好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

元も子もない現視世界のタオ(老子)

元(先)も子(後)もない=先祖も子孫もない=老いては子に従えができる、素直な師はまた子から繰り返し、観たい世界を原資から想像して再構築し、原子世界として現れた世を視るという、意識して観測する事でのみ存在する幻視世界を無いから有る空間に・・うーん、元(終わり)も子(はじまり)もないタオ(道理)なお話

夢のあらすじ

私は先生(師匠)の元、何かを手伝っていたが、古巣に戻ると、そこでは後輩達にとっては先輩だったから、師が私に与えたように、後輩に何かを課題を与えたら…

そいつは想定外だけど、めちゃくちゃ真面目に努力をしたであろう、私なら省くであろう無駄な部分にこだわって全力を掛けて

与えた課題はクリアした上で、その応対のこだわり(オリジナル)に呆れ半分だけど「よくこんな物を創ったな」と驚き半分(((゜Д゜;)))

今度、このこだわりの部分を創った『元になるモチベーション』がどこにあったのか聞いてみるか( ̄▽ ̄)と変な所で『先を生きている後輩に学ぶ姿勢』…

また『好奇心と意欲』のむくまま素直に『先生(後輩)の弟子』になってら…と気づいて目覚めた朝、頭に響いた言葉

元も子も無い

「元も子もない」は、せっかくした努力や利益が、最後には何もかも無駄になってしまうという意味です。語源は、利子(子)どころか元金(元)まで失うことから来ており、**「損をして何もかも失う」**状況を指します

HAHAHA( ̄▽ ̄)『金欲の世界』では『元金と利子』というまさに『金族と李氏朝鮮』みたいな『物欲・強欲のちっちぇ物の見方』って感じ

私が感じた直感は

元(先)も子(後)もない
先祖も子孫もない

『素直さ』があれば先祖は『子』からも学べる
『子を師匠』として『新たな発見』や『向上の口上』が出来る

( •̀∀•́ )b今の心を『真言』します!(素直)
(*•̀ㅂ•́)و✧今の心を『進言』します(向上)

老子は言う「老いては子に従え」
それ、老子=『タオの流れ』にのれって話(笑)

私は釈迦の涅槃の口上の『生病老死』の老を『時間をかける』と解いた

一切皆苦と生病老死の認識で分岐するパラレル

そうなると老子とは『時間をかけた子』である
『時をかける少女(男)』である

老子=タオの流れは『素直さと向上の心』があれば
『時空を超える事』を示唆している

…なるほど(´・ω・`)そういう繋がりか

生は『常』である
病は『態』の度合いが変わる
老は『時』をかけてゆっくり・悠久の時
死は『果』、いずれ至る新たな子の始まり

『常に態度』が変わり『悠久の時』を超えて、更生して甦り『素直な子』になる

素直さと学びの姿勢
素直さと気づきを伸ばす姿勢
学んで気づいた『まとめという元(終わりは始まり)』

そのまとめに気づいてまた学ぶ子は『先生=先に生きる』がいないから

『元も子も無い常態』=常に変化の症状から悠久の時間をかけて(虎は千里をかけるで心を配りで飛び回る・急がば回れ)また『元に戻って素直な子』に至り

悠久の時を飛び回り、その中で導いてきた『先祖の生き様』を『素直に感じた子のままに自己表現』して『現視世界を伝える師』になる

『現れた』から『視る世界』
『現れた』から『思う世界』
『現れた』から『学ぶ師の世界』

そんな『幻視の原始』の『原子世界』が『夢』というありとあらゆる『ミクロな存在の意志と交流』し、その『袖触れ合うも多生の縁の一期一会』のように

『出逢った体感記憶が粒子』となって『細胞に浸透』し、そして『現れた世』の世界にふわっと残り香のように引き継がれる

その『粒子の記憶』を『文字』としてまとめているのが『夢日記』

『禁忌の書』それが夢日記と実感した夢

感覚的量子論 夢日記が全ての始まり(原点)

夢は『消えてしまう』から
『元(先祖の教え)も子(学ぶ弟子)』もない

だが『素直な子』は『老いても子』
老子=『タオの流れにまた戻る』から
やはり悠久の時を超えて『役目を和足し』に『渡しに私(可能性の存在)』に行く

釈迦が涅槃寂静で見せた『虚空蔵菩薩の景色』って、これの事を言ってたのではないかな?と…

最近は向こうで『何かを素直に学ぶケース』が増えてきた事で思うようになる

和静加味で大山祇神?武術家の夢から ヤマ・ニヤマの戒律の自己解釈へ

忍者(しのぶもの)八鳥君(八咫烏+君主)がやってきた?に気づく武術の夢

(´-`)oO{ってか思い出した!!

