サンスクリット語で手足は『アンガ』、それらは山窩(サンカ・サンガ)長髄彦等身体的特徴、山のお堂の彫り物はインド象。自然の法則を説くのはアースラ神族、釈迦族の聖者を釈迦牟尼仏、牟は鴾(トキ)、大無牟遅(オオナムチ)、サカ(シャカ)起と太陰太陽暦354日…さぁ意識の旅をしよう
アンガとは?
ヨガ教室などで、サンスクリット語で手足を意味する
それを見つけた時、最初に頭に浮かんだのはアンガールズの2人だった
彼らは『2人とも頭がいい』から、身長の高さ、手足の長さ、なよっとした気持ち悪さで目立って『差別化して行く計画』を込めて身体的特徴をそのまま『サンスクリット語と英語の複合』で
アンガールズ
…と決めていたかどうか分からないけど、そんな事はどうでも良くて、私は彼らのような『手足長いという特徴』から、『手長族』という言葉を思い出した
上古長人あつて人民を劫掠す。此の地に懸崖あり、其の半腹に窟あり。此人藤を以て山上より縋りて窟中に隠れ住し、夜は出でゝ劫掠す。百姓之を愁ふ。久しうして後其宅窟を審察して、藤縄を剪断す。長人去る事能はず、終に窟中に斃る。其脛八掬あり。後人奇として之を祀るといへり。
とある。大太郎法師だいだらぼっちと同じく、一つの巨人伝説の附会したものである。足長の神は他に所見が少いが、手長の神は各地に多い。延喜式には
壱岐国壱岐郡手長比売てながひめ神社
同国石田郡天手長男あめのてながお神社
天手長比売あめのてながひめ神社があって、後の二社は名神大社と仰がれ、その手長男神社は同国一の宮ともなっている。祭神は一宮記に、天思兼命あめのおもいかねのみことの一男とあるが、もとより拠るところを知らぬ。太宰管内志には文化十年の壱岐島式社考を引いて、祭神天忍穂耳尊・手力雄命たちからおのみこと・天鈿女命あめのうずめのみこと
とある。また手長比売神社の祭神は、同書に壱岐図説を引いて、忍穂耳尊の妃栲幡千々姫命たくはたちちひめのみことと、稚日命・木花開耶姫命・豊玉姫命・玉依姫命だとしてあるが、果して旧説承けるところがあるか否かわからぬ。関東・奥州にはことに手長の社が多い。中にも有名なのは磐城宇多郡(今相馬郡)新地村の手長明神で、これは貝塚と関係のある神らしい。
はい、長々書いてるけど、要はいるけどルーツがわからんって話( ^∀^)ゲラゲラ
『手長に関しては多い(確定)』としかも山から…つまり『山』から現れる『アンガ(手長)』が多い
はい( ̄▽ ̄)確定ですね
アンガ=山窩(サンカ・サンガ)
元々の列島の先住民・蝦夷(えみし/縄文人)は調和の民で、自然と調和し互いに調和して暮らしていた。そこへ破壊混乱の氏族が武力を持って征服に来た。この時から、まったく違う価値観を持った氏族と良民(民人)・非人(賎人)、つまり破壊混乱の氏族と調和の民が同居する二重国家体制の日本列島が徐々に形ち作られて行く事に成る。
日本人は、原日本人系縄文人と比較的後期の渡来系との同化二重構造の中で、混血が今でもまだ続いている。日本列島の原日本人系縄文人(原ポリネシア系)が「自然共生主義」である所から、その信仰基盤に自然神が多数存在し、後期の渡来系が同化に際してそれを採用(治世に利用)して八百万(やおよろず)の神が成立した
この山窩(サンカ・サンガ)=山の民=縄文という飛躍したイメージが今まで繋がらなかったのだけど、秋田の『赤祇五社堂』のように建造時期、及び建造形式が違う『山の奥に立てられた環境』や、かつてはそこに『門跡』があった(破壊された)=ちゃんとした『生活環境』があったと考えると
『サンガ』とはアンガ、つまりはサンスクリット語を用いる独特な言語で話す民が、後に漢字を当てられ『日本語読みの響きに定着』したと考えると
『山の洞窟に住む』というのも…『廃仏毀釈』などで山狩りされて『徹底的に住処を破壊』されて逃げ伸びた先で、それが『竪穴式住居とかで凌いでた』とかだったら酷い話だよね
秋田の場合も『五箇条の御誓文のオベリスク』建造されて封印されたようになっている
住み家を追われた『鬼の隠れ里』とか洞窟に住まざるをえなくなり、山からお面かぶって『山賊紛いの追いはぎ』をしなければいけなかったのが鬼のルーツと言われた可能性も?
