好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

カタカムナ54首 霊言と霊験

寝起き閃きワード『霊言』言葉に宿る霊の力を借りる。言葉は生み出した者の力が宿ることわざ=霊験でありその目的は祈りと護りにあったというロジックについて

段々とわかってきた54首の効果

先日も額に貼って眠ったカタカムナ54首が『ゆっくりと剥がされる』ような、『松果体に直接書き込まれる』ような…「お?今日も店やってんの?」と暖簾をくぐってくるような…駅の掲示板に『XYZと書き込んで依頼』してくるような…

ここに『願いを書いた絵馬をぶら下げて』って下さい見たいな?『無人野菜販売場です』…見たいな?なんだろう・・あるいは『神社』…!そのビジョンが一番近いかもしれない(´◉ω◉` )Σ(゚д゚;)

『眠りに落ちる意識』の時って、結構ランダムにボワって『景色や映像』が見えたりしますよね。『新聞の見出し』や『人混み』、『静かな湖畔』に『太陽』…など突拍子もなくいちいち気にしないだけでパパパパっとモノクロにシーンは変わるのだけど

カタカムナ『54首』をつけて寝ると、まるで神社の『祠側から外を見ている』ように?まるで自分が『地蔵になってお供え物をされてる』ように、『縁日会場で射的の景品になっている』ように、目の前に『大量の近づいてくる人影(暗)』が見えるんですよね(^_^;)最初はビビった

これを『霊』というのも『夢』というのも簡単過ぎる『雑解釈』ですが、ひとつ言える事は…そういう『シーン』を見た『翌日の閃は凄い』という事

だからカタカムナ54首は『示』しを『司る』と書いて『祠』側の目線

『祠(越し)』に見る『人の気』を感じるような…でもこう自分が『納得に至る』のも最近ちょっとした『現実での出来事』が関係しているのだけど…それは後半で!

今日の授記はこちら(≧▽≦)

言霊=霊言=『霊験』から来ているお話

『音波』と『電波』
『原子』と『電子』

今人の体は『酸化グラフェンという化学物質を信仰するゲノム編集者』によって『侵攻された人達』がいる。この酸化グラフェンの特性が『電子は通し原子は通さない』

酸化グラフェンと電磁波過敏症の懸念

人の発する『言葉』という『カタチを持った音波』には『想念』という『原子』が含まれている。『機械の発する電波』には『命令』というカタチの『電子』が含まれている。つまり残念ながら『それを受け入れた者』ほど『酸化グラフェン依存度』が高くなり、人の『想いのこもった言葉の呼びかけ』は通じなくなる

ホワイトクロット(謎の血栓)を考察

根本的に『自然の原子から始まった世界』は最終的に全て『人造化合物質になる』という『元素周期表』は『悪魔奥義書(大いなる計画と役割)』と考えておけばいい。もちろんそれは『選択で変わる結末』という『絶望だけではない事』もわかる

元素周期に隠された人類育成計画と108の煩悩

『祈り』と『呪い』の違いは『癒し』と『護り』

『自分』が『苦しむのが嫌』だから『他人を苦しめる自己保身』が『護り』という『呪い』
『自分』が『苦しんでもいい』から『他人が苦しむのは嫌だ』という『自己犠牲』も『護り』という『呪い』

『自分も誰も苦しむ姿』は見たくない「苦しませない!」という『決意と覚悟』が『癒し』という『祈り』

社会的にこびりついた『概念や常識』の『トゲトゲの知識理論武装』の鎧を脱ぎさって『何も無い弱い自分』を想像して考えよう

自分が『傷つきたくない』誰かに『護って欲しい』と『願う』だろう。みんな同じそんな『無力な赤ん坊』から始まった

ならそんな『苦しみを自分が与える側』になったら『自己嫌悪』するだろう。それを『求めてない自分達』から『裏切り者』と切り離されて『攻撃を受ける』だろう

それが『呪い』の始まり

『受け入れられない理由』を『生み出したのは自分』であり、それを嫌って『切り離したのも自分』という、『呪う限り呪われる呪い』という『ループ』

『自分』とは『分離した他人』である

常識とか概念とか『理論武装』して『外見が変わりすぎている』からシンプルな性質が『特殊な性質=特性』に変わって『人』として『固』まっている=『個性』

それはそれで『装飾』は『好み』なんでいんだけどさʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)

大事なのは『鎧』を来てても『根っこの内面』で『受け入れられないから分離した自分』という『受け入れられない』からこそ『他人』という『別の役割をしている自分』であり、それぞれが『執着』を失くす『終着』に至り、『いずれはひとつになる存在』と気づけば『呪い』は消えてなくなる

