寝起き閃シリーズ、独り言は一人事であり人離言、独立した意思確認を悪いという客観的価値観のレッテルの押し付けに感じた偽物の臭いを正しく変えるお話
ひとりごととは?
「独り言」という言葉には、「相手がいない状況であるにも関わらず、無意識的・衝動的に一人で話してしまう(つぶやいてしまう)ことやその言葉」といった意味合いもあります。
また「一人言」と表記する時には、「誰かに聞いてもらうことを期待して、一人でぶつぶつと何かを言うこと」や「誰かに聞いてもらうこと(読んでもらうこと)を前提にして、一人でSNS(ツイッター)やブログに書き込むこと」という意味のニュアンスもあります。
ハイハイハイ┐(´д`)┌ やっぱりな
悪い意味にしか捉えないように誘導されてる
相手がいないにも関わらず衝動的に?
誰かに聞いてもらう事を期待して?
これらに共通してるのは客観的な目線から見た行動分析であり、主観的な意思という面からの行動の意図について一切触れてません
勝手に、あ〜、話す相手もいないのに、誰かに聞いて欲しくてブツブツ言ってる可哀想な人だなぁ( ‘-‘ )
という見た目の行動レッテルでの決めつけであり、それは自分が他人からそう思われたら嫌だから、ひとりごとは言わないようにしようという行動制限に誘導されています
全く上手いこと行動を制限させて、精神的に内側から溢れ出る自由意志のパワーを封じ込めて来てますね
さて、真実は行動にありです
独り言とは自分の意思確認
私は独り言っていうのは、そもそも客観的な他人の存在を忘れている、あるいは認知しないほど内面に集中しているからこそ出る行動力を生み出す言霊のパワーだと思ってます
わかりやすい例を
旅行の前の日に荷物チェックを行う時って、ワクワクの気持ちと楽しいシーンを想像しながら準備しますよね
撮影するためにカメラだろ?(景色や撮影構図が見えている)
で、3日工程だからバッテリーと充電器を・・(問題を想定)
あ、そうだ三脚だ!!(以前の失敗を参照)
これで…あ!!そうだった!メモリー忘れるとこだったw(イメージでトラブル回避)
こういう時って、現実世界には存在しない空間に意識がシフトし、思考シミュレーション世界の中でその体感映像を見ながら、現実での行動を改めている状況
言うなれば、行動を共にする内面の自分と共同で作業しているから独り言って感覚がない
それを客観的に見ればこうなるだけ
えーと、あれだろ?で、コーなるわな…すると、やっぱりあーで…あ、でもこうなる事もあるか・・σ( ;゚³゚) (;゚Д゚i|!)何も伝わらない
本人しか見えていない思考や行動を内観世界で明確な行動意思として確立し、反復して納得するまでの力の充電なのだけど、これを妨害するのが「独り言は良くない!」という客観的レッテルの一般常識って奴
面白いというか、本当に馬鹿馬鹿しいと思うのが会議という仕組み
三人寄れば文殊の知恵
意味:「文殊」は知恵をつかさどる菩薩》凡人でも三人集まって相談すれば、すばらしい知恵が出るものだということ
(´ε`;)ウーン…これも若干サゲてきてる意味があるけれど、ただの思考停止の凡人が三人じゃこうなるわ(笑)
これは自分の意見を発言する意思ある者、自発的に違う考えに至る三者三様があって 初めて建設的な力を産む三位一体の考え方
しかし、この独り言という個人の自由意志決定を確立するのを妨害するような、客観的レッテルが広まり「それは恥ずかしいからやめなさい!」という否定的な呪術にハマってる人は
独り言を言う人間を見つけては「あいつは恥ずかしい奴だから関わらないようにしよう」とするし「みんなと違う行動する奴」だとレッテルを貼り、出る杭を叩き派閥から一線を引こうとする
そんな顔色伺い同調圧力の空気を醸すだけの自由意志を持たない、自分の意見や行動を生み出そうとしない世間体を保つ奴らが、顔色を伺って空気を読まなければ生きていけない重い空間を造りだす
みんな十把一絡げの烏合の衆であり、誰かが何かを言ってくれるのを待つだけで、自発的に意見を持たない会議に良い意見は産まれない
そもそも、一人一人に自由意思があれば、会議という方向性をひとつにまとめる必要すらない
なぜ会議という名目が生まれたのか?
