好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

やめられない止まらない河童伝説が出雲とサンカへ

寝起き閃カルビー?創業者を調べると行動が戦後のリアルアンパンマン、そしてその背景に河童への強いこだわりがあったのは…的な洞察がやめられない止まらない出雲とサンカへ繋がるお話

寝起き閃キーワード Calbee?

カルビー?(´-`).。oO ← この時の私はこの後、想像もできない情報にたどり着く事をまだ知らない・・

創業者
松尾 孝

1949年
「松尾糧食工業所」を法人に改組し、「松尾糧食工業(株)」(広島県広島市)を設立

1950年「カルビー製菓(株)」に社名変更

カルビーの社名はカルシウムの「カル」と、ビタミンB1の「ビー」を組み合わせた造語です。カルシウムはミネラルの中でも代表的な栄養素、ビタミンB1はビタミンB群のなかでも中心的な栄養素です。人々の健康に役立つ商品づくりを目指して名づけました

広島市西区楠木町~松尾糧食工業所

孝さんは「えび獲り名人」と言われ、獲ったえびでお母さんがつくるかき揚げが大好きでした。このえびをあられに入れられないか?と考えたのが後の「かっぱえびせん」

河童

松尾糧食工業所では、「未利用資源の活用」「人々の健康に役立つ食品をつくる」を創業の精神として、陸軍から手に入れる米ぬかから胚芽を抽出する機械を自ら考案し、胚芽や砕米などに野草を混ぜて団子にして代用食として売り出しました。

苦労して立ち上げた松尾糧食工業所で、孝さんは団子を作って売ったのです。そしてそれは、栄養不足だった当時の人々に、健康食品として受け入れられました。

事業は軌道に乗っていきますが、1945年8月6日、広島に原爆が投下されました。この日、松尾糧食工業所の工場も倉庫も、加えて自宅も全壊

団子の製造から始まり(もっと昔は羊羹)、キャラメルやあられを経て、今ではスナック菓子とシリアル

ふむ(´・ω・`)なるほど

この人がやなせたかしが最初に描き続けた戦後に人を助ける『リアルアンパンマンのモデル』かな?

アンパン

…でなんで私はこれが急に気になったのか?
と思ったが…引っかかったのはやはりこれ

河童と広島の関係

創業者松尾さんが『海老取り名人』で子供の頃に食べていた母の味の改良の『かっぱえびせん』はまだわかるが

それ以前の食材の問題や事業の立て直しが必要になっても、もはや川も海老も関係ない『あられ』になっても『河童あられ』と命名

なんなん?その意地でも『河童』は切り離さない強いこだわりは?と気になったのでまずは『広島と河童の繋がり』を調べてみた

カッパ伝説のあるどんどん淵峡

どんどん淵峡(ぶちきょう)
場所:東広島市豊栄町安宿(あすか)

昔々、穏やかなこの安宿(あすか)の里は、出雲地方を制圧する大事な拠点として激しい戦が行われていましたが、ある日この滝城は敵の大軍に取り囲まれ、城の太鼓は狂ったように鳴り士気をかりたてていましたが、矢も食料もつき、戦意を失ってしまいました。

城主はなすすべもなく城に火を放ち、自らの命を絶ちました。ところが、城を取り囲んでいた敵の大軍は朝霧とともに消え、谷間の淵には城から落ちてきた太鼓が滝に打たれ、援軍の進撃を思わせるかのようにどんどんと鳴り響いていたそうです。

それからこの谷間の淵は「どんどん淵峡」と呼ばれるようになり、城主への愛惜からか「猿猴(河童)が出るぞ!」との噂を耳にするようになったとのことです。

なるほど(´・ω・`)城主はプラシーボ効果(思い込み)で死んでしまったのな

でも囲まれた敵を背後から討ちにきた挟撃の援軍が来たように滝に捨てた太鼓が水が当たって敵も包囲を解いて逃げたのなら…

敵もプラシーボ効果(思い込み)

(´・ω・`)指導者みんな小物やん Σ(゚д゚;)

