好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

犬も歩けば棒に当たるに隠された言霊の意志

共に行く者達を改心させ業を回収する為の願いの創作で生まれた物語は、先人達が探してくれと捜索願いの伏線を回収する事で、犬も歩けば棒に当たるも法華経で読み解くことわざだったと気づくお話

寝起き閃 旅路の軌跡

( ¯꒳​¯ )ᐝ似てるよな Σ(゚д゚;)何が?

キリストが連れて歩いたのは
『犯罪者の烙印』を押されたもの達

三蔵が連れて歩いた、孫悟空、沙悟浄、猪八戒も
『能力はあれど道を間違えていた』もの達

南光坊天界が使役した将門の怨念もまた
連れて歩く事で『各地の災い』を納めた

っていうのは

キリストは教えを広める
三蔵も天竺へ経典を届け?受け取りに
南光坊天界(光秀)→家康の参謀で江戸の平和の基盤作りに

これ主軸を『指導者』ではなく
『指導される者がメイン』と考えると

先立つ知恵ある者と共に行動する
=先祖供養

先の祖の知恵を人として共に養う

キリストの知恵は『どこ』から?
三蔵の知恵は『どこ』から?
南光坊天界の知恵は『どこ』から?

導く導師の存在へと気づかせるのは陽動
本懐は『師と共に歩く』

『才能』はあるけど『使い方』を知らないか間違っている
そんなもの達に『共に養って叡智を授けている』

そんな生き様を『架空の物語』として創作すると、目に見えて『カリスマな主役』が
なぜに『面倒の元の犯罪者の弟子』や『取り扱い注意の魔物を使役』するか?

アバン先生がなぜ『魔人の子のダイ』を育てた?
孫悟飯がなぜ『しっぽの生えた悟空』を育てた?
なぜ勇者ヒンメルが『長寿のフリーレン』を旅に同行させた?

これが『人の道とは何か』を指している

人間がひとつの『目的・方向を定める』事で、その為に努力し『学び吸収して成長』していくという

深く理解する事で『追体験(相似障)』する法華経の例え話の『比喩表現』

比喩の言霊は
根源から湧き出る

『根源』と『繋がる感覚』の時はいくらでも
ヒューヒュー出てくる(σ´³`)σヒュ〜♪Σ(゚д゚;)

