金縛りの正体を認知した、はっきり人として認識して対話した…夢?これ、夢か?『ジャッジしない』事へ至る無視と無私の気づきのお話
金縛り中の対話
また金縛りが起きた(*pω-)。O゜
面倒だからいっそ、次のステップの夢の向こうへ連れて行ってくれと思って、右手を上に握手のようにあげるイメージ(´・ω・)つをすると、其の手をガシッと掴む感覚が来た
お!( *¯ ꒳¯*)コレは…よし引き上げてくれよっと私の方から引っ張ったら
╰( ^o^)╮-。・*・:≡─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ
また起き上がりにせい!っと壁に叩きつけてしまった(なんで毎回お前らの方が飛ぶんだよw)
ちなみに前回は・・
そいつは、へへへ(*´∀`*)と笑いながら、お前を「筋肉界へ連れて行ってやる!」と誘ってきた友人的な奴だった(感覚的に)
その人型を認識して「筋肉界?( *¯ ꒳¯*)フィットネスジム的な感じかな?」と行く事に承諾してじゃ行くぞ!と体を起こす
そいつに「よくこの高さ(ロフト)から飛べるな〜」と言われたが「慣れ?というか目を瞑ってるし?」と返す私
幽体離脱状態の時は『物理的境界を意識してない』からどこまでも透過出来る。飛ぶ=落ちるの勢いと方向性を利用して向きを変える
じゃ行くかと(・∀・)人(・∀・)とそいつと飛び降りるように、ワープしようとしたが失敗した。2人で飛ぼうとしたら、直後背後から2本の手が私を羽交い締めして重くなって飛べなかった
「そいつは何だ?」と言われ後ろを振り返ると、おっさんが引き止めるように腰に抱きついていて
「お前の親父だな」と言われて「え?親父?!(´・ω・`)顔が違うなぁ…」と現代の親父では無いが、でも親父…というか守護されている『感覚』は確かにあったので
「ちょっくら友達と筋肉界とやらに遊び行く」と伝えると背中から離れてくれて軽くなった
私は確実に『2人の人間を視認』した
そして…筋肉界とやらは覚えてない(´・ω・`)肝心なところが…でも何かちょっとエロかった気がするw
ただ寝起きは腰が痛かった
さて、そうなった思い当たる事は多々あるので『眠る前の行動』を思い出していく
肉体的要因 ヨーガと心地よい音楽
明確に人生で到達したことがない肉体的な稼働領域まで『股関節が動くように体が柔軟』になってきたら
今まで『苦痛』でしかなかった柔軟体操で伸びて箇所に『血流が流れた余韻』の感覚がサウナの『整う』や閃を昇華した後の『ドーパミンの気持ち良さ』と全く同じだと気づいて
痛みと向き合いながら無理しないで徐々に伸ばしていく、『明確な目標』はあるけど、焦らず急がずゆっくりゆっくりと伸びて広がって
広がった所に流れなかった『血と氣が巡る』のを感じた。
そもそも、この肉体に生まれてから物理的な構造的に稼働出来るはずの領域が『今までは稼働できてなかった』のだから
どんどん『新しい未知の自分=細胞の変化を感じて行く』という『己の肉体の変化を内観』する事だけに集中し
可能な限りの96%をヨーガに
残りの4(死・師・詩)%は『スピッツの曲』に集中していた
というのも、ここ数日『スピッツが私の原典』なんだと感じた中で『キリスト意識』の実践者では無いのか?という洞察と体感したわけだが
今まであまり歌詞の深堀をしてこなかった『過去のアルバム曲』等はどうなんだろうと…
96%は『体の細胞を変化』させながら
4%はその『音楽を骨身』に染みさせて行った
結果、やはり過去に遡って聴いた全曲全てにおいて『君』は『心の中の指針を与える導く存在』を表していると確信した
インナーチャイルドか
アセンデッドマスターか
チャネラーかソウルメイトか
いずれにせよ『対話や経験』を『歌』にしている
