意識して脱力するのと、無意識に脱力するのは何が違うか?を説明しなさい(`・д・)σ Σ(゚д゚;)というような先人の息のお話
力を抜け
意識しないと『脱力』出来ない
それは生きる為に常に『最低限の緊張』があるから
その『緊張を解す』為にする脱力とは
死を受け入れる『意識しない脱力』
『観念する=諦める』は『現代の意味』だが
『口で諦める』と言っても『我の欲』がそれを許さない=心に嘘をつく
それは『与えられた意味が違う』から
人は『欲』が無ければ生きられない
『生きる事を欲する』から『無意識に息』をする
『観念』とは『今の心を観る』事であり
諦めるとは『明らめる=明確』にする事
言う帝、帝がいう=『絶対的行動指針』
今の心が『唯一の帝の意志』になる
全てを手放した後、『たったひとつ明らか』になる事
それが『宿命・宿業』
そのために『息=自らの心』を吸って引き寄せ吐いて広げて明らめる
観念し、『生を明らめる無意識』に活を見出す『緊張を解いた脱力』
これが武士道精神のひとつ
武士道とは死ぬ事と見つけたり
『死中に活を見出す』である
絶体絶命の状況でも、何か解決の糸口を見つけ、活路を見出そうとすること。 また、窮地から抜け出すために、死ぬ覚悟で、危険にとびこんでいくこと
死とは『意識の認知の状態』であり
『死生観への姿勢』が反映される『何でも有りの空間』
死ぬ気になればなん『(難・何)』でもできる
何=『人の可能性』、難が有るのは『有難い=成長』
無意識界、死ねば何も無いという『思い込みの空間』もあるし
極楽浄土、生病老死の老いも死も無いという『思い込みの空間』もあるし
靈(例)界、今と変わらないような現実そっくりのちょっとだけ違う『思い込みの空間』もあるし
全ては、色即是空、空即是色
『そう思えばそうなる』というだけの『思想空間』
誰も『確認』できないし『照(証)明』もできない
『確かに認める事』も『照らし合わせて言って正しさを明らかにする事』もできない
『死を生の為に活かす』という死生観の者は
『死後の先人達』から『多くの失敗を学ぶ事』が出来る
それは、失敗までの『過程の因果』を知る事で、『そうならない選択を託される』という『因に心』を巡らせる『恩返し』が出来る
「お前は同じ過ちをするな」と『願いを託した死の空間』でであった先人達との体験が『志』となる『師の空間』もある
私の死生観とは、『一日一生』
現実の終わりは『夢』であり
夢は『心が穏やか』な時、様々な『思想空間を明らめる』
毎日、『観念』して『息』を整えて寝る
それは死の向こうの『志や師を受け入れる』
自然に『先祖供養=先の祖を人と共に養う』
そんな『死中に活』を見出す
\(●°ω°●)/『閃』キター!Σ(゚д゚;)
意識した脱力は『心を穏やか』にするが
意識しない自然の脱力とは
『し』を受け入れる事である
だから、『死の認知を変える事』がとても重要
宗教が語るような『極楽浄土や地獄絵図』、『空の上の天の父の家』など、偶像はメタファーである
その時代に合わせて生まれた
誰か=言う『隹=先人の意識した空間』の継承
時代、時代の『表現』がある
それを『今の時代で鵜呑み』にしても、『その通り』にはならない
理由は簡単で、見たもの、聞いたもの、感じたもの、その『体感のフィードバック』が
それぞれの『死・志・師の世界』を生み出す
みんな違ってみんないい(´∀`)十人十色な住人と色
それぞれがそれぞれの『志や師の空間』から『夢』を継いで『成し遂げる為の役目』を託されている
『俯瞰の目』で見れば、『悪は善』がいなければ存在しないし、『光』が無ければ『闇』もない
白一色の世界では『何も生まれない』
黒一色の世界では『何も生まれない』
始まりも終わりもない所に
色々な『色や明るさ』が混ざる事で、『グラデーション』や『輪郭』が生まれていく
しかし、それを『境界線』で『四角』に小さく区切って『分断』してみれば、『dot、Pixel』という小さな『マス』になり