斉天大聖孫悟空の物語は、メインストーリーは『三蔵が主役』で3人の『仙術使いの魔物』を従えるパーティ構成

天竺へ『経典』を届ける…という目的の中で、三蔵は『魔物』として見ていた悟空達への『認識』を改め、悟空達魔物もまた『三蔵という存在への敬意』を持ち始め…

というのは

『共に養う』から法華経の教え
師の生き様(師生観)を身につけて改心して行く

という事は、この物語の真の狙いは、『天竺に経典を』…ではなく『道中の成長物語』にある

目的を決めて『目指す事で人は成長』する
目的を持って『方向を示す者』と『共に歩む』事で人は成長する

そう考えると

キリスト教は元はユダヤ教、その前はミトラ教、その前はゾロアスター教という意味では

受け継がれてきた創作の模倣の物語

はい出ましたなう(2024/02/05 09:36:48)
今回も『9次元』の『弥勒』の『視野』の話だったようで

936

南光坊天界が使役したと言われる『将門の首の物語』も、将門が『どういう気持ちで生きたか?』という『生き様』を辿れば

『才能と行動力』はあったが『やり方が間違っていた』という『使役』する事で『力の向け所』を示した『創作話』かもしれない

平将門から平清盛の夢 そして南光坊天海へ

またこの南光坊天界が『明智光秀説』という話も、『信長の最後を見届けた者』として、天下を取るであろう『家康の国造り』の『地盤に知恵を授ける』というのも

『全てを見てきた導師』として『道を間違わない』ように『先の祖』として『共に養った先祖供養』と言える

聖徳太子コード上巻 備忘録メモ

結局の所、『3次元』を超えた領域にある『法華経の概念』で見れば

独覚法華経 現一切色身三昧と化城喩品

『生まれたい所に生まれる法華経の意識転生』が、『指導者として現れている話』はもはや『空海の師』が生まれ変わって『空海の元へ現れた』事にも言える事

白龍の導き2 アワの音 から八百比丘尼と空海へ

『人間』を導く『導師』がいる
それはまさに『道化師』とも言える

『ピエロ』はサーカスの中で『最も実力を持つ者』が
『成功できる』のに『あえて失敗』を見せて『不安』にさせる

見ている者はそんなピエロを『見て楽しむ』が
『共に養う者』はその道化師の『努力や行動』を目の当たりにする

『目指す次元』が違えば『見え方』が違う
『人々』を楽しませる『娯楽の物語』

読んで聞かせて『一喜一憂の創作』は、その物語は実は『法華経の教え』という『比喩』の『本筋を捜索』して貰う為の『道化』

気づかなければ『ただの道化』
気づけば『道が化ける』

キリスト話も『創作の捜索』が必要
南光坊の逸話も『創作の捜索』が必要
空海逸話も『創作の捜索』が必要

『目に見える陽動』の裏に潜む『本懐』
『3次元の比喩表現』だと『形』を割けば

それはそういう『方程式のエネルギーの相似象』

いついかなる時代、時空においても存在する『鉄板の雛形=ゾロアスター教』

『名は体を現す』という意味では
人間=仙術使いの『自分勝手な猿』

それが後に『斉天大聖孫悟空と自覚』する
=正典大成孫悟空

『正典』を『三蔵』という『人と共に養う』事で
様々な教えを身につけ大成した孫=子系が悟った空(有無)

物語全般の『旅を通して成長する人物語』
まさに『魔物』から『人』への『化物語』

でもこれは『創作=比喩』なのに…
ちゃんと伝わったのは『日本のドラゴンボール』のみ

幼少期は『有り余る力』を世のため人の為に使う『正義の心』を学び、大人になると『地球に迫る脅威に立ち向かう為にその力を使う役目』に目覚め、『子系』に『生き様』で『継承』させる

『魔物』から『人へと進化』して『悟って大成』する化物語の空(有無)

これも『法華経の時代』にあった広め方
『本物の物語』は消えないが…

『正法が消える理由』は、それを『元』にした『蛇足の延命措置』が起きた時

もはやドラゴンボールも『大事な教え』は『魔人ブゥやウーブの育成、人造人間セル編』で終わり

カタカムナ17首 ドラゴンボールZ 人造人間編を読め

『鳥山明』というペンネームも今なら
『鳥山(烏合の衆、日本の故事は鳥ばかり)』を『明らか』にする

そんな気がする

今のゲームや漫画の『身勝手の極み』なんて…悟空はそんな身勝手な奴ではない

その後のゲームのコラボブームの中で『原作のイメージ破壊』が行われている時点で、もはや『今のドラゴンボール』にも『正典』は失われている

『比喩』『鵜呑み』に受け取ったら『間違い』

それはどの『宗教話』や宗教ベースに生まれた『常識的概念』にとっても同じこと

大事な事は『導線』を見つける事

例えば『銀河鉄道999』は『何の話』か?当時は誰も想像できなかったが未来(今)の話
=トランスヒューマニズムの果て

2022元旦 銀河鉄道999 トランスヒューマンの未来の結末

人が『機械の体』になり『永遠の美や命』を求めたらどうなるか?という『思考実験の創作物語』の中で

トランスヒューマンになったもの達の『葛藤や後悔』、『間違った常識』に合わせてしまったから『人間の体を取り戻したい』など

『人の行く末の間違い』をちゃんと示している

…という『トランスヒューマニズム』を意識して映画を見てみ?と導線をアドバイスしたら、75歳の母ですら『銀河鉄道』から『トランスヒューマニズムの問題』を深く納得して理解した

そして、それを推し進める為に『実験的なワクチンやらVRの推進』が始まっているんだと伝えたら

『陰謀論』ではなくそれは『目に見えて忍び寄ってる間違い』だと『真実』に目覚めて、よりいっそう『健康に健全に人として生きて活きる事を楽しもうヾ(*´∀`*)ノ』と前向きになった

『そう』なってはいけないよね
『そう』なったら『ヒトデナシ』だよ

今まで人類の祖先が『苦しみや葛藤』の中で、見え方によっては『道化師のように演じて』まで『積み重ねてきた大切なもの』

全て手放す愚かな行為だよ

それは日本人の『夢(八百万の神)』ではなく
『アメリカンドリーム(絶対神崇拝)』だよ

夢現の現夢の世迷い事 アメリカンドリームのアナグラム

押し付けんな(`Д´)ノ)罒`)

っていう、『悪しき者が攻めてくるという預言』もまた…『日蓮』の頃から、それよりも『もっと前から』…繰り返し、繰り返し

自然免疫機能として『警告』がされてきた
『苦言』を呈して『社会の道化扱い』された人達

正法なき『末法の世』において
正しき事は『ウイルス』のように感じる

光から闇
闇から光

『逆転の時』というのは『相手が最も抵抗する』…のではなく『境界線の延長合戦』

朝日が昇る『夜明け前が一番暗い』

白を黒に、黒を白に
真実を嘘に、嘘を真実に
可能な限り持続可能なSDGS

『目覚めさせる』戦い
『眠らせる』戦い

なんだこれ?(笑)

