釈迦の手印、キリストのイコン、武道の茶巾絞り、共通点は『薬指』。やはりここが人の体に自然の力を与える繋がりなのか!というシンクロニシティと体感論のお話
キリストのイコンの薬指
私は先日、こんな武術家の動画を見た
システマは『痛みを抑える呼吸法として認知』してたのは、以前自分で見つけた痛みを抑えるというより、『細胞の回復を早める呼吸法』で実感があったから
しかしこの動画の中ではシステマではなく、ロシア正教会の『キリストのイコン画の親指と薬指』についてであり、それが不思議な力を生んでいると『武術家自身が新しい発見』に驚いていたが…
それを見て私は、やはり鍵は『薬指か!』とタイムリーに確信した
薬指を『外側』に開こうと意志氣した時だけ、『頭頂のチャクラが繋がる感覚』で、実はその領域を意識すると
『耳で聞こえない音』の『無音の世界』になる
その瞬間に起こすアクションにおける『肉体の痛み』はまるで『神経がマヒ』したように感じない
つまり『一瞬』でも『リミッター』を切れる
『身体に負荷』がかかり『神経が悲鳴』をあげるその『瞬間』に『無音の領域に突入』するとその『痛みを克服』して『先』に進んでいる
私はこれに当てはめるなら『長寿と再生』がしっくりくる
長寿とは長く事吹く=『継続する痛み』に向き合う
再生とは再び生きる=その痛みが一時感じなくなる『生死=静止』をへて『再び動く』
動画のような『薬指と親指の繋がり』のパターンは私の内観では『臍』のあたり、つまり『丹田』に意志氣が回る
なので呼吸瞑想の時の『第二段階』で無意識にやってた(´>∀<`)ゝ
実は『指に関する取り組み』はこの釈迦の手印やキリストのイコンだけではない
茶巾絞りの実践と気づき
前に『背骨に龍が宿る』という気づきをまとめた際に
そのきっかけとなる、『シッポを立てる』という表現をしていた合気道の先生が実践指導の動画の中で『茶巾絞り』という拳の使い方が語られていた
その茶巾絞りに関しては『剣術』やあらゆる『武術』において基本のように『握らない握り』における重要な要素になっていたので
「茶巾絞りって何だろうσ( ̄^ ̄)?」と詳しく調べて、その『握りの形』とそれによって『身体がどう変化』するかの内観をしてみた
実践はとても簡単で、茶碗洗いの時に茶巾絞りの『軽い水切り』、それも作法としての『相手に見えないように水滴を切る』ような仕草
『握らない握り』というのがわかった
握るというのは全部の指をいっせいに握る『圧力』だが、茶巾絞りは小指の方から『段階的かつ連鎖的に力を連動させ波』を起こし
それこそ茶巾の『余分な水分、数滴のみ』を絞り出す程度の『小指の力』を送り届けるように
『子の願い』を『親に届ける』ような小さな力をつなげていく
雑巾絞りのように全部の水分を『捻り出す』のではなく
『やりすぎ』てもダメ
『やらなすぎ』てもダメ
という絶妙な『水分を絞る微調整』だから小指が『起こりとしての鍵』になる
…と何度もやってると段々と『小指の力』ではなく『意志氣が先に出てる』事に気づいた
(今から小指をこのように…)のこのようにの『イメージ』した瞬間、もうそこに『茶巾絞りの力』が生まれている
これは『習慣』だな(´-ω-)
それでしばらく『木刀』をもって、剣術における振った時の『一瞬に茶巾絞り』をする…というのを実践してて…思ったんだ(´-`)oOこれって…
バドミントンのグリップ
バドミントンは『小指と薬指でグリップ』して!中指はコントロール、人差し指と親指は状況に合わせて切り替え、ラケットを回転させる動作はまさに『小指→薬指→中指を順番に連動』させる事により…
『茶巾絞り』やないか!( ’-‘ )ノ)`-‘ )ぺし
バドミントンは『瞬発力』のスポーツで、体さばき、足運びのフットワークも含め、手は常にラケットの『握り』を軽く持つ。そうしなければ『素早い動き』も『しなり』も出ない
このラケットの握りとガットにシャトルを当てる『瞬間に必要な力』を加える=『茶巾絞り』
『無意識』に身についている『ラケットワーク』は確かに『振り終わり』の瞬間、『小指→薬指→中指と連動』している
スイングの後にラケットが『飛ばない程度』
この肩→肘→手首→指への連動における『初動を指』にすると『茶巾絞り』になるが、『初動は指』でも『起こりのイメージ』を『手首』にするか『肘』にするか『肩』にするか
あるいは『骨法』のように『あらゆる骨』を動かせれば、どこからでも最後は『茶巾絞り=ラケットワーク』に持ってこれる
ラケットの場合、その『手の動き』すら、手に持った『先端に最大の力が発生する為のテコ=中継』でしかないから『力の伝達の先』は手が触れた場所では無く『もっと先(得物)をイメージ』しやすい
例えば『拳が物体』に当たって止まったとしても、『力の伝達先』はその『先端』に持っているから、当然、その『イメージした分の衝撃』は『後から浸透』する
これを掴むと『自重を乗せる』というのがとてもわかりやすいし、『自重以上の重さもイメージ』できる
もうひとつこの、『イメージの力』を乗せる為の『鍛錬』として合気道の先生が言っていた事を実践して面白いと感じたのが
『壁立て伏せ』というトレーニング
手首と肘を使わない
また壁=相手に力の伝達(情報を与えない)=触れるだけで押しつけない
その状態で壁に顔や頭を付けようとした時、『パントマイム』みたいな事だけど、腕の力を使わない代わりに別の自然に肩甲骨や鎖骨、胸骨、『普段使わない骨を動かす力』を感じることができる
と、同時に自分の体の柔軟性、『筋膜剥がし』が足りてない『稼働しない部位』がどこかもわかることから、『ダンスと武術に親和性』があるのも納得できた
そして面白いのが、この実践後の体のわかりやすい変化
壁に手を当てているが壁自体を押してない
しかし、壁に近づく為に『押し出す力が背後』にある
『力が伝わっていない』段階では『イメージ』でしかないが、その壁についてる手に『押す力を繋げたら』どうなるか?
イメージの力が先行して最後に手にそれが全て伝わる『ワンテンポ遅れる力の伝達=浸透』
手で押す力よりも遥かに強烈な『全身を使った伝わる力』が発生し、手は起こりとして『相手に伝達する場所』になる
軽く触れたと思ったら『物凄い重さ』を感じたりするのはそれかどうかは、まだ私にはわからないが・・
これらの次から次へとシンクロニシティのように『薬指の探求』に導かれる『実践項目』でワクワクしてます(≧▽≦)
手始めに指をもっと自由に動かせるように・・と考えて何かないかな~とクローゼットを開けたら・・目と鼻の先に10代の頃から数十年も使って無かった『3kgの鉄アレイ』が二つ
ついに・・俺の出番が来たか?( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)この時の為に!?
しかも、『心鍛』として『痛みを自分に与える』という『硬い物を叩いて皮膚や骨を強化』するトレーニングにちょうどよく、おまけに冒頭でも言ったように
『耳で聞こえない音』の『無音の世界』の『長寿(痛みを感じ続ける)と再生(無音にしていったん止めて再び)』を実践すると・・
痛みを感じる→痛みを『カット』する→また叩きつけるを延々とループして、皮膚は赤くなっていくけれど、痛みは感じない(感じた瞬間にカットする)という
呼吸法でもなく『イメージの世界が現実化する感覚』を感じてます。これについては、もっと感覚がつかめてきたら詳しくまとめます
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