感情とは湧き上がるのではなく、共鳴で起きる波の振動。場や人に共鳴しなければそのドラマの空気を読んだ舞台役者になる事はない。亜空間の信号に共鳴すると感情ドラマの主役にさせられてしまう気づきのお話
感情は亜空間の電磁波障害
感情に飲まれると、低次元な役割演劇の『舞台ドラマのカルマ(業)』になる…と感じた時
ふと湧く『感情』もまた『亜空間』からの「怒れ!」という『電磁波への共鳴』であると理解し、『無を意識できる周波数に集中』する
すると、響かなくなる=共鳴しない
怒りの感情というのは、例えるなら『ハウリングを起こした音響機材』のように突発的で不快
一旦収まっても「また音を出したらハウリングを起こすかもしれない…」と思うと、原因不明のままモヤモヤして『音量を最大にできない』ように
『怒り』の後に『イライラ』がまとわりつき、ふとした時に燻っていたのが『急激に怒り』に変わる
これを『喜怒哀楽』という『達観した言葉』で語ると、実は伝え方としては『高度な知識と実体験を持つ人』でないとただの『感情エネルギー表現』として曖昧に覚えてしまい
『表情のベクトル』で判断してしまいがち。それを逆手にとって『演技力』によって『騙し』に使ったりもできるが
喜怒哀楽とは『有るけど気づかない亜空間』から発信している『周波数に共鳴』して起きる『共感現象』
共感は自分以外の『他者との間』に起きると認識している考え方を改める必要がある
自分と他人の間に『空気=空間』を流れる『氣』が有る
ここには『気づいてる空間=観測範囲』と『気づいてない亜空間』が有る
仮にこうしよう
気づいてる空間=『有る96=%』
気づいてない空間=『無い4=死角』
気づいてる空間で『現象を目視で観測』しているから、相手、あるいは自分が発する『発言、行動の表層のベクトル=方向性』は『双方に意思表示』として伝わる
しかし、その『ベクトルの空気感』で伝わった時、『イラっ』とするとか、『ムカッ』とするとかの感情は、目に見えないけど有る『亜空間から伝わる信号』
この『音無きモールス信号のような音』が何なのか、私は自分自身がそれを『無になった空間で生み出していた』と納得した
何故この『相手に伝わる感覚』というのが、『世界共通』なのかを理解できる 言語統一 → 言語崩壊 →『無音』
これを『認知』しておくのと、知らないのでは、『自律神経コントロール』に大きな違いが生まれる
自分が喜怒哀楽の『感情に感化』された時、それは『自分から』か、『場(亜空間)』からか、『言葉を無音にした周波数信号』に『共鳴』している
達観した言葉で言えばそれが『雰囲気』であり、自然に行っている『空気を読む』という事だが
つまり場の雰囲気に合わせる=空気を読むとは、『周りに存在する無音』の中の『亜空間信号に共鳴する』という事
その見えないけど有る亜空間の無音の信号へ気づき、『共鳴した増幅効果』によって『氣が充実』して1つの空間に『みんなが繋がっている』時
『言葉』にしなくても『居心地がいいと雰囲気』を感じる仕組み
雰囲気とはアトモスフィアフィールド=『原子空間』である。原子だから『結合して分子』になる事ができる
逆ににそこに『空気を読めない奴』がいる
あるいは「空気を読まない奴」がいる
それはその人の『精神性と意図次第』とも言える
『空気を読めない奴』というのは文字通り、有るけど気づいてない『亜空間が認識できない=多次元思考ではない』
目に見える『ひとつの現実』しか『世界』が無く、その世界の住人として『ドラマの配役』が決まっているから亜空間からの信号によって『感情的』になりやすい
『空気を読まない奴』というのは、場の雰囲気(亜空間の共鳴信号)は読めているけど、それに「迎合する必要は無い」という『感情には流されない達観した精神性』
