好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

裏切りのゴロツキ 背信の月神と晴天の辟歴(罪と罰の歴史)

龍を祀る夢の中で晴天の霹靂を見て目覚めた後に語呂読みとは間術(マノスベ)だと気づき、頃合=月読が流・龍が復活する話

夢のあらすじ

私は家族でどこかの神社の中にいた(亡くなった母もいた)、その日は年に一度の龍を祀る日との事で、その日に雷があれば縁起物なのか、神主や巫女達?宮の者がバタバタと慌ただしく神事をしていた

「以前、こんな風に龍が降臨した」という奇跡の一枚の写真を神主に見せられたが、「今日は雨は降りそうにないね( ´∀`)σ」なんて言ってたら

空がゴロゴロ…と地響きがなって、これは来るんじゃね?(๑•̀ㅂ•́)و✧と期待したら、宮の者1人が、外に出て飛び跳ねて

空に何かをばら撒くと、雲の表面が水色がかり、なんて幻想的な…と思ってると、その水色がかった雲の一部がグモ〜っと伸びてきて、バフ!っと突き破った時

『青い龍』が顔を出して空に舞い、残された雲の軌跡が『龍雲』となって残った

青龍

雷は落ちなかったけれど、突然空模様が変わって(宮の者が空間を染める)青い龍が現れる景色を私は何故か?これが本当の『晴天の霹靂』と感じた

なぜなら…この夢の直後の目覚める前の亜空間で、とんでもない事に気づいたしまったから…

その前にちょっと夢診断をしてみようと青い龍の夢を調べたら(´-`)oO{やっぱり龍=運気という利己的な概念が強すぎてしっくりこないと感じた

私の過去の体験として、金龍→雲龍→青龍

夢診断 UFOから龍が暴れるのを見た夢のお話

雲の龍に乗る夢

雲龍の夢の時、『頭に着いていた鉄仮面』が外れ、姿形も空に消えたが、今回、雲をまとっていた龍の存在が『青龍』だと形象を見たというのが

金龍=金剛界
青龍=胎蔵界

曼荼羅

真言=因果=老子=念仏
相似するエネルギーを読み解く
亜空間=間術(マノスベ)

