を受けないとき、すなわち自由運動を行っているとき、物体はその速度を変えることなく運動を保ち続ける。 この性質を慣性という。 すべての物体が慣性という性質をもつことを述べたのが、ニュートンの運動の第一法則である、慣性の法則

(ヾノ・ω・`)ナイナイ ニュートンの慣性は『物理』(笑)

慣性とは『慣れ親しむ性質』
慣れるとは『居心地が良い状態』

『ある本の著者A』が『ある本の著者の本B』を好むと、それは少なからず『影響C』が現れる

読者も同じで『その著者の本』に『親しみ』を感じたら、その著者が『親しんだ元の本』にも『慣性』で興味が湧く

こうやって『自分』が『素直に興味を持つ歴史の偉人・異人』を『感性』のままに『慣性』で追い続けると

いつの間にかその『過程で遺した様々な軌跡』が『次の本質』として完成している
それを見て『歓声をあげる者』が『次の本』を描き始める

え?私は『本』なんて書いてませんけど?

(ヾノ・ω・`)だーかーらー例え話 Σ(゚д゚;)

『本人』という謎ワードを『前降り』したのは
ここで『結論』させる為

本=人生=生き様=book

Booking. 「予約」という英語でもうひとつポピュラーなのはbookingですね。 こちらはどうしてbookというのかというと、昔使っていた予約のための台帳を指しているからです。 これが本のようだから、予約という言葉にbookが使われるようになりました

予約=予め頼む→本人確認
世訳=世の中を訳す

本を書くのも読むのも
『前の私(如来・自身)』で『後ろの私(衆生・他人)』

『今の私』は『予め頼まれた本人』が『世の中を確認』して『訳して本』にする『衆生に伝える訳詞如来』の『渡し』

だから書き手も読み手も
『質』を『問う』=質問者→何故ですか?

『興味』はあるが『納得』いかない
素直に『鵜呑み』に飲み込めない

そこから『法華経』による『間違いの破戒と解脱』が始まるから…ある意味、法華経が『わざと解くのが難しい困難』を与えているけど

それは『その道』に関わらなければ『全く気にしなくていい問題』なのかもしれない

いわゆる『関係者以外立ち入り禁止』に近づかない
『スタッフオンリー』と書かれた扉を開ける奴はいない

でも…『あらゆる全て』を追い求めて…「開けてない扉はここだけだ…(; ・`д・´)ゴクリンコ」

こうなったらその『真理』に到達する
その『扉の向こう』から見ると実は…

『人の為』では『偽』から出られない
かと行って『自分勝手』じゃ『勝手口』

玄関とは別に設けられた入り口のこと

(ヾノ・ω・`)ちゃうて

『勝つ』ものの『手口』
正々堂々ではなく『邪道』
勝手な口=『勝てば官軍』
『月』の『券』に『手』や『口』を出す

『真を問う』とは『偽』もまた見捨てない
『真偽』を問う、『真の為』に『儀』がある

『人』の『羊』の『王』の『我』がある

儀と義、『人』がつくかつかないか
なんで『違い』があるんだろうね?

こういう所に『真・心』がある…けど
『真を追わないもの』には関係ない

問題を問題と捉える危惧という奇遇は必然な理由

だから『惹かれる感性』という『慣性の流れの龍の導き』に『素直に従う事』で怒涛の如く目まぐるしく人生というものは『語られる本』になっていくけれど

その『本人』は知らないまま
後に『神』として『神格化』される

死後(45)に神と自覚する人

『神を追わない者』が『神』になり
神の『偶像を捏造』して『盲信する者』は神になれない

なれないから『神になり済まそう』とする=擬態の偽体=似せたい真似

『成って済ます』ならば、いったまま戻ってこれない『成金』でそれも可愛いが、神を『絶対神のように思い込む』と永遠にその『欲望は満たされる事はない』

それを『信望者』といいまたの名を
『神亡者』とも例えられる

龍はエネルギーの流れの『慣性』を見て
その行き着く先の『完成』を観る

そっちに行ったら『間違い』だね(´-`).。oO
と気づいたら『流れ』を変える

『終わる世界』と『終わらない世界』

その『説得』をする為に『両方』を見て例える

その先はどうなる?と想像する

その想像の先まで意志氣が巡って『流れの先を見てきた体験』の『先人の知恵』を『声聞』する

『まだ存在が無いもの』を『今存在が有るもの』で『再構築』して例えを立てる
この作業は最初はキツかったが慣れると楽しい

分解と再構築

例えとは『思考段階』では『核分裂』を繰り返すが
『構想段階』では『核融合』して一つの大きなエネルギーにまとまって行く

これは『物質的な核エネルギーのコントロール』でもあるが
『精神的な想定』という『思考・試行実験のコントロール』でも同じ事が言える

そしてそれは「例えるならば…」と様々なカタチに『妙法変化できる言霊の法華経』でもあり

全ては流れ=『龍の循環』の中にある
だから『龍』が『命運』を握っている
龍は『法華経の守護龍』そのもの

『龍を感じる』とは
『流を感じる』という事

しかし『人の世の人の為の流』とは
『不自然』で歪で澱んでいる

なぜなら『流行』とは『造り出せる』から
『流行り風邪』も造り出せる

流れが行き渡る『自然な風』に『邪な混ぜ物(ケムトレイルや農薬・添加物)』を添えて…

バレンタインにチョコと『ちょこっと男女の色恋』?
節分に金払いのえーほうの『旦那様の太巻き』を頬張り?

『歪』で『邪な人の穢れた思惑』が絡みつく『商業』
商業無情の響きあり(๑•̀ㅂ•́)و✧ Σ(゚д゚;)

飽きないね(商い)、『業』を積み重ね『金(菌)に執着』する事
『無』いね『心』と『主の月』が =商業無常

『お金が人の為』という『間違い』である事
それに気づかない限り1/1/137

パウリのたどり着いた1/137=4の量子の先へ

137→11→2次元・二元論
何故かと言うと11は(5+5)+1
必ず二元論のどちらかが『6』になるマッチポンプの仕組み

1/1=1 『新たな位置』が生まれる
どういう事だろう?『割る』ってなんだろう?

割ると必ず『悪』は生まれるんだ
それぞれ『好き同士』が集まって『すき間』が『空く(悪)』もんでね?

真/偽
善/悪
光/闇

割れと割れが立ち『位置(一)』を主張すると
1/1=1=『中立』を生む

元は『1つ』なのに『割れ割れ』が『我々(エゴ)』を生む

なるほど・・この記事は2/10にストックした下書きだが、それを清書している今の私には・・なんでこの記事が非公開のままストップしていたのか理解できる気づきがある

後から公開する事になる記事でわかると思うが・・こんな話からまた『太陽』につながるんだから点と点は不思議な流れである

『太陽と自分たち』はマイナスの存在
お楽しみに( ̄ー ̄)ニヤリ

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