ナウシカ・・おいで、ナウシカ・・今鹿・・蘇る金色の稲穂の女神、艮の金神、蝦夷・・蘇我入鹿・・蘇り我、入る鹿・・鹿の王=釈迦・・そんなよくできたシンクロニシティは『馬鹿門』を語るお話
寝起き閃きワード ナウシカ?
蟲と金色の女神=田舎の稲の豊作=豊受姫
鹿の導き=先導者
なう(2025/04/09 10:06:07)
09→奥、億、オーク、オグ
91→杭・悔い・九つ位
10→とう・自由・住・一応・異例
00→麗々・王
06→王蟲、御無、霊夢、央録
60→無王、六王
07→女、オーナー
オグのオーク
エモリのオグ(オサ)
悔いを残す杭の九頭龍
異例の自由、麗々しい王
その蟲王の央録は無き王、霊の夢に
鹿王は無王
女のオーナー
これは『艮の金神は女神だった?』という事か?
そうか、『鬼神社』の近くにある『宗像三女神』を祀っていた神社の名前は、『胸肩神社』になって『名を隠した』とも言える
『胸』を張り『肩』を並べる=『月夜見と鬼の共同』という現れか、それとも『強肩という鬼』を示したか
ただ、おそらくは侵略者に『神話にまつわる名』を奪われた
「名乗るなよ?」と『背乗り』されたって事だろう
蟲王、虫とは『虫けら扱い』だがそれは『名を奪われた先住民』
その『蟲達』が『王』として支える金色の豊作の畑を舞うように歩く『ナウシカ』
アニメ映画では描かれない『原作の世界』では、腐海の森を生み出した核戦争で放射能環境にした原因の『旧人類に立ち向かう』のだが、その形象は『ピラミッド』
単純に見れば『エジプト』であり、エジプトから来た『モーゼの民=渡来人』を指す印象だが、抽象的に捉えれば、ピラミッドという『カースト支配制度』そのもの
『一部の支配者が得をするオールフォアワンの仕組み』が『ワンフォーオールの自然循環』をなしていない社会
『格差社会への立ち向かうシンボル』として核戦争で人が住めない世の中で生まれてしまった『風の谷のナウシカが攻撃した』というのは『腐海の森から自己治癒の再生』が始まっていたから、それを「焼き尽くせ!という思想と戦った』と言える
蚯蚓だって 丘引→おかっぴき
朮だって オケラ=無一文→無は全て
水黽・水馬(あめんぼ)だって
一寸の虫にも五分の魂
この虫扱いされた先住民一人一人が『生きている存在』で、その『自然の助け』があるから、『水が綺麗に再生』されて、『麓では美味しい米』が作れて『稲荷ができるほど豊作』になる
自然の『虫との共存』が『艮の金神』の自然法則
それを受け継いだ『金色の女神』とすれば
ナウシカは『艮の金神の女神』であり『稲荷の豊受姫』と言える
そうなると和久結とミズハノメ
この二人が『艮の金神』
ミズハノメは『水の女神』で『小便から生まれた』という表現もまた、小便は『黄金水』ともいい、『金色の水』とも取れる。また健康のバロメーターで言えば、『黄色の尿』は『ビタミンC』が余ってる健康体で『免疫力も強い』
『黄金の水』と『稲の景色』と『女神』が繋がる『ナウシカの最後のワンシーン』にこそ、『何』を伝えたかったのか?その『形象』が生み出されていた
『麗々しい』とは
ことさらに目立つ様子である。人目につくように派手に飾りたてている。 おおげさである
「そのもの青き衣をまといて金色の野に降り立つべし失われし大地との絆を結びついに人々を青き清浄の地へ導かん」
見て!姫姉様が!( ´∀`)σ
大ババ(ノ゚ο゚)ノ「おおぉ!『その者 青き衣を 纏 まと いて 金色の野に降り立つべし』古き言い伝えはまことであった!」
私にとってなう=今
今とは『現実空間の観測』、連続して動いてない『瞬間』
今鹿Ψ(・ω・ )Ψ…入鹿?←入ってきた
蘇我入鹿
蘇我 入鹿は、飛鳥時代の豪族。蘇我蝦夷の子。大臣として大和朝廷の最上位有力者であったが、乙巳の変において討たれる。
殺されたのは、当時最高権力を掌握していた蘇我氏の本宗家・蘇我入鹿(そがのいるか)。 父の蘇我蝦夷(そがのえみし)とともに専横をふるい、諸豪族の怒りを買い、ついに義憤に駆られた皇太子中大兄皇子(なかのおおえのおうじ・後の天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)により暗殺された、とされます
なるほど『蘇我』ね?
