佐渡に渡った日蓮から創価学会!?なんで!?という新潟という地が生んだ歴史上の傑物と尋常小学校の教育とGHQによる教科書黒塗り事件への繋がり。こうして日本は弱体化されたの巻
阿仏房と千日尼の話をなぜ創価学会が?
前回、日蓮という者の生涯を追う途中で辿った佐渡流罪の際に、説法をきき日蓮宗に宗派を変えた阿仏房と千日尼という二人の存在について触れた
この時に気になったのは、なぜこの日蓮という者の生き様を伝えるのが創価学会の公式なのか?という点から、もしかして創価学会と佐渡・新潟には何か繫がりがある!?という観点から広げて見つけた情報
創価教育学会の創立者 牧口常三郎という男
最初に言っておくが私は俯瞰で歴史と現状を把握してるので、宗教の教えの内容などには興味はないが、この牧口常三郎という人物には大変興味がある
関係ないけどよー似てるわ(;´∀`)というだけの拾い画です
引用:初代会長・牧口常三郎先生
この人は当時、明治維新後の第二次世界大戦前まで行われていた日本の尋常小学校という寺子屋から発展させた広く教育を広げるという仕組みの師範=先生をし、20年に渡り、尋常小学校の校長として勤め、子供の幸福という目線から教育を発展させた人物
この尋常小学校は、全国各地に普及しており、その尋常小学校での教育がどういう内容だったかはわからないが、のちに小卒で総理大臣になった田中角栄、のちに佐川急便を生み出す佐川清など、時代を切り開くリーダー教育が全国の日本の子供たちに行われたのが戦前であったという事
特に私がこの牧口常三郎という人物の話の中で興味を持った書物が『人生地理学』という考え方
タイトルだけで、共感できるポイントは、私は地名を表わす漢字には意味や生活習慣・お家など様々な情報が詰まっていると思っているから
名は体を表す という事だろう
「十五億万の一世界民たることを自覚する」と世界市民を志向し、そして世界は「軍事的競争」「政治的競争」「経済的競争」の時代から「人道的競争」の時代へと移らねばならない
その地だからこそ発祥する人の文化や風習があると思っているので、このタイトルで何を伝えようとしてるのかある程度同じ方向性を感じた。みんな違ってみんないい!個性を認め合った上でグローバリズムな人道的競争
その独自の教育論、自身の科学観、哲学観に照らして、信ずるに足る宗教を見いだせなかった牧口常三郎が、後から日蓮正宗に入門するという流れは・・正直予想外だったΣ(゚Д゚)
てっきり日蓮の教えを広めるために教育機関を作ったのかと思いきや、独自の教育論(自分の意志)を持っていて、日蓮正宗の仏法に共感する部分があって学んだという流れだった
・・それ、真理の探究者(魂年齢が高齢期)の人の特徴や
その後、自身の教育理論を弟子の戸田の協力を得てまとめ『創価教育学体系』として発刊。創価教育学とは「人生の目的たる価値を創造し得る人材を養成する方法の知識体系」を意味している
その後、日蓮仏法を探究していくと教育だけじゃなく、社会生活全般を改革する必要があると考え始めた頃には、創価教育学体系に賛同した教育者以外の信奉者も増え始め、
日蓮仏法を軸とした宗教改革の団体となっていくのだけど、第二次世界大戦に転げ落ちていく日本は、国家神道によって宗教・思想の統制を図ろうと思想犯の摘発を行い始め、
治安維持法違反・不敬罪の容疑で牧口常三郎と弟子の戸田は投獄され、創価教育学会は壊滅。牧口常三郎は厳しい尋問に屈する事なく栄養失調で極中死。弟子の戸田が出獄後に引き継ぐ
創価学会二代目 戸田城聖という男
引用:第2代会長・戸田城聖先生
