好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

浄瑠璃と阿の導きと声明と珍法と

浄化と意志の継承から浄瑠璃に興味を持って調べてみたら阿の意志と薬師如来という癒しに関する導きだった・・と思ったら、まさかの珍法子の妙技による子宝に恵まれない所へ血筋すり替え背乗りが見えてきた奇妙な・・そしてワンピースのネタ元が見つかった話

浄瑠璃を調べてみたら

起源

戦国時代ごろの御伽草子の一種『浄瑠璃十二段草子』。作者は「百家系譜」によれば小野阿通という織田信長に仕える侍女で、大病のため静養していた信長のために三味線を用いて語ったという説が江戸時代までは有力であったが、現在までに様々な学者により議論が進められ、享禄4年(1531年)の「宗長日記」には、少なくともそれ以前から浄瑠璃(十二段草紙)が存在していた、との記述があり、それを当道座に所属していた琵琶法師によって、平曲(平家物語を琵琶により伴奏して語ったもの)に次ぐ新たなものとして扱われ、滝野検校によって節づけがなされ、はじめ琵琶で演奏されていたものが、虎沢検校に師事した沢住検校によって三味線を用いて語るようになり、それを小野阿通が信長に聞かせたという説が一般的である。

小野 お通(おの の おつう、生没年不詳)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。浄瑠璃の嚆矢『十二段草子』の作者と誤伝されてきた謎多き人物である。阿通、於通とも書き、「おづう」とも読む。

はい、えーと、ざっくりwikiを見てきましたが、こういうのってはっきり言って『後半は蛇足』なんですよ。お家を継いだとか、盛り上げて有名にしたとか、そんな『地盤を受け継いだ二番煎じ』はどうでもよくて

『0から1の無から有を創造した最初の開祖』、あるいは、その概念を『在る所から無い所に伝来した人物』というのが最もポイント

そういう意味で、私はこれが・・まさに引っかかったんですよ

小野阿通・出雲の阿国生まれ変わり説

以前、出雲の『阿国』という『絶世の美女』による歌舞伎演劇について調べた事がある

日本の隠された歴史④佐渡金山と八尾比丘尼と辰子姫と出雲阿国

その後、『阿』という漢字は、阿蘇、阿祖、阿波、阿弥陀、を始めとても『祖』を継承している物事につけられている名だと感じた時

『小野(おのの)』という苗字もとても重要になる

日本三大美人の一人に『小野小町』という人が有名だが、彼女はそれ以上に『芸能で大成』していた平安時代前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人

それと『同じ苗字』『阿通』な上に、この人もまた・・

詩歌・琴・書画など万藝に秀でた才女であったという。寛永の三筆の一人である公家・近衛信尹に書を習ったとされ、当代を代表する女筆、お通流と謳われた。醍醐花見短籍や歌仙手鑑が現存するほか、柿本人丸画像や達磨図の自画賛ものが伝存する[4]。

大日本史料によると、美濃国の地侍・小野正秀の娘で、淀殿に仕えたという。あるいは美作国津山城の東、押入下村の岸本彦兵衛の娘とする説[2]や、九条稙通に和歌を学び、織田信長や豊臣秀吉、高台院に仕えたとする説、豊臣秀次の家人・塩川志摩守の妻となり一女を儲けたのち離別し、東福門院や新上東門院に仕えたとする説[3]などがある。

真田信之はお通に思いを寄せていたという説がある。信之が元和8年(1622年)に上田藩から松代藩へ転封になった際、お通から見舞状を受け取った信之は、返書に姥捨山や更科といった古典に出てくる名勝が松代藩領となっているのでぜひとも松代に下って来てほしい、とお通に松代へ来るよう誘っている[6]。お通の娘の宗鑑尼(そうかんに、? – 1679年・延宝7年12月18日没)は、信之の次男で信濃国松代藩第2代藩主・真田信政の側室となり、信就を生んだ[7]。真田氏ゆかりの広徳寺には信就と宗鑑尼の墓が並んでいる[8]。

容姿が美しいかどうかは別として、『天下の歴史を動かす時の権力者』に重宝されるほどの『芸能を持ち得ていた』というが

『知識を持って生まれ変わった』という観点でみると、小野阿通が生まれる前から『浄瑠璃の元が存在していた』としても、それをまとめて別の作品として『浄瑠璃を復興』する事は可能であると言える

言うなれば『一度失われた縄文の復活』のようなもの

そこで面白いのが、薬師如来等の話が出てくる事

浄瑠璃物語(浄瑠璃姫十二段草紙)

