好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

映画フラットライナーズで確信した「後悔先に発たず」

後悔は先に立たないではなく、先に発たないという意味を理解した映画「フラットライナーズ」と自分の体験から人生を悔い改める準備のお話

導かれしフラットライナーズ

ゲーム・・アニメ・・(゜-゜)ちがうな~またこのやる気がねぇ現象の時は何かに誘導させられている感はあるのだけど、対象が見つからない感覚

そんな時、思ったよりあっさりと見つかったのがこの映画。見始めてから見終わりまで、口あんぐりしながら見入ってしまいました(笑)

映画フラットライナーズ

自らを仮死状態にして得た脳死実験の記録を収集して世紀の大発見!という名目で、同期の医学生をメンバーを集め自らの臨死実験につき合わせる

死後の世界を体験して蘇生した結果、脳の力が開花され、現実では分析力・洞察力・記憶力が飛躍的にアップした事で、同期のメンバーが次は俺!次は私と一人また一人と臨死体験からの蘇生で能力を手に入れていくが

その結果、思わぬ副作用が発生し、現実には見えないモノにとり憑かれる事に・・という概要で映画のタイトルはFlat な Line、つまりは「平坦な線」、いわゆる心停止

臨死体験

そして、生死の一線を越えるという意味でもある

この映画は予告でもそうだけど、死後の存在とのコンタクトという事や恐怖演出からホラーとして取られるのだけど、実はこの作品が本質として伝えたいのはそこじゃない!と思ったのは、たぶん大事な事なので

私の体験もふまえてちゃんと伝えろ!って事だと思ったので解説していこうと思う(そろそろ死ぬ人も多いし・・)

罪悪感に囚われた者たち

この作中で臨死体験をした者の共通点は現実における洞察力・分析力・失われた過去の記憶など、様々な潜在的な力が解放される反面、忘れていたはずの過去の記憶、自分にしかわからない罪悪感が復活する

当然だろうな・・と思うのは良いものが思い出されて引き出されるという事は、当然忘れる事で幸せに生きられる過去の隠したい行為や言動、罪なども蘇る訳だ

この時点で臨死体験をしたものは、能力を手に入れる代わりにトラウマを抱える事になる。そして、そのトラウマから逃げ続ける限り、苦しみはエスカレートしていく訳だが

これはみんな共通でこれから起きるよ?という怖い話をしよう

臨死体験と明晰夢や幽体離脱は同じ

正直な所、それを体験できない人というのは明確

それは現実を自分の思うがままに生きて選択に一切の後悔が無い人。他者から与えられた概念の影響を深く受け止めない楽観的な人

罪悪感というのは、苦しみの概念=自分への戒め・守るべき自分ルールが多いほど重い。いうなれば、宗教や作法、これを違反したら罰せられるという潜在意識の判定

また道徳や礼儀など、そのルールを破ったら自分ではない誰かが苦しむという犠牲の精神。これが根幹にあると実は人は自由に生きられないで罪悪感という鎖を自らに付けてしまう

宗教的に言えば、十字架を背負う という表現をされ
なぜか、その罪を赦すのはキリストである 的な誘導をされる

今回はそういう話じゃなくて

臨死体験というのは、肉体的に致命傷を負い、霊が肉体を離れ死の縁に至らないと見れないものではなく、罪悪感や後悔の念などを抱えた意識が肉体を離れた時に自ら想念で具現化している時にも起きる

そのため、臨死体験は寝ている時に普通に起きている。誰も自らを観測してないから外側の状態(生きてるか?死んでるか?)に気づいてない可能性がある

私は自らの脳の睡眠データを計測した時に興味深いを発見をしている。夢を見る眠りの深さ、別世界を五感を持って体験してくる明晰夢の時の眠りの波形は明確に違いを把握した

それは私の脳波も睡眠時に「フラットライン(脳波停止)」からの蘇生を記録していた事

霊界 睡眠データ 深すぎる睡眠ゾーン

霊界学園への里帰りのような夢

そして、呼吸が止まった仮死状態からの復活の感覚でわかった。そもそも眠りに入る前の呼吸を可能な限り小さくしていく=静かに息を引き取るだからね

ワシ死んどるやないか!(;゚Д゚)ノ Σ(゚Д゚) って話(笑)