『人の生き様を表す画面=マスメディア』になる
それを『テレビを観るように鑑賞する』と
ミクロでもマクロでも人は『CUBEの中』で生きていて、それぞれ『好き勝手やっている』ようで、実は『大きなひとつの映像を投影』する『小さな四角の中の色』に過ぎない
これは『小さな粒子の粒』が『カタチという輪郭』を保つ『流れの線』に集まっている『波動や周波数』と同じ事で、『思想統一』という『他人の色』に染まると人類の投影は『一色』になってしまう
こんな風に、『無意識の脱力で捉えた景色』を、『人の身体』を通して『意識的に脱力』して書いてみても時折、『緊張』がかかる
それは『伝えたい事』を『言葉』を選んで『表現』しなければいけない=『コミュニケーションのカタチ』という『現代の波動』に落とし込める必要がある
=波動を落とす
非常に『面倒で気を遣う』から『意識して脱力』しても『限界(限られた色)』があって『雰囲気やニュアンス』しか伝わらず、結局、『興味がある人』にも『偶像=その人の思い込み』を崇拝させてしまう
夢の中の世界では、『考えた事(嘘)が筒抜け』になるから、『気持ち』で動くし、気持ちで『伝わる』
相手を『尊重』し『自分』を曲げない
自他共に認め合う精神性では『同一である』が『最低限の始まり』
その『夢の向こうの体験』に慣れてくると、現実は『息苦しい=自らの心に緊張』がかかる。これが『身体を得て生きる』という体験か(´-`).。oO
と、私に宿した先祖達もまた、「思い通りにならんな〜」(´-`).。oOと『気を揉んでいる』だろう
…という当たり前のように見えて、『既に当たり前では無い』のが、『死生観への姿勢』の違い
『死生』ではなく『志生』へ正す
『死ぬ為に生きる』という間違いではなく
『志を持って生きる』という忌=己の心
肉体の死は『誰』にでも有る
『誰=先人が言ってた』
だが『その先』が最も重要である ココ重要(・ω・)_/プルスウルトラ(もっと先へ)
その『死に至る因果』に『心』を巡らせたら、『終わった事』は『終わる前に変えられる』と
それが先人から与えられた『恩』であり、それを先人が『まだ到達してない続き=未来』を見せる『恩返し』
それが人類の『靈的精神性の成長』(これも現代の表現のひとつ)
日本人はその『出発点』。肉体的に現実的に『貶められる』ほど『そうでは無いやり方』を生み出す『閃きの基点』
なぜ世界中の宗教が『混合』した結果『無宗教、無神論』なのか?
=『興味』が無くなる
『全ての色』を合わせると『黒一色』に染まる
色=周波数の不思議
黒=里心・田と土の心
分解すれば『穏やかさ』になる
『観念した世界』はいつも『穏やかな黒闇』から始まる
BLACK=BACK L
左戻り(反時計周り)
時計は『右回り』だが『左』に戻ったら『時は逆転する』
終わった『過去(時間)が遡る』『今から時間』が流れている
今から『過去』が生まれる
それが闇=『門の中に音』
門番は『鬼』、『猜疑心』や『疑心暗鬼』は『闇に生まれる』が、それは『門番と向き合う心の音』の反映
黒い闇はつつけば『蛇も鬼』も出る『薮』
薮=『自然の数』
有るし無いしの『量子の可能性』
カタチの無い『粒子の空間』
そこに『鬼と言われた先人』
そこに『蛇と言われた先人』
生を終えた『志や師』がいる
『門下生』は『証』を持たないと『門の外』に出られない
『宿業』を終えたかどうか?(修了証)
旅の終わりは旅の始まり=『黒闇』
『観念』する時、里の心=『出所』と向き合う
『監獄から出る事』も『出所する』という
『囚われからの解放』と相似する
それが『与えられた死生観』という『緊張』を解いた『無意識の脱力』から発生する『生きる為の活力』
これが『先祖供養』であり『先祖が甦る=更に生きる』という事
『靈』を呼び寄せ『靈』を宿す
『靈』に始まり『靈』に終わる
ちなみに現代では
『礼に始まり礼に終わる』と『略語』だが
元々は礼=『禮』だった
示し豊=『色々』