これは例えるならば、『悲しみで涙を流したい感情の空気感』が周りに溢れて伝わったとしても、その信号に共鳴しない事で『悲しみなくも涙も出ることも無い』から、冷静に物事を判断する事ができる
先にも言ったが空気の読めない奴=感情に振り回される『ひとつのドラマの主役の現実を生きる人』
…と同じように空気を読める人=雰囲気に合わせる人もまた、『共通のひとつの現実』に囚われ『そのドラマの脇役』として参加する事になる
空気読めない=主役(感情に流された現実)
空気を読む=脇役(主役になれない現実)
空気を読めるけど合わせない=裏方(亜空間の住人)
同じ空間にいながら『感情や空気に流される者達』にとって、『感情や空気に流されない者』というのは基本的に関わらない
つまり、有るけど気づかない『亜空間な存在』
ここで亜空間にも『密度』があるとわかる
感情を『刺激しようとする亜空間』
感情の影響を『受け入れない亜空間』
私は前者の空間から流れこんできた『怒りの感情を実感』し、冷静に内観した結果、それをそのまま『発散・発信・発言』したら、それが空氣として伝われば、『怒りやいらだちに共感させる=相手はさらに不快』になる
本当は時間が経って、会う事がなければ、『相手は忘れている』かもしれないのに…「次にあったら・・!」と自分が『悶々ムカムカ』と怒りを育て、『トゲのある殺傷力の有る言葉の武器』に育てていた…
と気づいてゾッとした
『やべぇ言霊を亜空間で生成』して、亜空間から『無音の信号として攻撃』しようとしてたのは…こういう構図
私←亜空間(感情)→相手
ちなみにこれが言葉を変えれば『生霊飛ばし』
自然に相手に伝わる『怨念』みたいなものになる
だから、「それは…ダメだよね?」と別の観点の亜空間にシフトしたら、とりあえず、その『亜空間(感情)を払おう』と『打ち消しの無音の周波数』が聞こえてきたので
それに意識を集中していたら、『怒りと苛立ちの波』に対し『同じ波で相殺』して凪の穏やかになるように怒りは収まった
感情は気づかないけど有る亜空間から流れ込む『無音信号=電磁波』のようなものであり、それに共感・共鳴しなければ『精神・心・魂は穏やか』でいられて、意識は『間違いの観測』に囚われない
この事からも『階層の深さ』の違いがわかる
上から
意識(以下の世界を観測)
↓↓↓
精神・魂領域(感情打ち消し無音信号に共鳴)
↓↓↓
感情領域(喜怒哀楽が漂う雰囲気)
↓↓↓ ↑↑↑
肉体(感情を生む/流される)
今回、私は意識が最初に『感情領域の亜空間の影響』を受け、『肉体が感情的』になって、『さらなる感情を生む』という
『空気の読めないドラマの主役(渦)』になってたけど、そんな主役の為に『雰囲気を作る空気感』があって螺旋のように徐々に膨らみ
この『渦巻くエネルギー』で『やべぇ言霊を作ろうとしてた自分』に内観で気づく事によって
それは『感情ドラマの舞台』であり、「私は主役になるつもりは無い!」と自ら降板、自ら書いた台本も脚本もキャスティングも全て「無かった事にしてもらおう」と白紙に戻す
そして『感情に流される最悪のドラマ』は無くなったから今、『二つ以上の亜空間』を認識し
『感情を相殺=無にできる周波数(無音)がある』と実感している
その無音に意識を集中すると無意識になる
全てが無一色になり、無一文になり、素空観(すっからかん)になる
そうなると、「空気の読めない奴(場の雰囲気に合わせない)・・」と相手にされなくなるが、『空気を読まない奴(場の流れの結末に気づく)』としては、それで正解なんよね(笑)
『雰囲気』という言葉は、ずるいんだよ
軽いように見えて実は『重い空間』
そこは亜空間が何重にも重なっている『カオス(混沌)の密度』だから場の雰囲気には『思惑=まとわりつくもの』が必ず有る