「未だ、余は余の師人を見ず、余の主を見ず」とあるように、この上京は生涯の師を求めての旅立ち。そして出会った人生の師と仰ぐ牧口常三郎と共に理想の教育改革を行うものの、第二次世界大戦へ向けた国家神道による思想統一に反すると思想犯の摘発あう
尋問に耐えた戸田城聖は壊滅した創価教育学会を立て直し、創価学会を創立
創価学会の平和運動の基礎となる「地球民族主義」の構想や「原水爆禁止宣言」を発表。主著に『推理式指導算術』、小説『人間革命』など、この戸田城聖という人は投獄生活の中で法華経を読みすすめ
「仏とは生命である。自分の命にあり、また宇宙の中にもある、宇宙生命の一実体である」と直観し、自分の役割を悟った事で行動に迷いがなくなったとの事で
私は個人的に共感できました(゚∀゚)この人も真理の探究者=ルシファー因子
で、気になるのが「原水爆禁止宣言」ですね。この時まだ日本には落とされていない訳ですが、のちに世界で唯一の2回原爆をくらう国になるのが日本です※何か気づいて先手で警告したのかもしれませんね
この流れは日蓮の意志を継ぐものは共通してます
日蓮は、宗教を改めなければ国が侵略されるぞ!と警告→ モンゴル侵略
佐渡流罪から戻ってから再び進言するも平綱守が念仏に帰依したため、平家没落
日蓮を師と仰ぐ吉田松陰は幕府に目の仇にされ斬首、それが門下生によって討幕の攘夷が起きる
明治維新へと誘導されるも、外国勢力の力を受け入れたため → 明治政府操られる
牧口常三郎が校長として子供の幸福を体系化した教育論は、再び忍び寄る戦時下の軍政において、軍が頼る国家神道(西の天皇崇拝)に統一せよ!という弾圧を受けるも自身の教育論を曲げないで獄死
その意志を継ぐ二代目、戸田城聖も日蓮仏法を軸とした創価学会を続けながら「原爆がやべぇぞ!みんな気づけ!」と出版社を経営し、子供ではなく大人達に訴えるも軍政による弾圧を受ける
ここまでは正直、私は日蓮の意志を継ぎ、国を変えるには教育を変えなければいけない!という行動が、結果的に信奉者が増える事で宗教団体という組織になったという過程であり、信者を勧誘しなくても勝手に真理を追究する自発的に行動する者が集まってくる状況だったと思います
いわゆる革命家・レジスタンス
さて、それではなんでこの創価教育学会について触れたのか?本質をいいましょう
GHQによる教科書の黒塗りと尋常小学校
墨塗り教科書は知ってますか?
「終戦に伴ふ教科書図書取扱方に関する件」に基づき、連合国軍最高司令官総司令部が不適切と判断したものは書き換えられるか、墨塗りされた[1]。教科によっては、ほぼ全行に抹消線が引かれたものもあった。当時の国民学校(現・小学校・中学校)では、当時使われた教科書のうち、戦意高揚をうたった文章の箇所については「墨汁で塗りつぶして読めないように」という進駐軍の指示(命令)が出されたためである[2]。また児童が教師の指示に従い塗りつぶしを行った[3]。
同時に、教職追放令により、45万の教師のうち11万5千人が辞職、約5200人が教職追放となった
ここまで語ってきた戦前の日本独自の教育である尋常小学校の教え、こどもの幸福を考え、日蓮の仏法に基づいた生活改善の思想を取り入れた教育は、全国からのちにリーダーとなる多くの傑物を生み出した
その発祥の血筋が新潟に集中しているのも意味深だろう
田中角栄:のちの総理大臣・北海道尋常小学校
佐川清 :のちの佐川急便の創始者 新潟尋常小学校
出身はどちらも新潟
おまけでびっくりなのが大田光の母方が新潟
牧口常三郎も新潟
似てて同郷なら親戚血筋の繋がりはあってもおかしくはなさそうだけど、ここまで瓜二つだと転生?憑依?いずれにせよ、計算高く暴れる所は暴れて爪痕は遺してやろうというルールに従わないアナーキーな所も若干ルシファー因子な気がする