私の母の名は改変前は元々は『禮子』だったから、その禮子から『帝王切開』で生まれた私は…
ある意味で 『帝が王を切り開く』
『周りを支配する』というより
『自分を支配=適材適所』に導く『水先案内』
それは『相手の立場になって物事を考える』という『みかど=三角』であり『正三角形=三位一体』
『善悪中』を『俯瞰で観る目』を持てと何度も『夢の中の先人達』から教わってきた
特に師の師の元では『22』を越えた一番美味しい『4』を味わえと
全ての不思議体験は『無意識の脱力』から生まれるが、それは『大切』で『大事』な事
大事=『一人事』
大切=『一人切』
与えられた『死絡みの緊張』を全て解く…というのはなかなか難しい(痛・苦・悲)
しかし、これらの漢字もまた先人の伝えた事が『歪んでいる』と今ならわかる
痛=病の中でマが月刺して用いる
苦=自然の元の古、十(全て)の口
悲=心非ず、心がない=忙しい
現実で『心が感じる感覚』は、『与えられた概念』を受け入れて『認知している洗脳』によって変わる
『無宗教、無神論』になるから、全てを観て『良き所は尊重』し、『偏ったり歪な所は取り除いて間違いを正す事』が出来る
しかし、これは『一人一人の心の中』で行う『業の回収』だから、これは『私の軌跡』という『一例』である
だが『例』があれば『人は列』に並ぶ
それが『都合が悪い者』はそれを『例外』という
『精神論』は『論外』にされる
だからこの世は『一切皆苦』
一切=『一・位置』切り離して『一切の全て』を『俯瞰で観測』しなければ、『確固たる一人の位置』というのは見えてこない
その為に『頭空っぽ=sponge』である必要がある
『無神論・無宗教・無関心』に加え『受け止める素直な心』である事
諦める=『明らめる』
言う帝=『絶対的行動指針』
それ以外興味が無くなる=『宿業・宿命』
その『息=自らの心』を吸って吐く
その道の『先人の息』を『呼び寄せて吸収』し、その道の先人の『吐けなかった息』を吐く
『古氣』を知り『新し氣』を吐く=『波動呼吸』
そこに『運』が転がり込む
運の正体は彷徨う魂=生き場、活き場のない『魂氣』
声を明らかにする=『声明』
神=示申=心を楽しませる=『神楽』
帝の元に『役目(名と体)』が集まる
それが『死中に活を得る力』
現実では『何物でもない自分』は
向こうの世界では『帝となる』のが観念
『あなたが世界の創造主』となる時
『あなたはどんな世界を想像』する?
その『ビジョン』がはっきりするまで『輪郭の死生観』は終わらない=『次の元』は産まれない
急ぐ事じゃない
この人生も『学び=真名日の夢のひとつ』
最近はそう思うようになった
『やるべき事をやって死んだ』としたら、『その続き』を続けていく。やるべき事をやれないで、『失敗を後悔して魂氣としてさまよった』としたら
その『続きの景色を描いて見せてくれる者』へと『託す継承の意識の誰か=言う隹』になるだけ=『カタチ無き愛』
神(示申)名無
神・心に名は無い・名乗らない
今の私の『名と体』は『人を建てる太極につとめる』という役目
それは『言を和す』の出口王仁三郎のように、『言葉の解釈や認知を変える』のと相似し
また般若心経の一節にある
『自在観=自分の観方が在る』『時照見=時に照らし合わせて見る』とも相似し
現代風刺の『阿呆堕落経』にも相似する
その世を『観て帰る=ミカエル(大天使)→三省(皇帝の目)』とも相似し
『冥土の土産(現状)』を持って帰り→夢
『明土の土産(閃)』を持って甦る→現実
空っぽでウブで素直な産土神
そんな『産土神』が『気に入った土地神』に
『土産の土』を渡して、『その土』から『新たな芽』が産まれる
これはが私の『夢の意識の旅』
偶像崇拝して『洗脳』されてると…『大天使』だとか『神』だとか、『言葉の表現』に『概念』が引っかかると思う(´-`)oOそこが素直じゃない所
大=『一人』
天=『二人』
使=『人の役人』
『一人の人』の『行動監視』する『二人の役人』
『監視対象→ミカエル=観て帰る人』