独自体感論 仮死状態からの目覚めでの気づき

そんな臨死体験的な夢世界からはさまざな情報を体験記憶として持ち帰っている

第七感で繋がる並行次元を楽しむために知っておく事

そんな不思議体験の中には、私も潜在的に関わり合う事から逃げていた、現実では取り返しのつかないトラウマと向き合い克服する夢が二回ほどあった

過去のトラウマが解消された夢(自己催眠療法?)

トラウマを乗り越える夢パート2 必要な存在が現れた 

私にとってのトラウマとは「あの時アレができていれば・・」という自分の無力さや至らなさ、自分勝手な選択への葛藤。そんな後悔の意識を持った私が、創りだした想念のシミュレーション世界で、トラウマと同じ状況が再現された時

その問題を今の自分の意識(精神)でなら乗り越えられるのか?
それとも未熟で前と同じミスや逃げを繰り返すのか?

このシミュレーションの中で今の意識(人生経験あり)が思う通りに行動を達成した事により、目覚めた後、まるで現実でも同じ事を達成したかのように認知が変わり充実感と自信にあふれていた

これは実際に記憶が別の記憶に変わった(過去を変えた)という意味ではなく、起きた事は変わらないが、同じ状況になった時に問題から逃げないで正面から取り組む=困難ではあるがトラウマ(逃げたり隠れたり)にはならない

という精神状態になっているために、心が恐怖に支配される事はなくなったという事

現実ではもう会う事もない人、もう出くわす事はない状況。そんな取り返しのつかない状況でも、意識はシミュ―レーションした仮想空間に入り、明晰夢という五感を伴いながら、人生を追体験したようにまるでそこに本物の人生があるかのようにその瞬間を再現する

そこで前にできなかった事を成し遂げるトラウマは消滅し苦手意識がなくなる。これが臨死体験だとしたら、タイミングが整ったら起きている精神的自浄作用

問題が大きくなる前に対処するためにね?

という事は、どんなに現実が忙しくて夢を見る暇がないと忘れていても、必ず最後は逃げられない審判があると感じる

それがもともと私の体感論の中にあったのだけど、フラットライナーズを見て確信した死後の世界の真理を理解した

後悔先に「立」たずではなく先に「発」たず

後悔先に立たず

意味:すでにしてしまったことをあとで悔いても、もう取り返しがつかない。事をする前に熟慮することが大切

はい (‘ω’乂). (乂’ω’)ダメー Σ(・ω・ノ)ノ!

私も後悔しないように、前もって色々準備して・・と思っていた時期があり

石橋を叩いて渡らない・・とか(慎重)
君子危うきに近寄らず・・とか(慎重)
己を知り、敵を知らば百戦危うからず・・とか(慎重)

こんな感じで行動を起こす前に情報をリサーチするという事が大事だと思ってましたが

後悔ってどういう時にする? という所が本質です

それは瞬間、瞬間の選択を間違った!と感じた時です
ではなぜ間違った!と明確な判定をできてしまうのか?

それが、潜在意識と自我の進む道にズレが生じたという事であり、意欲(中)ではなく欲(外)に流されて本来積むべき魂の経験の目的とは違う方向に進んでしまった

特異点(分岐・分離)を生み出してしまった事

潜在意識=無意識というのはある意味、全て計画通りに進ませる意志
自我=現世において得る情報を分析・洞察・理解して判断して生まれる思考

意志の決定(意欲)思考(情報・欲)が逆らったという状況です

思考とは概念(宗教観・道徳観念・社会常識・地位・名誉・自己保身・世間体)に基づいて行われます。従って、本当の意志とは違う、別の人格が自我(自意識)であり、その自我の暴走によって、本来の安定したレールから外れた脱線状態が後悔になります

つまりは本当の自分を裏切った選択をした事

逃げた、隠れた、嘘をついた、騙した

それが後悔というもの・本当の自分を騙した罪悪感と考えた時

先に立たない・・後悔は後から付いて回るものだと・・この現世の中の概念ではそれが解釈の限界ですよね?