有利に囲んでるんだから落ち着いて、音の発信源を馬走らせて探らせればいいのに…と、昔話に『リアルツッコミは野暮』ってもんで(`Д´)ノ)罒`)

なぜここで『滝が太鼓に当たった』であろうという『物理現象』と『河童伝説』が繋がるのか、今ひとつ見えて来ないのと…

猿猴=河童と読むのも気になった

猿猴

猿猴は広島県及び中国・四国地方に古くから伝わる伝説上の生き物。河童の一種。 一般的にいう河童と異なるのは、姿が毛むくじゃらで猿に似ている点である。金属を嫌う性質があり、海又は川に住み、泳いでいる人間を襲い、肛門から手を入れて生き胆を抜き取るとされている。女性に化けるという伝承もある

猿なの?河童なの?(´・ω・`)

これは色々『ごちゃごちゃ』になってるな〜と思う

河童には二通りの考え方があり

①落ち武者の河原もの=変わり者=犯罪者説があり、街中で捨てる家畜の死体を川に持っていき内蔵を引き抜き川で洗う(ホルモン料理)

また女性を襲う、人を羅うなど悪く凶悪なイメージ。下手するとカンニバル=子供の生き胆を抜くもこれかもしれない人道を捨てた外道の成れの果て説

②もうひとつはクリスチャンの修行の過程で、『頭のてっぺんを剃ってツルツル』にするという見た目であり、これは『栽培した胡瓜』を川で洗ったり、その剃りあげたツルツルの部分が直射日光で暑くなるため『川で頭に水をつける様相』が『河童の皿は乾くのが弱点』という考え方もあるが…

(´・ω・`)違うな Σ(゚д゚;)自分で言っといて?!

そう、『分析と考察』の脳が出した結論に対して『直感は違うな』…しっくりこないと判断

では他に何が、『包囲された状況から出雲を救ったんだ?』と思ったら、こんな援軍が見えてきた

出雲を助けたサンカの援軍説

定住することなく狩猟採集によって生活する。箕を生産することでも知られ、交易のために村々を訪れることもあった。職業の区別もあり「ポン」と呼ばれるサンカは川漁、副業的な位置として竹細工などをしていた[1]。また「ミナオシ」「テンバ」と呼ばれるサンカは箕、かたわらささら、箒の製造、行商、修繕を主な収入源としていたとされる。
私的所有権を理解していなかったため、村人からは物を盗んだ、勝手に土地に侵入したとして批難されることも多かった。拠点(天幕、急ごしらえの小屋、自然の洞窟、古代の墳遺跡、寺等の軒先など)を回遊し生活しており、人別帳や戸籍に登録されないことが多かった。

仮にだが、このサンカという人達をその『出雲の城主』がその地域で住む事に『自由を与えていた』とするならば

その『国に属してはいない』が『恩ある城主のピンチ』を察知して『援軍として駆けつけた』が、『戦う力は持たない』からこそ

『落ちてきた太鼓』をかき鳴らして、後ろから『大声の怒号を上げて敵を威嚇』して逃亡させた

そんな『ハッタリ』だけど上手くいったと考えると、『思いもよらない援軍』(そもそも同盟とかそういうのでもない)に救われたがしっくりくる

・・あるいは、圧倒的戦闘力を見せつけた可能性も『鵺=サンカ』から見えてくる
猿顔で毛むくじゃら=鵺=猿猴=河童と繋がってくる

カタカムナ41首 鵺の正体

出雲の人の『普段の行い』が『ピンチ』を救った
あるいは『城主』が先に死んで『霊』となり『サンカに民を助けて欲しい』と求めた…

なんて考えが浮かぶのも、城主が救われたのではなく、『城主が先に命を犠牲』にしている点でもある

普通に考えれば「ビビりが諦めて先に死にやがって!」と思う話だけど、本当は違うけど死人に口なし(弁明も功績も伝わらない)