創価の話はここまでにしときましょうか・・なぜか3代目の代の宗教団体はいい噂を聞きませんから(^_^;)
理由は、一代目、二代目は宗教団体になろうと思ってなった訳ではなく、行動の結果、賛同者、共闘者が増えて自然に団体になったのに対し、最初から団体運営という組織を引き継ぐというのは、意味が変わります
例えば会社ならわかるかもしれませんが、社長の理念に共感して社員はついてきたのに、別の社長になって方針が変わったとした場合・・そこに社員の忠義はありますか?と同じ事
また生まれた時から学会員という家族や親族ぐるみで団体に属するという環境の友人の話を聞くと、親が熱心な信奉者である内はいいけれど、団体に対して反発・反抗的な態度や行動を取ったら、他の会員からの圧力や親族からの嫌がらせが起きるし、そこにいられなくなるとの事
また、親が貢献度が高いと、その家族は社会のどこにいっても優遇される互助会のようになっているらしく、例えば仕事を辞めた、転職するとなった時に、履歴書の家族構成で則採用!みたいな人生EASYモードな話も聞きました。それほどまでに社会に学会員に在籍し学会のために社会活動をするメリットが広がってる反面
その会を否定したり属さない人を遠ざけ、村八分にするなど差別が起きているという話を
ひとつの事実(諸説)として俯瞰で捉えると(シランケド)
一代目と二代目の掲げた子供の幸福、教育改革論や個性を認め、それを伸ばし、人道的な競争という精神を伝える人生地理学などに照らし合わせれば、あらゆる点に
今の現状が矛盾している・・
と日蓮の仏法の視点(真理)で見ると思います
そして、三代目から政治・公明党、連立与党という、先代たちがやっていない改革に入り込み、宗教法人に対する免税などの税金優遇措置などなど・・あれ?これって平家の時代に起きていた時の為政者にすりよる間違った宗教理念が悪を呼び込むという日蓮が警戒した構図そのものになっていないか?
創価学会はSDGs推進をしているようだ
創価大学のSDGsの取り組み
「ワクチンは確保した」 公明党が創価学会員に“東京突入令”、7月の都議選を睨み
もうこの時点で┐(´∀`)┌個人的には興味なし Σ(゚Д゚)
日本の宗教界の意見色々
さて、日蓮の意志を継いだ者たち、あるいは独自の見解や意志を持った者が日蓮の教えに共感する事で、新たな真理を追う宗教が生まれているのだけど、世の中には色々な宗教?(教祖の考え方・信奉者)がある訳ですが
日蓮が言ってるのはとてもシンプルなエネルギーの法則
間違った教えを実践してると侵略されて滅ぶぞ?
と言ってる訳で、それって、コロナに対する行動で言えば
マスクを続ける(間違った行動)→ 免疫力が落ちる → 病気を呼び寄せる → 医者が儲かる
ステイホームで家からでない(間違った行動)→ 自然の菌への抵抗力が落ちる → 病気を呼び → 医者が儲かる
ワクチン(もどきの新薬)打つ(間違った行動) → 免疫力死ぬ → 重度の病気・合併症 → 医者や葬儀者が儲かる
ね?、日蓮が言ってるのは真理(因果のロジック)
だから、日蓮は国のトップに進言するも、トップと癒着する武家や宗教団体(浄土宗や天台宗)に邪魔されたから、なら自分で広めるわ!と布教を開始、そのための書物・論文をまとめ上げ、それに影響を受けた門下を増やした事で目の敵にされ迫害を受けた
後に子供に行う教育から変えていこう!という牧口常三郎、そしてそれに対する社会の弾圧を体験し、それでも意志を継いで、教育を変える前に社会を変えなければ!と創価学会と出版社を立ち上げ真理を伝える間口を作った戸田城聖
んで、三代目創価学会(公明党含む)は、誰が得するSDGs推進の今(さぁどう思う?)