だから、フラットライナーズ(臨死体験者)じゃないとわからないのがこれ

後悔先に発たず(造語)

意味:すでにしてしまったことを忘れても、先に発たないで終わりで待っているぞ?

人間って過去の事(嫌な記憶)を忘れて生きていくじゃないですか。もし、生れから現在に至るまで良い想い出も悪い想い出も全て思い出したら?

その消して、隠して、嘘ついて、自分を騙してなかった事にして忘れていた・・決して向き合いたくはない醜い自分、恐ろしい自分、認めたくない自分の選択ミスから

逃れらない状況になるのが、死の向こう側に行く時
それがトラウマ(後悔)と向き合うという最後の審判の意味

キリスト教でも確か裁きと表現され
仏教でも地獄の閻魔大王の裁判と表現され

そして現世での行いの批評をされる訳ですね
徳(利他的な行動)を積んだか?得(利己的な行動)を積んだか

例えば財産という得(利己的)を積み上げた者が人生を振り返って残したのは、その財産が大きければ大きいほど、残された者達はそれを得ようと利己的になり

血で血を洗う醜い争いを生み続ける現実を見せられる

例えば徳を積んだ者が人生を振り返って残したのは、徳を積むという行動を活かす者がまた徳(利他的)を生み出す者を生み出していく現実

その審判の状況を考えてみれば、両者はどうなるでしょうか?

人間だもの、多少の罪や罪悪感はあるのは仕方ない、どんな聖人も人は人。だけど、そんなものは帳消しになるくらいの徳を生み出すものは・・

望む世界に行けると思いませんか?

徳のシステムは向こう側にあるという夢

逆に負の連鎖を生み出し続ける元凶となったものは、追放や消滅で終わりだと?違いますよね、一番やりたくない作業は、この混乱を元に戻すまで輪廻を繰り返せ!と混沌の世に送り返される事=まさに生き地獄

カタカムナ研究17 15首 人生の輪廻転生の理

・・逆に言えば、徳を積む行為、徳を広げるんだよ!自然に行っている人というのは、かつては極悪の限りを極めた罪人の贖罪という訳なので・・

だから悪党の手口を知ってるという蛇の道は蛇

気になった蛇に関することわざ・慣用句シリーズ

どんな人間も生まれながらにして、生まれ落ちた時点で罪人。自分が過去に間違った選択(善悪)を繰り返さない=自由意志で中立になっていく

魂の年齢が高い=転生回数が多い人の特徴は、99%自ら犯罪を起こさないという点。そりゃそうだよね、罪を重ねる業に加担したらまた輪廻だもんね、君子危うきに近寄らず

辻褄があってきたな~(゚д゚)(。_。)ウン

魂の年齢 霊格レベルを調べてみたら・・

自分の事を省みず一人でも多くの人に正しい変化を促せばという想いの根幹には、利己的な罪滅ぼしが隠れてはいるものの、その行為は利他として周りの救いとなる・・か

ほんとエネルギーって循環なんだな~としみじみ

カタカムナウタヒ研究1 エネルギーの循環の話

やはり、臨死体験をすると、そういうこの世界の外側(宗教は基本出所同じで表現が違う)という認知が感覚で広がり、心から行動や発言、物事の捉え方を悔い改めるという瞬間がある訳ですが

約束のネバーランド 喰い改めよと思ったアニメ

独自体感論 断食でわかった食習慣の悪食の影響

現世の感覚だと、その罪の内容というのは、現世の中の概念縛りにおいて、やれ人を殺したとか、やれ毒殺したとか、そういう人が人を裁くための人間社会のルールに限定されて都合よく考えられているけど

じゃ

人間が動物を食べる=生きるための狩猟は罪か?
人間が動物を乱獲する=ビジネスのための狩猟は罪か?
人間が領土侵略戦争で人を殺すのは罪か?
人間が領土侵略に対して防衛で人を殺すのは罪か?

