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プノンペンモデル「またね」feat.戸川純 & 平沢進

突然、お勧めに出てきたプノンペンモデル「またね」feat.戸川純 & 平沢進・・平沢進!?Σ(゚Д゚)と思い曲を聞いてみると・・なんじゃこりゃ!?と思いつつ、何か引き込まれる感覚があったので洞察してみたら・・

プノンペンモデル「またね」feat.戸川純 & 平沢進

な、なんだこれ?(;’∀’)なんでいきなりこんなもんがおすすめに出てくるんだ?

コメント欄では生粋のファンたちが「プノンペンモデルから平沢進を知った」とか・・「生まれる前にアルバムを出したのが最後」という年齢層だとか・・知る人ぞ知る、平沢進よりも、『隠れた巨匠』なんだろうか?

初めて知って、初めて聞いて、そして・・意味わからんwwww
『メッセージ性』が強すぎて、『メッセージ』が伝わらない

シンプルな歌詞なのに、意味がわからない

あの人はもう地上にいない
空ばかり、美しくなっちゃって
ありがとね、またね

MVがメタファー=隠喩だとしたら、色がポイントか?・・と『色』に囚われると
色即是空、空即是色=そう思えばそうなるという『思い込み』に引っ張られる

そして、『名は体を現す』曲名は「またね」
『お別れ』だけど、『再会の約束』をする

ふむ・・という事は、現実的に考えると

プノンペンモデル、戸川純、平沢進などのアーティストが影響を受けたであろう、誰かが亡くなった?その想いをひとつにまとめた言葉として「またね」というメッセージかもしれない

「あなたの影響を受けた、それぞれの色で表現して魅せる」
そういう事なんだろうか?とひとつの観点

もうひとつは、『空ばかり綺麗』になる
これは『空想』の中で『思い出が美化される』という事か

『想えば想う』ほど、『空想』が膨らみ思い出が『色鮮やか』になる
それをMVとして表現しているとも考えられる

・・その観点から見れば、『故人を偲ぶ曲』だけど、『等身大の自分でできる全部を表現した合作』という感じか

映像は綺麗でも、どこか綺麗じゃない『歪な融合』が『不穏や曖昧』という『空間の密度』が出ていて
一回聞いただけでは、?、二回聞くと・・??、三回聞くと・・???

聞けば聞くほど、意味がわからんが、『意味がわからんからまた聞きに来てしまう』
それは「またね」という忘れないでという『メッセージの持つパワー』なのかもしれないと考えると・・

仮に『故人を偲んだ曲』だとしても、その故人が「なんだこりゃ!?Σ(゚Д゚)」と『何度も聞きにきてしまう』ような、そういう意味でも「またね」でもあるかもしれない

ちなみに、カタカムナで またね は
受容・需要が分れて充ちる

受容・受け皿=人生から別れて、『無=空』になって充ちる

一時の別れと再会の約束
今日の日はさようなら、また明日

『誰か(自分)』といたという『需要』から離れ『自一人』に戻る
元々、『自しかない世界』に『分身』を産みだしていた『幻想』から離れる

ただいま=『唯今』に戻る→お帰り

プノンペンモデルの2024年の動画があったけど、ボーカルの方は結構お年を召している

そしてさらに調べていくと、本人のエックスで

なるほど・・そういう事か

「またね」は『本人の気持ちの表明』だったのかもしれないですね

私の母も『癌の進行』は止められなかったけど、生ききって亡くなった、下半身不随になって身動きが取れなくなっても、絶望をせず、「上半身は動く!」と息を引き取る最後までその『頑張る姿』が、家族を不安にさせなかったから

谷口マルタ正明さんという方は初めて知ったけど、『根強いファン』に愛されて、死ぬまで生ききって、『息尽きる』まで遺せる『想いを出して』ほしいですね

きっとファンの中に、『追いかける弥勒』がいて、それを『継承して形象する』と思う。『弥勒』は『釈迦の痕跡』をあまねく全てを石に彫ったり、歌にしたり、文字にして『記録する役目』だから

プノンペンモデルという『釈迦力に独創』した『釈迦の痕跡』として、私(弥勒)は感じた事を訳詞て記録します(一人一)そういう『知らない亜空間(非日常)』があったと量子的観測

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