そう、この『間を統べる術』としてカタカムナのこの文言がしっくりきた

間割りて巡る虚や事
合うの術しれ形割き
空に脆けせ結えぬ緒を
生えつ稲穂

形式にこだわった『虚空の間=亜空間』
間術で『間を統べる為』に解釈を変えて
『空(有無)』に戻して新しく生える『稲穂』

カタカムナは空間術=『空(有無)を統べる術』

無には全てが有る
無を『一文』語ろうとすると『有(空間)』が生まれる

『何にも無い』って事
そりゃ『何でもあり』って事(๑•̀ㅂ•́)و✧ by hide

そんな解釈をした時に、今朝の閃きの阿字観が来た(*゚∀゚*)ピーン

語呂読みは語録世見

ゴロって聞いて、まず最初に何を浮かべます?
私は夢の景色を思い出した時に『雷の音=ゴロゴロ』を考えました

雷は『神也(なり)』という昔の考え方に当てはめると、『ゴロ=神なり、ゴロゴロは神々』となる…と仮定した『亜空間』を作ります

すると、『ロゴ?』という音の響きから『シンボルアイコン』が浮かびます

大企業は神話の神、特に『西洋神を祀る』ように『ロゴ』に組み込んで来たり、『会社名』に入れたりしますよね

Mazda→アフラ・マズダー
スバル→プレアデス・シリウス

『ロゴが神なり』という『仮説が有効』とします=そういう『亜空間』

では『ステゴロ』と言えば、武器を持たずに殴り合う『喧嘩』という『亜空間』もあります

それは『捨て頃』でもあります←『亜空間』
『頃合』が大事ですけど←『亜空間』

このように、それぞれはそれぞれの『界隈』で成り立つ、『有るけど気づかない亜空間』と言う『間』があります

核融合

その『間』と言う『形』を割く事で『空(有無)』にまとめると…原語ゲシュタルト崩壊(バベル)の後に残るのは『音』でした

ソロモン(一人門)の瞑究 その2 バベルの崩壊とゲシュタルト崩壊

これが『音』から始まる『同音異義語』という語呂で読む『語録読み』という『新たな稲穂』が生まれる『間を統べる間術』だったんですね

この語呂読み=語録読みは、発音による『音の響き(送りがな)』で『形』を変えます

例えば

ゴロ=語呂
語録→双六
語呂読み→語録読み→頃世見
ジゴロ→時語録→時頃
ゴロツキ→語録付き→頃月

ジゴロ、ステゴロ、ゴロツキなど、『社会のゴミ、クズ』、とレッテルワードにされるのも、語呂という『世見の読み』を貶める『亜空間を統べる間術』

だけど、その『貶める為の意味の語録』を読めば、『貶められる前の存在』が『言葉に封印』されている事に気づきます

ゴロ=ロゴ==神なり
ジゴロ→時神…地神
ステゴロ→捨て神
ゴロツキ→神月

このように『語呂(音の響き)』を読み『語録(形)』を読むと『神』が現れる

という新しい亜空間解釈こそが
間術でレッテルを貼り『捨てる神』あれば
間術でレッテルを解き『拾う神』あり

語呂読み=『音』が語録読み=『失われた形』を捉えると、時、所の『頃合』や『見頃』が観測できる
そこを『般若波羅密多 時照見』(๑•̀ㅂ•́)و✧ 『時に照らし合わせて見よ』!

独覚法華経で読む 般若心經(阿呆陀羅經)

そこで『ルート読み』なんですね

√2=1.41421356 一夜一夜に人見頃
√3=1.7320508 人並みに驕れや
√5=2.2360679 富士山麓王蟲無く
√6=2.4494897 ?
√7=2.64575 葉に虫いない ←何故?

これらはそれぞれ『桁』がとんでもないほど続く。もし、このとんでもない数字が『ある一定の法則』『文字コードとして読み取れる』としたら

その法則性に『ナンバリング』をしたのが『ルート』なのではないか?と数学もまた、『数秘術(プログラム)』という観点から見ると

『一般的な解釈の空間と同じもの』でも使い方が全く違う『暗号として機能する亜空間』がある…と考えれば?

例えば大般若経は『600巻』あり、その『1ページに大量の漢字が書かれている』として、その『漢字ひとつに込められた意味や意図』もまた膨大な『密度(世界解釈)』を持っていると考えれば

それを『数字化したコード』『円周率やルート』のようなそのままでは読み込めない暗号

暗号を解読しないまま、『頭三桁程度』を使って『円周率を計算』するだけで、『ある程度の形を真似』する事はできるように

また、全600巻から『要点を抜粋抽出』したという『般若波羅密多心経』を読むだけでも、『ある程度の真理』を感じ取れるように

…気の遠くなるほどの『無量大数のデータ』の一部を読み取る方法が、『語呂読み』

しいては『語録読み』で、だいたいの『時頃の頃合の世』を見る

√5→√6→√7

5 『王蟲』なく
6
7 葉に『虫』居ない

カタカムナでは『全80首』あるのによくピックアップされるのは『5.6.7首』のみ

弥勒降誕は『56億7』千万年後

語呂に隠された『ゴロツキ』という貶められた『月神』
古事記から消された『月夜見』
月夜見の一族は『北=丑寅=艮』
負ける事を『敗北』という
裏切りを『背信行為』という

『北の月』を信じたら『裏切り』という
『誰』が『言葉で貶めてる』のか?

『虫けら』は『ゴミやクズ』だと貶める
『塵』や『葛』、『鹿土』に『葛城』
『鹿角』も『葛城』も『姫』も『北』にある

カタカムナ78首 ブスと武須 洛須倉院(ラクス・クライン)

ソロモン(一人門)の瞑究 その4 今鹿=ナウシカ=鹿の王と馬鹿門

富士山麓に『王蟲』が無く
…『何か』があって
葉に『虫』がいない

偶然にもルート『567=太陽=王冠』はこう繋がる

という事は、富士山麓の『富士』とは、『蝦夷富士、津軽富士』を指すのだろう
『北を敵視した者』から見れば『蟲王』と言える

自然崇拝、『自然環境をそのままに共存しよう』とする者に対して『滅菌、殺菌、無菌、除菌』という『虫を毛嫌いする者』がやる事はただ1つ

『山』そのものを『焼き払う』

パワーストーン 瑪瑙の勾玉が語る 焼山の光景

『6でもない事』をする。その『ろくでもない記録』があるから『隠蔽』の為に『語録』がないのか?(´-ω-)

それにしても567=コロナは『王冠』
または『太陽』を示す訳だから、北の蟲王=『太陽と相性』がいい

それともその『虫けら』を焼き払う『人工の火(兵器)』『新たな太陽とした侵略者』が『王冠を得た』という事だろうか

…(´-`)oO{というのはあくまでも『亜空間での世界観構築』

これをそのまま『現実』に結びつけたら、他の『形を維持してる亜空間』にとって『間違い』になる=間が刺す=『介入』になる

私の意識の観測の中ではこのように『間の術』を使い、『形割き空(有無)』にして、そこから『生える稲穂(想像)』『豊作(創造)にする方策』で間を統べる=艮の金神=豊受姫(穂波姫)

