掌を太陽に透かして見れば、実は氣を吸収できた光合成できる太陽の子=陽子の力と、天岩戸の話は『天照はただの結果の象徴』という気づき
寝起き閃 光合成
( ¯꒳¯ )ᐝ掌を太陽に透かして見れば?真っ赤に流れる僕の血潮?
ミミズ、オケラ、アメンボ
みんな生きている友達なんだ
ここ最近、ずっと『太陽に関する気づき』で、『4つの力』が集まってひとつの『陽子』の世界において『光子』である存在の意識の私達は
『光』を取り入れて生きている
言うなればそれは『感じて学ぶ』こと
=『光合成』をしている
この掌を太陽に透かすという行為は
実は『掌』には『気功の氣の通り道』がある
植物で言う太陽の光を吸収する為の『葉の葉脈』
植物が太陽から受け取った『陽子を全体に送る経路』と同じように
『外氣』を取り入れて『内氣に送る経路』がある
それを踏まえて考えて見てほしい
万歳(ノ≧∀≦)ノとは『お手上げ』であるが、掌を開いて『自然な状態』にする
ここで万歳(ノ≧∀≦)ノ(ノ≧∀≦)ノ(ノ≧∀≦)ノと『掌を向ける太陽』とは何か?
それが『天皇陛下万歳』(ノ≧∀≦)ノ
これが『人の世の偶像』に落とし込んだ『崇拝』
『神から人へ』と『信仰の対象や認知』を変えてしまった結果、『太陽神=天皇』という『象徴』になってしまった
別に『天皇を批判』している訳では無い
これは『例えの教え』でもある
万歳は『捧げるもの、称えるもの』だが
それは『モーション』としては『天に掌を向ける事』
言うなれば『植物の光合成』
言うなれば『悟空の元気玉』
『外氣を取り入れる方法が万歳』ならば『内氣を循環させるモーション』は『手を合わせる合掌』である
例えば祈り(*>人<)
どうして人は『手と手を合わせて合掌』するのか?
それは『フツフツと湧き出る内なる願い』を『自分の中でブツブツと循環』させているから
そもそも『三千世界は体の細胞』だから、『体に関する願い事』は『自分の中に循環』させるのが正解
『病気』に対する悩み
『容姿』に対する悩み
その悩みを解消する『神=心は貴方』しかいないからそもそも
『外氣』ではなく『内氣』で意志を体内に循環させ
『病んだ原因と向き合う』とほとんどが『自業自得の因果応報の悪循環』を
『自分で取り入れて依存にした結果の末路』が『病気や容姿』の問題
自分で自分に言い聞かせる
『自力』でやれ『他力』になるな
( ’-‘ )ノ)`-‘ )ぺし
一方でもうどうにもならない時、人は「お手上げだ〜!」と掌を上に向けて降参のポーズを取る
これは何故か?
『掌を開く』事で『氣を吸収』している
お手上げ=空っぽ
何も無い=空→有無
何にも無いって事は『何でも有り』って事
開き直り=どうなってもいいや
その万歳アタック(ノ≧∀≦)ノの『エネルギー』
『どこ』から来る?
開いて直る
『掌』を開いて『太陽のエネルギー』を『光合成』する
『光』とは意識
『意識』が『内氣の闇』に囚われた時
『光』という『外氣』を取り入れて『開き直り』
『新しい外氣』で『古い氣である闇』を押し返す力となる…って考えた時
天岩戸開き=太陽を引っ張り出す時に『鏡を用いた謎』が解ける訳です
太陽というエネルギーの『発信源を失った世界』で『光の根源』はどこにあるか?
それは『あなたしかいない』ではないか?
そして『心の闇』から解放された貴方は
『無限の核=心から太陽の光』を放つ
…という実は一人一人の『人間の精神力の仕組み』を伝えてた『例え話』が、『ただ1人の天皇へ捧げる力』に向きを変えられたのが
万歳アタック=神風特攻
もうどうにもならない(国)
もうどうなってもいい(自分)
天皇を責める訳でもなく
天皇崇拝を批判する訳でもなく
『自然信仰を人』に向けた結果に過ぎない
『戦闘国家に変貌』していく『神道国教一本化』
海外が日本の『神風特攻』を恐れたのは
『自然の力(八百万の神)』を『人に堕とし込む狂気』を見たから
窮鼠『猫』を噛む
あの時、『猫は誰』だったのか?
