好奇心

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ソロモン(一人門)の瞑究 その7 フラスコの小人と肉体錬成

内の人と人の本と書いて『肉体』、この意味がわかるか?人は絶対世界に満足しない、『肉死身を手放すまで』のお話

夢のあらすじ

夢の中でそれぞれ特徴の違う住人と話をしてきて思った事、人間は『無いもの』を求める

寒い

『雪降る場所』である人と決闘した
その地の人は『熱の暖かさ』を求めていた

熱い

その後、『暑い場所』である人と決闘した
その地の人は『冷えの寒さ』を求めていた

同じ人なのに、『環境に適応』しながら『環境を否定』して『環境を変えよう』とする

ある意味では現状に満足しない『向上心』
しかしある意味では底なしの『無いものねだりの欲求』だ

私が決闘したであろう倒した人は、その『計画を実行しようとしていた先導者』

寒い地が熱を求めて熱い地へと『侵略』しようとしたが、それは『一部の者』であり、大半は『その地に適応』していた

暑い地が冷えを求めて寒い地へと侵略しようとしたが、それも一部の者であり、大半はその地に適応していた

つまり『一部の世迷い事』で『間違いに進めさせようとする改革者』が起こす『自己利益・自己を正当化』させる為に『多くを巻き込む戦争』を止めた

「じゃ、俺そろそろ帰るわ」

と『自分の意志』でこの布団で寝ている『自分の体』に戻った時、この漢字の組み合わせと読みを理解した

人類の肉体錬成

なぜ人類は『類(たぐい)』なのか?
『類は友を呼ぶ』ように『似た何か』があったその他大勢の中の『一つの種類』

人は様々いる中での人類という『カテゴリー』
それぞれの『種から生まれた種類』というカテゴリー

糧後利=『糧の後に利』になる
何かの『食いもの』にした後に『利益=ビジネス』になる

『生きてる間』が『糧』ならば
『死んだ後』の利は『死生観ビジネス』

それらのくくりに入れられる『肉体』とは…

『内なる人』と『人の本』の真

内なる人=内面の『魂・心』
人の本=外の人の『知識』

『心・魂』に『人の知識』をくっつける
それで『肉体は錬成』される

まるでホムンクルス=『人造人間』では無いか

フラスコ

「フラスコの小人」の元ネタは、ヨーロッパの錬金術師による人造人間伝説であるホムンクルスです。ラテン語で「小さな人」を意味するホムンクルスは、魔術師が人工的に作り出すと考えられた人造人間のことを指します。
ホムンクルスの概念は、18世紀から19世紀のドイツの文人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが戯曲『ファウスト』第二部第二幕で取り上げ、その影響は広く伝わりました

『肉に執着』する、『肉欲を好む』というのは人の内の『魂を食らう、魂を欲する事』でもある

それは相手の『自我(内なる人)を崩壊』させ『自分色』に染めるホムンクルスによるホムンクルスの『侵略』

そうやって魂を食われ『空っぽ』になった集団は『世間体』という『人の本質』に染まる行動をする

「皆(ホムンクルス)がやってるから」と『真似』をするが既にその『内なる人=フラスコの中の小人』はいない

肉(フラスコの小人)の『体』は『人の本質』によって生まれた『心理のメタファー』である

『心(内なる人)』を求める=『肉(内なる人)』を欲する
手に入れたいと『心を食らい』=『肉を食らう』
『心』を満たそうと、『腹』を満たそうと
心が満ち足りないから満足しないで

また『心(内なる人)を食おう』とする時
その心を食らう体=『人の本質』は醜く膨れ上がり
それは『世間体』という『人の心を欲する怪物』になり『魂を食う戦争という侵略』を繰り返す