ドラクエで例えるなら

目覚めた者たちは『マホカンタ』で『ラリホー』にかからない
もしくは『マホトーン』でラリホーを『唱えるのを封じてる』

一方で眠っては起きるを繰り返す者達は
ラリホーで『再び眠らされ』起きたらメダパニで『混乱させられる』

3次元的、目の前の物理の鵜呑みにする武道家や戦士は
『魔(間)法の耐性がない』からいくらでも『眠らせる事』も『混乱で狂戦士化』もできる

=物理(3次元)に囚われた馬鹿なままではダメ
=物理以下(2次元)に囚われてはもっとダメ

勇者は一方的に神の雷をぶっぱなす『サイコパス』
僧侶はひたすら善を信じる『サイコパス』
魔法使いは蛇の道は蛇な『魔物と変わらない』

だから『遊び人』『賢者』になる

遊び人はそんな『様々な役割を観察』している『道化』
使い物にならないと『軽く見られているふざけた道化師』

なのにジョブチェンジで『賢者』になる
この仕組みこそ『法華経』と言える

他の職業は『ロール=役割の業のプレイ』に囚われる為『自由』がないが
遊び人は『何でもできる』(能力がある訳ではない)

だから広く浅く遠く
掴み所があるようでない
いるようでいないようで
存在感が有るし無いし

ロールは『ロールの世界』しか見てないから
『役割』を持たない『不適合者の動き』を見ていない

どうせアイツは『予測不可能』だから見ない
=観測の目がない=『量子的に自由』

だから邪魔もなく『賢者に一直線』なんだよね

ドラゴンクエスト3
→龍の探求3次元として見ると…

『龍=法華経』という話は以前した通り

龍の形象 砲身の方針と多宝塔如来と薬莢と火薬

『法華経の探求』『3次元』で行うと『遊び人』『誰の観測も受けない』から『量子的に自由な存在』となり

『なりたいもの』に何でもなれる結果、『賢者』になれるという事を密かに『仕組みとして比喩』になっている

これ当時、わかった時はみんな『遊び人のレベルをあげる』という行動を取ったけど

そもそも・・遊び人のレベルをあげるって(笑)

こういう『気づくと面白い』のが『法華経の教えの特徴』でもある

最近もちらっと耳にした養老孟子先生の思考実験の例え話に共感した

口の中にある『唾液』は汚れてないと感じるのに
ぺっ!吐き出して空気や物質に触れた瞬間『汚れ』に変わる

『物や行為自体』は何も変わっていない
『変わった原因』は人の認識という『固定概念』である

実際試せばわかる事、実践ありきで身に着けていく

こんな風に、『先に体感』があって『理解が後からくる』のも、法華経や仕組みの応用=『比喩を見つけた時』にも感じる事

だから『自由な発想』を閃く『元になる体感』のどこかに
『法華経の流れ=龍=エネルギー』が潜んでいる

それが『導師が遺した意志の点』をつないで見えてくる『導線』という

どんな『物語』にも『出来事』にも『産みの親』という『発案者の創造主』がいる
その『意志の流れ』を汲み取った時

流れに『乗る』よね
流れに『身を任せる』よね

それが『龍に乗る』ってって事

雲の龍に乗る夢

まずは『道化師』を見つけることだ
不適合な『遊び人』『レッテル』を貼られる者

『犯罪者』扱い、『陰謀論者』扱い
社会に適合したくない『強い反抗の意志』

そんなエネルギーに

「力の使う方向が違うよ」
「その力は正しく使うべきだ」

と諭す

それがキリストが『犯罪者を弟子』にした事
それが三蔵が『悟空達妖怪を使役』した事

『間違いを正す教え』『人と共に養う事』でしか身につかないから

「ついて来なさい」と連れ回す

そして『目の当たり』にする『生き様の師』『死して教え』として身に染みる

アバン先生が死んでその意志を継いだダイ
孫悟飯が死んでその教えを守った悟空
勇者ヒンメルが死んでヒンメルの思い出を旅先で身に染みる長寿のフリーレン

はい、伏線回収(捜索完了)