それはリーダーに明確な思想と責任感がないからこそ、誰かの新たな意見に乗っかろうという考え方。あるいは意思が合わない反乱分子をあぶりだす踏み絵として公開処刑の場
だからみんな顔色や発言を懐疑的に聞き、当たり障りのない同意をする
は〜くだらねえし、重たいし、精神的な自由や言論の自由すらない組織というシステム。そこに反論すれば一人でどうぞ!と言われる二度手間(最初から一人のほうがいいわw)
と思った時に生まれたのが、ひとりごとって、精神的な成長を促すとしたらこっちが正しいのでは?という考え
人離事(ひとりごと)
人から離れて事を生す・為す
人って、本来一人ひとりがみんな違うパワーや生き様を持っていて、クローン人間のように同じ人生体験をトレースする人はいません。だからみんな違う事は、教訓でもあり反面教師としての学びでもあります
現実的な肉体的模範でもあれば、精神的な指標となる生き様や行動、発言している人生や残された格言もある。人や物は様々なエネルギーなのだけど、それはあくまでも他人の意思が生み出したエネルギー
それを利用する事は世界に大きな変化を生み出す事ができる
じゃ、自分はそこから何を取り入れ、何を考え、何をするのか?
社会的な正解とは、人間的な社会という造られた枠組みの中での都合の良い思想に過ぎない。ルールさえ造れば人は、動物や動物扱いの人間に平然と酷いことをする
それをやりたくてやってる人は、それを決めて周りに実行させようと指示している者だけで、大半は思考停止し、自分の意思なく長いものには巻かれろの同調圧力に屈して実行犯にさせられてるという状態
思考奴隷、他人の足を引っ張る意思なきゾンビ中にいては、新たなものは生まれた瞬間ゾンビになる。その環境をどげんかせんといかん!!と飛び込んでも、ミイラ取りがミイラになる
だから、人(人として)から離れて(もっと広い視野で)事(自由意志が求める行動)を
為す=周りのため
生す=新しい創造
そのために、自分の内面と向き合い、自問自答し応答がある事こそが、ひとりごと
多次元の別の役割と目的を持った自分と向き合い会話する事
私はこの次元ではない別の次元の自分の体験は、その思考シミュレーションという想像世界の目的を達成したらひとつに収束すると思っている
だからこうやって寝起き閃で、そういう考え方もあるのか!と睡眠学習していると感じている。最後にこのひとりごとをカタカムナの言霊読みすると言葉の本質が見える
ひとりごと
根源から統合が離れ転がり出て統合する
根源が集合的無意識だとして、統合とは個性だと解釈すれば、全から一の自分というカタチをもったエネルギーの統合が離れ、それが転がりでて、もうひとつ(の自分)に統合する
まるで知りたい事を伝えてくれる
まるで願いを叶える知恵をくれる
核(根源)から核(個人)への核融合エネルギー=内側から溢れる意欲という振動エネルギー=言霊が産まれる
己と向き合うとはそういう事であり、ひとりごととはそのエネルギーをどう行動に移すかの思考シミュレーションでもあり、確立すれば、それは迷いのない自由意志の行動指針になる
現実で実行してみたい!!ワクワクとドキドキが止まらない!意欲という情熱が止まらなくなる
溢れる独り言は全てが、自分が起こすべきアクションをナビし、失敗を回避して成功へと繋げるシミュレーションの実行でもある
現場仕事での声だし安全確認も、行動をミスしないように自分に言い聞かせるためにやってるひとりごと。つまりひとりごとに周りの解釈は関係ない
力を現実に引き出すには内面世界でのシミュレーションが大事であり、そのために独り言というのはコンセントレーションを高める必要な行為
それを恥ずかしい事とレッテルを決めて世の中に広げた存在は、人が精神世界と繋がり自由意志の力を引き出す事を妨害したんだろう
その与えられた常識を信じて、みっともないから人前でブツブツ言わないで!!のように思考シミュレーションを妨害する世間体の風潮。オマケにそれを病気というレッテルを貼り、精神病扱いの社会的弱者にまで落とし、あわよくば精神疾患という医療ビジネスのカモにまでする周到さ
悪意の意図を感じたから、これも偽物だな(´-ω-)ウム┐と気付いたのかもね
ま、今日のこれも「ひとりごと」ですよ
精神テクノロジーや自由意志を妨害するレッテルを世に広めて、同調圧力の世間体で効果的に使っていく呪術のロジックをなるほどね〜と、好奇心と探究心でブツブツ思考シミュレーションで確認をする一人言と
その偽物に取って変わられた仕組みを変えるには人の認知や意識を変えなければいけない訳で…さてならばどうしたものか?
と、あれこれ思考シミュレーションしながら、こういう認知に変われば、もっと自発的な意見や自由な考え方で物事や状況を捉えられるんじゃないかな?
と、いう物事の受け止め方を変えるメッセージをこの現実世界の情報の学びではなく、寝て起きたら頭に入ってたという事は、別次元でその大役の仕事を終えた自分がレポートを持ってきてくれた感じで今伝えてます
人から離れて事を為す
ん?人(の身体?の世界?)から離れて?=夢
精神テクノロジーって面白いですね
真実を外ではなく中に見い出す事
ま、ただのひとりごとです
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