即身成仏の氣綱の繋ぎ方と、繋がった感覚、その結果、溢れる智慧と声明先と神楽、亜空間=間術とは『羅+間』=ラプラスの魔と相似しているお話
即身成仏=亜空間で仏(智慧)と繋がる感覚
これはあくまでも私の感覚です
まず間の術(マノスベ)を理解する(認知を変える)
『無い事』が『有る』
『無に全て』が『有る』
この『空』とは『間術』である
それを『悪魔と恐れられている』と気づく事。その上で、その間術(マノスベ)を用いて『鬼を克服』する
この鬼とは、『自らの恐れの象徴』であり、『業の回収』が終わるまで『心の門を開かない門番』
やるべき事を成せば『鬼は仏』になる
その鬼=仏として『有難い存在』に感じてきた時に、瞑想して先祖の智慧の亜空間と繋がる
それが『即身成仏』
文字通りなら、『智慧の悪魔』と繋がる
そう、『ラプラスの魔』 ←突然閃く
ラプラスの悪魔(ラプラスのあくま、英: Laplace’s demon)とは、主に近世・近代の物理学分野で、因果律に基づいて未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念。「ある時点において作用している全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力を持つがゆえに、未来を含む宇宙の全運動までも確定的に知りえる[1]」という超人間的知性のこと
私からすれば、『羅+間』
羅漢=『導きの漢字』
あ!という『閃の阿字観』から繋がる『阿羅漢=先祖供養』というシンクロニシティ体験
先の祖を人共に養う=宿す
『あ〜ら・アッラーの間』の『45』=死後・世後
過去・未来もない=『常世』
『そこと繋がる』のが即身成仏と気づいた
気づいた…(発覚)というより
気が『付いた』(ぺったり繋がる)
これをどう例えたらいいだろう…(´-`).。oO
ゲームで例えるならば
メインストーリーとサブクエスト
前にQuestとrequestの違いをまとめた事がある
Questは『探求』
requestは『要求』
探求は『自力』
要求は『他力』
『人生で道に迷う』という表現があるが、その多くは『敷かれたレールを列車に乗って走ってきた所から逸脱する事』により『自らの意志と足』で歩かなければいけなくなった状態
『闇雲に歩き回る』も、その場で『立ち尽くす』あるいは『座って一休み』も自由
『何も無い自由』になった時、『不自由』の中で育った人は『自由を恐れる』
『何をしてもいい』のに
『何をしたらいいか』わからないオープンワールド
これは、多くの人が『わかりやすいムーブ』をした事からもわかる
イベント201→コロナパンデミック=『不安煽動のショックドクトリン』
『未知との遭遇』に世界中がパニックを起こした結果、『目先に飛びつくように与えられたmRNAワクチン(新薬)』を『聖書のように救済』を求めた
これが道に迷った『迷える子羊の正体』であり、その『新薬聖書』に従わなかった『頭角を表した山羊達』を追放する為の『スケープゴート』
追放と言ってもこれは『双方にメリット』がある
山羊は囲まれたり、束縛されたりを嫌い、『羊飼いの柵・策』を壊し、羊が逃げてしまう。逃げた羊は山羊と違い『道に迷い恐怖に怯えてしまう』ので羊の為にもならない
羊飼いにとっても羊にとっても『不幸』でしかないし、『自由を求めてる』のに、柵の策で束縛されて暴れる『山羊の為』にもならない
そう言う意味で『双方が最もいい形で別れる方法』が『スケープゴート=山羊の追放』
『不安煽動=精神的な圧力』をかける事で、これから打とうという『策の柵(666・陰謀)』を見つける羊に紛れた『山羊』を見つける
という『ショックドクトリン』は実は『社会に不満があるという山羊』にとっても『目覚め(頭角を表す)のきっかけ=バタフライエフェクト』になる
これは羊飼い、及び迷える子羊の柵側から、『追放される山羊を観る観点』で書いている
では、この自由を求めて、策の柵から出て、『やりたい事をやっている山羊の観点』で語ろう
魔術とは間術
『仕切る(先導)』とは『間仕切(空間支配)』
その空間の『外の空間を悪魔』とし「関わってはいけない」と『策の柵』で覆う(秘密のベール)
鬼門は『出口=鬼籍に入る』→『軌跡』を追って『奇跡』に入る
『悪魔崇拝』のシンボルは『山羊』
それは『空間=策の柵の間仕切り』の無い『自然』