『呪い』とは『思い込みの重いコミット』の『常態』であり、『祈り』とは『優しさ』

ここでミスチルの一曲から素晴らしいCメロ(転換点)の一節を引用

優しさだけじゃ生きられない
別れを選んだ人もいる
再び僕らは出会うだろう
この長い旅路のどこかで

この歌は私が初めてCDという物が身近に来た時に、中学のクラスのみんなから「これいいよ!これ上げる!」といらなくなった大量のシングルの中で、ミスチルにはまった一曲

輪廻転生的な人間の成長物語だったのか・・と『意識』した『今この瞬間』、誰も知る事のない明日を目指してる私にとっては再びまたこの曲に出会う事に感謝(。-人-。)

独自感覚で読み解くレムリア

優しさは『癒し』を生む
癒しとは『心も身体も軽く』なる事

だから『他人を傷つけても自分(大切な何か)を護る』という事も『自分を犠牲にしてでも他人(大切な何か)を護る』という状態も重いコミットの『呪いの契約』

それを『解』いて『消』す=『解消』するのが『祈りの癒し』

別に手を合わせて「神様〜!助けて(´;ω;`)」と祈る事が祈りじゃないんよね

人は『痛み』を知ると人に『優しく』やれる

『体の痛み』を知る『武道家や格闘家』はその『痛みを軽減する方法』と『治し方を伝える事』で『苦しみや恐れ』を減らしている

そんな考え方も『祈り』の一種

自分を痛めつけ『鍛錬した経験』は、その『経験を次に伝える事』が『技を磨く伝授』へとなっていく。それは『肉体ある人間』だからこそできる『体を持たない意識体』にはできない

『体感』無くして『理解』なし!という『気づき』や『閃』で伝わる『肉体の感覚』を『神経』を通して伝わる『相互理解』の以心伝心

『呪い』の始まりはそんな『理解度が幼い感情エネルギー』が『肉体に憑依(吸着)』して『経験』させている『霊験』であり、その目的は魔が刺した『呪い』を知って『癒して』欲しいから

と考えれば合理的かつ『納得』して、『一時の感情変化(魔が刺す)』という『精神状態』を『意識が観測』しやすくなる

…はい出ましたライトワークな911(笑)

911

言葉に託された霊言=霊験

『言霊の力』を借りる

私はよく『物事に向き合う姿勢』(段取りや計画を想い描く)を創る時

『ことわざ』で『マインドセット』します

取らぬ狸の皮算用(損得に飲まれるな)
急いては事を仕損じる(焦らず千里の道も一歩から、チリも積もれば山となる)
石橋を叩いて渡る(安全だと思うモノほど注意)
君子危うきに近寄らず(直観的に危険要素を感じたり、根本原理がわからないなら警戒)
虎穴に入らずんば虎子を得ず(時には危険の中でも必要なものは取りに行く)

何も知らない人にとってはまるで『詠唱呪文』ですよw

でもこれは『私』という『意識』をより『細部に至る全身全霊の細胞全て』に『一括』で『危機予測検知体制』の「第一種戦闘配置に付け!」というのと同じ

意識(`Д´)ノ号 εε=精((ノ・ω・)ノ心((ノ・ω・)ノ体((ノ・ω・)ノ

『何』が起きても『即』発見、『即』対処(迎撃)『無駄』な動きを止め『次』なる『戦略』を常に『模索』する

これが私の『ことわざの力』を借りた『マインドセット』

そしてその『ことわざ』が『身に染みるような経験』を『人生で味わった』からこそ、『私の霊験』であり、『霊言』として私には『力を引き出す言霊』になっている

だから例えるなら

『魔法』を知ってるけど『使えない戦士』や、実戦(実践)で『経験を積まない魔法使い』のように『ことわざという精神強化魔法』があるにも関わらず『使えない』、あるいは『威力が弱い』のは『精神年齢(経験値)』が大いに関係しているという事

ことわざは『いつ』『誰が』生み出したものか知らないし、それは『重要では無い』【】\_(・ω・`)ココ重要!

