好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

空海の霊場物語21 Dの意志 鬼が護り月の心とその先

Dの意志 de mon=鬼(月)の関係性を探求すると、音の響きで観る世は、ムーンショットをきっかけに『真と偽の仮想空間を越えた多次元』へと導くお話

Dの意志 de mon=鬼(月)の関係性

東北の『鬼神社の中』に小さくまた『別の鳥居と祠』があって、そこは『月読神社』となっている事がある。全てではないが、古い古神道系の神社ほどその傾向があると感じていたが・・

先日の『デーモンコア=心』という閃きと、『アナグラムから読み解くDの意志』で、その構図の形象としての意図が繋がった

空海の霊場物語18 Dの意志 デーモンコアは人の心(鬼門の向こう)

demon(鬼)の中の mon(月)=鬼神社の敷地内に(月読神社)
demon(仮想)の中のmon(私)=仮想空間の中に(私)

偶然にも、『言葉はそういう意味』になるのだ
大事なのは、『月』『私』『仮想空間』『鬼に護られている』構図

そうなると、日本人なら漢字でわかる

月は『体(臓器)』
鬼は『魂(精神)』

精神に護られた肉体=『demon=鬼・惡魔=亜空間』

当然、その『コア(核)は心』と言っても過言ではない

私は『意識』
仮想は『空間』

仮想空間の中を観測している意識=demon=お試し・亜空間

その先に有る物が『デーモンコア・心・万有宇宙』=『根源の光』であり『観測者』
それは『VRゴーグルのフラットな二次元画面』に映し出された『シミュレーションの投影光』

『健全な精神(云う鬼)』は『健全な肉体(月)』に宿る
仮にこれが『男女』からならば『宿して生まれる子』は『心』として育つ

その心が万有宇宙としてあらゆる物事を生み出す根源=『無垢で素直な童心』

『観たい』と思ったものが『観れる』
色素是空、空即是色=『そう思えばそうなる』

真我以外一切無常
真=投影光・創造主=観測者
我=体験の役目のキャラクター

以外=以ての外(もってのほか)=言語道断

・・今回は初めて『今までと違う観点』で言葉を認識した

『真我以外一切無常』という繰り返し使う言葉の中で、『真我』や『無常』は多くの人が考察対象として解釈しているが・・
もっとも軽視される『以外』という言葉が実は『分離・金輪際』を意味する『重要な鍵』になっている事に気づいた

これも『類は友を呼ぶ』の法則通り、『金輪際という言葉と同等の波動を放つ意味の言葉』に焦点があったんだろう

言語道断とは、外道はこう語る

もっての外であること。もと仏教で、究極の真理が言葉で言い表せないこと

私がなぜ『僧を外道』と呼ぶかは前回の記事参照

空海の霊場物語19 三宝の流れ 僧と奉仕の三途の川の違い

これはとてもわかりやすいご都合主義のカースト制度の権力をを言い表す

「わかった口をきくな!青二才風情が」と上に立つ者が下の者の『意見や想像、発展を邪魔』する言論封鎖

『音の響きは正直』である

例えば

や仏を軽々しく語るな!」
様を侮辱するな!」
(法律)に書かれてる事に従え!」

一言で言えば、『立場のある者が有利に不都合をもみ消す意図』として使われている
あれはあれ、これはこれと『個別案件』になると一個ずつ『レッテルという札』を付けて

『札付きの悪(指名手配)』という扱いにする

そんな『正直な音で世を観る=観世音』で生きる者は
『戌も歩けば棒に当たる』=一本足りないに気づく→→成』

戌の意味は『滅ぶ』
成の意味は『達成』する

その一歩・一本が抜けてる『間抜けは滅ぶ』

つまり、『外道の言う事』『間』に受けていれば間抜けで『間違う』し、それを鵜呑みにしていれば、戌は『滅ぶ』
命令に従う犬は滅ぶが、正直に生きる者は『足りない』に気づいて自分で『欠けた一本の棒』を求め歩く