それを裁くのは誰か? と言えば、神!という人は あほか?(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)ある意味罪

じゃ、食べるために捕まえる=殺してはないから罪ではない?
じゃ、食べる食材として息の根を止め調理する=殺してるから罪?
じゃ、侵略後に平和を創るために教育を書き換える=殺してないから罪ではない?
じゃ、平和のための教育内容に逆らったから殺した=殺してるから罪?

少し考えればわかるけど、線引きがとても人間に都合がいい

ここに答えがあるのですよ

目的のために自分がやるべき事を迷いなく遂行している人は、人殺しだろうが動物の乱獲だろうが、思想教育だろうが医薬品の人体実験だろうが

罪の意識はない=後悔しない=トラウマにはならない

だからそれが生きる人生の一部(ミッション)になっている人は決して後悔はしない

それなのに、普段、動物を罠にはめて捕まえる事もした事がない人は可哀想・・と罪の意識を感じ、普段、生き物の調理もした事がない人は命を奪うなんて残酷・・と罪の意識を感じ

結果、行動は他の人と一緒なのに、感じている後悔・罪悪感のレベルが違う

そして、それを間違いだった・・やらなければよかった・・と自我の記憶(現世)の中から無理矢理隠して消したつもりでも、肉体のある現世から離れ、意識体になってまた肉体に戻る(臨死体験)と・・

消したはずの・・隠したはずの・・後悔の念が幻覚や幻聴となって具現化されて現れる

まぁ、金縛りも似たようなもので、自分が潜在的に最も恐れている現世の恐怖が想念として現れるから、見たくない、聞きたくない、早く終わってくれ・・と精神が逃げようとする

でも、その潜在的な恐怖の正体と向き合い克服する事で、明晰夢や幽体離脱という肉体から解放された精神世界の旅を楽しむ事ができるし、現世のトラウマがなくなると、怖いものがなくなって精神が強くなる

また洞察力や分析力、行動力、前向きな意欲が向上するのは、映画の中の話ではなく、現実に私もそれは実感している。そして何よりも、潜在意識の決定に、自我が素直に従えるようになると絶対にどんな選択をしても後悔を感じなくなる

例え、社会的常識・概念に対して99対1の多数決の少数派になっても、潜在意識がその選択を拒絶するとしたら、多数派の社会に迎合すれば必ず後悔する

創世記 Episode0 こうして人類は禁断の実で獣になった

ロシア・ウクライナ問題 もしもANTIFAが日本で動くとしたら?

そして、その後悔は現世では現れないが肉体が終わり人生を終える時、目の前に後悔・罪悪感として立ちはだかり

「次」へ行くのを妨害する

次という漢字は ンが欠ける・あるはずのものが足りない

ンとは終わり、最後がない=終わらない=輪廻転生
自らが生んだカルマ(選択ミスの業)を回収せよってね?

私は思うんですよ、キリストや釈迦の罪って弟子が広げた宗教を破壊しないと解消されない
だから本人たちが降誕して、既存の宗教は全部間違っとるで!って一斉に宗教を解体する

それで間違った宗教に帰依して信仰してた人たちの目を覚ます って荒療治ね?