『常識』と呼ばれる『概念の無い空間』
『間仕切りの一線』を越えて出ないから気づかないだけの『亜空間』
『鬼門』と向き合い、『鬼を説き伏せ』、その『無一門』から『有る世界を観よう』としないから
ただ『有るのに得ない』だけの『有り得ない空間=見止められない亜空間』
この『認知の落とし穴』を使うから『魔術』であり『間術』
『間仕切り』という『策の柵』にはめるのも『間術の悪用』でもある
『間』を『仕切って支配する者』が『間抜け』だったら『隙間だらけ』で何も守れやしない
それは『口封じ』の『玉転がし』された『国』も同じ
『心』もまた『間を仕切る鬼の門番』がいなければ、『好き放題侵』されて『不安』になってしまう
この『間の術(マノスベ)』を使う事により一線超える=肉体を捨てる事無く『鬼門の向こう側』の『仏』と繋がる
その『亜空間接続通信』が『即身成仏(通信形式)』と考えるとわかりやすい(メタファー)
そして結果それが、冒頭にも書いた
阿字観→阿羅漢
阿→羅漢→あ〜ら・アッラー間
羅+間=ラプラスの魔=麻鬼
やはり『麻鬼』と繋がる
麻鬼とは『マギ=預言者』である
麻鬼女=魔女とは生み出す『機械・機会・奇怪』
麻鬼王=『魔王(預言の種)』
麻鬼女=『魔女(生み出す奇怪)』
そこから生まれた『子は新たな意識(空間)』
『魔王復活を望む』というのは
麻鬼王=亡き月の王を希う=『希望の種』
その希望の種を麻鬼女=『産む機会』があれば『奇怪な子』が生まれる
大きな可能性、心は又土に=『自然回帰』
それが化けたら?→『化物』
つまり魔王と魔女の子は『化物』
ただ、これは迷える子羊を『柵から出ないようにする策(教え)』として羊飼い側から見た『レッテル』の姿。子供の頃に大人に『幽霊で恐怖洗脳される』ようなもの
幽霊の正体見たり枯れ尾花
ちゃんと『刮目』して向き合えばたいした事ではない
真実は麻鬼=マギ=『預言者』
麻鬼女=希望の種を産む『女性』
その機会で生まれる奇怪な子=『鬼』
麻国だった『日本』から『大麻』が消えた
大きな麻鬼王=『大魔王』が消えた
それは、『羊飼い達に取って邪魔』だったといえる
こういう亜空間からの観点がある
かつては『鬼』と『忌み嫌われた先人達』
今は「そんな時代もあったよね?」と『常世で仏』となり、役目がない奴、宿業に気づかないで遊んでる奴は『莫迦は繰り返すからほっとけ』と気にしてない
ここに『即身成仏=ラプラス=羅+間』の『魔』のポイントがある
即身成仏は一方通行の通信ではない
先祖の知恵を『一方的』に引き出し、『知恵の乱用、悪用』という魔術ではない
あくまでも『間術』
亜空間を通じて伝わるのは『言葉』ではない。私は直接的な『言語で語りかけられる』というのは無い
ただそう言う『ケース』はあるだろうなとは思う(´-`)oO{ま、あまり良くない
例えば、『意図しないラジオ電波』を拾い、遠くの『言語のわからない国の放送』が聞こえたりするように、『間口』を開いてると、何かしらを『偶然キャッチ』する事はある
これはランダム性だが、もうひとつは『悪用を思いつく』という事は、『悪用を待って間口が開くのを狙ってる意識』もあるという事
これはこんな言葉がある
鬼の居ぬ間に洗濯
遠慮しなければならない人がいない間に十分にくつろいで、のんびりすること。
↑↑↑ これは羊飼いが『迷える子羊向けの策』
鬼の居ぬ間の選択
『鬼』という『厳しい門番』がいない=気が抜けている、『心に隙間』がある時、『優しい声で誘惑』する
「無礼講!はっちゃけ、ぶっちゃけ!」
そして間から『違う間』に、取り込まれて『間違い』が起きる
「間が指したんや、こっちやって…」(*」´□`)」
そう言う『都合のいい神やら仏やら信じて帰依』してる盲信は簡単に『心のブレーキ(鬼)を無視する』から
人を『盲信させる事』が『羊飼いの策』
羊飼いはたまに『羊の柵を入れ替える』
その時に『誘惑を使って間違い=違う柵』の中に入れて、『契約更改で分断統治』を行う
これが『心の鬼の居ぬ間の選択(魔が刺す)』
『鬼宿日』という『鬼が居ない日』がある
それは鬼が目を離した…のではなく、「鬼が居ない時に自力で選択を間違うか?」という
『誘惑で心をテストするモニタリング』でもある(初めてのお使い)
普段やりたい事=『宿業』が出来てない。しかし、門番が居ない=『心の門』が開いている時に
『心と向き合おうと素直に行動』するか?