道引く者たち

大事なのはそれを『実践』して『再現する状況』に置いて『役に立ったと納得』すればそれは『力を借りた』事になる。そして『借りた』と言っても『返す』必要も無いからこそ『有難く』受け取る『授記品』でもあるんです

『気づく』というのはゲームで言えば、戦闘中に『今までの熟練度』からいきなり『技』を閃いたり『レベル』が上がって『新しい魔法を習得』するようなもの

ゲームだったらレベルいくつになったら技や魔法を覚えるとか先出しで『目安となる攻略法』がわかってモチベーションが続く事もあるけど

人生はそうは行かない(先はわからない)

だからこそ『面白い』じゃないか!ʅ(´⊙ω⊙`)ʃと思える人は『魂の経験値』が多いトラブルやアクシデントを楽しめる『熟練プレイヤーの老年期』という訳だ

魂の年齢改訂版2023 老年期の特徴

終わりのない問題と向き合う覚悟

現に私も『今の自分の意識状態(有る無しの空)』は、他人には『理解』もできないし、『共有』も『説明』もできないが『理解されたい(承認欲求)』と思わないし「説明もできないなw」と笑けてくるくらい『意味の無い事』と思うと

昼行灯になる( ◜ω◝ ) 間が抜けている、ぼんやりした性格・・これが現代訳になってるらしいけど、これも大事な意味が消されて認知されてる

これにはもともと昼と夜の違い、ギャップという含みがあり、間抜けのようにわざと見せて油断させる『能ある鷹は爪を隠す』という意味が本来だった

これは『海賊がなぜ片目を覆っているか?』と同じで、明るい日中から暗い夜目に慣らして置くことで、夜襲で一瞬の隙をつく事ができるからのようなもの

昼行灯は『ぼんやり』しているが『能なし』ではない。『必要のない時所』では力を抜いて『骨休め』している。『人の動力の伝達』は『骨』から始まる

だから最初に言った『ことわざマインドセット』を使わない時は『波風立てない凪』のように骨抜きで穏やかでいられる…と『等身大の自分』の精神常態を『客観視』すると、つまる所、私も今『霊』なのである

そんな私が『何か』を『誰か』に伝えようとした『瞬間』はことわざマインドセットという『霊験』から引き出された『霊言』という『言霊』を使うのであり

それは「ちょいとお前さんよ〜(ヾノ・ω・`)ミテランネエヨ Σ(゚д゚;)」と『重いコミット』して『呪い』に取り憑かれた『他人の心を傷つける』ような『概念や常識』を元にした『行動』を

『抑止』するように軽ーく導いて解放する…『霊言導師』かʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)

ミスター3で確信したライトワーク(軽い)の役割

ここで他人と言っても、元は理解できず相容れないと『分離した自分』だから『気』になる。そりゃそうだ『自分の欠片』なのだから『業(呪い)の回収』しないと行けない(次へ)。『業と向き合う』というのは『突然』やってくるものでは無いその『兆候』がある

『虫の知らせ』だったり『ミラーナンバー』だったり、常識や固定概念に囚われ、『非現実的な事に観測意識』が向かない『気づかない』『気にも留めない人』には『分からないサイン』

 

ミラーナンバーめっちゃでる!数字は量子的なメッセージ

例えば『三島由紀夫』という『時代のシンボル』が『気』になった時『なぜ気になったのか?』

三島由紀夫vs全共闘の対談記録映画を見て

北極トゥーレ教会からヒトラーと三島由紀夫の凄さを辿る

その『納得する理由(私の中で)』を見つけたら『気』にしなくなった

例えばなぜコロナ禍のスタートから『5G』にあんなにも『拒絶反応』をしてとことん調べたのか?

歴史が語る電磁波と細胞の毒化と5G

それは『自然と調和していく感覚』の中で、『誰が悲鳴や苦痛を訴えているか』がわかった事で納得して気にしなくなった

『気』にしなくなったのは『諦めた』という意味ではなく『元=通常』の『気』に取り入れたという事=『警戒対象』

私が『霊』であるならば『霊気』として取り入れ『霊力が上がった』とでも言えるけど、一番わかりやすいのは、それらひっくるめて『私』という『元=素』

『元気』がある限り、何でもできる!!
『元気』があるから『次』へ行ける

それが『次元』ってや〜つ〜ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)急に軽い

シンプル哲学 『本気』と『元気』の違い=限界

だから『元気=霊気』を集める
バラバラに散った『気の欠片』を取り戻す

それが『カルマ(業)の回収』
『業』とはつまりは目に映る『気になる全て』

『隣人を愛せ』とは、それらに『氣』を巡らせ『波長』を合わせ「そこに愛(氣)はあるんか?」を探る事

愛を取り戻せ?ʅ(´⊙ω⊙`)ʃ Σ(゚д゚;)your shok

隣人(エネルギー)を愛せの言霊の本質

ミクロはマクロ 行動(ドラマ)は魂(霊)の選択

ま、そんな言霊、言霊ゆーてたけど、ひっくり返して『反対(死)』から伝えられてる『力の流れ』でいえば『霊験=魂の経験』からくる『霊言』なんよw

シンプル哲学 教官に共感できない理由 生徒死徒

それに気づくか気づかないかで、『精神力』も『引き出せる力の根源』も変わってくる( ◜ω◝ )・・と『私の中の誰か』に言われて『納得』した理由が、その数日前の『自分の行動』という『エピソード0』から始まっていた・・