浄瑠璃御前(浄瑠璃姫、もしくは三河国矢矧宿の遊女)と牛若丸の情話に薬師如来など霊験譚をまじえたものを語って神仏の功徳を説いた芸能者にあるとするのが通説であり、「浄瑠璃」の名もここから生まれたものである。

「浄瑠璃」とは、もともと東方にある薬師如来の浄瑠璃浄土にちなむ語である。 「浄」とは清らかなという意味であり、「瑠璃」とはサンスクリット語の ヴァイドゥーリヤの音写で青いサファイヤのことである。 薬師如来の浄土はこれらの宝石に荘厳(しょうごん)されているといい、瑠璃光世界

はいサンスクリット語キタ――(゚∀゚)――!! Σ(゚Д゚)

古代インドが元で、そこからの伝来?、仏教の浄土と言えば、極楽で『蓮の花』ですが、サファイヤで装飾されている?

蓮の花がなぜ『神聖』か納得した話

これは気になるので石の意志を調べてみよう

サファイア(sapphire)は、呈色コランダム(Al2O3)のうち、赤色(ルビー)以外の鉱物の総称である。

歴史的経緯から「青色」を意味するラテン語の「sapphirus(サッピルス)」、ギリシャ語の「sappheiros(サピロス)」に由来する名で呼ばれ、蒼玉、青玉(せいぎょく)とも呼ばれる。 酸化アルミニウムの結晶で、モース硬度はダイヤモンドに次ぐ9。宝石として用いられる

青という見た目で

sapphirus(サッピルス)
sappheiros(サピロス)

『自然界の原石』でもそのままなんだろうか?

メインカラーとされる青色系統以外のものを「ファンシーカラーサファイア」と呼び、ピンクがかったオレンジ色をしたものを特に「パパラチア(Padparadscha。蓮の花のつぼみの色の意)」と呼ぶ。

パパラチア(Padparadscha。蓮の花のつぼみの色の意)

なるほど、でも『開いてない蕾』なのか・・

ヨーロッパで知られるようになったのはトラヤヌス帝ローマ以降で、当時盛んだったインドとの交易でもたらされたとされる。インドでは、ヒンズー教徒には不幸をもたらす不吉な石とされていたが、インドの仏教徒には逆に尊重され、その風習がヨーロッパに広まった。

ヒンズー教徒には不幸をもたらす不吉な石で、仏教徒には逆に尊重

これはね、初期ヒンドゥーか後期ヒンドゥーかの東アジアの宗教のもの凄い変化の歴史があるため、ここではいい悪いは別として、インドが発祥地であり、それが薬師如来として、中国由来の仏教で日本に入ったのか、そのままヒンドゥー教で日本に入ったのか

ただひとつ、感覚的に言える事だけど、『自然界には青色はない』
だから、青い色の薔薇が開発された時凄く話題になった気がする

英語で「Blue Rose」といえば「不可能(存在しないもの)」の象徴でした。それは、どんなに望まれても交配による品種改良では誰も青いバラを実現することはできなかったから。しかし、最先端のバイオテクノロジーと開発者たちのたゆまぬ努力により、「不可能」は可能になりました

薔薇に限らず、あらゆる動植物において『青は毒物』として認識され、警戒されているようで、それがヒンドゥーの教えなのか、「自然みりゃわかるだろ?」の観察による『不自然』への気づきなのか

空の青さ、海の青さという広大な光の屈折や反射による流動的な媒体以外で、青い物質は確かにありません。私が知っている例で、ある国のゴミ処理場で『青く光る鉱石』が見つかったそうで、それを持って歩いた人も、分けて貰った人も

その後白血病でなくなったそうです
その光る鉱石は『放射性廃棄物(プルトニウム・ウラン)』だったから

こんな感じで、確かに『自然界の青を警戒』するほうが理解できるけど、なんで『仏教はそれを重宝』したのか・・

浄瑠璃御前物語を掘り下げる

『浄瑠璃御前物語』は、源氏の御曹司、牛若丸が東国に赴く途中、三河国(愛知県)矢作(やはぎ)の宿の長者の娘である浄瑠璃御前と恋に落ち、ついには結ばれる、という物語である。ここに登場する女主人公が浄瑠璃御前と呼ばれるのは、薬師如来に願って子を授かった長者が、薬師如来の浄土である浄瑠璃世界にちなんで命名したからである。
ひとびとの苦しみを癒す薬師如来の信仰は民衆に深く根ざし、その浄土の名は日本語の中に音曲の名として定着した。
京都府相楽郡加茂町にある「浄瑠璃寺」も薬師如来の浄土世界を讃仰して表現したものとして著名である