世界的な宗教が解体されたとしても精神的な衝撃を一切受けないノーダメージなのが、もともと無宗教無信仰で神という偶像を崇拝してないで、自立した精神を持っている人たち=真理の探究者

ま、だろうなwくらいなもんで、それがわからない人はまた繰り返す┐(´∀`)┌ヤレヤレ ある意味、永遠の命の繰り返しの中で色んな役割を学ぶ機会に恵まれる。だから、終わりたければ嘘ついちゃいけない、他人にじゃなく自分に

姿・姿勢を正すについては前回考察しているが『人生そのもの』を表わしている

姿と姿勢の漢字に隠された死生観の真理

自分に正直に生きたら何の後悔も生まれない
この人間界は嘘に嘘を塗り固めてできているのだから

嘘が世界を作るお話

嘘を嘘として楽しめる=他人を傷つけても痛みを感じない人種しか生存できないフィールド(後悔をしない)

カタカムナ研究6 潜在意識が伝える「ヤルダバオト」

深く関わらない事が正解=解脱への道

正解と解脱?

でも、最後に言っておくと・・

だからこそ、嘘のフィールドを抜け出る時に楽に出れないという事

いいか?後悔するなよ?っていう捨て台詞がある

これもまた意味深だ

後悔(行いを悔いる)は先に発たない
帳尻合わせは最後の最後に審判によって清算される

あなたは自分自身の行動や選択を決める時、自分に向かって問いかけた事はありますか?

後悔するなよ? → 自分

(-ω-;)ウーン とぐらぐらゆらゆら選択に迷っている時に、現世の周りから与えられた常識的に・・普通は・・一般的には・・という社会的な概念で自分を正当化して進めようとした時に

直感的かつ潜在的に、100%の同意がない時というのは、それを選ぶと確実に後で後悔します

どうしてあの時止めたのに、自分(直感)を信じなかった・・と

逆に(-ω-;)ウーンと選択を迷う時に、やりたい!こっちが自分的には正しいのだけど、社会的には間違いでやるべきではないという概念で悩む時は、例え99対1の多数決のように見える社会的には間違いを選ぶ二択であっても

自分で正しい!やりたい!と思う事を選択すれば後で後悔する事はありません

最終的にどれだけ自分に嘘をついて誤魔化して生きて来たかです
嘘をつく選択の必要を迫られるのは、他人と関わる時です

本当は正解は違うのに嘘をつく・見栄をはる・虚勢を張る。すると嘘をつかれた人は存在しない間違いの道に迷い込む

その結果、自分のゴールにたどり着けず破滅したとしていたとしても観測しなければわからない事。その人の人生が自分の嘘のせいで終わったとしても現世では気づかない

だけど、臨死体験をすれば隠していたトラウマも呼び起こされるために、その瞬間の嘘を見せつけられ、その嘘の後にどうなったのだろう・・その瞬間に間違った選択をした自分の行いがどうなったか気になってくる

だから確かめられずにはいられない
確かめなければ、ありとあらゆる可能性の恐怖が襲ってくる

真実はいつもひとつ!( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)コナン君

だから、後悔は先に逝かないよ
ちゃんと待ってるよ?出口でな(・∀・)ニヤニヤ Σ(゚Д゚)コワ

とおりゃんせの歌はね、あの手この手で嘘ついて関所を通り抜ける内容なんだけど

行きはよいよい帰りは怖い → その場しのぎの嘘を重ねる行為がばれたら?
自分にとっては過ぎ去った過去の過ち・・として忘れていくも、嘘の世界は続くのよ?

ちゃんと待ってるよ?関所でな(・∀・)ニヤニヤ Σ(゚Д゚)コワ

通りゃんせの歌の失われた2番3番に真実があった

あ、そういう意味ではあれか・・自殺したロビンウィリアムズの映画『ファイナルカット』も同じだわ(゚д゚)(。_。)ウン

他人の死の闇に向きあう事で、自身の心の闇のトラウマを解消したいと、自らの頭の中の人生を記録するマイクロチップの映像を命をかけて確かめて安心する

だから、後悔は先に発たないよ?

ちゃんと待ってるよ?救い=死神(罪の具現化)としてな(・∀・)ニヤニヤ Σ(゚Д゚)コワ

生き急がないで、ゆっくり落ち着いて心を穏やかにして自分と向き合えば、夢の中で克服するチャンスが巡ってくる。だから呼吸瞑想で内観してみよう

独自体感論 明鏡止水と霊的な言霊の本質

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