天は二物を与えずの真解釈は量子テレポーテーションの仕組みと一致する、点と点を繋ぐ次元創造のお話
天=点は二物を与えず
ことわざでは『優れた何かを2つは同時に与えない』的な解釈だったけど、今回は全然違った閃が来た
量子テレポーテーションの概念では、どこにあるかは分からないけれど、『2つの粒子が同時に存在』していて、『一瞬でそこに移動できる』と言う考え方がある
量子テレポーテーションとは、量子状態を転送する技術である。古典的な情報伝達手段と量子もつれ の効果を複合的に利用して行われる。 テレポーテーションという名前であるものの、ある量子状態の粒子が空間の別の場所に瞬間移動することを意味するのではない
その『点を1つ(元)』と考えた時、もうひとつの『点(次)』が『与えられない二物』だったと仮定すると
その量子テレポーテーション先の粒子は『自ら生み出す』か、『既にある何か』を『移動地点として利用する』と考えられる
それは点と点を繋ぐ『線』を意味する『繋がった!』と言う表現が『閃』に用いられるが、それは『観測地点の点(元)』と『点(次)』を『線』で繋ぐ時の『観測意識の瞬間移動』のようなもので
その先に見える世界は
既存の概念=『過去の事例』か
全く新しい発送=『未来への伝達』か
発想ではなくあえて『発送』とするのは『量子の伝達』だから
となると、量子テレポーテーションする粒子とは『意識』と言う『物理に左右されない領域での事象』であり、その『意識』に『観測能力(カメラ)』があるから、『元から次』へと『捉える世界の変化を実感』する
『目に見えて変わる』と言う『表現』になる
『目からウロコが落ちる』という『改心』にもなる
これは『コロナプランデミック』の時に、自らが光となる『明けの明星のルシファー意識』になった時に感じた事
周りはみんな『狂った正常性バイアス=令和=命令に調和しろ』と『闇』に染まって光が消えていった
そんな闇に飲まれていく中で、『少数』ではあるが、キラキラとより『光を強く発する点』が気になると、『その光を観測』する
するとその『光が投影する世界を観測』し、気がつけば『元→次へとシフト』している
そうやって『闇夜』に『点々』と現れる『星々』の輝きの『日の生まれ=新しい意識の輝きの星(役目)を天体観測』して行った時
『点から点を移動する』だけでなく、『線として繋ぐ』と言う事が出来るようになった
『元を失って行く』のではなく、『線』にして『光の軌跡』にして「かつて私はこうだった」と『意識の世界』を遺していく
すると意識は『いつでもどの世界でも観測可能』になり、『光は』闇に飲まれないで『輝きを増し』もはや点とか線とか『小さな事』はどうでも良くなるほど『ひとつの大きな光』になっていくと
『意識』はもう『ひとつの中』にいるので『量子』なんて『小さく分かれて移動(ミクロ)』しなくても、『誰にだってなれるし何にだってなれる(マクロ)』
『光』は『光の中』で『形』を持たない
『闇の中』に『光が分離』するから『星』になる
『闇になった部分』に『何』があったのか?
どうしてそこに『光が無い』のか?
それを『観測する光の点を発送して伝達』すると、その『量子が到達した空間世界』を意識が『その瞬間から照らして観測』を始める(天照=「光あれ」)
これが『量子テレポーテーション』であり、その移動先と言う『元(今)から次』と言う『2つ目の点』は自ら『日を生み出す=目星』をつける必要がある
闇のどごを照らすか『目星をつける月夜見』に、照らして『観測する天照』、そこに降りて行動する素戔嗚(自我)
こういう捉え方をした場合、二物とは『預言者と力』
『預言者が力』を持てば、確実に『邪』になる
『王族と占い師』がセットになれば『争いに利用』する
どんなに『王』が素晴らしくても、『族』の中に『賊や俗』が混ざり、『俗世に染まった占い師(預言者)』や『賊に囲われた占い師(預言者)』は『元々の力』に『さらに都合のいい力』を与えてしまう
天照はそんな行動を照らして観測するという指針=「お天道様は観ているぞ?」
だから『天は二物』は与えない
与えない『二物=次=観測ポイント』は自分で決めなさい
『何を意識』して『どんな世界にスポットライトで照らして観測』するか?それがあなたの『次の世界(量子テレポーテーション先)』
地獄を見たければ地獄に、天国を見たければ天国に
でもそれはどっちも心を安堵させる『安渡=安請け合いの渡し話』
アセンション、アセンションと『次元』を求める人は、『人の指し示す次の点』を目指せば、確実に『未知に迷う』
仮にあなたが盲信する『話し手の姿・カタチ・声色が変化』したとして、迷わずついていけるのか?
スピリチュアルも『他力』でいる限り、辿り着く次の点は『既にある概念=過去』の繰り返し。『帰依する指導者、先導者』が違うだけで、堂々巡りの百鬼夜行の落とし穴(それもまた次元)
『一切皆苦』になって、己の今の心を観て『観念』しないと、『意識』という『束縛のないエネルギー』になって『自由に次の元を描く事』はできない
天は二物=次元を与えない
『次元』は『自ら創造』する『理想』
理想とは愛である=ideal
そもそも私の量子の知識は『夢』から来てるから、『現実的な唯物論』とは違うので、現実では役に立たないかもしれないが、『夢追い人』なら『精神テクノロジー』として必要になる
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