ふむ・・『牛若丸(義経)に隠し子がいた』となると歴史が変わるんだが(笑)、それが『念願叶った』というのであれば、それは『事実』なのかもしれないが、そこに『薬師如来に願う=念仏系』

『神楽(二人の恋愛)』を楽しんだ神が『声明(望み)念仏』を叶えてやろうと『子を託した』のだとしたら『薬師如来(久須志=薬師)に頼りましょう』と、したら・・なんつーか

義経や浄瑠璃午前等の『有名人のネームバリュー』で客引きした『浄土系仏教の布教』とも思えるが・・

まぁ、今でいえば、トム・クルーズを看板にしたサイエントロジー、芦田愛菜や石原さとみと創価学会・・・あれこのパターンって

古事記でいえば天照と天孫降臨系、天津信仰
キリスト教でいえば、キリストと天の全知全能の父なる神(ゼウス)
仏教でいえば、弥勒と釈迦・阿弥陀

いわゆる『客引きのスター』とその『スターを看板にした背後の宗教団体』・・昔から変わんねーな、しかも加茂家(能=物真似)もかよ

鴨と加茂、皇の鳥と八咫烏 背負って担いだ神輿とは?

でも、私が『浄瑠璃』に興味を沸いたのは、『精神の浄化』という意味では『阿』の心、『薬師如来』、常に『治癒』『正常で清浄な常態を保つ』ためという考え方ではないのか?だったので

『漢字のイメージ通り』である程度当たってた感と、やはりそこには『女性(女神)の力』があったという導きを感じた

そもそもシン・仮面ライダーからどうやればそこに!?という『興味の飛躍』(多動症ってレベルじゃねぇw)

シン・仮面ライダーの闇が深すぎたと俺の中で話題に

不思議だなぁ、現実では『女性に縁がない』分、精神世界ではかなり『色んな女神』に愛されているようで、実は盆に行く旅の目的地付近の神社を調べたら、なんと『瀬織津姫』が祀られている所だったらしく・・

前に見た『28の数字』と『下半身に龍の入れ墨の女性』の夢の謎が再び起きるかもと期待してます(≧▽≦)

下半身に龍の紋様と28が気になる夢

おまけ① ワンピースのワ国に隠された浄瑠璃

浄瑠璃、三味線、遊女に名だたる剣豪ときて、道中弁慶と牛若丸のような刀狩りまで・・おまけに陽よりはゾロに恋心を抱き、父から継いだ閻魔を渡す

・・この道中の駆け落ちと『一夜を共にする』ような流れが、まさに『浄瑠璃御前物語』と考えると、織田信長や豊臣秀吉に仕えたとする説、豊臣秀次の家人として重宝されたというのも『オロチに気に入られた太夫』という『権力者の傍』にいたという構図も一致してくる

ゾロ

ゾロ

和の国編はやはり『伝統絵巻』のように『和の文化の様々な伝承』を取りいれているのだろうと、それゆえに・・ワンピースロス(考察の楽しみ)がぁぁ(ノシ`・ω・)ノシ バンバン!!

もうこの2分の公開映像から

満月、白い王=皇、野生のリズム
一体何が起きてるのかわからないけど、ドラゴンボールで言ったら『身勝手の極み』なんだろうなと(悟空も白い)

白い

あぁ、色々気になる『不思議な方向性の一致』、何を示唆しているのか『読み説く』のが楽しみだねぇ(*^▽^*)

ちなみに、『河童の川松=秦河松』、子供だった日和を楽しませて『元気づけた道化』という観点でみると『日和が聖徳太子』というポジションになる訳で?でも『死んだはずの兄』が戻ってきて、『年齢も大人になった』事を考えると、

『光月桃の介』が『聖徳太子』として収まりそうな?シランケド

あぁ、想像して創造するのは楽しいな(*^▽^*)

ワンピース魚人編で気づく『明』の意志

ワンピース独自哲学 ワノ国その1  天月トキと赤神と黒神伝説

ワンピース独自哲学 Goldに隠されたdの意志

おまけ② 漢字分解で見える浄瑠璃のエネルギーと珍法子

浄=水の流れ争い
瑠=王は留まり
璃=王は离(山の神である大蛇)となる

まず『浄化』というプロセスは間違いなく『状態変化』において『強制的な振動』を生みます

それによって『流されない本物』は王として残り、その王は山の神である『大蛇=王の意志を継ぐ子を宿して護る白蛇』となると伝えている

私の持論の『龍と大蛇の役割』はまんま『浄瑠璃』だったんですね

シンプル哲学 龍と大蛇と汝(なむち)

浄瑠璃の中の演目の義経と女性の話も『暴れまくってるイケイケ義経(龍・流)』が東征のために離れていく遊女に子を身ごもらせ、その女性は『義経の子を産みたい守護の白蛇』となる過程に

『神楽(二人の逢瀬の物語)と声明(願わくばあの人の子を)』による『神降し』に成功したのは「浄土念仏のおかげやでー!」と『宗教信仰が利用』したなら

『真実』とそれを『猿真似して利用したペテン』がワンセットの666のMAGICが成り立つ

666と『MAGIC』の不思議な共通点

急に直観が教えてくれたのだけど、なんで「ちんぽこ」という『亀頭崇拝』があるか?