ただ『生き延びた人達』が『どんどん渕挟の河童伝説』と言い伝えられているという事は『真相』は『行動を起こした放浪の民側』が語り継いで行ったのだろう

ここでまた『サンカの生活スタイル』の中の言葉に気になる物があった

職業の区別もあり「ポン」と呼ばれるサンカは川漁、副業的な位置として竹細工などをしていた

ポンと聞いてすぐに浮かんだのは『ポン菓子』
爆発の威力で一瞬で菓子を作る

使い方を間違えれば『武器・兵器』になるが、それは『食べ物を生産する知恵』として使われてきた。昭和の終わりくらいから聞かなくなった「竹や竿だけ〜」もサンカの商売の名残と考えれば

子供の頃によく遊んだ『竹とんぼ』とか『竹馬』とか、子供に知恵と道具を継承してきた『竹細工の遊び』の多くは『サンカの知恵』だったのだろう

そう考えるとカルビーの創業者の松尾さんが幼少の頃、『海老取り名人』だったのも、サンカのポン(川漁漁)の子供と友達で『エビの取り方』や『食材を加工する知恵』を教わったと考えられる(食への造詣の深さ)

それも運命の皮肉か、そこに『原爆』を落とされても、戦後も子供達に『お菓子でカルシウムとビタミンを』という気持ちと、ポン菓子のように膨らませる発想の河童エビせん

『河童=サンカへの恩返し』でもあり、サンカから『知恵を継承した運命』だったのかも

そう考えると

広島原爆は『出雲とサンカをまとめて攻撃』

そうか、戦後(終戦間近)に全国を『焼夷弾で焼き野原に変えた作戦』というのは、狙いは『サンカの痕跡がある地域』だったのか

天声身語 終戦直前の日本(東北)と同じ今

ふむ(´・ω・`)またひとつ『歴史になっていない歴史』を見つけた気がする

事実1
カルビーの創業者松尾挙とは川の海老取り名人
戦後も子供らの健康を考えた余り・廃棄食材の使い方を研究した人

事実2
どんどん渕挟の河童伝説とは出雲の城が攻められ包囲されて絶対絶命だった時に、士気を高める為の太鼓を滝に捨てたら、滝の打ち付ける水の勢いで夜な夜な太鼓が鳴り響き、朝方には包囲していた敵軍がいなくなっていた

推察
それが河童のおかげ?という明確な繋がりはない

洞察
河童は出雲の城主に『恩返し』をした
河童とは『猿のような毛むくじゃら』な見た目
猿のような野人=鵺=サンカ
特定の住所を持たず川で住む者
サンカを拒絶せず交流していた『出雲のピンチ』に『サンカが援軍』として助けたが、『歴史の表』に出るべきではないから『サンカ=河童』として濁した

そうなるとサンカと河原もの=落ち武者や犯罪者を一緒にするのもおこがましいな( ˙꒳​˙ )

…しかしまあ

気になる、気がむくってすげえな

カルビーだせ?Calbee?
このキーワードからどうやれば

出雲とサンカにたどり着くんだよ(笑)

海老取り名人、川
河童エビせん
河童あられ ←ん?(違和感)

広島と河童→どんどん渕挟河童伝説
→出雲への敵が逃げる程の援軍

ポン=サンカの川での職業
ポン菓子=工具で菓子を作る
竹細工→手先が起用
海老のとり方を教わる

サンカの知恵と心を継承する
食材を無駄にせずカルシウムとビタミンを大事にする

そんな松尾 孝少年の物語をダイジェストで学びつつ、出雲とサンカの関係性のような、山の民と交流を匂わせるような、地域伝承はまだまだこれからたくさん見つかりそう

河童=猿のような毛むくじゃら・・これが一般認知との大きなズレ
鵺でもあるし、河原者(ポン)でもあるし、落ち武者・犯罪者でもある

胡瓜だけは、クリスチャンと明確に違う事だけははっきりしたかも(笑)

そして・・書き終えてから気づく

今度は『竹』か!Σ(゚Д゚)導かれた

有熊=有能で心を持つ定住しないで隠れ住むもの達

黄帝の後裔と月と日本人

サンカが黄帝の後裔という事だろうか、どこかに定住したとすれば・・たぶんあそこだろうな

まぁ、それはおいおい

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