『歌詞やメロディ』として『表現』している
そのじわりじわりと染み込むように伸びてドーパミンを感じている身体に馴染んで行った結果、寝る前に思った事がある
精神的要因 自己の望みの再確認
『キリスト意識』は誰に理解を求める訳でも『賞賛』を浴びたい訳でもなく『孤高の自由へと向かう事』
つまりは『今までいた世界からさよなら』する事
その時唯一『体と共にいる』のは『心』というパートナー
『心が友』であり『心が導く師』である
私は『世界が平和であればいい…』という言葉は、『矛盾している』と気づいた
それは『幸福な降伏』の下世界
『争い』の結果、『平定』した『偽り』の環境
それも『しがらみ=4(師・死・思)絡み』である
集団を導く『指導者』の元、『新たな柵の中の羊』に落ち着くだけ
羊達は結局『柵の中』で溜まったストレスで『小競り合い』をするから『争い』は消えない。羊飼いは羊の中から『生贄』を選んで『理由』をつけて『犠牲にする養=羊を食う』を繰り返す
嫌な事は簡単に目につく
いつも『1寸先は闇』だと実感する事はある
例えば、迷惑メールは手を変え品を変え、文言を変えてワンアクションで『人を騙して奪い取る』という罠を『常日頃自動』で仕掛けている
対策はその流出してしまったメールアドレスを捨てるか、日々悪意なく汚されて行くメールボックスを『定期的に綺麗』にするか
騙された方・利用された方が悪いというスケープゴート(山羊)
デジタル通貨や暗号資産のNFT、ブロックチェーンという技術の中はガバガバの穴と他人から奪い騙し取ろうという悪意だらけ。それはどんなアプリケーションの契約更新も同じで、同意という許可で『望まない改悪』を認めさせる
例えば、総理の給料アップをした上で、『一定期間返納する』という措置は、『一度制度』を作ってしまえば『人の噂は75日』という『誰も気にしなくなった頃』にはさらっとサラリーアップを可能とするように
それを同様に『期間限定措置の減税』等、一度制度を作ってしまえば『後からどうとでも出来る』と言うような『悪意のスケープゴート』
また、もはやコロナ禍は抜けたにも関わらず、全く効果のなかった、ただ『コロナと認定して煽る』ためだけの『PCRの仕組み』すら、医療機関は『公式に廃棄』しないまま『制度に組み込んでいる』ため
『ワクチン薬害における自己免疫疾患』を何度でも『パンデミック』だとを煽る逃げ道にする事は可能な『スケープゴート』
またマスコミが『中立というジャーナリズム』を失い、隣の国の犯罪者に『通り名』を与え、『措置も軽減』する等、『優遇措置があるスケープゴート』
オマケに秋田の熊の問題も、熊を殺すな!とか人里で餌付けすればいいとか、熊が増えすぎ問題だと『検討違いな煽り扇動』が起きてるが
住処であった『山や森を大量の太陽光パネルで自然破壊を人間がした』から『人里に降りざるを得なくなった』熊の事情は完全に無視
本来ならこの時期はもう食べ物を巣に運んで『冬眠の準備』に入ってるはずが『冬を乗り切る食べ物がない』から『生きる為に探さざるを得ない状況』に追い込んだ
という『根本の人間のエゴ』が原因だという『人の愚かさを反省しないスケープゴート』
こんな意図的に『みんなの罪』を『何かに被せて自分達は悪くない』という『都合のいい生贄の山羊を追放する儀式』を繰り返す
こんなそこら中に『自分達の罪を逃れよう』とする『自己都合のエゴだらけ世界』の…
平和って『どこに祈り』を捧げればいいんだ?
そもそもこんな見渡す限り『悪意』と『自覚のないエゴ』ばっかりの世界に『真の平和』なんてものはあるのか?
『世界平和の祈り』とはなんだろう?
『幸福を祈る』とは『降伏を受け入れさせる』事への加担
それじゃただの繰り返しσ( ̄^ ̄)?