ちんぽこ

神楽と声明という『珍法』『子』が生まれたからだよ?(圧倒的ペテン)

そう考えると『神楽』って『セックス』という話

でもそうなると、子宝に恵まれない女性の元に『コウノトリ』という『シロサギ』『赤子』を運んでくる=種付けの仲介人(胎ませ屋)がいて

育ててみたら父親に全然似てないけど、あなた・・「どこの子?誰の子?」という『血筋不明』というすり替え背乗りミステリーが・・

その『神楽と声明』の業(DNA)間違いなく『子に継承』されていく・・というまさかの『義経隠し子の血筋が浄瑠璃で暴露?』(ゴシップ)それとも、そういうパターンでの『すり替え話はペテンで使われるknow-how』になったと読み説ける

ふーむ、物事はやはり『表裏一体』やな(((uдu*)ゥンゥン

漢字読み説きでは『エネルギーの役割と生き様』はあってたけど、カタカムナではどうか?

じょうるり の言霊は
内なる示しが自然に新しく生まれ留まり離れ

じょうの解釈はとても簡単で、新しく内側から生まれる『状態変化』とわかる
だから浄=水の流れの争いが起きるが先にある事が『行為』

情を『感情』とよみとれば『セックスは一時の高ぶった情』で、水の流れの争いは『男女共』に起き、中に留まるものは『留まり(王をご懐妊)』、離れるものは『離れ(流産)』

神楽=力が内に引き寄る場
声明=示しが自然に新しく生まれ、実体が自然に新しく生まれ

それ、セックスして『親にそっくりな子』ができるやーつー!(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)

まぁ神=子を宿す と言えば自然において当たり前なんだけど、それを『儀式として神格化』して『見世物』にしたんだろうか・・と思うのがやっぱり、婆羅門教から始まる『カーマスートラ』でしょ

婆羅門とアーリア人とカーマスートラとアメノウズメ

卑猥な表現で『しっぽりと濡れる』ってあるじゃん?

時間をかけて男女が仲良くなる。大人の男女が同じ空間を二人きりでゆっくり過ごし、しみじみと互いの愛情を感じながら時間を過ごす。また、その過程で性交する

瑠璃光世界って

仏語。 東方にある薬師如来の浄土。 地は瑠璃、すべてのものが七宝から成り、日光・月光をはじめ、無数の菩薩が住むという世界。

地は瑠璃、すべてが七宝の浄土=しっぽう瑠璃と濡れた浄土世界

さてさて、どっちが先かはわからないが、確か仏教にも『性の快楽を極限まで追求する』という宗派があった気がする(過去世の記憶?)・・ほらあった

空海なき後の真言密教の解釈 理趣経とは

理趣経

妙適淸淨句是菩薩位 – 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
慾箭淸淨句是菩薩位 – 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
觸淸淨句是菩薩位 – 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
愛縛淸淨句是菩薩位 – 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
一切自在主淸淨句是菩薩位 – 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
見淸淨句是菩薩位 – 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
適悦淸淨句是菩薩位 – 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
愛淸淨句是菩薩位 – 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
慢淸淨句是菩薩位 – 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
莊嚴淸淨句是菩薩位 – ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
意滋澤淸淨句是菩薩位 – 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
光明淸淨句是菩薩位 – 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
身樂淸淨句是菩薩位 – 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
色淸淨句是菩薩位 – 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
聲淸淨句是菩薩位 – 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
香淸淨句是菩薩位 – この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
味淸淨句是菩薩位 – 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である
このように、十七清浄句では男女の性行為や人間の行為を大胆に肯定している。