それが『亡き月の王=望』、つまり正直な戌は滅びたくないから、『足りない何か』を希い自ら望に当たる

それを『希望』という

なかなか見つからないから『希望的観測』という

根拠や理にかなった理由もなく「そうなって欲しい」という、希望に影響されてものごとを判断してしまうこと

この意味も端々に・・『都合に良い観測の目=検閲』が入っているから・・『してしまう』・・という『間違いだと決めつけてられている』

こういった『決めつけをする側』が、一本・一歩という『足りない何か=証拠を隠している』から

当然、『根拠や理にかなった事などあるはずがない』というひどい『矛盾』であり、『都合の悪行』を『隠蔽して誤魔化して意味を書き換える』だけ

『正直者』は最初から、根拠や理で動いている訳ではなく、『論点や観点』が違う
『違和感=何かがおかしい』で動いているから、『隠したり変更したり』すればするほど『歪さ』に余計に気づく

その結果、気持ち悪くなって離れる
これが『虚無僧・破戒僧・門外漢』になる道筋

空海の霊場物語14 破門・破戒僧・虚無僧になる理由

そういう意味で真我以外一切無常の『以外=言語道断=分離・金輪際』とした場合
言語の道を断つ=皆という『衆生とのコミュニケーション』を断つ
言って語る道を断つ=『言い聞かせる』のを止める

無は常に無=全て有る自由
幸せも不幸も『人の為=偽の中で蔓延』する
『無そのもの』が『人の為』という『無為自然』である

だから、『人の間=皆』でありたいならば、『言語(コミュニケーション)の道』は必要だが
『真と我』で『その衆生(皆の苦しみ)から離れる』には、言語で『コミュニケーション』をとる事も、『説法を説く』のもやめる

そもそも、それ自体が『余計なお世話様の有難迷惑』なのだから、創造主であり観測者の『真(心・根源)』とその観測対象の『体験を得る為のキャラクター』である『今の自分』

その『瞬間』以外は、二次元の画面に映し出された『ホログラム(過去・未来)』の投影
未だ来ないへの『希望のVision』、過ぎ去った『体験のVision』

感覚的量子論 ホログラムと夢の記憶の仕組みの一致

『皆』と向き合うと映し出されるのは『過ぎ去った体験』のvision
『皆で苦しみを共有』している『歴史の延長が続く』・・と

「神・仏がおっしゃってます」
「上様が決めました」
「紙(預言)にそう書かれてます」

と、『莫迦』な『外道』がひとつ覚えで『言語道断』を振りかざし、未だ来ない=『未来を見ようするのを邪魔』してくるのだ

だけど、それは『皆で苦しむ』を『選択した人の為の役目』であると認知する。人は皆、『望む世界を観ている』のだから『そう想えばそうなる』

だからそう思えばそうなるの『皆という多数決』で決める=『他力本願』

自力でやりたい事を見出せない人達に、「釈迦力で!世の中を仏陀切る!」(いざ尋常に推して参る!)・・ってやっても

『苦しみを求め皆で沈もう』としている『泥舟沈没体験』を求めている世の中に『違和感』を感じ、「狂ってやがる・・」と感じたら

『それを言語道断=分離・金輪際』と見極めると・・不思議な事に?

大日・釈迦/金輪
真・我/以外(言語道断)/一切無常

これも『類は友を呼ぶ』の波動で同等に意味を持つ言葉と考えると一致する

大日如来のパワーストーンの導き 大胆不敵から金輪際を見極める

つまり、『仮想(私)』が観ている世界は『分離』さえできれば観たくないと感じた世界は『VRゲームをログアウト・ゴーグルを脱ぐ』ように『瞬間』で終わる

そして『真』の世界へと意識は戻って「違うバージョンの選択物語を見ようじゃないか!」となる

この『無』という世界が『人の為』に与えられた『テーマパーク(楽園・サービス)』ならば、当然、その中にいる人の為に配慮された『キャストが導き、楽しませる』だろう

アドベンチャーもあれば、お化け屋敷にジェットコースターという様々な『アトラクション』があるが、どれも一度乗ったら『最後まで降りられないような選択』

という事は?