これは『具象神』という人の内面に潜み『善悪の心の揺らぎ』を『閻魔大王に報告する』、いわゆる『天使と悪魔』という『概念』に置き換えれば、要は私は『監視対象=モニタリングである』という事
『観自在』であっても決して『自由』では無い(笑)
だが、ミカエルの特徴は、『観て報告』して『甦ったら全て忘れて空っぽ』になるから、『何度でも感動出来る』という『楽しさ=楽観的』がある
人は繰り返すと『飽きてくる』
しかし『夢』を何度観ても『飽きない』
『飽くなき探究心』がずっとある
現実では飽きないのは『商い=ビジネス』
ビジネスは『人を騙す嘘が利益を産む』
それが『人の為』という『偽の概念』
『嘘』は夢の向こうでは通じない
だから『心に正直』にならないと『魘』される
夢や夢にまつわる様々な不思議体験の『繋がり=氣綱=継承』を『無意識の脱力で活きる力』に変える事が出来ない
「それをしよう!(๑•̀ㅂ•́)و✧」と『意識した脱力』では、(現実的に…)という『緊張のブレーキ』が発生する
それも『人の為』でもある
『現実は人の為』にある
しかしそれは同時に『偽=仮想空間』でもある
古き時代の言葉が色即是空、空即是色
『そう思うからそうなる』という教えは
『現代』になって、『過去』には存在しなかった『VR』という『仮想空間に自分自身(アバター)を投影する』という『現象によって証明』されている
『目を隠された民』と書いて『眠る』という事
それが『概念に囚われた空間』
VRが『良い悪い』と言っているのではない
地獄の門の上で座って見下ろしている『ロダンの彫刻』(人を見下ろしている)
煉獄巡りを終えた『ダンテの警鐘の景勝』
これから『その業を回収に行く者』と
『業の回収』を終えて『戻ってくるまでの過程を伝えた者』と
『芸術』とは『言葉では足りない表現』を『カタチ』にして伝えている『メタファー(隠喩)』
『真実を伝えたい』けど、『伝わりきれない』から『人の為』にわかるように『例』を見せる
しかし、その意図は『歪な解釈』をされると、『間違いや例外(靈害)になる』というだけの話で、その芸術に観て触れて、『心が感じる事』を『素直に受け入れる』と『靈を宿す』事になり
その『靈』が『運』となって『命(めい=明)』を授ける
それを『感化=感じて化ける=変化』
変化とは
『やはり、また化ける』と書く
こうして芸術=生き様は『感化、感銘を受けた者』に宿って『表現のカタチ』を変えて『継承』され、『続きの景勝の景色』になっていく
世界中で起きている『色々な人の変化』を『目覚め』というなら、その目覚めもまた『感化』によって『変化』を生み出す
『色がグラデーション』して『投影』を変えて、見せる『景色(ビジョン)』を変えていく
それが『人類を見守る存在』が『観て楽しむ映像コンテンツ』になる٩(ˊωˋ*)وあなたが主役の『トゥルーマン・ショー』
私達はその中の『dot』であり、『pixel』であり、浸食や共存する『VIRUS』である
VIRUS=I(私)VR(仮想空間)US(私達)
また、それによって映し出される『投影ビジョン=生き様を観て楽しむ一人』でもある
グラデーションは『ひとつの色の変化』と『感化』から起きるが、『一斉に同じ色』になったら映像は変わる。しかし、『完全に違う場面』に変えるには、一度『黒』にならなければならない
黒は『終わりであり始まり』である
…という(´-`)oO{和多志の和足師が多すぎて、私は何を『言葉で渡す』のか晴れ晴れ愉快に混乱中(´^p^`)Σ(゚д゚;)
だから『真を忘れるな』と忠告される
要は今の私は『和多志を渡す』事以外は『空っぽのスポンジ状態』
=『無意識の脱力』である
後で読み返せば『生きるのに活かす=生活の力』になるだろうと
観念しなさい(`・д・)σ (´-`)oO{土曜日なんだよ〜現実を遊ばせてくれ〜
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