なぜ龍は玉を握る?なぜ龍の口から閃光を放つ?なぜ龍は蛇なのか?全ては砲身に込められた封神を説明する方針の法華経
龍の砲身
砲身?( ゚ ρ ゚ )ボー Σ(゚д゚;)そりゃ放心
前回、神無名=神は無名=名を持たぬ
片仮名=片身に分けて人に宿る御魂分け
という気づきに至った訳だが…
そうなると龍もまた…『形象』の継承
『法華経を護る守護龍』の時点でそれも『例え』だよな?(´-`)oO
そもそも『亀』や『トカゲ』などの『竜は実在』しても、『空飛ぶ蛇』のような『龍は偶像』である
しかし『流は存在』するし、その流は『自ら創り出す事ができるエネルギーの波動』でもある
そう考えた時、まずポイントになるのは
『龍のイメージ』は昔から『口から炎や光線』を放つ
とはいえそれは『眩い閃光』でもあるのだから
『仏教的』に唱えれば『線香』であり『衆生を救う知恵の閃』でもあり
その閃いた知恵で衆生を導く『流れを生み出す龍を生む事』もできる
つまりは『龍』が『法華経という流』を生み出す
龍が『閃光』を発射する『砲身』であり『方針』でもあり
ほうしんという書いて『封神』とも読む
元々は「神」に「封ずる」、つまり神としての地位を与えるという意味
そうなると、『龍』が握り運ぶ『命運の球』
それは前回、『ニギハヤヒ=命』だと気づいた訳だが
その『玉』はどこから?という考えた時に、『龍が蛇=卵を産む』という仕組みに繋がる
龍の方針、『知恵』を生み出し、それを『広め新たな流れを生む子』を生み出し『地に下ろす=降り地=大蛇』
『龍の形象』そのものが、流れを生み出す『封神の御魂(言霊)』を『砲身から閃光のように打ち出す』か
あるいは『命運を手に握り』必要な地に『降りて大蛇』となって『卵を育てる』か
龍という形象は『法華経そのもの』を表している
『知恵』は産み育てる『流れ』がある限り『無限』に生まれる
多宝塔如来=『1本の塔に入った如来達』
それは『龍の砲身』に込められた『封神の御魂』
『薬莢』に込められた『火薬』みたいなもの
やっきょうとは鉄砲の弾丸をうつのに必要な火薬を詰める、真鍮(しんちゅう)製の小形の筒型の容器
なら『獅子心中の虫』とは『内部から災いを起こす者』のこと
志士『真鍮』な虫でも
師志『心中』の虫でも
四肢『神中』の虫でも
収まりが悪ければ暴れる=内部から『災いを起こす火薬』
『暴発』という現象がある
扱いが不注意で、急に弾が飛び出すこと
口は災いの元
放ってしまえば中身は空っぽ
火種の『火薬(言霊)』はもうないが、その『硝煙の残り香』が閃光の後の線香(言葉)
『龍の逆鱗に触れる』
=流れに逆らう
龍も龍でやっちまったヾ(・ω・`;)ノと反省する
言霊による流れは『意図しない流れ』も生む
なぜならそれは、本来は『地に根付かせる命運』という『封神の御魂』だから『放つ』のではなく『必要としてる所に降ろし育てる』もの
『癇癪』起こした『刺々しい言葉』は誰かを『傷つける』
丸く柔らかく『暖かい言霊』は誰かを『護る為にある』
そんな『龍という形の形象』はそのまま『法華経』という『例えを用いて人を諭す方針の継承の為』に生まれた『偶像』である
人が『流』を『龍』と捉える限り『龍というエネルギーの姿=意味を保つ』が、人の『共通認知』に龍という『シンボル』が消えれば
それはただの『神無名に戻る』だけ
だから『龍は人』で『人は龍』で
でもそれは『流』で『理由』があって『留』なんだ
りゅうの言霊は
離れて自然に湧き出て生まれる
『アイデアや知恵』というものは『カタチ割き空に脆けさせ手放す』から『また生え』、『対となる名』が本来の『片神無名』
カタカムナは『渦』という『螺旋の流れ』
そこに表される『記号』は分からないが、『何かを例えている』のだろう、その時代時代にマッチした『エネルギー』を引き寄せて
『法華経の龍』が先か…その教えから『カタカムナという表現』が生まれたのか、いずれにせよ今回の閃でこれだけは納得した
『龍』とは『封神の御魂』を生み出し
『言霊』として放つ『砲身』でもある
生み出した『封神の御魂』を握り『命運』として『地に降ろし根付かせる方針』でもある
『空を飛ぶ』とは『空(有無)』を舞う『自由な想像』の『流れの見えない風』を意味し
『蛇は不死』『無限の生まれ変わり』を象徴し『卵を生み育てる役割の全う』を意味する
蛇は『巻き付く』か『噛み付く』しか出来ない
『巻創る』か(虎の巻・教え・トーラス循環)
『神憑く』か(憑依・表意)