私がなぜ、冒頭で浄瑠璃を調べた時、『開祖以外は蛇足』だと言ったかは『これ』があるから

「これらの性行為は心が清らかな事なのだよ!」・・と説くには『これが大前提』とある

『理趣経』を使った『理趣経法』は、四度加行を実践して前行をしてからでないと伝授してはならないという厳しい規則

四度加行(しどけぎょう)は

日本密教において、修行者が阿闍梨となるための伝法灌頂を授かるに先立って修習される四段階の加行(けぎょう, 梵語:prayoga)の総称。空海は「四度加行」という名称を用いておらず覚鑁によって「四度加行」が伝法灌頂を受けるための最低条件と定められたと考えられている。現代の四度加行の日数は空海の御遺告に基づき100日とする宗派が大半であるが、古来は特に日数を定めていない。しかし小野流では基本的に四度加行に数年を課しており、憲深は晩年になり護摩を許され感涙を流しているほど四度加行は容易に授けられるものではなかった。

四度加行は阿闍梨(免許皆伝)クラス、いなれば上部座仏教=己の精神性を高めるための修行の手段としての教え。私はなんとなくこれは精神修行の過程でひとつずつ『無理をしない、我慢をしない』、けど『必要ない事には意識を向けないという断捨離』として

そういうふっと沸く気持ちもある・・それはわかるよ人間だもの・・でも、それをしたらどうなるかは・・『阿闍梨ならわかっているよね?』と因果応報の業の回収を終えている人向けの話

道に迷って誰か助けて!と『自業自得の因果応報の段階の衆生』を救う『大乗仏教とは違う考え方』なのに

それを大衆教義として、性行為による快楽は善い事!と広げたら、そりゃ婆羅門のカーマスートラのように『気持ちよければ何をしてもいい』という『快楽至上主義から始まる魔が刺した侵略』を許す事になる

だから、真言密教が『一弟子相伝の阿闍梨システムじゃなくなった時点』で、開祖の意志はもはや失われたも同然で、後は駄作の蛇足、嘘、誤魔化しで続いてきた偽物

ここでまた、浄瑠璃の正規伝承のミステリーとして四度加行の『小野流』『小野阿通』と繋がり、やはり『浄瑠璃と声明の深い関係』が感じられると同時に

『快楽で神々と愉しむ』という神楽行為(天皇の儀式とか)は『阿闍梨(免許皆伝・上部座仏教・カースト)』でなければ行ってはいけないと言ってるようなものなのかね

それ以外が、それに手を出すと『珍法』を使いまくって『子種』を植え付ける『煩悩生臭坊主』になるんだろう(笑)

理趣という漢字が

王の里の趣き=趣味
『趣き』『味』を占めて『ちんぽこ振り回す棒主』

そりゃ『信者(檀家)』から『金を巻き上げる』大きな寺ほど、『金のネックレス』に『高級車乗り回し』、『キャバクラ豪遊』とか俗物の限りを尽くしまくるわな

ダンケシェーン(ありがとう)
檀家支援(ありがとう)

うーん『支配と搾取』のやりたい放題だけど、みんながそういうビジネス宗教の根本の詐欺に気づいて妄信をやめて離れればいいだけの事

これもワンピースのワの国編で『小紫』がちゃんと悪事を懲らしめて伝えているよね?

風が吹けば桶屋が儲かる+悪銭身につかずな因果応報

ワンピースの和の国編は故事やことわざ、伝統芸能、どのシーンから深堀考察させても、勉強になるように導線が創られている

創るのが楽しくてしょうがねえだろうな~と思うと、ギア5まで到達した、やっとやりたい放題できる!は作者の気持ちかもしれない?

なんてな(゚∀゚)アヒャ

最後に、URLのスラッグを決めようと、浄瑠璃を英語に翻訳してみたら

type of dramatic recitation accompanied by a shamisen (associated with the Japanese puppet theater)

これを()を省いて逆翻訳したら

type of dramatic recitation accompanied by a shamisen =聲明

聲明 って何だろう?と調べたら・・

聲明とは、法要儀式に際して、経文や真言に旋律抑揚を付けて唱える仏教声楽曲のことで、インドにおける原始仏教教団の成立に伴ってその原型が起こり、法要儀式の大切な要素として、仏教の伝来とともに中国を経て日本に伝えられました。

=声明だった

声明とは、古代インドにおける五つの学科のひとつで、サンスクリットなどの音韻論・文法学を指す。 転じて、仏典に節をつけた仏教音楽を指す。日本では、梵唄・梵匿・魚山ともいう

浄瑠璃は声明だったという直観ドンピシャで感無量(。-人-。)先人の知恵の何たる有難い事か・・

さーて、次回の宿題となる導線キーワードもまたしっかりと出てきましたね?

原始仏教教団

原始仏教は、外界ではなく心の内側に目を向け、努力による自己改革を目指す教え

どうやら私のルーツを辿るログポースはそこへ向かっているんですね

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