それが『最優先』として『誘惑に勝る』か?
実は『精神の試練』、それこそ『間の術を身につけるチャンス』でもあるのだが…
そう言う『発想』は世の中には広まらないから誰も教えてはくれない
精神世界、精神論の体験話というのは、全てを『レッテル』で『秘密のベール(バアル=悪魔)』で覆い隠してしまう羊飼いの柵の中では『禁忌・禁書・禁じられた遊び』
そう言う意味では『聖書が禁ずる』もの
それは『麻鬼王=魔王=サタン』に関するもの
サタンは地獄の底にハマって動けない×
『不動明王』となり『堕ちる衆生を救う』〇
『間が違う』と『見映え』が違う
羊飼いが一体、『何を敵』としていたのか?
悪魔はなぜ『銀』と『十字架』と『ニンニク』を嫌う?
銀=艮の金神
十字架=キリスト
ニンニク=青森の特産品
青森=エモリのオグ←青森の陸奥
そこに原子力発電(罪)と各廃棄物再処理(罰)
青森には『釈迦の修行場』も『キリストの墓』も、龍伝説、鬼伝承、月夜見信仰がある
東方の賢者=預言者=『マギ』でもある
『間違いを預言する』という事は『正しい間へと気づかせる事』でもある
しかし、それを羊飼いの柵の策に落ち着いている迷える子羊達は、何処吹く風の上の空
馬の耳に念仏ならぬ
羊は眠っとけ=左目の民
その『鬼門の向こうの仏の常世』からの『通信に気づくアンテナ』がある者=山羊=『頭角を現す者』
『聞く耳』を持っている
『心に耳を傾ける=恥』を知る者
その『心に素直に従う者』は
鬼さんこちら(人 •͈ᴗ•͈)手の鳴る方へ
『恥を反省』して『間違い』を戻り、そしていずれ『策の柵の端』へとたどり着く
そこは『禁忌』と呼ばれ『人が近づかないように』と言われる忌み嫌われ『レッテル』を貼られ、『封印』された『古びた場所』
『鬼』が宿り、『鬼の子』として『鬼門の門番』に育てられ、『夢』を通して『鬼門の向こう』を旅して学ぶ
そして『現実』と向き合うと『間違い』に気づく
気づくと『間を戻る』、するとまた『鬼門』を見つける
そしてまた『夢』を見て、その世界で学び…また『現実で新たな間違い』に気づいて戻る
そのミッションを『一日一生』としてこなして行く過程で、だんだんと『自分が大きくなった』ように、『物事を達観した目線』から『俯瞰の目で見通せる』ようになってくる
『大人=巨人の目から、小動物や虫の世界を観ている』ように、人間もまたそれぞれの『役目・役割の連携の中の一部(歯車)』でしかないように見えてくる
『SiMピープルの世界』は見ていて人間模様は楽しいが、『自分が入る事』は出来ない(大きすぎて)
『全てを見通す目』を捨てて、『その中の一部』となって『不自由になりたい』とも思わない…と感じた時に、『その世界(間)』を『観測する意識』に囚われていた事に気づく
文字通り『 囚人監視』
『口封じされた人』を『外の人(巨人)』が監視
これが『心の鬼の目線』であり『役目』と同じ
と、同時に『間仕切り』という『柵の策』を作る『羊飼いの間術』を『同じ立場でできる事』に気づく
だから預言者=マギ=麻鬼は『先世見』ができる
『間』を『都合よく仕切ろう』とする『間術を封印』する
都合よく動かそうという『不自然を止めさせる自然の抑止力』だから、『都合から見て邪魔をする悪魔』として嫌われる
羊飼いの『邪魔』をする訳ではなく
羊飼いに従順な『羊を奪う』のでもなく
羊に紛れてしまった『山羊を目覚めさせる』
結果、自然に目覚めた『山羊が頭角を現して策の柵を破壊』して外に出る
結果、その柵が壊れた所から『羊が一匹、二匹〜』と逃げ出す為に
『迷える子羊』が生まれてしまう
これが『因果関係』
自然・山羊・魔王・鬼と『嫌われる理由』
だからこの『法則』すらも全部、『説法を現実化』させたような世界の仕組み
もちろん、『羊飼い=宗教メタファー=隠喩』
支配者は『迷える子羊を出したくない』