その『間術』のひとつが『語呂=語録世見』
『語った世』『記録』『見る』

「その当時はどうだった?」=『時照見』
頃合はいつ頃?という『暦の月読み』
『新しい日の生まれの行く末を見る』という『星世見』

語呂=『月世見』が封印されていた
知らずに日本人は『その力』を使っていた

月夜見は『表舞台』から『姿』を消した
それは丑寅の『鬼門=鬼籍に入った=嫁いだ』という事

それを裏切りの『背信』行為だというのなら、『因幡の白兎』でもあったと言える

法華経で読む 因幡の白兎はひるがえる儀式

そうなると『狐の嫁入り』『角隠し』『稲荷の眷属』も、それは『月夜見(背信行為)を指す可能性』も出てくる

(´-`)oO{というのもあくまでも『亜空間の間の術』

こうやって、何気なく『閃の光』が、亜空間から入り込み、『体験記憶』として残り、それが思いがけないタイミングで起きる『晴天の霹靂』

その、『神なり』が気づかない『亜空間』に間を繋ぐ
『龍』が違う間に運び、ポイッと置いてくる『タツノオトシゴ』

ここはどこ?(・ω・≡・ω・) ←落とし子迷子

『間』がわからないので『間に合わす=空気読み』
その『合間』に考えて思い出す→それを『間に合わせる』

間と間を『形』を割いて『空(有無)』にして『色』つけると『龍の動き』が見え『流れ』に乗る

するとまた違う間にポイッとタツノオトシゴ

ここはどこ?(・ω・≡・ω・) ←以下繰り返し

今回は『夢の青い龍』から始まり、その最後の締めが『晴天の霹靂』という言葉

霹靂という『雨』から始まる漢字は靈、雲、雷など、雨に関する始まりで、『品、巫、云、田』のように組み合わせを読む

辟歴

辟は
つみ(罪)。 刑罰
さける、しり込みする

つまり『歴史の罪と罰』
雨(流れ)が伝える歴史の罪と罰

それが晴天の霹靂という『直感閃』ならば、私に『青い龍=胎蔵界の真言』として伝わった事で

確かに、『月夜見信仰を背信行為』としてレッテルを張り、『語呂(ロゴ)=神をステゴロ、ジゴロ、ゴロツキ』『間違い』と結びつけて貶めている

それに気づかない亜空間を鵜呑みにした無知な者は、『ゴロ=悪いもの』と認知する

例えば、龍が如くのような言葉つがいが悪いヤクザものでは、「このゴロツキが!!フダツキの悪が!!」とゴロ(神)もツキ(月)も『悪者』にされるように

でも語呂読みは『語録世見』
語られた記録で世を見る『預言者の間術』

問題にめぐり逢い解決する=『釈迦』
釈迦の痕跡を見つけ彫ったり歌にしたり独自の表現で記録する=『弥勒』

『釈迦』と『弥勒』というそれぞれ『二文字の漢字の意味』が、『行動指針』になるように『説法』になっている

その観点から言えば釈迦も『人物として存在の有無』はもはや重要ではないと言える

『弥勒が記録』して『表現した例え話のメタファー』として継承されるうちに『偶像化物語』になってしまったのだろう

となるとやっぱり不思議な『夢空間』(๑•̀ㅂ•́)و✧

まさに晴天の霹靂という『想定外の龍の夢』
水色に塗った雲は、動きの軌跡が見えて、その雲から飛び出してきた時の顔が、『そのまま龍雲』として残るという見え方だった

現実ではその『雲の軌跡』しか見えてないけど、その雲を見た時に『インスピレーションが湧いた理由』も納得だ

龍雲から伝わる波動と感動で心が変わる

「成すべきを為せ」

それが『正典(晴天)の雨の辟歴=罪と罰の歴史』に気づく事(´-`)oO{というのも亜空間でも私の観測している亜空間の間の統べ

これら『出揃った亜空間』が私の周りにたくさんある『新たな想像の種』( ´∀`)σ夢の『稲穂の豊作』

今日も阿字観から阿羅漢の導きで全部出し切って『素空観(スッカラカン)』

阿字観、阿羅漢、素空観(無一文)?

『無一文』になってまた出直し
この『冥土の土産』を持って帰り、また明土の土産(閃)を持って新たな空間へ

‹‹\( ˙▿˙ )/››大天使見帰る

大天使見帰る夢

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