そう思い立った時に『現世のしがらみ(4・視覚・思考・思想)』に囚われるのが
阿呆らしくなった(*゚∀゚)アヒャヒャ Σ(゚д゚;)
阿呆=宗教紛争にあきれる┐(´д`)┌
そこに『私の求める世界』は無い
そこに『和多志』はいない
逆に言えば『それがない世界こそ理想』なんだ
そしたら現世は『96=%(可能性)』で残りは『視覚(観測の四角)』に囚われている
残りの『4%』を切り替えれば『ここでは無い世界』と繋がれる
100になるとは『1(意識)』と『00』に分かれる
これが
全は1(意識の観測)
1は全(観測した世界)
全とは『へ』に下った『王』
その世界に参加して『傘下』した『自由意志を放棄した王』
全部嘘
『全』という部分は『嘘・虚』
うその言霊は 『生まれて外れる』
うつろの言霊は 『生まれ集まった空間』
仮想VRシミュレーションに同意
全とは100では無い96=%
4絡みがあって100
だがその4=『へ』は…
そういえば(´-`).。oO(四戸ってないんよ
(´・ω・`)納得の自己完結
だから私は『世界平和という虚構』に『祈りを捧げる』のを止めて、『自分の心は何を求めて何をワクワクするんだい?』と向き合った結果
大前提としてこの世界の『自分の観測領域以外のデジタルの視覚』を通す『全ての情報はフェイク』であり、それは『悪意のある世界を見るアクセスに同意する事』になるので興味を向けない
『自業自得の因果応報から逃れる』ために『1人にみんなの罪を被せて助かる事』を『ずっとやってきた宗教ベース』で成り立っている『反省しない選民思想世界』
実に『愚か』だと実感する反面
反面教師として『やっちゃいけない最高の学び』
真の平和とは『心の平和』だったと気づく事
足るを知る心=シッタールタ
そりゃ悟った後の余生は誰も理解できない『涅槃=寝半の一切皆空』の『夢を通して時空を超えて』色んな世界に『アドバイザーとして意識を変える知恵』を与える
ヨーガでドーパミン出ている状態の私は、まずは『心が躍る好きな音楽』を聴く事
楽しそう!やってみたい!と直感が感じた事にブレーキをかけない事
をフィードバックしてきた
なるほど( *¯ ꒳¯*)じゃ今はこれ『ヨーガで柔軟』でいいとして、これからは?という『連続した時間』の中で…全ては虚構という『虚構空間から意識が離れた後の自由』の中で
『何を求める?』と考えた結果
『未知を体験』したい!(*´д`*)ハァハァ Σ(゚д゚;)
と素直にストレートに来た訳で、全てから離れて『未知の領域』はもう『夢とか精神世界』しかないな〜と、その時に私はまた『夢と向き合って見よう』かなと思った訳です
いやいや(ヾノ ̄▽ ̄)今までも散々『夢日記』とかつけてるやん?『夢見てる』やん?と突っ込まれるくらい『何を今更』って思うかもしれないけど
能動的と受動的
主観的と客観的
攻めと受け
呼ばれて手を引かれたり、抱き抱えられて連れられたりして『与えられる知恵』を『受け身で求めていた』のに対して、自らその『知恵が降ってくる世界に行く事』を『躊躇してた理由』があったんです
それは『命に関わる』という『身体的な問題』が過去に起きたから
『精神』ばかりではなく『肉体の強化』も必要だ…という流れで『精神修行』が始まったけど、結局『生活習慣』にならなければ身についても細胞は『元に戻ってしまう一過性』
また食生活も『油断するとバランスを崩す』という結局は『堂々巡り』に振り回されるから
『精神に重き』を置いて様々な夢のメッセージで自分を律して来たけど、その流れで『骨法、骨を活かすのだ!』という
生き様が染み付いて積み重ねれば積み重ねるほど『骨密度を増し、そこに魂が宿る』という肉体の根本の『血(氣)と結びつく骨の強化』が起きてからというもの…
精神が明確に揺らがなくなった訳で
今なら、あの当時のように『未知の精神世界に翻弄される事も無い』だろうと万を持して次へ進むステップが来た…というかそうなるんだろうなと思ったのが次がカタカムナ『64首』
ちょっと前に64首を覗いた時、ケジメをつけろや(‘д‘⊂彡☆))Д´)パーン
それは『ちゃんと無視(64)』する事
たぶん、無視だろうなとは思っていたけど
無理やり『有るものを無い』とはできない
どうやって『無視』するか?