トムとジェリー仲良く喧嘩しな?一線越えたら…
ま、これは『戦争』に『太陽の力と陽子』を利用した場合の話であって
これは『自然と人が繋がる儀式』のようなモーション
例えば心理学的に人と対峙した時
人は『脇に腕を差し込んで腕組み』をする
これは『脇の下に動脈』があるから『弱点を防御』した『警戒』の動き
また『ストレス』を感じた時、『首』が固まり『手で揉む』という動作も
『延髄』や『頸動脈』を護る動き
さらに『絶望』したり『悩み』を抱えた人は
『頭を抱え込んで』下を向いて丸くなる
それは『頭の中』に何か『良くないもの』が入り込んで『内部から思考を蝕んでいる』
体や心の『逃げ道を探している奴』は『目が泳いだり、瞬きが増える』
そして息苦しく、重く溜めた息を吐く
一方で『開き直った奴』は
一点を見つめて瞳孔がバッキバキに開く
それがどうした?だからなんだ?と胸を張る
求めるものに手を伸ばす、つかみ取ろうとする
筋肉の冷えの緊張がなくなり熱を帯びて柔らかくなり
もうどうでもいいや~(周りも自分も=境界がなくなる=一線を超える)
これ( ´∀`)σこれこそ光合成の状態
これを外に向けると敵意、中に向けるとエネルギーの吸収
『凝り固まった内氣』を解放して『新しい外氣』が入る『経路を開ける』
万歳、お手上げのポーズは『首や脇などの弱点』と言える部位を
『さらけ出す』代わりに『エネルギーの吸収経路』を開ける
これわかりやすいのがリラックスする時は無意識に伸びやあくびをする
あくびに関しては顔から首へとリンパに詰まった毒素を流す
また『熱』出たら『首や脇を冷やせ』と同じ事で
『内氣が熱』ならば外から触れさせる『冷たいものは外氣』
『物質的な代用品』でも『氣を取り入れる』という事を行っている事に気づいてない
チャクラを『開く』『解放』という表現がある
これは文字通り『切り替え弁』
また『音源』でチャクラを開くというのも実は『できてしまう』のも『物質的な固有振動数』がある為
これが昔でいう『祝詞や念仏、呪い』など、様々な『音霊』に込められたように『下手に唱えては行けない文言』 がある理由
現代風に分かりやすく言えば
チャクラを『自分の意志で開け閉め』できるのは、自分で『電源のブレーカー管理』できるようなもの
やべえ!と思ったら自力で『止められるか』どうか
これは植物が『太陽の方へと向きを変えて光合成』してるけど『太陽が出てない時』は向きを変えないような『自律制御プログラム』のようなもの
一方で『遠隔で電源のオンオフを操作』されて「やべえ!」と思っても『自分の意思でブレーカーを止める事』ができなくて
『漏電や火災』など『二次被害』に苦しむ『スマートメーター』のケースのように
『誰かが唱えた呪文(音霊)』で『強制的にチャクラを開かされた』時、その弁がおかしいと気づいても『自分で元に戻せない人』は
チャクラを強制的に開くとか活性化させるという音源を聞いたり呪文となる言霊を『唱えるもの』では無い
『自律制御出来ない』という事は『暴走』する
例えば『太陽も出てない』上に空から『良くないもの』が降ってるのに
他の草花は『葉を畳んでいる』のに、自分は『チャクラが暴走』して葉を折り畳めない
結果、『不必要な時』に『不必要なエネルギー』を取り込んでしまう
これを 「応用」すれば『強制的に人心掌握の洗脳』が可能
=思い込ませる・刷り込み・サブリミナルという事
第二次世界大戦、大本営発表
日本国内は「勝っている!」と『洗脳』され
最前線の戦場では「お前たちが神風特攻しなければ本土が危ない」と『洗脳』され
どちらも『違う万歳』を『崇拝』させられた
日本を救った天皇万歳(ノ≧∀≦)ノ
日本のために天皇万歳(ノ≧∀≦)ノ
開き直り=どうでもいいや
本来、戦争は『自分の意志』では始まらない
『敵意』とは一体『どこ』から来るのか
それを『警戒』しているから『延髄』を抑えたり『脇』を閉めたり
わかりやすい『モーション』だろ?