蝦夷の子が『入鹿』ね?
『乙巳』の変ね?
これも『説法』くさいんだよな( ˙▿˙ )
まず漢字の面白い所は
蘇る=甦る=黄泉帰る=『世見返る』
我=自分=自を分ける=分身(割れ)=『分け御霊』
蘇我一族は『我=意識の分身』ができると仮定
そしたら息子=子孫は器であり『入鹿=入る鹿』
『鹿=意識』は様々な所で、『抵抗のシンボル(角)』となった時、鹿をあぶりだすのに使われるのが『馬』
馬は『鼻先に人参(インセンティブ・餌)』ぶら下げて置けば『思い通りに動かせる』ので、その『馬』を使って『鹿』を釣る=『馬鹿』をあぶりだす
そしたら後は『分断の挟』を入れる『漁夫の利』の馬鹿の使い様
そしたら馬も鹿も『一網打尽な挟撃』の挟み撃ち
そんなノウハウを『舞台で京劇の伝統の能』
今も昔も蘇我=蘇る我=『意識』は『間違いを正す抵抗の意志』として、馬(都合で動く強欲)を止めてきた『鹿』
揃ってしまうと『どっちが馬鹿』か分からないから、『同じベクトル』で向き合ったら馬鹿を作り出した『漁夫の利の思う壷』だ
と、『入鹿に乗った少年(意識)』は世を観て帰る=『冥土の土産(悟り)』を持って帰り、「そういう事だったのか!」と蘇我の一族の長の『蝦夷』に伝え
「ならこれを持っていけ」と『明土の土産(差取り)』を持ってまた『蘇る我』として『入る鹿』
『〜しか』=限定、一点物、希少
そう、貴様だ、ソロモン=一人門( ´∀`)σ( ̄▽ ̄)ばれたか
〜しかない=『真我』しかない一切無常。『色即是空の無常』を観て、『有象無象の馬』に付き合うから『馬鹿』になる
一切無常、限定以外、後は常に無い
今鹿ない、『なう』しかない!
唱えよ!ナウシカ(今限定)
蘇る我、蝦夷の子、入る鹿(抵抗の意志)
で『乙巳』の変って漢字もね、蛇っぽい『乙(っポイ)』と『巳』そのものを入れ替える=『思想すり替え』という事
私は以前、大化の改新を『退化の改竄』と読みといていた
ここから『唯心論は衰退』して『唯物論』になっていくのだろうな…と思っていたが、後に『退化』という漢字の中に、『艮へ進んで化ける』という捉え方がある事に気づいた
その観点から見れば『蘇我』とは、『蘇る=一度消える』から始まっている。まるで『陽は昇り沈む』が『また昇る』ように「我は再び蘇る」という苗字
その意志を継ぐ息子の名が『入鹿』
そして一度、『命を絶たれるきっかけ』でもある
それが『蘇る始まり』であり、『艮へ進んで化ける=退化』でもある(有る意味で磔のキリストと同じトリガー)
艮=丑寅=鬼の方へ=『鬼門』を通り、『鬼籍』に入る。そりゃ『現世の業』を満たすために、『因果応報の鬼』となって蘇る我は『鹿に入る』
鹿=抵抗・保守の意志がある限り『我(鬼)』がいる
なるほど、それがこの(´・ω・`)馬鹿門か Σ(゚д゚;)
『スカラー(密度)』で物事を捉えた時、同じ『ベクトル(力)』で鬼になる鹿は文字通り『馬鹿=対消滅』になる
それは有象無象の免疫が有象無象のウイルスと戦って有象無象に『合戦場で散りゆく運命』と変わらない
そういう意味では『ナウシカ』は『金色の豊作の姫』だったのに、最後は王蟲達を率いて『民衆先導のジャンヌ・ダルク』のように『戦い』を選んだ
馬鹿モンが(´-ω-)Σ(゚д゚;)