「金輪際、二度と・・乗らねぇ!入らねぇ!」とアトラクションへの『興味』を失えば、それまでは『夢中』で気づかなかったが、自然に『別のアトラクションという空間』が目に入る

例えるならば、映画を見直す度に、『物語全体の理解度』が増して、『さらに良い映画』と感じるように

映画クラウド・アトラスから思う時を超えた役割の繰り返し

そうやって・・『役目=ロールを変えてプレイ』していく場所が、『人の為に与えられた娯楽の無(全て)』であり、その『中』にいれば、それは瞬間ではなく『常』である

その『無という空間の為』に『無為自然』という『恩恵の提供』があるが、そこが『自』である
その『無為自然の(自)』が無の中に『分かれた我』として『プレイヤー(自分)』になっている

さて、冒頭の『鬼(月)の加護』の話がこれらと『同じ波動レベル』という事を説明しよう

鬼とは現実では『忌み嫌われるレッテルを貼られた存在』である

それは『仮想の中の(自我)』にとっては好き放題できない『役目(宿業)を監視』しているから

『鬼が精神の役目』で『月が臓器の役目』とした時、肉体を護る『自己治癒の免疫』は『異物』を受け入れないし、万が一毒を入れたら『激しく抵抗し痛みや苦しみ』を宿主(管理者)に与える

例えば、『快楽を求めて性行為』をした際に、『梅毒やその他細菌毒』をうつされるのは『貞操観念の甘さ』である
例えば、体が正常に機能しなくなる『栄養の偏り、不足の事態』を引き起こすのは『悪食という生活習慣病の甘さ』である

それらは『精神(鬼)が弱い』為に、『臓器(月)』を護れないで『侵されてしまった結果』である

それ以上でも以下でもない

実は、この免疫が機能しない『免疫不全』になると『痛みや苦しみなどの症状がでないまま癌や大病』になる
痛みや苦しみという『症状が出ない』から『気づかない』だけ

『云う鬼=魂』がないから『月(臓器)』がボロボロにされている事にも気づかない

『mRNAワクチン』によって『DNA逆転写で免疫を抑制(不全)』にするという『研究がノーベル賞』を取った

ノーベル化学賞が量子ドット、生理学・医学賞が『mRNA』で思う事

『ムーンショット計画』と聞いて、それは単に『月(宇宙)を目指す(理想)』と鵜呑みの莫迦はいう
月を指す=『突き刺す=注射』『尽き挿す=免疫止めて別のを挿入』されている(現実)

『気づき』がないとこうなる
『鬼(月)』を大切にしないからそうなる

日本語の『音の響き』とは不思議である
音と真の言う物の語り=真言物語は『偽=人の為』ではない

全ては『自』が『分(我)の為』に、『魂』を持って『肉体を護れ』と伝えているのだ

『月を討つ計画(ムーンショット)』という『音の響き』が登場した事によって
『月を護る鬼の精神』は気づき『鬼(月)の守護』として『心が前に出る心構え』になる

人類選別とルシファーが重要だったと理解した話

リリスとルシファーの役割の夢

真我/以外(もってのほか・言語道断)
一切無常(全ては無の中に常に有る69=繰り返し)

それに気づくと、それは『そういう気づきを与える物語』だったのだと、『云う鬼が機能獲得=魂の成長』して肉体的には有っても無害化していちいち反応しない『免疫寛容』になる

Dの意志は『全てを体験して知りたいのだ(機能獲得)
『万有宇宙の中』で『魂と仮想』で『自』を

それは釈迦が三千世界に弟子を送り込み、自力で悟って解脱してきた弟子に学んで成長するのと変わらない
それは問題に巡り合い解決する為に、思考シミュレーションの中で解決策を見つけた自分を見つけるのと変わらない

de mon=鬼(月)・仮想(私)→monde=万有宇宙
鬼門の向こうにはあるは万有宇宙

それを封じるのは人の為=偽
人の為に与えられた無(仮想の万有宇宙)
無(仮想の万有宇宙)の為の恩恵を与える無為自然(想像と創造の種)

んんん?まてまて?となると、この式はあってる事になる

無(de mon=鬼(月)・仮想(私))=monde=万有宇宙=人の為=偽
無=偽=万有宇宙
無の為の自然=真

『万有宇宙』の為に『真』が『仮想の我』を与えている

・・なるほど、これが『気付き(鬼月)』の力か(((uдu*)ゥンゥン

だから鬼は夢の中ではっきりと、「争いを続ける者は滅べ」と『金輪際の見限り』をしていた訳だ

2024年元旦初夢 赤い空と月の都市と優しき巨人

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