それは牧口常三郎の教育理念である、みんな違ってみんないい、島国根性を捨て、世界のあらゆる人の個性(ナショナリズム)を尊重した上で人道的に考えればいい
価値観の押しつけは間違っている
全て失って、伝わったもので調和する という念が込められてるのが『令和』という元号。まさにこの2、3年で状況がガラッと変えられたよね。政治の後ろに宗教があるのか~(平家の怨念かな)
という現状を踏まえて、もしも同じ状況(末法の世)を与えられた時に、人々を導く宗教団体はどんな見解を示しているのか?実に興味深い結果ですよ( ̄ー ̄)ニヤリ
日本の宗教界は新型コロナウイルスのワクチン接種をどう考えているか
抜粋引用
◆天台宗
「感染を抑える効果を求めるか、安全性を第一とするか、難しい選択だが、日本はもとより世界のコロナ禍収束のためには一人でも多くの方の接種が望ましいのではないか」と結んでいる。
◆浄土真宗本願寺派
「そうした危険性と予防効果を考えて打つかどうかを個人でも判断する必要があります」と自身による判断を促している。
◆大本
「従来と異なり今回のワクチンはウイルスの遺伝情報の一部を使って作られ、治験が継続されるなか、緊急事態のための特例として承認されたもので、短期の副反応はある程度わかっているが、長期の影響への不安が拭えない」「接種はあくまでも強制するものでもされるものでもなく、本人の意思に従って判断するものとされるが、接種をしたくない人たちへの同調圧力、差別、行動制限を求めるような風潮を懸念している」
◆神慈秀明会~NPO法人秀明自然農法ネットワーク
「スパイクタンパク質を周りの人にまき散らす」「3年から5年かけて免疫機能が落ちてきて、いろんな病気にかかり易くなる」「生殖機能を攻撃されて、最悪不妊の原因になる」などを列挙し、「自然農法の食べ物にはワクチンで入れたものを出す効果がある」と自然農法を称賛している
◆幸福の科学・幸福実現党
ウイルス感染には「憑依の原理と同じ原理が働く」ため、「とくに恐怖心の強いタイプの人は憑依されやすい」
大川総裁の法力が込められた法話、書籍、楽曲、祈願などにはウイルスを撃墜する力があるとして、さまざまなものを紹介「コロナワクチンに期待できない今、信仰心を持つことで免疫力を高め、コロナを乗り越える重要性は増すばかりだ」と締めくくっている
ワクチン接種証明書(いわゆるワクチンパスポート)についても、①感染症対策の効果に疑念がある、②基本的人権が侵害される、③全体主義への道となる、などの理由で反対している
あっはっは(≧▽≦)おもしろいね
はっきり言って宗教団体じゃなくてもできる与えられた情報の分析による見解でしかなく、精神的な部分に一切触れてないのがウケる
宗教ってこの世界で唯一許されてる霊とか精神とか儀式とか術式とか語れるオカルトな分野な訳ですが、その宗教が何まともなテレビコメンテーターみたいな事を言ってるのか?
そしたらただの分析と科学から合理性を説くというだけの存在でしかない
心や精神の支えの軸になるのが宗教であり、自発的に考えさせる哲学感の欠片もない。やっぱり、その程度の理解だから、日蓮が全宗派をやめてしまえ!といった理由も納得できる
所詮は悟った開祖(創立者の意志)なき弟子が教本を読んで勝手に解釈する宗教団体の体を延命措置するだけのビジネス宗教は役に立たないのが末法の世(自分で考えろ?)って事を表わしてるんだろう
そんな中、幸福の科学は開祖のスタイルがブレないし、精神を強く持て!という自立論を伝えてるので私は共感できると感じたのがここ
ウイルス感染には「憑依の原理と同じ原理が働く」
「とくに恐怖心の強いタイプの人は憑依されやすい」
これを私なりの解釈に置き換えるとこうなる
病は気から=気持ちに隙間があると邪気が入り込み中身を蝕む
気を張る=気を付けると、気が充実しているから邪気が入り込む隙間はない
気が滅入っていると、目減りした気を埋めようと気を引こうとしてしまい、本来はしないような行動(魔が刺す)をしてしまう←憑依
何かを恐れる恐怖に囚われている人は、外にばかり気が散っているため、気が自分に巡っておらず、その空っぽの隙をついて入り込まれると、過剰にびっくりするΣ(゚Д゚)
のと同じで恐れが強ければ強いほど偶像も恐ろしく感じ、また痛みや苦しみも想像すればするほど痛くも苦しくもなる
プラシーボのマイナス効果を自らが引き寄せているという事に気づけば逆転も可能
痛みも苦しみも恐れない、たいした事ないと(存在を)気にしなければ、気にならない(存在しない)
病は気からとはそういう事(真理)
※注:異変を感じた時は気にしない・・ではなく痛みや苦しみと向き合い、その発生源や理由を内観で向き合う必要ありです。あくまでも無いのに有る(無症状感染)と思い込んでる意味はないという事です
つけ加えるなら、洗脳も同じ原理で、隙がない所に隙を作り情報を埋め込む。そういうサブリミナルによって知らない内に信じたり行動にしてしまう
気にしたくない、気にしないと思っても、テレビをつけると感染者増加報道。興味もないのに、北京オリンピックで不正行為にロシアが戦争の話題?