これが『人の祖先の生きる知恵』なんだよ
『病は気から』入り込む
だから『気の経路=動脈』を護っている
『掌』を『太陽』に透かして見れば真っ赤に流れる血潮=『動脈』
そこは氣の循環経路、そこは肉体に受け継がれし
『生存戦略』で生きてきた『先祖達の知恵のDNA』が流れている
そういう意味ではとても最近面白い事に気づいた
私は神社によくお参りするのだけど『願う』というより
あんな夢、こんな夢、ご指導色々ありがとう(-人-)と『結果報告』に行くのだけど
その時の合掌の『掌の開きと角度』が、意識してる訳じゃないけど、掌どうしは付けずに離していて
むしろ祠な方にオープンな開きで…まるで『耳打ち』する見たいな(三角形)
ちなみに私は『柏手(かしわで)』という『パンパン!』という激しく音を出す動作はしていない
理由は『自分がそこに住んでる神』だと思えばいい
『鈴をカラカラ』鳴らした時点で気づいてるのに
目の前で『猫騙しのような破裂音』を聞かされる気分を(`言´)イライラ…
仕草的に『音で浄化する』とか色々と『儀式に理由付け』してるけど、そもそもそこが
『浄化必要なほど穢れてる』ならそこに来る奴らが汚れていて『穢れをばら蒔いて行ってる証拠』でしかない
パーン!という破裂音はそこから『空間』を『衝撃波』が走り『調和が乱れる』事になる
本来、神主や住職など管理者以外人が居ない『自然の状態に清められている』のに
そこに人が一方的に『願掛けするエネルギーを充満』させる
これも『モーション』的に面白いのが
『願望が強い人』ほど掌をガッツリと合わせて合掌して祈る(-人-)
『願望が保守的な人』ほど『脇』も閉める
『願望が利己的な人』ほど『脇が空いている』
例えば『家族の健康』とか『病気』とか『身体的な悩み』の人はコンパクトに折りたたむ『護りの姿勢』でそれは『神頼み』というより『仏への願い』
一方で『借金の工面をする時の頼み方』など『金に関する願い』で手合わせする人は『脇を開けている』
これはそこから『氣を吸収』している
「その金があれば!(¥..¥)!」と開き直っている
一生のお願いというやつはどうして手を頭よりも高く掲げて下を向くのだろうね?(顔を見せない=お天道様に顔向けできない)
『神頼み』で『脇が空いてる奴』はだいたい『色恋金願望』、掌がっつり合わせるほどそれを『強く望んでる』が・・
『掌をピッタリ』合わせたら『内氣循環』するが『脇が甘く隙だらけ』だから『魔が入り込む』
そもそも神頼みに来て手合わせしてる掌ではなく、『脇から漏れ出た氣の願い』など聞きたくない( •́ฅ•̀ )ワキガクチャイ
だから神社に行って『良くないものをつけて帰る』が、これものちのち『失敗の学びの師』となって習合する
だから感覚的に
祈る時は『脇』を閉めよう
それで無理する事なくちょうど『指が届く』くらいでスカスカの形を作る
するとちょうど『三角形』になり、この時両手の『掌の氣の吸収経路』は開いてる為に、その『両手で作った内氣の玉』に
『心根』から生まれる『心音』を込めて『音を出さずに』手放して来る
文字通り『願った玉』を置いてくる
ま、私の場合は願いを叶えてくれという『願望』ではなく
「こんな事があってさ〜面白かったよ((´∀`*))ヶラヶラ次もよろしく」
こんな感じだから『返信』や『教育的指導』が来るんだろう
『神』を『偶像崇拝』にすると実は『人も神も仲良くなれない』
『神と楽しむ』と書いて『神楽』、『舞う』ってのは『心が躍る』事
『友達も呼び捨て』になるレベルじゃなきゃ『気のおけない相手』になれない
そんな『気を付けなきゃいけない相手』に『心躍る』か?そんな奴の『願いや祈』を聞くか?
親しき仲にも礼儀はありだが、自業自得の面倒を他人になんとかしてくれと
都合の悪い時だけきて借金の肩代わりや連帯保証人になってくれ!と同じ事を
イベント(決められた日のみ)でやっている
そんな『人にとって都合のいい扱いされる神輿に担がれる気分』どうよ?
『自分がなった側を想像』できるか?