それが『楽園追放』であり
追放という名の『旅立ち』
それがまさかユダヤ教の根本の悪習でもある『1人にみんなの罪をきせて山羊を野に放つというやり方』において、『自由になりたかった山羊』は意図的に『追放される山羊』に選ばれるように『皆の罪を被る犠牲に自らなった賢い選択』だった
その世界からすれば『罪人の追放』
だけど旅立つ者は『自由への解放』
そういう観点で言えばアダムもリリスもカインも『罪を着せられた山羊』だったって事だろう
カイン追放も『同族にカインを殺すなという命』があったというのも、本当は『冤罪』だったが『賢い故に旅に出させた』とも見れる
またそれを言うなら『天界大戦争で神に逆らったが故に追放された』という『大天使ルシファー』も実は別の誰かの罪を被って『冤罪で追放された山羊』だった
その『群れの長(神)』と『ルシファー』だけは『真実』を知っていて…
それって『もののけ姫のアシタカと村長のやり取り』のような『お互いに納得』したものだったのかもしれないが、村の民には「お前たちは力に魅入られたものに近づいてはいかん」と続く道を断った
あれはユダヤ・レビの教え『士師記』だった
あぁ、どこまで遡っても『一族から追放される者』というのはユダヤ教の『スケープゴート=山羊』にしか見えてこない
旅立ちたい者を『旅立たせる理由』
ここでは『馴染めない者達』に『別の受け皿』を作らせる『新たな羊飼いの使命』
神に馴染めないならば、『神以外の世界が必要』だと『分断統治』の為に『対立する群れの受け皿を作る役割』を担う
しかしその旅立ちは『表向きは罪人の追放』となる為、残った群れの『ストレスの矛先』とする
それは現代でも変わらない
『当事者』でもないのに『口出し』する
(コイツは攻めてもいいんだ)と思ったらいくらでも『罵詈雑言の誹謗中傷』を許可されたと『匿名(群れ)で攻撃』を始める
どんなに表面的に平和でも『そういう成り立ちの世界』だと分かれば『冤罪』『村八分』『いじめ』『群れ優先』『多数決で少数派にはなりたくない』が『無くならない』のは当然の『因果応報』だ
『群れ』をなす事に『安心』する
同調圧力の『世間体でぎゅうぎゅう』になる
何としても『そこに残る椅子取りゲーム』
自分が乗る為に『他人を押し出す満員電車』
親の心子知らず
深い愛情と思慮にもとづいて考えている親の心も知らないで、子供は勝手気ままな行動をしているという非難の言葉。 これは親子のあいだだけではなく、目上の人や上司・師匠など、親身になって世話をしてくれる人々を、親になぞらえて用いる場合が多い
群れを率いる『神』と
新たな群れを率いる『次の神』
この『長足る責任と役割』に気づかなければ、何も知らないでギャーギャー喚く羊の世界の『一切を無視する事』はできない
真我以外一切無常
無私
私心の無いこと
個人的利益を考えない
でも始まりは1人だから『長』であっても『群れ』ではないから『自由』
ワァヽ(*゚∀゚*)ノ─イ
これが『世間を無視』して『無私』する事
その世界の中で『存在を否定する』という意味では無く、その世界を『求める私心=執着を切り離す』
この答えは偶然にも6+4=10
1と0の『デジタル』でもあるし
1(意識)と『空=色即是空』でもある
悪い夢を『見ていた』ように
悪い夢から『卒業する』ように
『しがらみ』を自ら手放す
新たな『生』を得る
ここで偶然は重なる
生=しょう=㟄=山羊=ヤギ
人々の全ての罪を背負う生贄
全てとは『十』
全ての人の罪=『悪意』を背負い
その『悪意の世界を離れる』という事は
次の世界にその『悪意を持って行かない』
『それらがない理想を生きる事』になる
十字架は『自由』になるプラスなシンボル
そう考えるとゴルゴダの丘に向かうまで人々から怒号を浴びせられ物をぶつけられ自らが磔になる十字架を運ぶキリストの逸話は
『比喩の寓話』だろう
それはユダヤ教における『群れの中で1番暴れる山羊を悪者に見立て見せしめに追放する事』と変わらないが、『自由が欲しくてわざと暴れる』なら『winwin』の関係性
これは以前夢で見た『リリスの家出』にも言える事で「父に逆らうなら出ていくがいい」という話にも通じる
まあ、そんなマインドが根本的に、自由な身と心のひとつになった精神状態で『未知の体験』を『心に素直に』求めた結果
金縛りの中で
はっきりと『人型を認知』
はっきりと『会話』が成り立ち
この世界の『外はあると確信』
『ジャッジしない』で受け入れるって大事
そもそもジャッジの『基準』というものが、『全部嘘の世界の中の群れのルール』に則ってる訳だから
それ以外の世界は『未知』でありルールはない、正確には『郷に入っては郷に従え』で『体感した経験』で積み重ねてできていく