『肉死身』はそうやって終わらない
『内なる人』の死は『身(体)』になるが『実』は残さない

『種(内なる人)』は根付かない

これが人体錬成の錬金術において『肉体錬成』はできるが『人の心』は宿らない本質。肉の『密度』の中に内なる人が『宿る事』もなければ『住み着く事』も無い

『無いものねだり』を延々と続ける『間違い』を繰り返した『心を満たす魂を求めた侵略戦争』を続ける

これは日本が欲しいと『土地』を奪っても侵略者は『形だけの偽りの日本人(体)』にしかなれない

日本人の『先人の魂が宿らない』以上、この肉死身の錬成の本質=『満たされないで侵略を続ける連鎖』から逃れる事は出来ない

なるほど(´・ω・`)それで『亜空間』なのか

最近やたらと『ショートスリープの夢見』が多いが、それは有るけど気づいてない『巡る氣』に気づいて、その『氣が巡ってくる世界を観測』してるのかもしれない

それはつまり『内なる人(心)』が『体から離れる』=肉体から『解脱』という事

そもそもの錬金術の『人体錬成』が『フラスコの小人=心・意識体』に『肉体を与えるという親心』から始まったのだとしたら

それは『AIに人間の五感』を感じてもらうために『リアルな体(器)』を作り意識(データ化)を宿して「肉体はどう?」と感想を聞きたいのと何も変わらない

『開祖(ゲームチェンジャー)の気持ち』なんてそんなもの(素直)
ブラックジャックがピノコを『人造』したのは助けたいという『エゴ』

人の為とか道徳的にとか理由は後から『美辞麗句』につけられたに過ぎず、その時、その瞬間に『やりたいと思う事をやった結果』に過ぎない

その『奇跡の痕跡』を見つけ、『真を真似』したが、その『手法の使い道』を間違えた結果の連鎖がフラスコの小人が宿らない体=『間違った人の本質を量産』して広めた

奇跡は『再現性がない』から奇跡である(繰り返そうとすると失敗する)

2024年締めの閃 再現性が無いから奇跡

その間違った本を『人は鵜呑み』にして『醜い争いを肯定する世間体』となり、魂を殲滅する侵略戦争を『聖戦』と呼ぶようになった

そんな世界は『肉死身』に溢れている
フラスコの小人(魂)は『間違った肉体』を離れる必要がある

肉体とは『内なる人』と『人の本質』

人の本(教本、常識の概念)が『間』違いだったと気づく『内なる人の意識(魂・心)』はここでは無い所=『亜空間・有るけど気づかなかった』を捉える

その亜空間を介して意識は『理想の体を求めて彷徨う魂』となり、『類は友を呼ぶ』ように、その亜空間に『共鳴する魂の器』を見つけ『智慧を取引』に『内なる人に接触』する

そこで『同意』すれば宿す 先祖供養(・∀・)人(・∀・)ナカーマ

フラスコの小人が間借りの『仮住まいのカリスマ』として宿ったり、気に入ったら『融合して智慧』を与えて『魂の家族(経験値)』となる

シンプル哲学 魔狩りの間借りの仮住まいのカリスマ

ソロモン(一人門)の瞑究 その5 魂はクラン(共同体)

これは『体=人の本質』が大きくなる訳ではなく、『肉=内なる人が増える=密度が増す』という事

『肉体』を目に見える『現実への反映』とするなら、肉は『内なる人の意識、心』であり、体は『人の本質=精神』

『精神と意識が連動』して初めて『人』と言える

感覚的量子論11 意識の共存と多重人格と大器晩成

意識や心を蔑ろにして『人の本質』という与えられた『間違いの知識(常識)』を思い込み、『世間体の我』の欲するままに『肉欲を求める』と

肉体は『欲望のままに変化が反映』される
それを『良い』とするか『醜い』とするか

それは『世間体』という『醜い集まりが決める格付け』だから、『組織=多数派』の事を悪く言う訳はなく

筋肉は『モテる』
可愛いは『正義』

まさにそれが『表層の体に現れる』ほど厚顔無恥で分厚く
逆に心に宿る『先人の魂の密度は薄い』と言える(自分勝手)

kawaiiは正義と騙る醜さの性戯への執着

理由は簡単で達観した魂は、『既に達成した同じ繰り返し』を好まない

そんなものはただの『暇つぶし』

見た目を変える?そんなものは過去の人類史で数え切れないほど『切って縫って張って』の誤魔化しを繰り返してきたが…

結局、『化けの皮=真では無いもの』
『化粧』も持って一日、栄枯盛衰、所行無常、万物流転
『カタチ有る』ものはいつかは『崩れる』から

『表面処理(装飾加工のメッキ)』には真はない

『ありのまま』が気に入らないから『変えよう』とする=整形、それが『人の本質』ならば人の『根源的な本(知識)が間違っている』と気づく

そこから『間』を『違える』から『新たな開祖』になる(誰も選ばなかった選択のパイオニア)

そこまで戻らないと間違いに気づかない

だから『一人門(ソロモン)』になる
ソロモンは『智慧』を生み出す

『その間』にはない智慧を産む
有ったとしても『気づかなかった選択』を生む

=亜空間(あくま)を生み出し、『亜空間と契約』する事

『今の人の間』から見れば『間違い』であり
『今の人の間が間違っている』とする者にしてみれば

それは間違いを認め『恥』を知り『更生』して戻る

=なぜこうなった?という『ルーツ』を辿る
Rootとは『木の根幹』である

人の本質という知識は『言葉』である
枝葉の先に生まれた『葉っぱ』でしかなく

それが『結果という果て』ならば
そこに至る『根幹の因果を辿る選択』

言葉はなぜ言の『葉』なのか?