『神』って祀られても『元は人』が『権威によって神格化』されて『利用』されてるだけ
太陽神崇拝
太陽の光と陽子
光と光子
『元が同じもの』は『合成』出来る(๑•̀ㅂ•́)و✧
それを可能とするのが『第三チャクラの弁』
心の解放
だから『好転反応』がある
なんかスピリチュアル的には『第四チャクラ=胸をハートチャクラ』というらしいが…感覚的なもので言えば
私は『みぞおちだの第三』と思う(´-`)oO{
それは第三チャクラは肉体的には『上と下を繋ぐ統括である』と感じたから
また精神的には『中と外の弁』でもあるから、心をオープンにして太陽を浴びた時、「光合成ってこんな感じか!!」と『エネルギーが湧いた』のも覚えている
あの当時はまだ普通に『悪食(3食)』だったので、『エネルギー=腹を満たす』と思っていたけど
『一日一食生活』が当たり前になり、エネルギーの『完全枯渇による意識消失の気持ち良さ』も体感した今
何が『活動エネルギーのプラス』になっているかはっきりわかるようになった
私は『妙見狸』としてこういった『気づきの訳詞如来』で記事をまとめている時
それが『丸一日』続いても『完成までは別に飲まず食わず』を意識すること無く『次から次と湧き出てくる言葉を書き連ねる事』ができる
それを昔の人は『自動書記』とか『チャネリング』と言ったのかもしらんけど、だとしたら今までどれだけ多くの文豪が、それを『表に出さずに行ってきた』か
その書き終えた後の『確認作業』で何度も心が折れそうになるけど(笑)
つまり『閃きを伝えたい』
これは『どこかの誰かが読めばわかるメッセージなんだ』という託された…例えるなら
『交通費(やり遂げるエネルギー)を支給』するのでこれを届けて下さい。尚、『差出人と受取人』は気にするな(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)謎メッセージ
こんな『外氣によるブースト』がかかったとわかるほど『内氣の容量や質を把握』すると・・
『邪な気』が入ったら『すぐに気づく体』になるので、「病は気から」がはっきりと対策できます
その『自分で光合成吸収モード』になるのが、『第三チャクラの弁』の切り替え
『心を開放』すると感動は『より感動』に、恐怖や不安は『より不安で恐怖』に
だから『瞑想』は『時と場所』を選んで『一人』でやらないといけない
ま、『真我以外一切皆空』という意識になれば時も場所も関係ないけどw
私はコロナ禍のマスク信者や5Gをデマと言っていた相手に99対1の状況でそれを悟りました
周りに共感しないからこそ、真空を体験できました
これは滅多にない外氣の有難いお膳立てだと今なら納得できるので
大いなる計画、大いなる目覚めの意図と目的は
袋小路の窮鼠猫噛みで『猫が神(比喩)』だったかんか!と気づく『ベールが剥げた一瞬』でした
ただ『今』は『その状況』ではない
だからその『弁の切り替えを自律制御出来ない人』が『強制的に外部からチャクラ解放』という力(言霊・音霊)を加えられて波動の影響を受けた時に『問題』が起きる
開けたら閉めるが当たり前だけど
開けてもらって『閉められない』
まるで『外部遠隔サービス』に頼んだら『ウイルス』仕込まれて『バックドア』を作られるのと同じ
『科学や物理』というならば
まずは『光と波動と氣の循環と解放』
生体ロボット『人間光学』のメカニズムを把握
まるで真逆な『物理の傲慢』
精神とは『精密な神=力の実態』
ミクロな世界の『マクロな仕組み』
人間という『カタチ』は『37兆の調和』
それだけ『桁違いの細胞=心の集合』した世界
人間そのものが『神で仏で三千世界の極楽』
だから『菌』は集まってくる『惑星地球』と変わらない
ま、『エネルギーの相似』で捉えた『スケールを変えた例え話』ですよʅ(´⊙ω⊙`)ʃ
今日の話は
『氣の経路を解放』する事で人は『自然に外氣』を取り入れている
『掌を太陽に向ける』とは『自然のエネルギーの吸収』であり
それは『太陽神崇拝』の万歳の形象(ノ≧∀≦)ノ
さながら『太陽の方向を見る草花』
向日葵=陽回り=日の周りの景色
天岩戸は『闇』から『光』を引っ張り出す『過程』で