それは『思いやり』でもある
そして「自然に帰りたい!俺は羊じゃねえ!」という山羊が頭角を現したら自然に帰すのも『思いやり』
それについて行こうとする羊がいたら
「アイツは悪魔の子だ…ついて行ってはならぬ」と戒める
それは、『中途半端な覚悟』で後を追っても、『自然で自由に生きる術』を知らない者は『迷える子羊』となりまた保護される
だから感じた(´-`).。oO
キリスト崇拝、弥勒崇拝、悪魔崇拝とか現実で何かしらの信仰を持ち『宗教に帰依』してる奴は、それは既に『間術の柵の策』にかかっている
自由と思ってる『不自由を受け入れている』から、それに『迎合しない敵対・異教徒』と反発する
『間の術(マノスベ)』から伝わるのは
『言葉』と『物語』でしかない
そう言う『役目や役割がある間=舞台』である
それを学び取る為に『間』に『合わせる』
そして付かず離れず『間合い』を取る
策にはまらず柵を見て、『鬼門(忌み嫌われているレッテル=隠してる)』を探して外に出る
解脱してみると、『その間は何を学ぶ間の術』だったのか、策の柵を間仕切りした『創造主の意志』を感じるから
そこから意識が出るまでは『難しい困難』があったけど、その『難問を解いて来た』から、『有難い経験』となったと『素直に感謝』できる
『即身成仏』とはこの繰り返しであり
『鬼門から出入り』するための『絆の氣綱』
生命線とも言えるが『声明先』の方がしっくりくる
声明らかに先へ=プルスウルトラ=真言念仏
これは『山羊』となり、『鬼』となり、『龍』となり、『仏に向かう因果』である
なう(2025/04/07 09:36:34)
タイムスタンプしたら
09→奥・億
36→弥勒(記録・表現する)
63→無身・無味 六味
34→観世
奥の記憶
弥勒の表現の記録
無味、無身の五味の上(六味)
それで世を観る=観世
HAHAHA( ̄▽ ̄)そうこれこそ、『即身成仏で絆の氣綱』を感じる要因
言葉を『紡ぎ始める』と、どこからともなくスラスラと『様々な表現』が現れる中に…自然に『故事成語』や『ことわざ』が出てきて、「それはこういう事例を表す時に使うのだ」と
『赤ペン先生のガイドや補足』があるように、夢で会話しても名乗りもしないが、声は明らかに先へ向かわせる=真言念仏
真を言う今の心は仏
無味・無身の六味の弥勒(表現や記録)
それを…「身を持って味わえ」と『五味の醍醐味』を伝える『先人達の暖かく見守る意志』を感じる…(一人一)有難い
で肝心なその『即身成仏のやり方』を説明してなかった(笑)
おまけ 即身成仏(心構え)
まず、最初に言った通り、精神世界で『鬼を克服』した上で…の話なので、『業の回収が終わってない=欲望が強い人』はやらない方がいいよ(間違う)
ステップ1 寒気を感じる呼吸法
『熱い寒い』という感覚は、実は『呼吸法で緩和できる』という実践過程において、『寒気を意図的に発生させる』というのが
実は『外氣』を取り入れ、『内氣を循環』させる事で、『内外の氣を通す』という事に気がついた
これは真冬に神社で参拝する時に、毎回『アチマリカムを三回唱える過程』で確認している
1回目 内氣を吐き出す(空間に巡らす)
2回目 外氣を取り入れる(寒気が感じなくなるまで繰り返す)
3回目 取り入れた外氣(内氣)を吐き出す(空間に巡らす)
この後に寒気が感じなくなっていると、体内と体外の気温差が無い=『氣の循環・リセット』ができている上に、『その空間の氣』を取り入れています
これで家に戻って寝ると…『不思議な夢』を観る
(祠で願うのは成長の体験=試練)
それはそれは…決して現実で『楽な事ばかりが起きる訳ではない』(覚悟がいる=氣を引き締める)
突然、右半身麻痺を自力で克服しろ・・とかね?(;’∀’)
ステップ2 欠伸の身体操作