『ヨーガ』でしっかりと五臓六腑の『肉体意識をグランディング』させた上で、『呼吸瞑想の意識を飛ばす世界』を鮮明に体感する
その為に『常識を無視』する=『ジャッジ』しない
エゴを手放し『無私』になる
なんか、だんだんわかってきたぞ( *¯ ꒳¯*)
とりあえず、山羊=ヤギ
言霊では 飽和した内なるエネルギー
やっぱりな?『解き放つ事』で『本領発揮』だわ
と、ここで意識が途絶えて二度寝(*pω-)。O゜
みんな大家族が揃ってる正月の帰省のような部屋の中で私はぬくぬくと過ごしていた
なんかね?タールとか入ってない、ニンニクを乾燥させて束して巻いて火をつけて吸う『ニンニクたばこ』っていうのを吸ってた(味が美味かった)
現実にあんのかよ?そんなもんw
色んな人がいたけど『みんな家族』っていう安心感があった
そこから目覚めて
なんでこんな意識の変化という体験が、カタカムナ63首のレクチャーの中にあったのかを理解する
61首 無意を学び
62首 無二の自然の陸奥(アイヌ)から
63首 無残に霧散して過去へと戻り
36首 弥勒の心を取り戻し
63首 キリスト意識とスケープゴートの役目
64首 無私の無視に至る
63でスケープゴートという無惨で無残な役目の『キリスト意識』に気づく前に
山羊=山と共に生きるヒツジ=自然信仰
羊蹄山、ヤマト魂を陸奥(アイヌ)から継承する夢を見て
それから現代の世界のあらゆる無惨なスケープゴートを利用した『ユダヤの愚かな選民思想』を『盲信したヒツジ達の影響』を見て回って気づいて
『無私』の『無視』=そんな世界へのエゴを手放すに至る
阿呆になる=宗教紛争に呆れる
なるほど(´・ω・`)
「キリストが来たら今までの罪は帳消しだ!」
「弥勒が降誕したら混沌世界が終わる!」
「宇宙人が助けに来てくれる!」
なんて都合がいい『スケープゴート思考』だろう
ユダヤに『飼い慣らされた羊達の思想』
という『ヒツジ達の罪』を背負って、それは次の世界には持って行けないね(ヾノ・ω・`)ナイナイと『離れていく人』に宿るのが『キリストや弥勒意識』だと感じた
君子危うきに近寄らず ってね
さて、カタカムナ64首を読み取ってみようか
カタカムナ64首 思念読み
ヤハマカシ ソレツミ
飽和して引き合った受容の力の示しが外れて消失して集まった実態
アメノセヲキネ
命の指向が時間をかけて引き受け奥の奥からエネルギーが充ちる
アキタマコメ
命のエネルギーが分かれ受容に転がり入る施行
カムナガラ ワクツミ
力が広がった核の内なる力の場=心に調和して引きより集まる実態
ヒトヨヤシ アナミワク
根源の統合が新しく飽和した示し
命の核の実態に調和して引きよる
アナミコロ アメノトヨセツミ
命の核の実態に転がり入った空間
命の思考が時間をかけて統合し新しく引き受け集まった実態
アメノヨロツ ミナカノオホカミ
命の思考が時間をかけ新しい空間に集まる
光の核の力が奥から引き離した力の実態
なるほど(´・ω・`)
『改組なき宗教』の『弟子が間違えて解釈』して広めた『都合のいい宗教』の成れの果て
それは『罪』、それは『詰み』(もう壊すしかない)
心の奥の奥から時間をかけて充ちて転がり入ってくる=『キリスト・弥勒意識』
それは『湧く罪・慈しみ・居つくシミ』
その転がり入った意識と心が『試行錯誤』して『執着のエゴ』という世界との繋がりを手放させ
無私(個人的利益を考えない)にして
無視する(馴染まない世界)
『幸福な降伏を受け入れた羊』には見ることができない、『そこから離れる自由な山羊』として
『新たな根源』としての気持ちが固まって『門出』
『ここでは無いどこか』へ旅立つ意識
それは『特定の誰か』ではなく『皆それぞれのタイミング』でいつか訪れる『卒業』なんだろう
だからカタカムナに『出逢い』
こうして『読み』といて『体験』して『納得』していく
不思議だ…
カタカムナは『どこ』から来たのか
それは多分これから『この世界では無い領域』で体感して行くのかもしれない
カタカムナの解釈?w(ヾノ・∀・`)できる訳がないから
物語りは一環の終わりで完結するから『物を語れる』のであって
終わってない内にジャッジして語ったらそりゃ騙りだ(笑)
だから私は旅日記、まだまだ終わらない
変わる、変わる、認知はどんどん変わって新しくなる
放つ周波数の波動が変わるという事は、ひとつ所になじめない
縁は転がる円のように回りだす
カタカムナの渦のように
・・なんだか、辞世の句みたいな締めやめてもらっていいすか?(まだ終わらんよw)
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