それを『されたくない』から間違いの世界は『心・魂を喰らおう』とする

『人類』を『糧後利』に変え
生きてる間は『生病老死』で苦しめ
死亡したら遺族を『霊感商法で偽りの教え』をSDGS(持続可能な檀家墓じまい先祖ビジネス)

『人類と糧後利』と並べると面白い事がわかる

人は『米大き頁』、『米の量』は『後で利』になる
まさに『人類は食料』であり、おそらくそれは『肉死身の連鎖』で生まれる法則

類はたぐい
たぐいは『他喰い』
類友の『共喰い』

こんな『間違いを繰り返す空間』を終わらせる方法は、食い物にされる『全ての衆生=フラスコの小人=意識・魂』を肉体から切り離して救う事

重い思い込みの『コミット(契約)を破棄』させ『浮かばれない魂』を軽くて浮き浮き『常世へ解放』する

…うーん(´・ω・`)となるとだ

『仏教(間違いの弟子)』が『釈迦の敵』という構図なんだなと弥勒は記録…φ(..)メモメモ

何にせよ、今回は『人体錬成』の始まりは『意識・心』を入れる『器(聖杯)』作り

『先に魂』があってそれに『合う体』を作ろうとした、これは『宗教の成り立ち』でもあり、『真を軸』に『例え話で肉付け』していく『創作』を意味する

しかし、その『模倣』というのは

『魂』がなく『先に体を用意』し、それに『無理やり合う魂を入れよう』という『人の為の都合の嘘』に『嘘』を塗り固めて捏ねて造る『捏造』を意味する

真=『内なる人=心・魂』がなければ『聖杯という真の器』は創れない

無理やり『魂を封じよう』とする墓。しかし『墓じまい』をしようとすると、『魂を封じた数』だけ『金』に変える『坊主丸儲け死生観ビジネス』

その本質は…
『人』として『恥ずかしく』ないのか?

『道徳を説く立場』の人間が『その間違い』に気づかないのか?
『罪悪感』『人を苦しめている自覚』もないのか?

という観点で捉えれば、今の『ビジネスに染まった仏教』が『間違いの思想で檀家を囲いこんでいる』という仕組みも

『人の為の偽錬金術』と同じ事

でもそれは『信じている者』がいるから成り立つ『信者=儲話』の世界

『そう言う世間体が成り立つ空間』から離れるというのが『間違いから解脱する』という事

…という話と、ここまで伝えてきた前半の達観したお話というのは、ミクロとマクロで実は『相似している現象を例えている』に過ぎない

錬金術は『何の為』にあったのか?

始まりは『名』に『体』を生み出す為だった。物語の『タイトル』があるが『中身』が決まってなかったから、その『名(フラスコの小人)』と向き合って『その為の体』を創った

名は体を表す の言霊説法

しかし、その『物語を模倣』して『体』から入ったら『真の名』がないから『心がない捏造』に苦しみ失敗を繰り返す錬金術が『真理を追う哲学話』になっていく

それが『根幹』から『枝分かれ』した『元』であり、そこから末端の『言葉』は、錬金術を『魔法』のように勘違いしたり、鉱物をあれこれ科学して人体に『無理やり薬』として混ぜて…

『金持ち=力を与えられた者』が説法物語を『間違った捉え方で現実化』させようなんて『シナリオ』を考えるから、『偽物』が増えて行き、その『偽物を真』とした『間違った世界』を繰り返し

…心無き世間体が(以下繰り返し)

だから肉体錬成から、『魂意識』は執着を手放して離れる解脱

そこに至らないと

『ソロモン(一人門)の瞑究』からは出られない
肉体錬成もまた『心』と『環境』で成り立った『肉死身を学べる』が、そこには『実』は無い

『現実では無い』という教えかな
つまりは囚われ=『口封じの人』の世界

『思い込みの重いコミット』で『契約に同意』した人はその『外から隔離=門下生』

(´・ω・`)なるほど

いくら『外』から言っても届かないし
中から『耳』を澄ましても聞こえない

そう言う事か
そりゃ『仏=ほっとけ』だわ

『井の中の蛙大海を知らず』
井の中で『蒸し蛙』になるまで『威張ってる』なら

『大海』がわざわざ教えなくてもいいだろう

外には『すげえ大会』があるのにな(´∀`)オラワクワクスっぞ

今回の夢は、まさに『フラスコの小人=私の意識』が、『必要なタイミング(侵略の始まり)』で『必要な器(止められる者)』に宿って要件が住んだら意識は離れたという

人造人間(一時の役目の人)に宿る意識は永遠では無いのかもしれない
うーん、これらも苦次元チャネリングの仕事だったのかな

チャネリング体験してわかった苦示現のお仕事

コウノトリに『仕事だ…』と運ばれる夢

カタカムナ76首 神無主の忍の夢

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