そういや、夢の誰かが『霊界』って言ってたわ!唐突に思い出した(笑)

ま、でもだからなんだ?って思うのは
『元(先)も子(後)も無い』から

現れたから視ている世界
『原子』として固まった『原資世界』

原が『source』で資が『resource』
sourceからresourceで『創られた世界』を『子』として視る

げんしはどこまで行っても『幻視』
有るけど無い『空(全てが存在)』

カタカムナで げんし の言霊は

内に強く放出した示し
つまりは『内面に自己表現した世界』
『意識が観測』しているから『存在』している

『あの世』を見ていると『霊界』
『この世』を見ていると『現実世界』
中途半端な『幽界』を見ていると…

「なんか妖怪?」って『変な世界』にこんにちわ(笑)

幽界探訪記その1 戦った鬼女に気に入られる夢

幽界探訪記その2 浮遊霊の正体は人工物の成れの果てという夢

あれは誘拐(幽界)?という異世界の夢

この引き寄せは『希望と欲望』のバランス

希う(こいねがう)
欲する(よくする)

望が『適う』と『叶う』はまた違う

適う=適材適所
叶う=小さな口の中の十

『小さな口』から始まるのは『嘘』
口の中の『虚=十』

『叶う』とは人の為=偽の『嘘』なのである(´-`)oO
と『口』に囲まれた『十(全て)』に『心』を巡らせると

田を支える『思』になり、それは『虚』の下が『思』になると
『慮=おもんばかる=思いやり』という『嘘から救い出す事』になる

慮と虜 結び龍より授かりし心(精神)の旅の言霊

こんな精神を言葉のロジックに当てはめて、『デタラメ』のようで『パズルが完成』するような…『知恵』は直接身についたものじゃない

夢の中で『様々な人』に出会い、『会話』し、『生き様を体験』した記憶…が『原資の原子』となって、そこから『原始変換して現れた言葉』になって視える『現視世界の自己表現』になってるから

誰かから『学んだ自覚は無い』がそれを『思い出そう』とすると『夢の記憶が浮かぶ』が、『直接そういうキーワードの会話は無い』から面白い

『面白い』…と毎度思うから
「また行けたら行くわ」(o・・o)/と希望する

そう、『欲望』を持っていない

故に『現実世界』や『幽界』など、『欲望を叶える空間』に興味がなく、『学びや気づき』の『希望が適う空間』に引き寄せられているから『霊界』に行くのだろう

なるほど(´・ω・`)
『霊界』は『心に素直な人』じゃないと行けないのか

行きたいと『欲』する程に『遠ざかる』by 霊界
行きたいの?『欲』する程に『寄ってくる』by 幽界(の誘拐)
生きたいと『執着』するほど『離れない』 by 現実世界(肉体への念着物=今の心の着物)

その『生き様』の人の精神状態=『病=変化』
ここで『老』いて時間をかけて『子』に望む『方向性』

『欲して望を叶えたい』なら『人の為の嘘』へ
『希う望が適う』なら『自己表現の自己探求』へ

肉体は『状態という器』にすぎないがその器の常態が『不自然で不安定』だと、無意識に『欲して望む』のはまず『安定』

『自己が治癒』されないうちは『周りに気が回らない』…にも関わらず、『自己犠牲』して「人の為に・・」と『尽くす事を善の美徳』とするのは

それは『生に対する愚弄・裏切り』であり、『器』ではなく『元の心を傷つける』という『偽りの嘘が欲する望を叶えている』

ま、簡単に言えば、『悪魔・欺瞞(亜空間・隙間)に魂を売ってる』

まずはその心に『付け入る隙間』が無くなるように肉体ではなく『精神の自己治癒』が必要であり、その『自己治癒が完了=業の回収』が終わって初めて

周りに『余った分を和足す』という『氣配り』が出来る
『和の精神』とはまず『自己が満足』して満たされる限度を決める

=汝、己の心を知り、とどめる(禁忌)

これは物質面の話ではなく、『精神面の話』であり、「心だけあればいい(´∀`)主護心」というそこまで達観した人は

『物欲と執着』の『欲望と執念』が無い
『欲して望む物』もなければ『今の心が執着する何か』もない

『世捨て人』ならぬ『余(あまり)捨て人』
必要なのは『着る物(襤褸)』

『自己を保つ心』以外は『和足し』てもいいという『足るを知る靈人』

そりゃ霊界からの『ドラフト指名』あるでしょ
※そういや昨日、ドラフト会議やってたな(笑)

そんな訳で、『欲欲』考えて
『欲して見た』けど『欲しくはなかった』と
『夢夢』忘れない私(先祖にそう言われた)

よくよく(欲欲)考えてゆめゆめ(夢夢)忘れない

望むのはいつも『自力で解ける問題』であり
その問題に直面している時の『解決の糸口』であり

問題がなければ『問題を創って解こう』とする『トラブルメーカー』でもあるが、でもそれは現実になる前の『潜像空間でのお試し』であり

その『世界の創造主(元)』でもあり、その世界を何も知らないで『役割として現れる主役(子)』であり、『脇役(支援)』でもあり…

結局、『夢の登場人物』が先祖も子孫も悠久の時を超えた『オールスターからキャストが選ばれる』としたら…

『元(先祖)も子(子孫)も無い』んだよ(´∀`)( ̄▽ ̄;)
『時と空』も無いんだよ、元が

そこに『有る』を生む『有り得る(アリエル=可能性)』の『念を動かす力』で『生=常』が始まり、『正常(元)』になる

ソロモン(一閃)とアリエル(鬼門の門番)と弥勒(自己表現)?