全ての『様相・行動原理』がごくごく自然に『法華経の例え』で読みといて行ける流れ
だから弾=『魂は薬莢』
薬莢は『多宝塔如来』で中身の『火薬は如来達』
龍の『逆鱗に触れる逆撫での流れ』を見出す時、伝家の宝刀の『砲塔』を向ける
龍の『咆哮』がその『方向』に木霊する
その口から『災いを滅ぼす閃光』が放たれる
飛んで行く『言霊』は『諭す如来達』
悲しいかな『破壊の閃光』の後、『空』になった『多宝塔』と
『線香の残り香』漂う『如来の言葉』
次の御霊が込められるまで『末法の世』は神も仏もいない
なぜなら龍の『砲身に詰まっている』から
正方が末法に『放出される』という事は
『古き世の終わり』を意味しそれは『破壊』
『自由』を『銃』を突きつける脅しに使った
言霊の『gun』の弾を群れた『群という軍』の『癌(軍産複合体)』に変えてしまった
そんな『奇妙な物質的世の中』に『妙法変化』してしまった『混沌の世』に
『仏教(法華経)に帰依した者だけが救われる』というのもあながち『間違い』ではない
そもそも『56億7000万年後』という表現が、ゴロ読みで『コロナ』と読める時点で『日本人の意志』が入ってる
私はコロナになる前まで「宗教に入門した信者だけ救うなんてなんて依怙贔屓だ!」と思ってたが…
『正方』が失われた『偶像宗教に囚われる』のが最も深く『龍の逆鱗に触れる行為』であり
『救われる』と思っていた莫迦のひとつ覚えの人ほど『救われない』
結局は自力
『人も龍』だから『封神』を込めた『言霊』と『砲身』を持っている
自分の行きたい『方針』を決める
心の中の『心中・神中の真鍮の薬莢』に
『火薬=如来の真言』と『今の心の念』を込めて
生きたい方向に『咆哮』して如来の言霊の『真言』を放つ
『火薬』は勢いをつけるための『爆発力』
ひやく=『飛躍』として勢いをつける『秘薬』でもある
それは『自分』を閉じ込めている『殻を破る為』に『閃光』を放出しなければ行けない
『溜息』を付くのではなく
『溜めた息』で吹き飛ばす
『殻』の中の『空気』が無くなるぞ?
空(有無)気=エネルギー
卵の中にあるのは生まれるために限られた資源
そこから出てからが本当の始まり
これは『想いが生まれる為の抗い』
それこそが『加護の中の鳥』が出る
居心地がいい鳥居の『居(虚)』から出る事でもある
まだ『何も始まっていない』
『思考シミュレーションの段階』だよ|( ̄3 ̄)|
そう教えてるのが『法華経』で
それをそのまま『形象しているのが龍』
つまりは『法華経の守護神の龍=八代龍神』とは
『法華経そのもの』を示した『偶像』だったという事
ならば私は『龍』や『流』を感じて、その影響もあって『法華経』にハマったつもりが
『法華経』を感じて『法華経にさらにどっぷりハマって』行って
『苦示現の龍』って納得して言ってたのは『法華経は9次元です』と言ってるようなものだった(笑)
さて、どこまで『例え話』について来れました?
こんな感じで『達観した教え』はストレートではなく『何かに例えられている』けど
「これは例えですが…」
という道をただす前置きの『正方』を失った世では
『自分で気づかないとダメな教え=先生はいない』っていう
『鵜呑みに受けとってはいけない事』がいっぱいあるみたいです
さて、『龍』など『偶像だとわかった』上で
私は『龍の形象を支持』してより『好き』になりました
だってこの『シンボル』そのものが『大切な教え』になっているから(´^p^`)
例えば、ワンピースのカイドウの桃の助の伏線
当時カイドウに「お前は誰だ!言ってみろ!」と脅された幼少の桃の助は何も言えなかったけど、「和の国を護る!ルフィには頼らない!」と自力で放ったボロブレス
これが『想いがこもった真言』であり
『方針』を決めた事で『砲身』から放たれる『多宝塔如来の言霊』
先人の知恵=自分と共に戦ってきた麦わら海賊団や、自分を守護して支えてきた赤鞘役人達という先祖供養の生き様から学んで生まれた『桃の助自身の強い意志』
所で面白い奇妙な雑学をひとつ
砲身って英語ではgun barrel
日本語だと?頑張れる!(≧▽≦) Σ(゚Д゚)前向き
『自由』を『銃』に変えてしまう不思議な妙法変化の伏線回収
こうやって『無いけど有る=空』
これも『法華経の使い方』でもある
まさに解れば『トンチ』
解らねば『トンチンカン』
『勘』が鈍い(´・ω・`)完Σ(゚д゚;)終わった
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