そんな取るに足らない情報であっても、ふと誰かと話題にしてしまう日常、そうやって情報ウイルスは日常に忍び込み、気を滅入らせ隙に入り込む
私は大川総裁の言葉は理解できてしまった(;・∀・)あれれ
①基本的人権が侵害される
③全体主義への道となる
そうこの騒動の本筋はここにある
これを知った上で、今世の中で起きている事がゴールが決まった上でそこに誘導するためのデタラメな社会統計学(ナイチンゲール)である事に気づかないといけない
あれ?(;´・ω・)なんの話してたっけww
まとめ:トップ変われば団体も変わる
結局の所、なんにでも当てはまる事だけど、人を人を理解できない
日蓮は大枠で真理を説いた 護者(専守防衛)を遠ざけるから悪鬼(侵略)が寄り付く ← シンプル
では『護るモノ』とは何か?
この何が人によって違う
己という肉体か
家族か
国か
財産や名誉か
はたまた、自由意志か
栄枯盛衰、聖者必衰、万物流転、色即是空
全てのものは時代と共に移り変わっていく中で変わらないのはひとつだけ
空海も日蓮も虚空蔵菩薩(ルシファー)という共通体験をしているが、今の宗教家というのはおそらくそういった体験をしていないから、その仏門に属していても根幹から真理の探究をできない・・というより真剣じゃないからそういう理解に至る不思議体験がないんだろう
数が何人いようと烏合の衆
ふむ( ̄ー ̄) なるほど宗教とは「体」=組織でしかないな
なぜなら、どれも「名」=体感を失っているから
体感が先で理論後付けじゃないと、真理は見えてこない
ならばどの宗教にももう学びはない(末法の時代)
ただ尋常小学校というGHQに黒塗りされた当時の教科書には何が書かれていたのか?(戦意を高揚させる?)初代、創価教育学会の日蓮の思想に共感しつつ独自の教育論を説き、日蓮のように思想弾圧を受けても折れなかった牧口常三郎の教育的な思想とはどんな物だったのか
本人亡き後は・・誰か経由の情報で本質は伝わる事はない。でも、たぶん、考え方の方向は似ていると思うので参考にできる人生地理学は読んでみようと思った(uдu*)導きがあれば
・・大田光もそういえば文才あって本出してたな・・なんかそっちが転生後の現代を深く切ってそうな・・いや、本のタイトルや方向性が・・Σ(゚Д゚)まさに牧口常三郎本人が転生し今の世の中を切るような
政治・芸能・経済、あらゆる方面に関する切り込みは、あれ?大田光は芸人じゃなくて、文豪・改革思想を持った人かもしれない!?
ふーむ( ̄ー ̄)落ち着いたしゃべりで相方なしで漫談で多くの人の笑いを誘いながら綺麗にまとめる。芸人同士の絡みより文化人としてのスタンスのほうがあってる・・って考えるのはこれは良い意味で憑依なんかなシランケド
最終的に牧口常三郎 → 大田光すげぇ!になってしまった(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
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