瞬間、瞬間で『現視は変化』している…と書いて思い出した

私が初めて心と向き合った時に、その奥にいた少年キヨが「想念と意識は違うよ」という教え

感覚的量子論4 意識と想念は違うよ?と言われた夢

あの夢の中で実践して体感していた『瞬間で同じ景色(空間)が変わる』という『認知実験』…今思えば、『先にとんでもない体験』をしていたのだと『今の心』なら素直に受け止められる

あの時の私はカタカムナをあまり意識して活用してなかったから、読み取りが『浅かった』

ロコロコのロコといった場所の名前
カタカムナで読み解くと

次々と空間に転がり入り
時間をかけて空間に転がり入る

「ここは心の中か!」Σ(゚д゚;)…と以前は心という『抽象的な空間に反応』して『感動』していたが…

その中心にいた『キヨ』の言霊は
エネルギーが新しく

つまり『あの少年が湧き出る根源』だった
大事なのは空間ではなく『根源エネルギー』だった

それが『正常(元)』であり
これが『器(肉体)に入った』だけ
その根源の周りの空間の状態は『常に変容(無常)』

つまり『何を望む』のか?
『叶えたい』のか?『適えたい』のか?
『欲する』のか?『希う』のか?

これが『引き寄せられる無常の景色』となる
『意識』して『観たい世界を選択』している

…やはり動じない=『重力ない』

『心ひとつ』になると『浮世離れ』する
観ている世から『浮いて離れる』

…あ、やべ(´-`)oO眠くなる…

あ!二度寝はダメだΣ(゚д゚;)今日は『歯医者予約』してた

…と『肉体がある』と、それに『付随する難儀な業を回収』しなければいけない『現実世界に意識が執着』するのであった

私の中で歯医者に行くタオはこの夢で終わってたのだが…

「痛みを越えて未来を築く─歯の治療が導いた心の再構築」の夢

歯医者「歯石取りしましょう。後、古くなった銀歯の歯も欠けてるので型を取り直しましょう」

と歯石取りなんて、『向こうの都合(医療点数制度)』で一気にやらないで一週あけての通いをして、1回数百円の歯ブラシ磨き…

別に必要ない所は『他人の都合の(職)業に巻き込まれている』という人間関係の『煩わしさ』

でもそれも『学びや気づきに変換』するなら、やはり『自己を労り心穏やかに正常』にならなければ『精神面での自己探求』なんぞやれん

『人助け』をしたいならまずは『自己を自律』し『足るを知れ』(限度を決める)「そんだけあれば後は必要ない」と『余裕』が出来たら『余分』を和たせ

『限度』を決めない、決めた限度で『満足出来ない』と言う『欲する望を叶えよう』とするから『偽りの嘘』が蔓延して、その嘘を取り繕い『隠蔽し誤魔化し有耶無耶』にする為に

「やらない善よりする偽善」等と『言い訳』をして『さらに嘘を積み重ねる繰り返し』になると

もはや…『誰の何が足りない』のかもわからない『責任の細分化』しすぎて『誰も責任を取らなく』なり『物事が立ち行かなくなり停滞』する

今の日本も、日本人もそんな『状態=病』だなと、そんな病の押し付けがコロナ禍のワクチン『任意=誰も責任とりません』だった訳だ(笑)

そりゃそうだよな?『上(外国)からの命令に従っただけ』だと『言い逃れの免罪符』がある上に、『言わない限りは身の保証を担保して貰える』となれば

『因果関係不明』の『シラ(白)を切り通す』だろうから、『皆は苦しむ』
シラを切りとおす『白に比べてる』んだから、道理もへったくれもない『一切皆苦』はただの無理

皆という様に隠された白と比べての罠

日本人は『どこの誰』の『何が足りてない』のかもわからない『空白の歴史』を抱えて『ルーツ不明に元が曖昧』に書き換えられて行く

という『繰り返しを何度体験』すれば『学習』するんだろうか?と

霊界の靈人達は「やれやれ・・」と思っているからこそ、『素直に耳を傾ける人』には『夢で色々』と口ではなく『体験でわからせてる=身を持って身につけろ=耐性』なのかもしれない

でもそれも、「また繰り返し…」という感覚があるという事は…やっぱり

『元も子』もない
『始まりも終わり』もない

無いから『創る』
無いには『創る全てが有る』

『source(根源)』へresource(資源)を戻しやり直す
それは悠久の時空では『一瞬の出来事』

そして『我』思う故に『我』あり
(´-`)oO{また繰り返してね?

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