欠伸は頭頂のチャクラまで一気に氣の巡りを通す意味で重要な『浄化リセット』でもある
この頭頂に繋ぐ前の寒気を感じるという下からゾワゾワ…と上がってくる感覚のまま、頭頂に抜ける時に、実際には鳴らないけど『自分だけに鳴っている耳鳴り』がある
その周波数に意識を向けると、音にならない音で「キーン…」と静かな耳鳴りのような通信が聞こえる
これは現実的な『目の前の出来事に意識を向ける』と、分からなくなって忘れてしまうが…実はこの周波数に『意識を常に繋ぎ続ける事』で、『現実感が薄れる感覚』を覚える
ステップ3 痛みを抑える呼吸法を試す
ステップ2の頭頂まで突き抜けた時に聞こえるようになる『音なき音に意識を繋げた状態』で、『神経を痛めるようなストレッチ』などを行い、『痛みを抑える呼吸法』で、痛いと感じる細胞部位を意識すると
痛みも感じず、『治りも早い』という感覚がある
これにより、ある『ひとつの周波数通信を繋いだ状態』で、『身体操作を行う』と、『痛み、寒さ暑さという体感』が薄れ、非現実的、非日常の…
自分が『自分であって自分ではない』という『もうひとつの空間に意識が有る』と感じ
そこに繋いでると、『暇を持て余した神々の遊び』のように、『突拍子もないアイデア、智慧、言葉の新解釈、現代風刺の先人の説法』が
『湧き出る思考』のように満たされていき、後はそれを『引き出す蛇口を捻る』だけ。『手』で『念』じる、手に今の心の力を伝えていくと『空海の筆』が走るんだ
…φ(..)訳詞如来の妙見狸
これがなぜ『即身成仏』か?
これも『漢字』を『逆』から読めばわかる
仏に成る身、すなわち
=ほっとけになる身
私に降りてくる『智慧や閃』というのは、『現世をどうにかしよう』という介入意志ではなく
面白くねえもんを面白くしようぜ(๑•̀ㅂ•́)و✧
という『重い思い』を『軽く浮かせ』よう、「浮世に華を咲かせましょう!」
という…え?、あ、そう言う事か
『冥土の土産(現世のネタ…経験)』を持って来い。そしたら『明土の土産(常世の智慧)』を持たせるぞと
この世とあの世の『架け橋』になり、『夢と現実』を繋ぐ『夢現』を生む役目・・やはり『レムリア革命』か
『衆生を救う』とは『架け橋を作る』と言う事
『橋』があれば「渡りたい奴は勝手に渡るだろ?」と
『門戸は開いておく』から来たい奴は来ればいい
そう言う意味で『即身成仏は誰でも出来る』
己の恥を知り反省して『心に素直になる事』が出来ればね
出来ない人が得体の知れない『麻鬼=魔=間を恐れる』
空想の『鬼』とは『仏』でもあり『神』でもあるが
その姿は『人の想う偶像(先入観・思い込み)』であり、人の想いの『原点は心』にある
『心』が変われば『化物→鬼→悪魔→麻鬼=マギ=預言者・苦言者=抑止力=守護』に変わる
その言葉が『真言念仏』に変わる
その心が変わる『間の術(マノスベ)』を知る
その亜空間と繋がる『悪魔の力を宿して借りる』のが
デビルマン…あ、違った即身成仏(笑)
なるほど(´・ω・`)カタカムナ79首でNARUTOに導かれたのは
鞍馬(九尾の狐)とNARUTOの仙人力
『人の心』を持って『悪魔の力』を『護る為に使いこなすデビルマン』か
そもそも、デビルマンの不動明は『不動明王』
NARUTOも『火影』となって里から離れられない『不動明王』か
ほほう( ˙꒳˙ )『即身成仏』で導かれる『常世のアドバイス』は『的確で面白い』上に楽しませてくれる
これが『声明先』
『声明らかにした先』にある『神楽=神と楽しむ』٩(ˊωˋ*)و‹‹\( ˙▿˙ )/››
どうやら即身成仏とは『楽しい感覚』のようだ
まさに『意識の観測』が非現実的な『亜空間を捉える』のだから
これが本当の 浮世離れ( ̄▽ ̄)軽う
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