当然、この3人にも共に導いた仲間という、『意志を継ぐもの』がいるから
『師との旅の終わり』は、また『新たな始まり』という法則が成り立つ

そんな『創作話』だったんだよと
導線を『捜索』しないとそれは気づかないんだよと

そうさくの言霊は
外れて生まれ遮って引きよる

『陽動』と『本懐』
『道に迷う試練』の後に『たどり着く』

離れた後に引きよる『離衆寡黙』

人生の履修科目は離衆寡黙にこなせ

これは創作でもそのまま『産みの苦しみ』と『喜び』

『捜索』は『有った』ものが『無く』なり
『探す工程』があって『見つかるまで』行われる

『創作願い』と『捜索願い』
それは『気づいて・見つけて』と同じ事

全部比喩=『例え』って事

だから面白い(=^▽^=)

『比喩=例えを見つけるのが得意』になっていくものは
『人の為』という『3次元』に囚われなくなって行くが

『人の言う=信じるもの』は無いを有る!として『間違いの空間』を生み出して『道=未知』を切り開く

間違いは『間(能力発揮する場所)が違う』だけ

だから愛すべき『馬鹿正直な創造主』
そいつが信じた『鵜呑みの世界』を創り出す

言うなれば『猪突猛進』の後ろを振り返らない『ドリル』、門を突き破る力任せの『攻城兵器』

『邪(王・支配者・権力)に利用』されているとも気づかない『愚か者(勇者)』だが、『主観』では『愚かだと反省すらしない』から『道を切り開けるパワー』を持っている

これはエネルギーの方向性の違い

『気づいて離れる者』は、かつて自分が『そんな馬鹿』だったと気づいて、自分で掘った『墓穴を埋める業の回収』をするようになる、躓いて落ちないように

その鵜呑みにしないで『比喩=体験を例え』にしていると気づく者は、その時点で『法華経の道』に入っている

法華経は『仏を語る仏門』では無い
『仏になる為の仏道』を歩き出している

それは『経典を読む』のでなく『実践』する事

『知識や記憶』はなくとも『感覚』で身についている。なぜなら『法華経を学ぶ』ものは、どこに行っても『法華経を見つけている』から

『気になるもの』として『目の前』に出てくる

問題を問題と捉える危惧という奇遇は必然な理由

犬も歩けば棒に当たるの奇妙な例え

これ、『意味』分からないですよね?
そんな状況は『日常的に見るものでは無い』

犬

そんな面白い状況なら『動画でもっと広がってる』はずなのに無い

つまりこれも『比喩』なんです

何かをしようとすれば、何かと災難に遭うことも多いというたとえ

うーん、外れてはいないけど、ざっくり過ぎて本質がぬけくまった『何番煎じの解釈』なのか・・薄・・

もっと『言葉のチョイスの重要性』に注目する必要がある

『犬』とは『従順・主君への忠義、飼い主への素直さ』を示すと見れば、鍵は『棒』にある

『木』は自然、建築・器具製造などの『材料』
『奉』はたてまつる、礼をつくして『目上に仕える』

奉納・奉仕等

歩くも『止』めを『少』なく
当たるは『状況変化』(当たり前は当たる前)

それを加味すれば

『素直なもの』は『自然のあるがまま』に『礼節』を持って『目上を敬う』から『良い事』がある

= 『素直さ』は『自然の恩恵』を得る

『主君』をどこに置くか?
私は『心=中心への忠心』だと思います

『捉え方ひとつ』ですよね

犬は英語で『dog』だけど、逆から読めば『God』の神になる
『神(心)』であり神に『忠実な僕(直)』で『直心』であれば

そりゃ『自然の恩恵』があって当たり前だ(笑)

『捉え方ひとつ』ですよね

シンプル哲学 oh my Godの自業自得とお前ゴッド

シンプル哲学 come on に隠れた神仏

365=弥勒後の世界 神は日本人の中にいる(天岩戸)

『与えられた意味』をそのまま『鵜呑み』にすればこうは読み取れないで、逆のレッテルを信じてしまう

じっとしていれば良いのに、余計な行動を起こすべきでないとの戒め

でも『漢字』が伝える表現には、『自然を敬い奉る』という気持ちが入っていて、尚且つ犬は飼い『主に素直である』という生き様

このことわざが生まれた時代の『犬』とは『動物の犬』ではないと思うけどね?(隠語)だから現代は『形だけの陽動』を鵜呑みにした『間違いだらけ』なんだよな〜と

『先の祖』は嘆いてらっしゃるよ┐(´д`)┌ヤレヤレ

例え話、比喩、法華経
その『妙技の創作』『捜索』して下され

あらゆる所に潜んでる『宝』探し(笑)

たから の言霊は
分かれた力の示し

取り戻してくだされよ、『風光明媚』な日本人の八百万の魂(言霊)を(。-人-。)

山や川など、自然のけしきがすばらしく美しいこと

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