縄文に関する歴史は、教科書ではそのくらい『適当に造られたレベル』で薄っぺらいが、それがそもそもの先住民族の『文化破壊後の残党さらし』ともいえそうなのが、レッテルを張って蔑む『異教徒弾圧の勝者(の後ろの商社)が歴史を造る』文化体系
いずれにせよ『縄文・出雲』と呼ばれた時代に既に『古代インドと和国は融合』していた可能性がある。『アースラ神族=自然の宇宙の法則が先に伝わっていた』から『八百万の神の自然信仰』が根付いていた
創造神ブラフマーの地水火風の四元素の自然創造
太陽神ヴィシュヌの自然環境維持の大切さ
破壊神シヴァのバランスが著しく壊れた時の破壊
369の循環
アースラはその自然の法則を伝える役目
雷の神インドラは『五穀豊穣の恵』を与える雷
この初期ヴェーダの考え方こそ八百万の神
自然法則として縄文に伝わっていたから
縄文には争いはなかった
そう考えると、アースラ神族が釈迦族で和国に平和文明を与えに来てたのは『釈迦牟尼(シャカ族の聖者)』であり、釈迦とは『特定の1人』を指すのではなくたくさんいて、各地に広がった『宣教師』なのかもしれない
お釈迦様、お釈迦様っていうのは、今で言う「先生!」みたいなものかも
その頃の和国とは『牟大陸(世界の指導者育成機関)』であったのだろう(平和のワンワールド)という『仮説』が非常にしっくりくる理由はまだまだある
仮にそれが1万3000年前とするなら、地球の周期は『26000年』と言われる時期で考えると、縄文が廃れてから『暗黒のターンが13000年続く』訳で、今がちょうどその辺の『逆転の境目』かもしれない
なお日本の場合はこんな近代史もおもしろい
本当は1984.1995.1999辺りにその『ピークを迎えていた可能性』があるけど、その時はまだ早かったんだ( ー̀ωー́)
梵字は古代インド、サカ(シャカ)紀という時代に用いられていて『太陰太陽暦=354日』だった。日本も1872年に太陽暦に変えられるまで、同じ太陰太陽暦の354日であらゆる暦や行事が行われていた
つまりどちらかしかない
縄文から『インドに伝来』したか?インドから和国(出雲)に伝来したか?そんなどっちが先かなんてどうでもいい(´∀`)
大事な事は昔の和国は『インドと繋がり』があったから建造された堂に『象の彫り物』があったという事。という事は、『西遊記』がそういう『伝来を天竺に運ぶ旅』として伝えられているのとは別に、遥昔に『海洋ルート』、もしくは『天野浮舟(空)』で和国には到達してたって事だろう
古代インド(ヴェーダ)にはヴィマナ(空中都市)もあるしね
仏教では梵字は、インドから中国を経て、空海が日本に持ち帰り体系化させたというけど、梵字を見たインド人の多くが、『失われた祖国の文字が遠い日本で用いられている事に感謝しかない』と喜んでいると同時に
『どうして日本は他国がルーツだと言うものを堂々と使っているのだろうか?』と起源はこっちだよ?と主張している声も
そう、だから『空海』って凄いと思うんですよ!