その『思惑』が『感情を刺激する亜空間』を使って、主役に仕立てあげたい『空気の読めない奴にリアクション』させる
すると場の雰囲気を感じて『空気の読める奴』が、その『思惑通りの脇役を演じる』ようになる
わかりやすくイジメというシナリオで説明すると
当事者は二人
被害者と加害者
この構図になると必ず、『周り』が空気を読んで『様々な脇役ポジション』をみつけて立ち回る
被害者に寄り添う『友人』
被害者にごめんと言いながら『加害者側』
被害者も加害者も攻撃する『野次馬』
どの立場もやらない『傍観者』
そんな事が起きてる事すら『無関心』
集団の中で、誰かと誰かが『加害者と被害者』になるという『感情ドラマ』が起きるだけで、周りへこれだけ『変化の影響』を与えるのが『雰囲気』
これを『フジテレビ女子アナ上納問題』など組織の中の一部で起きてる構図に置き換えれば、『二人きりの密室』という『事件・事故が起きる状況をお膳立て』したのは『空気を読んだ脇役』というのがわかるだろう?
有るけど気づかない『感情』に『刺激を与える信号』を発信する空間
亜空間と書いて『あくま』と呼べばいい(証明はできない)
亜空間にも色々あるが、感情の領域は…
魔=麻鬼=マギ=『預言者が作ったシナリオ』
喜怒哀楽はそこに『救世主システム』のドラマを生む
それに気づいたら、感情は無くなってしまう…事は無い(ヾノ・ω・`)ナイナイ Σ(゚д゚;)
あくまでも亜空間に漂う『誰かの思惑の感情への共鳴をしない』というだけの話で
『自分が生み出す感情の亜空間(内面)』もある
そこと『共鳴』すると感情が溢れてくる経験をした
もう『無い』と思っていた所に『有った』
それに気づいて触れたら涙が溢れた
しかし、その亜空間を生み出す『思い入れが有った物』が無くなり、その『亜空間も消滅』した
この経験から
感情は『自ら生み出す物事への思い入れ』があればあるほど『新しく生まれる空間』
『意識の観測』は『思い入れのある所有物の範囲』に限られるオーナー制
そのうちそれを忘れれば、『有るけど気付かない亜空間』になって漂い、きっかけで思い出してその『懐かしい感情に共感』して『ノスタルジックな気分』になるのだろう
ちなみに、私が当時初めてこの曲が登場した時に、一発目に『感覚でノスタルジー』を感じた曲がこれ。当時は歌詞も聞き取れないし英語もわからなかったが、これは『大切な人を亡くした歌』らしい
ノスタルジックの言霊は
時間をかけて進んで分かれて留まった内なる示しが自然に集まって引きよる
まさに書いた通りのエネルギーロジック=思い出す
感情は亜空間からの信号への共鳴
それを『主観』に捉えれば『人生の主役※泣く者』
それを『客観』に捉えれば『他人の人生の脇役※慰める者』
どちらでもない=『そのドラマに関わらない』
人間感情ドラマに溢れた世界で
人間感情ドラマに『関わらない立場』を選ぶ
ドラマの言霊は
内に統合する場の受容・需要
ドラマは『一人』では生まれない
ドラマを産むために『感情(配役)を与える亜空間』がある
感情という刺激を与える者が感情に流されては本末転倒・・という感情に『共鳴しない強い精神・魂』が有る領域で、『感情ドラマの脚本』という亜空間が作られている
そんな『物語の法則』を考える…その『精神・魂を観測して自律』する預言者ソロモン(一人門)
前回は『救世主システム』で今回は『感情ドラマシステム』か…そうなると、もしや次は…と先が読める流れの阿羅漢
それをどのように広げるか?広報支援の後方『私怨』か!!Σ(゚д゚;)・・続く
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