「光はお前だろうが!光の役割を果たせ」と鏡を向ける神の間に我=かがみ
『自身=自信』を見せつけ『自神』を取り戻し
『自律神経失調、自己免疫疾患』を直す
開いて直す=開き直る
どうなってもいい(´∀`)
なんにも無い(闇)から何でも有る(光)へ
空の間から出て輝く太陽神が天を照らす
これ全部、作り話
答えは『自然の太陽』とその『恩恵をうける自然環境=八百万の神=陽子』であり
そんな『陽子な陽気』に当てられて『自然の恵み』を受け取り生きているのが『光を取り込みエネルギーに変える光子達』の『光合成』
実は『人も光合成ができる』というのが意識は『光子』、意識で『心の弁』を開けば『取り込む事ができる』という気づき
だから神社や祠の前で祈る時は『あるがままに、なすがままに』
柏手はいらず(空間に余計な波風を立てる)
脇を閉めて(漏れ出る・入り込む邪気)
みぞおちの辺りでそっと両手の指を合わせる
掌は開けたまま祈る(*>人<)
というか語りかける
『意見』だったり『理想』だったり
『人に話したら馬鹿にされる』ような『綺麗事』を
『利己的』ではなく『利他の望む未来』を
それに『氣』を込めた『言霊』として『奉納』してくる
すると、後に『龍』が届けに来てくれる
願いが叶った『元の氣玉の世界の夢』を見せに
…と書いてわかったのが
『龍は私』で、『私は渡し』だったから
私は『使命感』のように『この記事』を書き残し
後の『受取人』も『未来の私』
『未だ来ていない私』への示し
再び『これを読みに来た時の私』は
「あの時、この閃があったから今の自分がいるんだ!」
と『気づく事』になるという事は、その『元気付けが今の私』
悟空の元気玉、みんなの願い
万歳アタック、全部出し切って神風特攻
龍が運ぶ命運の玉=ドラゴンボール
深いな〜
ちなみに、天岩戸を開いて直る=開き直りと直感のままに訳してみたけど
これ、開き直りを英語にすると・・
a comeback 復帰・回帰=戻ってくる
神が戻る なんだよね(笑)
つまりはやっぱり『神話の語源が日本』であり
天岩戸=『開き直りが本筋』の教えであって『天照はただの結果の象徴』
その『中に何があるか』はなんでも『置き換え可能』な変数『X(空く間・悪魔)』なんだな(これを理解する為に統計の勉強があったのか、納得)
つまり開くと空く間から悪魔がでてくるのはパンドラの話
それだけだと救いがないから、最後に希望の光=光子を
という事は?
最初に引っ張られて飛び出した原初の悪魔はだれ?
出る前に閉じられた岩戸の奥の最後の希望の女神は何?
ここも『本筋』なんだな( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
だれ?・・ではなく『7人』いるんだって?そういえば『7人の天使が喇叭を吹く』とか言ってたけど、これが『自作自演』で『役割交代』しているだけなんだろうね
岩戸の外の7人は岩戸に追い込んだ側の7人でもある
光は闇に、闇は光にセブンスター
はい、ゾロアスター(北極星信仰)がやっぱり出所
ならばそれが飛び出す『シナリオ空間を設定』しているのは8次元
それを『3次元現実』に『絶対崇拝』させて『洗脳』しているから
7(希望)と83(闇・病み)という783(悩み)
そうか、天照が重要ではなく岩戸開きで、追い込まれた時に
引っ張り出されるもの=『汝の本性=宿業を思い出せ』って事か
となると・・ツキヨミの話が消えた?消されたのもの重要だし、スサノオに関する逸話も、何かの本筋に沿った例えの物語と捉えなおす事ができるかもしれない
神の正体を知って、神の力を納得して取り入れる!
取り合えず、今日は
追い込まれたら開き直れ
汝、己を知れ 神(心)と我が向き合え
ルーツを思い出せ
これが天照という名のみんな心にの中に持っている太陽の話
歴史が『ブランド価値』を保ってきた『血筋の話ではない』という事だ
神と話すのは楽しいね、それこそ心軽やかに神楽舞う(≧▽≦)
・・の後にどっと疲れて起きてられないほど眠くなる・・(精神力が・・)
あ、そうか 万歳しながらアチマリカム(ノ≧∀≦)ノ ←光合成中
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