空海は『梵字』が後に時の権力者(グローバル化)によって『歴史改竄で消される事』を分かっていたから、その『教えを護り運ぶためにチベット密教のマスター』になって、それを日本に持ち帰り『仏教に隠して』伝えた
言うなれば『失われたかもしれない文化を継承する役目』をになった
結果、梵字はインドでも使われなくなり、地元の人ももはや『書けない読めない』けど、古代遺跡等に刻まれている状態で保管
私は何度か、東北の数箇所で『梵字だけで書かれた石』を見た事があるが、どれも『人も来ないような山道』ばかりだった。かつてはそこに『梵字を受け継いだ密教』があったという事だろう
という事は、縄文か、その前の出雲、もしくは出雲ができる前の頃、東北に渡ってきた最初の古代ヘブライ人も『どうやって日本に来た?』という、その『エジプトから逃がす』ための渡りをつけたモーゼとは『シャカ族の聖者』と考えられるが…
私はこれもどーも怪しいと思うんだ(´・ω・`)
日本は世界の『縮図説』ってのがある
それで言うと元々『西と東の2つの大陸』だった。『西で酷い事』をされ『虐げられた者』を『東の大陸へと渡りをつけて逃がした』と考えれば、海を割って『歩いて渡る』にはギリ行けるかな?みたいな所はある
『津軽海峡(青函トンネルを歩く』かまだ日本が西と東の大陸に分かれていた時くらいな距離)とかね。もともと日本の地形は山道で、水位の上がり下がりで『歩いて渡れる可能性』は十分にある
かつて『日本のその地で生まれた伝説』が『輸出される形』で『世界の各地の陸地や風土にあった神話』になっていったと考えれば
あれ?そうなるとやっぱり『釈迦ルーツは和国』になってそこから逆に『古代インドに伝来』してるのか?東北の十和田湖は『ヴィマナ』として飛び立った空中都市跡説浮上( ^∀^)ゲラゲラ
日本の縮図説で言えば、日本の『四国』がちょうど『インド』に当たるらしい(シランケド)、古事記でも『始まりは四国』なんだよね
ここは不思議な話???
よく分からなくなったので整理しよう
①サンスクリット語で手足は『アンガ』
②過去の日本の見聞録に山から手足長い人が現れるとあり
③それらは山窩(サンカ・サンガ)
④長髄彦等身体的特徴の記述や存在あり
⑤山のお堂の彫り物はインド象
⑥自然の法則を説くのはアースラ神族
⑦釈迦族の聖者を釈迦牟尼仏
⑧牟は鴾(トキ)、トキは日本の国鳥、大無牟遅(オオナムチ)
⑨サカ(シャカ)起と太陰太陽暦354日
⑩その後太陽暦365、トキは朱鷺(あかさぎ)に
統一思想のキリスト教も仏教も入る前から、和国のベースは古代ヘブライ由来の『ユダヤと古代インドと和合』していた
失われた『初期ヴェーダ』
失われた『日本の暦』
語り継がれる『ユダヤ民間伝承=日本昔話の童話』
廃仏毀釈、神仏分離
太陰太陽暦から太陽暦へ
ここは全て繋がっている
逆に言えば…ここ掘れワンワンʅ(´⊙ω⊙`)ʃ
ちなみに私たちの世代で『インドと手長』と聞いてすぐに浮かぶのは、これぞヒンドゥー教インド人=ダルシム(手も足もながーい)。今のパワフルダンシングなインドしか知らない世代は、このインド人僧侶を想像できないだろうね
と、気づいたのは、まさかの『梵字(キリーク・阿弥陀如来)』をひたすら上手く書こうと『何度も練習』していた…からかどうかは分からない(笑)
ただ、これもまだまだ繋がる古代インドとの和合した『繋がりのほんの序章』である( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
LEAVE A REPLY