余談 ふと神社にいって行った思い当たる事

そういえば私は、先週の土曜日に雪囲い(雪国あるある)を外したのだけど、その際に『気』をつけていたのが、大工用のホッチキスのような『細かい金属』が『庭の土に落ちない』ように打ち込んだ木から全部『ペンチで回収』する事

今までは特に気にもせず、そのまま木に打ち付けたり、多少落ちても「食べる野菜に刺さる訳でもないし…」と『人間目線』だけで見てたんですね

それが今回はそこに暮らす『虫の観点』から『巨大な自然に還らない人工物』がある状況って・・人間で言えば『謎のモノリスが突っ立ってる』ようなもんで、『自然界には存在しない固有振動数(カタチを保つ)』を発してる事を考えると…

モノリス

その周囲の生命は『不要なエネルギーの影響』を受けてしまい『自然の循環が狂う』のだろうと、できる限り『自然に影響が出ない』ように拾い集めてた

だから『昔の人』は『藁と木』を…宮大工は『釘を使わなかった』のだと…と思いながら、現代の『金属という性質』を疑問に思っていた時に気づいたのが、『元素周期表の金族 」と『悪魔奥義書グリモワール』の奇妙な一致…という

『あの記事を書くかどうか?』を迷っていた時の話

その日、買い物を終えた後にふといつもの神社に立ち寄った際に今までは、「毎回ありがとうございます(-人-)え?別に今日は挨拶だけですよ?」みたいな感じだったのだけど

今回は頭の中では悶々と・・

(グリモワール…元素周期表、これは書いてもいいのだろうか…(´◉ω◉` ))

お伺いを立てるというより、『自問自答を延々と聞かせる』ような、過去最高に『心がこもってる』のか『篭ってない』のか…『有』であり『無』であるという『空に最も近い』のでは?というくらい私は『長いこと手を合わせたまま立ってた』ようで…

別に『神信深い』とかそんなんもなくて、でもその後また『アーシング』も兼ねて『御神木に手を当てて』持たれかけて(猿の反省)

その後、よし(*•̀ㅂ•́)و✧書こうとなったのだけど…全部書き終えてスッキリとしたような今、そして毎夜の『営業屋台』のような多くの人が立ち寄って行くように、『暖簾をくぐってくる人を見る』ような感覚

…あれって

「お前さん、祠側やってみるか?(´◉ω◉` )Σ(゚д゚;)入れ替わり?!」

私達は『祠の神様』に好き勝手『願』ったり『祈』ったりと『形だけの作法』を教えられて『盲信』してるけど、そこに土地神様やら縁起物と担いでる神という『霊の気にあやかろう』と思うなら…

ちったァ『気』を使えよ?

お賽銭?金?そうじゃねえよ
『氣』を巡らせて『波動』を届けなさいと

祈り(-人-)とは転ばぬ先の杖
必要以上に苦しまないように『呪いを軽く』する

そんな祠に『祀られてる側』の『土地神様越し』にしている体験…あれ?俺が次の『要石』にされてる?!ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)

まぁそれもよか( ◜ω◝ )夢でもこの辺しかみないしΣ(゚д゚;)順応早

最初は寝てる時に『額のカードがピクピクと反応』するのはビビったけど、これって祠で言う所の『呼び鈴ガランガラン』されてるようなもんで…

そう考えると『祠の向こう』は『呼ばれたら出る常世(時間も空間もない)』なのかもしれない

『創造主の目的が意識の拡大』であるならば『新たな想像を広める』意味でも『一日創造主体験』で『霊に経験』させる=『霊験』が起きてもおかしくはないな(笑)

カタカムナ52首 創造主の目的は意識の拡大

『神=祈られる側』になった気持ち=『人』と変わりません
何処までも『自分の精神性の領域』が続くだけ

でも逆に言えば、『だからこそ』なんだな(≧▽≦)という実感もある

事情を内観し自浄する  極楽浄土は『細胞』に

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