そんな数ある『亜空間の選択』で、『馬と戦う鹿=馬鹿』になる以外の導きをするには
今鹿ない
今に意識が入る鹿ない
世を見て帰る=冥土
世観て変える=明土
そんな『明度を変える土産』を持って『亜空間』から『意識』が『今に入る鹿』ない
その時、鹿は『仏』になる
…と自分で導いた答えに…ん?(;・∀・)となったので、『鹿と仏』はどう繋がる?と調べてみたら
お釈迦様は、過去世において菩薩の修行をしていた時、大きな群れの鹿の王だった
ほう、『釈迦が鹿王』だったと知って腑に落ちた
そもそも私は、謎の『鹿の導きのシンクロニシティを感じた時期』があり
その時にたまたま、『鹿の王』という映画を観た
作中にもそれが釈迦という表現も何も無かったが、『見てよかったと感じた映画』だったが…まさかそれも『釈迦関連』だったのか…と気づくとさらに面白い事に映画の『コンセプト』まではっきりしてくる
釈迦の意味は
問題にめぐり逢い解決する
映画もまさに、『諸国の問題を解決するために関係ないのに尽力する者』を描いていた
そうなると、蘇我入鹿
『蘇る我』『入る鹿』という転生の使命
その果ては『仏』で正解
馬鹿な争いは『ほっとけ』という仏
仏になるまでの『因果の過程』
自分で理解するまで『納得するまで繰り返す』
それは『過去の自分』という『亡霊(例)と向き合う事』
争いは『同じレベル』でしか起きない
それは『ベクトル』でぶつかり合う話
スカラー(密度)、階層、『次元』が違えば、不平不満を言って『争い事をするような人』がいない
そもそも『一人一人がみんな違ってみんないい』という『尊重』し合って『助け合い、補い支え合う事が当たり前』になっている世界では
不平不満を『言うだけ』で『聞く耳』を持たない
『周りのせい』にして『否定する』だけ
こんな『争いという低次元を求める者』はその場にいられないから、そのうち『相手』にされないで『類は友を呼ぶ』ように、『同じ密度』に落ち着く
そうこの『落ち着く』という表現が『最適な階層(似合)』を示している
鬼愛ですね( ̄▽ ̄)争いですね?Σ(゚д゚;)
鬼は『鬼門を監視』する
一度堕ちたら、出るには『馬鹿』を終えなきゃいけない
馬鹿は『死ななきゃ』治らない
蘇る=甦る=『更生』して『更に生きる』
鬼門から出る方法はな?
『ほっとけ=仏』
『先』に行った奴はみんな「ほっとけ!」と執着を手放して『仏の道』に行ったんだ
だからほっとけ…と思いながら『ほっとけなくて気にする奴(優しい)』を監視しては・・
鬼さんこちら(人 •͈ᴗ•͈)手の鳴る方へ と鬼が『鬼門(解脱の方向)』へ呼ぶ
そうか(´・ω・`)ソロモンの迷宮は、一人門に『導かれる』だけじゃなく、『出口へのガイド』もあるのか
ナウ(今)シカ(鹿)ない
蘇我入鹿=蘇る我が入る今(鹿)
『鹿土』と書いて『塵(ちり・ゴミ)』
それは『箒星』の星『クズ』
そんな『葛の姫』にも出逢ってる夢
という訳で今回のソロモンの迷宮は『ナウシカ』で入ったのに、出たら『 馬鹿門 (争いの門)』という認知の変化でしたとさ
…さすがに、もう連続で次の迷宮は来ないだろう
鬼|ω◉`) ← (^p^三^o^三^q^)さて遊ぶか
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